墓日和

璃葉

墓参りをしよう、という思いつきは突然にやってくる。もちろんお盆やお彼岸、誰かの命日があって墓に参る日というものはあるけれど、どれにも当てはまらないときがある。そしてそのタイミングはあまりにもあっさり、すっきり決まる。−なんか、墓参りしたいね−という軽い流れで。

澄んだ青空を目の前にして、おんぼろの軽自動車で急斜面をのぼり、高台にある寺の敷地に入る。ぐねぐねと曲がる細い道を通り抜け、なだらかな坂を下ると、見晴らしのよい風景が現れた。街と街の間を流れる大きな川、山の連なりが見えて気分がいい。

敷地の丘には数えきれないほどの墓石が所狭しとならんでいて、私の先祖たちの墓もそのなかにある。きっちりと場所を覚えているわけでもないのだが、行けばわかるものだ。確かここの階段をだいぶのぼったあのへん、というようなおぼろげな感覚で探し当てる。

墓の花立や水鉢には雨水がたまっていた。前回来たのはいつだったか。だいぶ前だということを、墓石の汚れが物語っている。使い古したスポンジで磨くが、黒ずみは擦っても落とせない。今回は諦めることにして、袋から数珠や蝋燭立て、線香などを取り出し、花を生ける。強風が吹いてきて、蝋燭になかなか火をともせない。髪の毛があっちに行ったりこっちに行ったり。いつもこうだよね、と姉とぼやきつつ、マッチを数本無駄にしたところ、ライターでなんとか点火。数珠を持ち、しばし手を合わせる。目を瞑れば頭の中は言葉もなく、静かだ。まぶたの奥に黄色やピンク色がぽこぽこと浮かんでは、消えていく。ほんの数秒の祈り。

片付けをして長い石段を下ると、古びたベンチに野良猫が2、3匹、あるいは4匹、日向ぼっこをしていた。静かで広く、木々もたくさんあるこの土地は考えてみれば、猫たちにとっては絶好の住処だ。尾張の血生臭い歴史が染み込んだ文化財が今や猫天国となっているのは微笑ましい。皆毛並みがよく、日の当たる暖かい石畳に寝転がって幸せそうな表情をしている。水を飲むためのボウルまで置いてあるのだから、寺の人たちがちゃんと見守っているのだろう。

墓参りついでに本堂にも寄り、鐘をつき、一仕事終えたような晴々とした気持ちで車にもどる。そして駐車スペースにも、やはり猫。

平日の昼間だからか人も少なく、のんびりとした時間が流れていた。なぜ今日、墓参りをしたのかはわからないまま。見えないものに助けを求めたいのかもしれない。墓をきれいに整えたい気持ちも。もしくは、憩いに集う猫たちに会うために。

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