183 手紙二題

藤井貞和

若松英輔編『新編 志樹逸馬詩集』(亜紀書房)を、私も求めました。
立川へ出て、ジュンク堂(書店)で装丁に引かれて手にすると、新編志樹詩集でした。
木村哲也『来者の群像—大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』では、(編集室水平線の、
ホームページによると)志樹さんが故人だったため、取材が叶わず、言及も、
わずかなものになったとのことです。 若松さんは解説で、

  神さまへ
  妻へ 友人へ 野の花へ
  空の雲へ
  庭の草木へ そよ風へ
  へやに留守をしている オモチャの子犬へ
  山へ 海へ
  医師や 看護婦さんへ
  名も知らぬ人へ
  小石へ     (「てがみ」より)

を引いて、明恵の手紙である「嶋殿へ」を思い合わせています。
嶋へ、そして嶋の大桜へ、明恵は呼びかけて手紙をしたためます。
込山志保子さん作成の年譜も、志樹を支える家族や仲間たちにふれて、
心を打つ労作でした。 古書ですが、
思想の科学研究会編『民衆の座』(河出新書、昭和30年)では、
志樹が「病人——西木延作の生活と思想——」という一文を寄せています。

(明恵の友達の義覚坊という人の詠歌は不思議なリズムで、「ウレシサノ アヲフチ(青淵)ニ シヅミヌル ウカブコトゾ カナシカル」という、およそ短歌のリズムから外れており、同道して上京することが、嬉しいのか、悲しいのか、青淵とは何だろう、岩波文庫『明恵上人集』の注には語調が整っていないが、欠脱によるものでなく、本来この形であったか、とある。不可解な「かりごろもこずゑも散らぬ山かげに ながめわぶる秋の夜の月」(これも破調)について、義覚坊じしんの解答に、「かりごろも」は雲のことで、月が着ているのだという。「こずゑ」は雲のね(峰あるいは根)で、雲の先に円座ばかりの雲があるのをいう。「山かげ」も曇れるを言うと。ようするにぜんぶ、雲という次第。一つ一ついわれがあるので、けっしていい加減に作る歌ではないという主張である。「嶋殿へ」のエピソードは『栂尾明恵上人伝記』上に見える。)