何を残すか

大野晋

牛の過去の記事の一覧に目を通す。
どうやら、10月は休む傾向があって、ところどころに穴が開いている。

まあ、こんなことをしている今年も何を書くべきか思い悩み、うつうつとこんな時間
まで来てしまった。いや、もう少し詳しく書くと、書く話は確かにあった、はずだった。しかし、時間が経ち、考え直すたびに話の中身に迷いを生じ、やがては蔵の中に押し込んでしまう。結局、そうして押し込んだ話は書くべきではないのだろうと思いなおす。

徐々に残りの時間が気になるようになり、ずっとやりたかった絵や写真をきちんとす
べきだと思うようになってきている。青空文庫へのお仕事も、少しずつ始動しないと抱え込んだままどんどん老いることになる。もっとも、視力の衰えはずっと早く、老眼鏡なしでは細かい入力や校正の仕事はもうすでにできそうもない。

何を残すのか?と考える。
何が残るのかとも考える。

すでに、監訳して出版した書籍の過半数は市場には残っていない状況を考えると思った以上に世の中に何かが残るなんてことはないのかもしれない。このところ、迷いっぱなしなのである。