169わらべ歌、さいご

藤井貞和

なよたけのさいごのことばは「竹! 竹!」
なよたけ! おまえは何を言ってるんだ!
何を! お月さまが迎えに来るなんて、
そんなことがあるもんか! おまえは、
疲れてるだけなんだ。 からだをおやすめ!

高畑さんが言う、「姫の犯した罪と罰」は、
わらべ歌のなかから聞こえる。 でも、
ぼくらには聞こえないね、わたしたち。
妖怪は引き継がれる、光源氏(源氏物語)へ、
かぐや姫も妖怪変化、その終り方――

箕(み)をあおり、姫をかなたへ飛ばし、
手足を切って籠に編む。 「風立ちぬ」の歌も、
世界が一冊の神話たりえているために、
世界が一冊の神話たりえている限り、
ぼくら、わたしたちの信頼のなかで生きる。

もう、かぐや姫はいない。 犠牲者のあと、
もののけ姫もいない。 おしらさまも、
おりひめも、火のなかから水晶の叫び。
鼠の浄土で逢おう、ぼくら、わたしたち。
そんなにむずかしいことじゃない、逢おう。

(現代詩って何だろうな。どう書けばよいのか。「何を今更」じゃない、わからなくて日歿の時、井戸の涸渇だ。「なよたけ」は加藤道夫『なよたけ』でも、知らない人、多いし、そういう情報、要らないね。「竹! 竹!」がほしいのに、朔太郎の「竹」がじゃまをするかな。そちら 近代で、こちら 月がお迎えにくる時代よ。加藤は折口の『死者の書』を軍装から手放さず、ついに持ち携えて帰国した。そんなこともいま、要らないね。かぐや姫は竹だから、手足を折られ、皮は「竹籠に」と細工されるのさ。哲学者デリダの詩の定義に「大省略」というのがある。すべては大省略よ。なんで「姫の犯した罪と罰」がここに出てくるの? 大省略だから、説明は要らない。アニメ『かぐや姫』のキャッチコピーだった。いや、『もののけ姫』だったかも。)