仙台ネイティブのつぶやき(23)職人さん訪問

西大立目祥子

 7月末は、私にとって「せんだい職人塾」の季節だ。ちょうど小学生が夏休みに入ってすぐのこの時期、10組ほどの親子といっしょにバスに乗り込み、職人さんの元を訪ねるという仙台市の企画を長いこと手伝ってきた。水先案内役なのだけれど、運転手さんのわきでマイクを握りしめ話をするのだから、まるでにバスガイドだ。

 訪ねるのは、桶屋、畳屋、表具屋、鍛冶屋、カバン屋、こけし屋、和裁屋、和楽器屋、仙台簞笥の金具職などなど。中には、東北大学理学部で実験用のガラス器具を製作する職人さんもいる。

 もちろん私には、こうした一つひとつの仕事を解説できるほど知識もましてや経験もない。以前、仙台市内の職人さんの仕事場を訪ね歩き冊子をつくる仕事をしたことがあって、ものづくりをする人々が自分の暮らす街にも少なからずいることを知ったことがきっかけだ。その仕事ぶりや人となりに興味と関心を抱くようになって、そうした人たちの存在と仕事ぶりを多くの人に知ってほしいという一心で続けてきた。

 仙台は江戸時代から消費都市としての性格が強かった街で、いまも2次産業の基盤は弱いといっていい。つまりは、つくって売るより仕入れて売るという商売の方が圧倒的多数だったわけで、その中でこつこつ時間のかかる仕事をやり続けてきた人たちというのは、まわりに流されることなく自分自身の中に意志や思いや考えを持つ人、という印象を抱いてきた。

 多くが亡くなられてしまったけれど、忘れられない職人さんもいる。奥さんを亡くされたあとも自立した一人暮らしを続け、早朝起床してまずトイレ掃除をし、朝食をつくって食べ、それから仕事場に入るという日課を守り通した桶職の「桶長」こと高橋長三郎さん。高橋さんのよく手入れされた庭は、いつも色とりどりの花が満開だった。サワラ材を使った桶は、寿司桶としての注文も入るほど典雅で美しかった。  
10年ぶりに訪ねた私に向かって「ああ、あんたか、久しぶりだな。俺の包丁なあ、ますます切れるようになってきたぞぉ」と話しかけてきた鍛冶職の千葉久さん。千葉さんは地元の農家のために鎌をつくり、塩竈の卸売業者のために大きなマグロ包丁も製作した人で、四、五年前病に倒れてなお、いまも工房で研ぎの仕事を続けている。

 すぐれた職人さんの仕事場はよく整理整頓され、掃除がゆき届き、手入れされた道具がきちんと定位置におさまり、足を踏み入れたとたんすがすがしい気持ちに満たされる。五感を研ぎ澄まし、段取りよく仕事を進めるためには、機能的であることが必要だからだろう。じぶんの背筋がしゃんと伸びるような、ではキミ自身の仕事場はどうなの?と問いかけられているような思いにもさせられて、私にとっては職人さんの仕事場を訪ねることは、じぶんを振り返る意味でも大切なひとときだ。

 さて、この「せんだい職人塾」。夏がめぐってくるたび2日間、それぞれ2カ所ずつ訪問するので、まずは訪問先を確保しなければならない。もちろん、いつでも快く受け入れてくださる工房はあるし、そこをまた訪ねればいいのだけれど、毎年負担をおかけすることにもなり、私自身がマンネリに陥る。できれば、1カ所ずつでも新たな訪問先を開拓したい。

 今年はどうしようか─。6月ごろ、思案していて、そうだ!と思い浮かべた顔があった。尾形章くん。25、6歳ぐらいだろうか。私と同じ仙台生まれの仙台育ちで、地元の工業大学の学部の学生だったころ知り合って、歴史的建造物の保存活動を手伝ってもらっていた。若いのに、数十年前に消えてしまった市内の旧町名を知っているし、よく歩いていてどの町内にどんな古い建物が残っているかを把握している。話が通じるので私たちはとても重宝し、頼りにもしていたのだ。彼は大学院に進み修士論文で「建具」を取り上げ、卒業後はどうするんだろうと思っていたら、市内の木工所に就職して建具職の見習いになってしまった。すらりとした長身で、いつもはにかんだような笑みを浮かべ、真摯で驚くほど率直で、私はひそかに職人の資質は十分と見込んでいたのだ。そうか、やっぱり。その進路には納得がいった。

 彼を通じて社長さんに打診してもらい、受け入れのお願いにうかがった。国道沿いの敷地に立てられた広々とした工房には、機械が据え付けられ、尾形くんを含め4人の職人さんが障子やふすま、ドア、家具などの建具の製作をしている。それぞれの作業台には長年使いこまれたカンナや金槌などの道具が置かれ、壁には旋盤鋸の歯がすっきりと納められ、光の射し込む窓際に刃物の研ぎ場がしつらえてあった。
 社長のTさんの図らいで、見学だけでなく体験もできるようにと、ミニ障子の衝立の組み立てをそれぞれひとつずつ製作させてもらうことになった。

 いよいよ当日。あいにくの雨模様の中、前半の畳屋さんの見学を終えたあと、9組18人の親子を案内する。まずTさんが「障子が出来るまで」と書かれたペーパーをもとに、流れを説明してくださる。製材され運ばれてきた材料を用いて「木取り」するところからこの工場の仕事が始まる。「墨付け」「ほぞ加工」「組子加工」…と続くのだけれど、カンナもノミも見たことのない子どもたちに、理解してもらうのはなかなか難しい。聞くと、家に鋸や金槌のない子もいるようだ。

 説明のあと、雪見障子の製作を見せてもらった。この道50年という年配の職人さんと尾形くんがいっしょに説明してくれる。初々しい無垢材で組み立てられた障子の何と美しいこと。0コンマ数ミリという精緻な仕事の見事さを感じてほしいと思いながら説明を補足するのだけれど、伝わっているのかいないのか、いつものことながらもどかしい。

 それでも、用意してくださったミニ障子衝立の組み立ての体験に入ると、どの子も夢中になり始めた。「一番長いのを印のついた方を右側にして、上の方に置きます」「次に短いのを自分の前にタテに置きます」と手順を説明してくれるのは尾形くんだ。見習い2年目。恵まれた職場で、少しずつ力をつけているのがわかってうれしくなった。職人さんの手助けを借りながら組み立てを終え、最後は障子紙を張ってできあがり。お母さんたちもそれぞれつくり上げて、みんな満足した表情だ。見るだけでなく、じぶんの手を使うというのも、理解のためには大切なことなんだろう。

 下加工、紙やのり、筆の購入など、受け入れの準備は大変だったはずだ。事務の仕事を担っているというTさんの奥さんにお礼をいうと、「私たちにとっても刺激になったのよ」と笑顔が返ってきてほっとした。

 数日後、尾形くんにお礼のメールを送ると「自分の仕事を説明して理解してもらうこと、伝えることの難しさを実感しました」と返事が返ってきた。伝えるためには、毎日自分がやっていることを意識化して客観的に眺めなければならない。それは熟練する中で無意識でこなせるようになっていく小さな一つひとつの作業を見直し、コトバ化することにつながることになるのかもしれない。

 外から私たちが訪ねることで、職人さんがじぶんの仕事を見つめ直すことになるのなら本当にうれしい。まったくの素人でも手仕事に生きる人を応援できる、と気づいたこの夏の収穫だ。