木車、胞衣車、白衣――翠ぬ宝74

藤井貞和

トーコック(藤井貞和訳)

・近鉄奈良駅を楽隊で数人が(それとも楽器はひとりだった?)
・もちいどの通り、杖で隻足(二名ほど)
・附属幼稚園の門のわき、腸のはみだした銃創を見せて(一人)
・4人、6人で
・両足を切断していたひとはだれかに台車で運ばれてきた
・手がかぎになって、小箱をそこにひっかけていたひと(複数回)
・ひとごみから数人であらわれ、消えて行き
・なぜか夕暮れ、会うかれらの時間
・近鉄線に乗りあわせた
・奏でる音楽

(どれだけ思い出せるか、子ども心に、かならず白衣で街や車内に見かけた、沈黙する場合もあるけれども、口々に訴え、要求し、音楽を奏でて。あわれみを乞うのではない、どこか毅然としていたかれら。しかし数年のちには退落し、単なる物乞いへと堕ちていった場合もある。フジーさんは何人、思い出せますか、傷痍軍人を。北村透谷を読みに読んで、評伝も書いてきた平岡敏夫さんが、いまなお読むたびに胸踊り、心を熱くするという、「客居偶録」(明26)には、足に銃創を印し、盲目で小鼓を打ちながら物乞いする元会津武士と、木車にかれを載せて帰らぬ乞食巡礼の旅に出る老爺、ようするに主従老人二人を、国府津在の透谷はたまらず呼び寄せて一飯を与え、見送るという、新刊の『北村透谷』の「「客居偶録」―胞衣車を押す芥川にふれて」を読みながら、フジーさんは少年時代に見かけた傷痍軍人をひとりひとり思い出している。なぜ白衣(の着流し)だったのだろう。しかしかれらの一人が乗せられてきた台車をもう思い出せない。芥川が胞衣〈えな〉車を押すのは「年末の一日」。〈今回は未定稿〉)