仙台ネイティブのつぶやき(63)友だちと眺める花

西大立目祥子

 6月は誕生月なので、遠くにいる友だちがおいしいものを送ってくれたり、しょっちゅう会う友だちからもおめでとう、とメールをもらったりする。そして、長いつきあいのゆみちゃんとは、必ず会っていっしょにごはんを食べる。出会ったのは高校生のころ。振り返ればもうそろそろ50年に近い。20代のころはお互い忙しくて一時期つきあいが途絶えたのだけれど、30代の半ばからまたときどき会って話をするようになった。
 2人とも仙台生まれ仙台育ちで、何となく家庭環境も似ているし、関心や興味も重なり合う。その上、40代はお互い病気の親をかかえ、その死も前後した。最近は、ずっと働き歳を重ねてきた者同士、私たちがんばってきたねえ、という共感もある。でも、何年たっても話し込んでいるときの感触は昔のままだ。不思議だな、人って。何か聞いたときの返し方、同調するときの反応…そういうものは変わらないのだ。そういうところに「気があう」と感じ、だからこそ、友だちでいられるのか。

 6月最後の日曜日、仙台市内の「野草園」という植物園で待ち合わせをした。この植物園のことは、「水牛通信」の2016年7月号に「森の植物園」として書いた。仙台市内の住宅地に残った丘陵地に近郊の山々に育っていた山野草を植え込み、若木を移植して開園したのは昭和29年。そこには、戦後、荒廃した里山を何とか復活させようと動いた理学者や市民の強い思いがあった。以来、背丈を伸ばす樹木を見守り、遷移していく植物の難しい管理を続け、植物の群落を育てて特徴あるエリアを整備し、時間をかけつくり上げてきた植物園だ。

 まだレジャー施設の乏しかった昭和の中ごろに子ども時代を過ごした私たち世代にとっては、家族で出かけるといえば野草園だった。おむすびを持って、季節の風景を楽しむために1年に何度も訪れた。だから、小さな池のほとり、水琴窟のある湿っぽい谷筋の道、芝生におおわれた緑地帯など、園内のあちこちに断片的な記憶が宿る。

「この芝生の上でゴロゴロしなかった?」と、広々とした芝生の上を歩きながら、ゆみちゃんが聞いてくる。「した、した」と答える。ゆるやかな凹凸のある芝生の上で横になり、体を低い方へゴロゴロ転がしていくのが楽しくて、子どもたちはシバだらけになりながら何度も芝生に寝転んだ。
 小さな池のそばで今度は私が「池でオタマジャクシ、取らなかった?」と聞く。「オタマジャクシがいたなんて知らない」と返される。私には、強い日差しの中で子どもたちがじゃぶじゃぶと池に入り、ひときわ黒い小さなオタマジャクシを追いかけては、空き缶か何かにすくっていた光景が鮮明に残っているんだけどなあ。

 この日はアジサイが満開を迎え、観察会が開かれていた。アジサイといっても、西洋アジサイのようにいくつもの花弁をつける花ではなく、つぶつぶの小さな花のまわりを4、5枚の花びらのようなガクが取り囲む山アジサイ。白に、紫に、青に、ピンクに…群落となって谷筋に続く花たちは、楚々としてどこか物憂くて美しい。実際、花びらに見えるガクは薄くて小さくて繊細。勢いを増す6月の緑を背景に、控えめな花たちがひときわ映える。「山アジサイ、いいねぇ、西洋アジサイもいいけど、こっちの方がなんかしっくりくる」といいながら花を背景に互いに写真を撮りあった。

「この小さな花、かわいいね。何?」「あ、ニワゼキショウ」
「これ何だっけ? この白いしっぽみたいなの…」「えーと、クサノオ」
 教え合いながら思う。私たち、いつのまにこんなに山野草好きになって、花の名まで知っているんだろ。さらに、ゆみちゃんが極めつけみたいなことをいう。
「すっかり花は終わっているけど、私すごく好きなんだ、この花。坐禅草。ほんとにね、お坊さんが座禅してるみたいで、カワイイ」
 へぇ!坐禅草といえば、山野草好きがあこがれる山野草の王様みたいな花だ。まぁ、渋好みになったものじゃないの。でも、それをカワイイというところがあなただよ。
「このごろ、椿、好きになったよ」と私がいうと、「椿! まだ、私にはわかんないね。まさか、茶花がいちばんなんていうんじゃないの?」と聞かれた。
 そう、私はここのところ茶花がいちばん胸に響いてくるようになった。あでやかな方から地味な方へ、目立つものから控えめなものへ、草花の好みが変わってきている。花屋の花は人に贈るのはいいけれど、じぶんの部屋に飾ろうとはあまり思わない。これは間違いなく歳をとったからだろう。
 
 じぶんの中の変化を私に重ね見るように、今度はゆみちゃんがいう。「人って歳をとると、気持ちは緑に向かうってよ。私は草花がなかったらもういられない」。彼女はコロナ禍の数年前から人混みが苦手になって地下鉄も避けるようになった。同い年の友だちの変化に、私はじぶんの老いを教えられる。こうやって、歳をとる実感を確かめ合いながら、いっしょに過ごしていくんだろうな。きっとこれからも。

 里山のような細い道をたどっていると、高いところで鳥がさえずる。
「あれ、何? 私このごろ、鳥ってかわいいなと思うようになったんだよ。だけど、鳴き声まではまだ聞き分けられない」そういうと、ゆみちゃんが「鳥はいいよ、私はもうベスト10の鳥が決まってるよ」とちょっと自慢気に返してくる。「何それ? いってみてよ」
「いちばんはオオルリだね。えーっと、あとは…いますぐにはあげられないけど、カケスも入っているよ」

 カケス?どんな鳥だっけ?
 家に帰って図鑑を広げたら、アクセントのように入った白と青の翼が目立つ、カラスの仲間だった。愛嬌のある目つきが、何ともユーモラス。ほかの鳥の鳴き真似がうまいという解説に笑ってしまう。これは、歳はとっても女子高校生ぽいところを残すあなた好みの鳥だね。
 
 翌日、園内で撮った写真が送られてきた。このところ、写真を撮ると想像以上にくたびれ果てた顔でがっくりくることが多いのだけれど、いつになくおだやかで元気そうな顔つきで写っている。私の撮影したゆみちゃんの写真をみてみると、ほぉ、これもまたアジサイを背景にいい表情で美人さんに撮れている。へぇ、緑の中を歩いたり花を眺めていい時間を過ごすと、人はこんなにもいきいきとしあわせそうな顔つきになるんだ。
 すぐに、写真を添付して返信した。「お互いよく撮れてるね。これ、いまのところ、私の遺影のベストだよ」と一文を添えて。