「ライカの 帰還」騒動記(その11 エピローグ)

船山理

コミック編集部解体については、係わらせていただいた作家さんたちに正直にことの顛末を伝えることにした。一方的にこちらが悪い、こうなってしまったのは自分の努力が足りなかったせいだと、頭を下げる以外なかったからだ。吉原さんには私は日ごろから、あなたはメジャーで活躍しなければならない人だ、マガジン社はそのインターバルに、あなたをメジャーから借りているだけなんだよ、と話していた。
そんなおり、毎年年末に行なわれる小学館のパーティに招待を受けたので、吉原さんと2人で出かけて行った。これは帝国ホテルで行なわれる恒例の行事で、著名なコミック作家さんたちが一堂に集う、華やかで盛大なものだ。バンケット会場を2つぶち抜いて行なわれるパーティは大勢の関係者で溢れかえり、ホスト側の小学館も、ほぼすべての編集スタッフと役員たちが、それぞれのケアに奔走する。
そこでは編集スタッフが待ち構えていたのだろう。吉原さんを見つけると私を押しのけ、5〜6人で彼を取り囲むと、まるで旧来の知己に出会ったかのように談笑を始めたではないか。わずか数年前に吉原さんをパージした小学館が、彼を凱旋将軍のように迎えているのである。吉原さんは戸惑ったように笑っていたが、私はその光景を目に留めた後、その場から姿を消すことにした。
吉原さんが改めてメジャーに迎え入れられる。それが現実になった瞬間に立ち会えたことは嬉しい。だけど、もうコミックの舞台に立つことはないだろう自分との距離感を考えると寂しいような、いたたまれないような、そんな気分に襲われたからだ。考えてみれば厚かましい限りなのだが、私はこのとき、コミックに編集として係わることを心底、好きになっている自分に気づかされた。
パーティがお開きになると各編集部は独自に2次会を設定する。私は大した考えもなく、誘われるままビッグコミックオリジナル編集部による六本木のクラブ会場に足を運んだ。だけど編集長の亀井さんは大御所の作家さんの接待か、役員たちのフォローで別行動だから、編集スタッフは知らない人ばかりだ。それでもソファーで談笑する村上もとかさんを見かけたので、ホッとして声をかけさせてもらった。
村上もとかさんとは小学館デビュー作となる「赤いペガサス」で、例の友人を通じてF1レースの資料提供に協力させてもらった。それは私がオートバイ編集部に在籍していたころだから、ずいぶん長い。その後も何かと親しくさせていただいている。そのとき、村上さんの作品で、つい先日目にしたばかりで気に留めていた1カットを思い出した。それは小学館の作品ではなく、集英社のものである。
もとかさん、こないだ最終回を迎えたスーパージャンプ、お疲れさまでした。あのラストカット、主人公の顔のアップ、いい表情が描けてましたねぇ。あれ、もとかさんが描いたんじゃないでしょ? すると「バカ言え! オレが描いたんだよ!」そこで2人して大爆笑したのだけれど、さして広くないクラブの会場で、私は周囲の視線を一身に浴びることになり、あたりは静まり返ってしまった。
すると私の右手から、すっとんで来た人がいる。見ると名刺を差し出して平身低頭しているではないか。大御所である村上さんと大声でバカ話をしている見知らぬ男、つまり私は何者なんだ? 年間にして小学館に10数億円単位の収入をコンスタントに提供する作家さんに、こんな口を利く男が少なくとも身内にいるわけがない。よほどの関係者だと思われたのだろう。差し出された名刺には副編集長の肩書があった。
彼に奥のソファーに案内された私は、村上さんに軽く手を挙げて会釈し、促されるままに席に着いた。そこで私は正面に座っている人と視線を重ねたのだが、あれ? どこかで会った人だぞ…と思っていると、彼がおそるおそる名刺を差し出した。私はその名前を見て愕然とする。石川サブロウ。そう、「とんびの眼鏡」を描いてもらおうと私が心に決めていた、その人ではないか。何という運命の引き合わせだろう!
石川さんは私をまったく覚えていないようで、それはそれでホッとしたこともあるのだけれど、私の胸中は複雑な思いが駆け回っていた。もし石川さんが、あのとき描くことを受け入れていたとしたら、あの作品はどんな具合に仕上がっていただろう? 編集としての興味は正直あったが、吉原さんの手によって、これ以上ないほどに完成しているものに、どんな想像も入り込める隙はなかった。
石川さんは少年ジャンプ誌の連載終了後、作品発表の場に恵まれていなかった。私は目の前にいる彼が、あのときのようなオーラを発していないことにも気づかされた。けっきょく私は石川さんと会話らしい会話をすることもなく、クラブ会場を後にした。帰りのタクシーの中で、石川さんが村上もとかさんのアシスタント出身であり、そのことを後から知ったんだっけ、などと考えながら眠りについてしまった。
後日、新潮社から「ライカの帰還」を香港でも発行したいとの依頼が当地の出版社からあり、どうしますか? という電話があった。吉原さんはどう言ってますか? と訊くと、私がOKなら構わないそうだ。それじゃ相談するまでもないなと、承知させてもらうことにした。印税に関してはレートがどうとか言われたけれど、そんなことより海外でも注目されたということに正直、びっくりだった。
ほどなく私の手もとに「人間捜影」と題された香港版が届けられた。吹き出しのセリフがすべて漢字になっているのはもちろんだけれど、描き文字による「音」が、いちいち欄外で説明されているのが面白い。巻頭のレイテ沖海戦で米海軍爆撃機が発する「オオオ…ン」は飛機飛行的聲音だし、爆撃にさらされる空母瑞鳳が発する「ボボボ…」は猛烈轟炸的聲音なのだそうだ。編集のこれらの読者への気遣いは興味深かった。
かなり後の話になるけれど、新潮社版でカットされた3話を収録した「ライカの帰還・完全版」が、新潮社からの発行後、12年近くを経て幻冬舎から発売された。このときは朝日新聞の紙面に表紙の画像入りで紹介されて、こちらから何の売り込みも依頼もした覚えがないだけに、驚かされたものだ。同時に幻冬舎を通じて、台湾からも同様の依頼があったから、この作品は都合、5つの出版社から出されたことになる。
香港版と台湾版を見比べると、吹き出しの中が同じ漢字だらけでも、けっこう異なっていることに気づかされた。私は中国の言葉はサッパリなのだけれど、広東語と福建語の違いなのかな、とも思う。台湾版では「音」の描き文字がなるべく活かされていて、もとの絵柄を尊重してくれているのに好感が持てる。香港版のように「音の解説」はないのだけれど、その代わりに独自の説明が欄外に加えられていた。
たとえば主人公が空母の艦上で、上官から「予備学生あがりか?」と訊ねられるシーンは「是預備學生出身的?」となるのだけれど、預備學生の箇所に※が設けられ、かなり長めの解説が加えられている。これはオリジナルでは触れてない分、へぇ〜っと感心してしまった。新たに描かれた文字のセンスなどから見ると、台湾版はかなり手練れの編集者が係わってくれているように思う。ありがたいことだ。
そうそう、マガジン社のことについても触れておこう。びっくりするほどの、どんでん返しがあったのだ。何がどうなったのかは闇の中だが、次期社長を目指していたはずの大園常務は突然お役御免になり、林社長が再び正面に復帰したのだ。そして大園さんが抜擢した2人の役員も、それぞれカタチは異なるものの、相次いで更迭されてしまう。文字どおりの報復人事というやつだ。恐ろしい限りである。
これで、かつての編集担当取締役だった見山さんが呼び戻され、コミック編集部も復活となったらドラマとして面白かったのだが、現実はそうは行かない。林社長は赤字寸前まで転落していたマガジン社の収支を操作し、少なくとも自分が社長でいたときは黒字決済だったという証拠をつくってから、社長の座をオーナーの長男に譲って、自分はさっさと身を引いてしまったのだ。これも恐ろしい限りである。
私はと言えば古巣のオートバイ編集部に副編集長として配属され、ここでもコミックがらみで面白いことを手掛けてさせてもらった。その後、小学館を辞めてしまった例の友人から、彼が参画している外資系のコミック編集部に誘われ、大いに悩まされた。そして34年務めたマガジン社から転職し、そこで大御所作家さんたちと得難い経験を積ませてもらうのだけれど、そのことはまた別の機会があれば語らせてもらおう。

(おわり)