MINEKO

璃葉

みね子は私の祖母だ。
私が幼い頃に死んだみね子がどんな人物だったかは、周りの人の話しと、
わたしの仄かな記憶と、仏壇に飾られた遺影で形成されている。
みね子は自分の名前を「峯子」や「峰子」と記していた。
どちらが本当なのかはわからない。だから私の中で「みね」だけ平仮名にすることにした。

着物姿でいる日が多かったとおもう。華奢な身体つきで背筋がピンと伸びているが、余分な力が入っていない姿勢。
若い頃から酒を飲み、タバコを吸う。戦争で夫を亡くし、独りで3人の子供を育てながら、料亭の女将として長いこと働いた。料亭をやめた後も自由に飛び回っていた。医療用品の小売業をしたり、作家の女中になった。
その後はとうとう身体の調子が悪くなり、寝込む日が多くなる。それでもパチンコへはよく通っていた。
時々夜に起きて、居間をフラっと歩く。猫のような婆さま。
「お酒は身体に良いらしいねえ」「一杯でも呑むとすごく元気が出るんだがねえ」と家族の前で呟く。決して欲しいとは言わない。
「じゃあ少し呑むかい」と誰かが言うと、「そう言われたら、いただくかねえ」と嬉しそうに席につくのだった。やはりお酒が大好きだった。
超の付く気分屋で頑固者のみね子は機嫌の良いときはたいへん社交的で、来客があれば料理の腕をふるい、一流の女将となってもてなした。
客は全員みね子のファンになるのだった。
しかし虫の居所が悪いと、爆弾低気圧を抱えたような形相で2週間以上家族と口を利かないうえに、部屋に閉じこもってしまう。そしてよく家出をした。
旧友の家や店を転々とし、くだを巻いて巻いて気が済むと何事もなかったかのように帰ってきた。
「おいしい饅頭を買ってきたから皆で食べよう」とか言いながら。
勝手にマンションの一室を借りて、家具を一式揃え、ひとり暮らしをしていることも多々あった。

周辺の人々はそんな彼女に見事に振り回されていて、よくトラブルが起こっていたが、
家族だけは(彼女なりに)非常に大切にしていて、助けるときは豪快に助けた。
いざという時、人の前に出て行くその姿は凄まじい迫力だった、とわたしの母はよく語っていた。
その強さと潔さは、皆の中に強烈で嬉しい記憶として残っている。
みね子は生まれたばかりのわたしを見るなり、「この子は呑むぞお」と言い放ったそうだ。
その予言通り、現在のわたしはしっかりとお酒が大好きになっている。

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