海賊になりたい

大野晋

海賊王になりたいというとどこかの人気コミックのようになるが、たまに海賊になってしまいたい欲求が高じるときがある。要は、何かから自由になりたいだとか、何かを自由にしたいなどの気持ちなのだろうと思うが、果たして海賊が自由だったのかどうかはよくわからない。イメージとしては大海原をまたにかけて、国の法律などに関わりなく自由に航海していたのだから自由だったようにも思えるが、その実、敵対する国が庇護していたりするので完全な自由気ままな生き方ではなかったのだろう。ま。実際はどうであれ、海賊になりたいときの私は自由になりたいのだから、何かに必要以上に束縛されていると感じているのだということだ。

さて、最近の自由にしたいと思った対象は何と言っても著作権だろう。著者の死後50年間も拘束された挙句に利用されずに消えていくというのはなんともかわいそうだ。これは70年になったとしてもあまり変わらない現象である。もちろん、20年の延長は長いことは長いが、実際には著作物の大勢は著者の死後50年を待たずに決まってしまう。今や著作物の寿命は短く、よほどの工業著作権でもない限り、死後どころか、発表されて数年、長くて数十年で市場から大方が消えていく。

だから、著作権など、発表後20年でいいではないか? などと間違っても言わないが、著作物の有効利用と再利用の促進のためにもっとなにかできるのではないか? とは思う。そうでなければ、多くの著作物が利用されずに消えていくだけだろう。そういう意味で、海賊としての本分は、著作権の保護期間の延長反対よりも、もっと保護期間中の著作物に自由を! なのである。

米国大統領がわからんちんになりそうなので、TPPも予断を許さない状況だが、その話とは切り離して、著作物再利用のハードルを下げないと、コンテンツクリエイターは幸せにならないのではないかと思う。