グロッソラリー―ない ので ある―(35)

明智尚希

恥ずかし村の村長さんは、とても恥ずかしがり屋だ。恥ずかし村の住民も恥ずかしがり屋だけど、村長さんほどではない。村長さんは一番の恥ずかしがり屋だから、指一本見られるのも恥ずかしい。だからもちろん外には出ない。外に出ないのは住民も同じだ。ではどうやって恥ずかし村の村長さんを選んだのか。恥ずかしいから答える人はいない。

(*/ω\*)

 欧米の詩の中に、神は何度その名を呼ばれたことか。ほとんどが切羽詰まった場合や愁嘆場である。詩人が困難や絶望に直面し、自力で克服するための術を見つけるべき時に「おお神よ」と相なる。神への甘え、逃げでしかない。仮にも一個の人間なら、人間臭く泥臭く生命を賭して、攻めの一歩を踏み出す義務がある。便利な手段に頼らずに。

カミ ヾ(◎´∀`◎)ノ デス

 肉体が疲弊している時、自分にとって何が重要かを気づかせてくれる。無駄な思想や欲望が剥落し、精神は束の間の均衡状態にある。身の回りでその時に有意義な役割を果たすもののみが、新鮮な訴求力を発揮してくる。本来なら鋭敏な感覚も常ならず落ち着いているため、ツールや感覚に従ってあらゆる判断を下すにはうってつけの時間となる。

(-公- 😉 ツカレタ

 ヘミングウェイ、キャパ、セリーヌのように、死と隣り合わせとなった状況を望み、生き甲斐となった人物は不幸である。死は求めれば逃げていき、恐れれば近づいてくる。人間の思惑との帳尻が合わないからこそ、死は畏怖の対象たりえている。ヘミングウェイのように死の探求の冒険がナンセンスと知った者は、最後の冒険に出るしかない。

死は(▼▼ )( ▼▼)どこだ

 明察・省察・継続により技術は向上する。その技術をもってして一分野を追求する。追求するほどに世俗的ではなくなっていく。世俗的ではなくなるにつれ、いわゆる「あっちの世界」の作り手・研究者となる。「あっちの世界」の住人たるを自覚することで、俗世間との乖離の大きさに気づく。乖離の大きさに気づいたら、技術を引き戻す。

あーあ( -Д-)=3

 図工の時間、担任の教師の机の前に立たされて、怒られている小学一年生の姿がある。人物画の背景を真っ黒に塗ったのだ。もちろんベラスケスもゴヤもまだ知らない。他の児童は外の風景を描いていたのに、一人だけ真っ黒。教師の気に入らなかったらしい。給食・掃除の時間も過ぎた。「夜なんですか!」。面倒臭くなって答えた。「そうです」。

ヘ(。≧O≦)ノ ヨルナンデスカ!

 春になると「陽気な」人が出来するという定説がある。数か月に渡る冬の鋭角的な寒さの締め付けで、内へ内へと巻き込まれ孤独感と逼迫感が助長されていたのが、温暖な気候の牛歩ながらの訪れのおかげで解放され、自分の精神と肉体の不可視な面積が増えるからだろう。彼らの登場は有名だが、いったいどこへ消えていくのか誰も知らない。

ヘ( ̄▽ ̄*)ノ・ ・.♪ヒャッホーイ♪.・ ・ヾ(* ̄▽ ̄)ノ

 ぼんやりしていると言われない程度に思考から離れている。街の構成物になんとなく気を取られながら歩いている。日々の雑事をいつも通りのモチベーションでこなしている。やるべき仕事を淡々とやっつけている。その時点のことをそういうものとしてとらえておらず、自分自身から遊離しかかっている。地震はそういう時にやってくる。

!!!地震(゚ω(ω(゚ω゚)ω)ω゚)地震!!!

 巷間では、季節の変わり目をなにやら嬉しそうに話題にするが、わしにとっちゃ大きな異変じゃ。まず体が神経が不調になる。高熱に侵されたかのごとく、脱力し意気阻喪する。桜前線や真夏日がどうのと騒いでるのに対し、こちとらもう終わるのではないかと静寂そのものじゃ。四季折々の死にかけ。季節など一つこっきりで十二分じゃ。

”_| ̄|○”ハァハァハァ

 知人の子供を見るにつけ思う。こちらは現在と変わらぬまま、十年前後には楽々と追い抜かれているのだろうと。仕事・資産・社会的地位。こちらがいかに嫌がろうとも、世人はそれらを唯一無二の絶対的な指標・基準として他人を選別し、尊敬か軽蔑をする。だが満足度では、前途を約された子供たちより、駄目人間の旗振り役のほうが大きい。

だめ人間です(⌒o⌒;A どーも

 何だろうこの眠気は。睡眠障害なのは認めるが、日中の眠気では前例の少ない種類だ。倒れそうなほど眠いというすがすがしいわかりやすさはなく、睡魔が障害物に引っ掛かっていて、眠りには至らないような状態。脳が意識をシャットダウンするか否か迷っているのだろう。こういう日の夜は眠剤を増やさないと、二三日は容易に徹夜をする。

ネムイ(´っд・。)

 夢は突拍子もない空想でしかない。希望はロマンチックな勘違いでしかない。努力は態のいい時間の浪費でしかない。憧れは気づきにくい現実逃避と自己疎外でしかない。信仰は信仰のために信仰するというトートロジーでしかない。願いは無軌道・無計画な戯れ言でしかない。理想は根拠らしきものと絶縁している空白でしかない。

;;;;(;・・)ゞウーン