ジャワと干支、巳年にむけて

冨岡三智

思えば、ジャワでも干支がポピュラーになってきた感がある。昨年のジョグジャカルタ滞在中、年末年始にショッピングモール内にある本屋に行ったら、「辰年」を強調した占いや経済予測の本がたくさん積まれていた。手にとった女性雑誌には、干支の占い欄もある。最初にジャワに留学した1990年代後半は一般の女性誌に干支占いは載っていなかったような気がする。

華人文化を弾圧していたスハルトが政権の座から落ちた(1998年)後の2000年から2003年まで、私は2度目のジャワ留学をした。2000年に来たとき、本屋には孔子の本や風水の本が山と積まれ、開校したばかりの芸大大学院で竜舞や華人のジャワ文化に対する影響なんかを修士論文のテーマに選ぶ人が出てきて、時代が変わったと痛感した。2003年から初めて旧暦(中国暦)正月が祝日になって、スラマット・リヤディという目貫通り沿いの華人系の店をバロンサイが初めて巡回した。この日私は公演があって、楽屋でそれが大きな話題となっていたので覚えている。その前年の2002年、旧暦(華人暦)はまだ国の祝日にはなっていなかったが、職場によって祝日扱いしてよいという通達が大学の掲示板に貼られていた記憶がある。

そんな風にして華人文化が復権してきて、新年の雑誌に、○年はこんな年、あなたの干支は○○で性格は××、といった類の記事をよく見かけるようになった。昨年は干支を強調した本がたくさんあった言ったけれど、辰(ナーガ)年というのが良かったのかもしれない。ナーガはジャワでも彫刻やバティック(更紗)の意匠としておなじみだからだ。

巳年にちなんで、ジャワ(舞踊)で蛇に関係する話はないかなと考えてみたが、どうも思いつかない。蛇はだいたいナーガ(竜)と同一視されるのだが、物語に登場するのはやっぱりナーガの方である。たとえば、スラカルタ王宮の地下にはナーガが住んでいて、アブディダレム(宮廷家臣)が金製品などを身に着けていると必ず地下のナーガに取られてしまうとか(これは宮廷の身分秩序を教え込むための寓話だろう)、ジョグジャカルタ王宮の地下にはナーガが住んでいて、その尻尾は南海まで伸びているとか(ジャワ王権を守護する南海の女神が、王と常につながっているという寓話だろう)、王宮にまつわるエピソードが多いのは、やはりナーガが王の象徴だからだろう。インドではガルーダ(鳥の姿をした神、インドネシアのシンボルになっている)はナーガと兄弟神ながら、死闘を繰り広げるというお話もある。

ジャワで蛇と言って頭に浮かぶのは、アクセサリに蛇のデザインが多いことぐらいだろうか…。女性用だと腕輪や指輪のデザインに蛇のデザインはよくある。男性用だと正装時に着けるベルトのバックルには、コブラが2匹からみあったデザインがある。今年96歳になるというジャワ宮廷の長老で着付の師匠は、蛇の意匠はアクセサリのデザインとして古いものだと言っていた。ここでいう古いというのは、イスラム到来以前、つまりヒンドゥー文化の時代というニュアンスのようだ。だから、ジャワでは蛇というとインド文化の香りがする。

蛇のデザインがナーガ化していったのは、1つには具象的な意匠をきらうイスラムの影響かもしれない。また、蛇ではデザインが単調すぎてつまらないと考えた職人たちが、蛇を装飾してナーガに仕立て上げることに熱中したのかもしれない。

というわけで、ナーガに比べて印象の薄い巳だが、今年のジャワの雑誌には、巳年の運気や巳年の人の性格はどんな風に紹介されるのだろうか。楽しみである。