ガリン・ヌグロホの映画「オペラ・ジャワ」を見て

冨岡三智

突然だが、この8月5日から1年の予定でインドネシアのソロ(正称スラカルタ)市にジャワ舞踊の調査で来ている。9月はじめに電話付の家を見つけて入居し、やっと自分のパソコンから直接原稿が送れるようになった。先々月に「舞踊の謝礼〜1」という文を書いて、その続きはインドネシアに来てから書こうと思っていたら、すっかり気分が変わってしまった。それでその続きはいつかまたということにして(このフレーズ、しばしば使っている気がする)、今月はガリン・ヌグロホ監督の新作映画「オペラ・ジャワ」評を書いてみたい。

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ガリン・ヌグロホは1961年ジョグジャカルタ生まれ。インドネシアを代表する若手映画監督で、日本でもその作品はよく上映されている。私が同監督の映画を見るのは「そして月も踊る」(1991)、「枕の上の葉」(1998)とその元になったドキュメンタリー「カンチルと呼ばれた少年」に続いて4作目になる。「オペラ・ジャワ」はベネチア、トロント、ウィーンの各映画祭に出品されている。

ちなみに私が「オペラ・ジャワ」を見たのは2006年9月1日、「ソロ・グランド・モール」内にある「グランド21」という映画館においてだった。ソロでは9月1日〜7日までワヤンをテーマにした「ブンガワン・ソロ・フェスティバル2006」が開催されていて、ワヤン(影絵)、ワヤン・オラン(舞踊劇)からワヤンに題材をとる現代作品までいろんなものが上演されていた。このフェスティバルのオープニングを飾るのが「オペラ・ジャワ」で、上映に先立ってガリン・ヌグロホの挨拶もあった。

それではまず映画の内容について、少し長くなるが、招待状に書いてあったシノプシスを翻訳して引用する。

「これはガムラン・ミュージカル映画で、ガムラン音楽や舞踊の名手、インスタレーション作家に支えられている。このコラボレーション作品は真実を求めての争いについて語っているが、真実とは、多くの血を流した果てに打ち立てられるものなのだ。この物語は、小さい村に住むシティとスティヨという夫婦の物語である。彼らは壷を焼いて売っている。ところがその村では、ビジネスはルディロという金持ちの男が握っていて、いつもひどいことをする。シティとスティヨとルディロはかつてワヤン・オラン(舞踊劇)ラーマーヤナの踊り手で、スティヨはラーマ、シティはシンタ、そしてルディロはラウォノを演じていた。スティヨとシティの生活は倒産で先行き不透明となり、そこにかねてよりシティを愛していたルディロが彼女に取り入ろうとする。一方スティヨは、シティの内面の変化に気づいて、自分の経済力のなさや無気力さを感じている。3人の元踊り手は、三角関係に陥っているとは感じていない。ちょうど、ワヤン・オラン・ラーマーヤナの中の「シンタ焼身」の葛藤の場面のように。ルディロはあの手この手で、時には暴力的にシティを奪おうとし、無力なスティヨは、シティを閉じ込めようと極端な行動に出る。シティは動揺の中で自分の本心を見出そうとする。この3人の葛藤で残されたものがまさに今日の我々の光景であり、ラジオやテレビで見聞きすることだ。つまり多くの対立は暴力に満ち、困難を打開する方法は残虐性に満ちていて、最後は悲劇に終わる。スティヨはついに妻を追いかけて殺し、その心臓を取り出して、妻の心の声が本物かどうか確かめる。この映画はガムラン音楽、歌、舞踊、衣装、演技、ビジュアルとインスタレーションによるレクイエムであり、ジャワ文化というマルチカルチャーな表現の中で生まれた。虐殺への悲しみのレクイエム。その虐殺は、大地の果てでの極端な対立、不安に満ちた社会の対立から生まれた。これは、さまざまの悲しみ、災害の、対立の、恐怖の、そして血塗られた大地への悲しみのためのレクイエム。」

次に配役について。シティ役のアルティカ・サリ・デウィは2004年のミス・インドネシアで、彼女だけは舞踊と全然関係がない。スティヨ役がミロト、ルディロ役がエコ・スプリヤントで、この3人のセリフ=歌の部分はみな吹替である。他にイ・ニョマン・スロ(彼はバリ人)やレトノ・マルティ、そしてそれ以外にも多くの有名なソロの舞踊家やグループが出演している。音楽はラハユ・スパンガ。セリフ=歌は全部ジャワ語でインドネシア語の字幕がついていた。

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私自身はこの映画に出演する舞踊家・音楽家の多くを知っていて、その作品も見ている。その目で見ると、この映画には彼らの個性や存在感、舞踊振付が十分盛り込まれていて魅力的だ。しかし、映画としてみると、登場人物、特に主演の3人の人物の掘り下げ方が弱い。そしてそれは出演者の演技力に問題があるというよりは、人物を行動に駆り立てる「必然的な物語」を監督が構築していないからだと私には思える。

まず、ラーマーヤナ物語をベースにする必然性が私には感じられない。(1)ラーマーヤナと、(2)シティとスティヨとルディロという3人の男女の物語では、人物の置かれている状況がかなり違っていて、相似していない。私たちがある古典の物語を下敷きにドラマを描こうとすれば、古典の中でドラマを生み出していた根本的な原因=外的状況を現代に再現しようとするだろう。なぜなら、人間の内面心理は(もちろん個人差があるにしろ)その外的状況から必然的に生みだされてくる部分があり、そこにドラマが成立するからだ。「元ラーマーヤナの踊り手だった」という設定だけでラーマーヤナの世界を借りてくるのは、少し皮相的な気がする。

3人の心理描写も中途半端なのは、これも外的な状況がきちんと描けていないからだろう。3人の心がそれぞれに揺れていることは感じられるが、その心の揺れの直接の原因がはっきりしない。だからドラマも進展してゆかないのである。いつの間にスティヨは妻を殺害しようとまで思いつめていたのか、シティはルディロやスティヨに対してどういう感情を抱いていたのか……。そういう点を監督自身が煮詰めていないように見える。したがってこれが悲劇だという主張ができていないのだ。

さらに、この(2)の物語を(3)現在の社会に満ちている悲劇・暴力というテーマにつなげるには無理がある。映画の最後に、ラブハン(ジャワ王家が毎年、南海に棲む王国の守護神に供物を捧げる儀式)をアレンジしたシーンがある。全人類の悲劇というテーマは、そのシーンの存在によって暗示されているだけで、②の物語から帰納的に導き出されたものではない。それだけではない。彼はシノプシスの中で悲しみの中に災害の悲しみにも言及しているが、これは人間関係の葛藤の中で起きた虐殺とは同レベルで扱うべきことではないはずだ。おそらく彼は自分の出身地であるジョグジャカルタ近郊で起きた地震の惨状が念頭にあり、レクイエムということで一緒くたにしてしまったのだろう。

このように、この映画では、(1)の物語、(2)の物語、(3)のテーマというのはオーバーラップもせず、深化もしない。ただ(1)の人物設定を借りて別の物語=(2)が展開し、そこに(3)のテーマが新たにくっつけられていった……だけなのだ。物語の力によって普遍的なテーマが迫り出されてくるわけではなく、イメージによって話が飛躍していくのである。もちろん(1)の物語の枠を借りて別の物語を展開しても良いし、論理的な展開よりもイメージ表現を重視しても良いが、もし彼がこの映画を通して普遍的な③のテーマを語りたいなら、それが(1)や(2)のドラマの展開を経て必然的に生まれてくるように構成するべきだろうと思う。

こんな批判的なことを書くと、ヌグロホ監督のファンには怨まれるかもしれない。ただ彼を少し弁護しておくと、このような話の展開の仕方はジャワ人にはありがちだ。ジャワでは個別の事例から論理的に普遍的な真理が導き出されるのではなく、その論理のプロセスがすっ飛んで、なんでも象徴・シンボルの話になってしまうことが多い。だから上のような私の意見は、私が話したジャワ人数人にはほとんど分かってもらえなかった。ヨーロッパでの映画祭ではどのように評価されるのだろうか。

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それからもう1つ。「オペラ・ジャワ」に限らずガリン・ヌグロホの映画でいつも気になるのは、物語にとって必然性のない「ジャワ」の強調が多いことだ。「オペラ・ジャワ」の最初に、スティヨがスラカルタ宮廷の行事「スカテン」にアブディ・ダレム(家臣)の姿をして王宮に入るシーンがある。しかし、その後の物語におけるスティヨの境遇を見ていると、彼は別にアブディ・ダレムとして生きているわけでもなく、このシーンは物語とは何の関係もないことが分かる。

またスラカルタ王宮で即位記念日にのみ踊られるという秘舞「ブドヨ・クタワン」の映像が挿入されているが(踊り手から判断すると、これは『そして月も踊る』用に撮影した映像だろう)、これもシティとスティヨの物語とは全然関係がない。2人の愛の象徴としてブドヨの映像を出したのだと言う人もいたが、なぜ「ブドヨ・クタワン」でなければならないのだろうか。確かに「ブドヨ・クタワン」は王と南海に棲む王宮の守護女神との愛を描いているが、シティとスティヨの愛の引き合いに出すには格が違いすぎて、私には違和感がある。ガリン・ヌグロホは「カンチルと呼ばれた少年」でも舞踊・ブドヨ(この時は確かジョグジャカルタ様式のブドヨ)のシーンを挿入している。その時はナレーションから男女の愛の象徴として使っていることが明白だったが、この時も前後のストーリーとブドヨとは全然関係がなかった。

このような「ジャワ」の強調、しかもジャワ王宮文化の強調は、彼が海外の映画祭を対象に映画制作をしているからではないだろうか。つまりジャワ人である彼が海外で自分の文化的アイデンティティを強調するために必要以上にやっていると思うのだ。そのために彼が表現する「ジャワ」は「ブドヨ=愛」、「ジャワ=王宮文化」のようにステレオタイプ化し、外人の眼から見たエキゾチックなジャワを再生産している。日本でも、「こういうところ(愛の表現)でブドヨを出すあたりがジャワ人ですね〜」と感心する声を聞くから、おそらく映画祭というような場では評価を得やすいのだろうが、私には鼻についてしまう。彼自身はこの点をどのように自覚しているのか、機会があれば聞いてみたい気がする。

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ここでは「オペラ・ジャワ」の映像の美しさや、全編に流れる音楽については触れていない。ただ映画を見たときから、ジャワ人にとって物語とは何なのかということを一番考えずにはいられなかった。そしてその一方で、私の頭にある「物語」、「人物の心理」、「必然」などという概念はどこから来たのだろう、という思いにもとらわれてしまった。だから威勢良くヌグロホを批判しているように見えるだろうが、私自身にもその批判の矢が向いているのである。

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その後……

以上の原稿を送った後でこの映画の歌の担当者の1人に出会い、この映画についていろいろと彼の感想を聞くことができた。私が上のように「物語」の枠組みが弱いと思うと話したところ、インドネシアでもそれを指摘する声があるが、それはガリン・ヌグロホが敢えて狙ったことではないか、と言う。彼によると、この映画で歌の構成を担当したのがスティヨ、シティ、ルディロ役に計3人いて(みな芸大スラカルタ校の先生)、それぞれラーマーヤナの「シンタ焼身」のエピソードの展開に沿って歌詞を書いたのに、編集されたのを見ると、どれも歌詞の順序がかなり入れ替わっていて、驚いたらしい。ちなみに、舞踊のあるシーンで演出した人が、編集されたのを見て「なんでこうなるの?」と思ったらしいから、監督は人々が「物語を欲する」のを裏切りたかったのかも知れない、とも思う。

また、先ほどの歌の担当者は、ラーマーヤナ物語の枠から外れているということについてはヒンズー教の側から反対の声が上がり、それについての論争が新聞に盛んに取り上げられていたとも教えてくれた。そこでインドネシアの新聞を検索してちらっと目を通してみた限りでは、どうやら、インドネシア・ヒンズー教の最高組織(パリサダ)が、ヒンズー教を冒涜しているという風に批判したらしい。

実は私には、この宗教界からの批判というのは全く意外だった。もし「オペラ・ジャワ」がもっとうまくラーマーヤナ物語の枠を生かしてスティヨとシティとルディロの話を作り上げるのに成功したとしても、それがラーマーヤナ物語を冒涜するとは思えない。ラーマーヤナは物語であり、経典ではないはずだ。なぜこの映画にそんなに敏感に反応したのか、調べてみたら面白いかもしれない。

そういうわけで、私がここで取り上げたトピックは、おそらくガリン・ヌグロホが期待するところの批評ではないと思うのだが、映画の周辺も含めて現在のインドネシアなりジャワの有り様が透けて見えてくる映画のように思う。