148 日本史

藤井貞和

あかつきの物語が終わってエ 倭人伝は草へ帰るウ
さびしさのオ 表情ゆたかに歴史の筺で息絶える古代史イ
さきをゆく水軍のあとの白波イ 偽書の集成される内海(ないかい)もんじょオ
群書るいじゅうがびしょぬれで歴民博へたどりつくウ ない城壁にイ
のろしの火を塗るウ 学芸員の手腕がもっとも問われるところオ
調べがついたらア 吟遊の人々よオ 館長室で酒を飲めエ 近代史のオ
背後に延びるかげの植民地を史料から史料へ移せエ
国冬さんと呼ぶ声がするウ 十三世紀ぐらいのひとでエ(津守氏)
住吉の神がみなとを守るウ あくとう(悪党)は濫妨をこととするかア
お国が冬になるかア 漢字で書かれる速報やア
感じで十分に伝わる中世史になるとオ わたしはふぶいてエ
はたらいたりイ 吹きつけたりイ 「国家としてのオ
日本の別の空間」と古層は言うウ 市民運動の成熟をオ
そういう文学や文化からのオ 踏み込みでエ 丸山真男ではないがア
見えてくる地平がさらにあるのではないかア!
歴史家はふたたびとって返せエ 狼藉と朝鮮人少年とオ
少女像とのためにイ 氷解する現代史イ 吉田茂政権からの六十年ン
占領態勢イ ドッジラインからの脱却ウ わたしなりのオ
わたしたちなりの経過してきた時代から鑑みてエ
共感できる見解かなと思える一方でエ 戦後史よオ
歴史はどんな時代にも生産されつづけたのでありイ
アートの試み映画演劇イ 小田さん(実)の「何でも見てやろ」オオ
身を躍らせていた仮面よオ それらのオ
積極面(芸能史)をどう評価してゆくかア 歴史の最難関ン

(われらあくとう、あくとれす、なんちゃって。釜山の少女像について、韓国ではたくさん書かれているので〈と思います〉、われらあくとう、あくとれすも、何十年ぶりか、街頭へ出てラップ〈乱舞〉です。朝鮮人少年は石川淳『焼跡のイエス』より。)