しもた屋之噺(202)

杉山洋一

すっかり秋めき朝晩の冷え込みも厳しくなってきました。今年は肌寒くなるのが本当に遅かったのです。ここ二日ほどずっしりと濃い鼠色の雲の下、久しぶりに降り始めた雨は強まるばかりで留まる気配すらなかったものの、先程漸く雨が上がったかと思うと突然黄金色の秋らしい夕日が辺りをさっと美しく染め上げるのに言葉を失いました。
緑色のまま残っている葉、黄色く色が褪せかけた葉、赤く染まった葉が、それぞれにさざめいては光を際立たせ、独特の遠近感を生み出していて、音楽との親和性を思います。親和性というより、恐らく音楽がどこから生まれてきたのか、無意識に実感しているのかもしれません。目の前の空は既に色を失い夜の帳に覆われかけています。

10月某日 ミラノ自宅
何度となく「この楽譜だけは絶対に解読できない」と匙を投げそうになったが、最後になると何かが閃くというのか、心の眼でこの楽譜が読めるようになる不思議。
自筆譜で読むと音現象の解析からではなく、まず作曲家の存在そのものと対峙しなければならないので、恐る恐る楽譜に向かう、ということが出来なくなる。すみれさんとご一緒した時の「カシオペア」の楽譜がそうだった。実は浄書されたスコアもあったことが演奏会直前になってわかったが、ずっと自筆譜で勉強していて、本番もそのまま自筆譜で振った。
筆跡を辿れば、どこの部分から書き進めたかもある程度理解出来るようになるので、思考とまでは言わないが、巨視的な作曲者の視点や意図を繋いゆくことも出来る。
クセナキスの筆跡は到底見易いとは言い難いが、アシスタントが見やすく浄書しているところからは、作曲者本人の筆跡のような迸る情熱は感じられないので、寧ろ物足りない。
ただ、文字通り目を皿のようにしても、どうしても読めない音は幾つかあって、正しいのか分からないままパート譜を参考にしたが、当初休符だと信じて疑わなかった棒が、読返してみると音部記号と気が付いたりする。普段から見えない目が、極端に困憊したのは確かだ。

10月某日 ミラノ自宅
家人の恩師を悼むピアノ小品を書き、追悼アルバムに収録してもらう。暫く前に飛行機で取ったスケッチは見当たらなかった。恩師の名前をよびかけながら、どこに向かってよびかけているのか考える。どこにでもごく身近に気配を感じる気もするし、とても遠くに漂っているような気もする。彼をよぶ声だけが、いつまでもこだましている。

10月某日 ミラノ行車中
クセナキス「クラーネルグ」オーケストラ練習。パート譜もスコアも、所々申し訳程度に分数が書いてあるばかりで、練習番号も小節番号も記載されていない。他の指揮者らも困ったと思しく、パート譜に残されている手書きの練習番号を使おうかと思うと、別のパート譜には別の練習番号が書込まれていて、結局新しく必要最小限のキューサインを決めて、皆で書込む。曲中ずっと二拍子で変拍子のないこのような曲は演奏者が混乱しやすく、その上テープやダンスとの同期もあるので、本番で何が起きても対処できるよう、極力プロセスを単純化する。
それぞれの楽器の発音を整理し、記号に目が馴れるまで暫く繰返す。50年前は、今ほど記譜法も統一されていなかったので、現在の感覚では瞬間的に対応出来ない。伝統や文化は、それぞれ繋がりを持たない個が関わり合い、ある種の混沌を経て収斂に至る。そしてそれがまた一つの個として認識されるようになると、また別の個と交わり、別の収斂を迎える。その繰返しは今も続く。

10月某日 ミラノ行車中
望月京ちゃんが、本当に音楽は分り易くなければいけないのか、と疑問を呈しているのを読む。言葉で説明できるのなら、わざわざ音にする必要があるのか。もう一歩踏み込んだ言い方が許されるのなら、分かり易い言葉で説明するため、簡略化して、大多数に理解されるべく努力する、ポピュリズム一辺倒も怖い。解せない言葉で話すのではなく、分かり易い言葉で、迎合もせず簡略化もせずに自分の意思を伝える。易しそうな言葉の余白に、思索の奥行が垣間見られるように。

10月某日 ボローニャ
良く晴れた朝、ボローニャを母と連立って歩く。劇場すぐ裏のアパートを借りたので、サンヴィターリ通りをゆけばすぐに斜塔広場に出る。斜塔からサンペトローニオまで母の足に併せて歩いても5分とかからない。早朝のサンペトローニオはがらんとしていて、我々以外にこの巨大な教会には一人で熱心に祈る妙齢がいるだけだった。西洋音楽史上、サンペトローニオがどれだけ大切な役割を果たしたかを母に話していると、突然祭壇上のオルガンが美しい響きを放った。
教会つきのオルガニストが早朝練習に来たようだ。サンペトローニオ付きのオルガニストだけあって素晴らしい演奏にしばし聞き惚れる。この教会は特に巨大に造られていて残響も驚くほど長い。だからサンペトローニオ付きの作曲家たちは、この長い残響を活かした作品を書いた。目の前のオルガニストの弾くトッカータ様式の細かい音群は、長い影法師を引き摺りながらまるでリゲティ風のクラスターのように聴こえる。尤も、リゲティ風に聴く方が間違いであって、リゲティが幼い頃から耳にしていた、このような音の混濁を、意識化し体系化したと考える方が自然かもしれない。

10月某日 ミラノ自宅
クセナキスのオーケストラ曲を振るのは、考えてみれば初めてだった。
楽譜から消失しかかっている音符を一つ一つ丹念に拾ってゆくと、思いもかけぬ旋法的な音が並ぶ。クセナキスの音楽は質量が一番大切な要素に見えるけれども、今回の作品は明らかに旋法が形作っていた。旋法の質感を重層化させることにより、全体の質量を表現していた。それも現在の洗練されたコンピュータに比べて、信じられないほど目の粗いやり方で。「音楽と建築」で「ふるいの理論」や旋法についてずいぶん丁寧に説明していたのは、この部分に相当するのかしら、と勝手に想像していた。
クラーネルグのオーケストラ演奏箇所は弱音が殆どなく最強音ばかりが続くのだが、どれだけ熾烈なのかは実際演奏してみなければ実感できなかった。練習時に本番と同じ音量で弾いてもらうのは、マイクテストの時くらいで、後は体力を温存するため、極力楽に弾いてもらっていた。これがオペラであれば、最強音であれ歌手の声が通るよう中抜けさせつつオーケストラも弾くところだが、クセナキスはバレエで歌手もいなければオーケストラと絡むのは最強音のテープであって、本番中少しでもオーケストラが気を抜くと音楽が急に色褪せてしまう。人間が本当に必死に音を出すと音に独特の輝きが加わるのだ。音量でなく音の光度のようなもの。
当初はオーケストラも一度弾き通すだけで困憊していたのが、回を重ねるたびにクセナキスの面白さに引込まれ、同時にスタミナも付いて来たのか、最後の公演では最後の一音まで気迫が上昇し続けて瞠目した。

10月某日 ミラノ自宅
悠治さんより新作の楽譜がとどく。ご自分で指揮をされるからか、指揮者に対する気遣いとか心配りとかでなく、自分が聴きたい音を、フィルターを通さず透徹に綴った譜面に感激する。もっと多層的で奏者に任せる記譜をされるのかと勝手に想像していたら、ずっと求心的で、全員で空間の同じ部分に耳を澄ますようなアプローチで書かれていて、虚をつかれて幸せな気分になる。皆をあわせるための指揮ではなく、まるで皆の方から指揮にまとわりついてくるようにも見える。どんな演奏になるのか、楽しみで仕方がない。

10月某日 ミラノ自宅
ここ数日かけて、伊左治君から頼まれたブソッティの「イタリアへの五つの断章」の解説を書いていた。かかった時間の殆どは、歌詞を楽譜から書き出し原典を調べ訳出するための時間。当初、詩の訳出までは無理かと思ったが、旧友が八村義夫さんの為に頑張っていて、今後五曲の完全演奏を日本で耳にする機会もそうなかろうと思うとやはり無下には出来なかった。その昔、ブソッティ本人は歌詞なんて訳さなくて良いと笑っていたが、やはり詩の意味や深さを理解できると、作品の印象は全く違ったものになる。特に第一曲「丘たちはまだ耳を澄ましている」で使われている詩は、見事なものばかりだ。

Entro dei ponti tuoi multicolori
L’Arno presago quietamente arena
E in riflessi tranquilli frange appena
Archi severi tra sfiorir di fiori
Azzurro l’arco dell’intercolonno
trema rigato tra i palazzi eccelsi:
Candide righe nell’azzurro: persi
Voli: su bianca gioventù in colonne.
Dino Campana – Firenze

色とりどりのお前の橋に足をむけると
まるで全て見通しているかのごとく、アルノ川の流れは突然落ち着き払い
謐な水の反映のなかに、かすかに映し出す
色を失いゆく花の合間からのびる、厳めしい橋たち
柱と柱にわたされた青い橋が
たちならぶ荘厳な宮殿のまにまに、水面の縞を残し震えていて
青にうつる縞は穢れを知らず、消えてゆく
空の鳥たち。柱のなかの、純白の青春に
ディーノ・カンパーナ – フィレンツェ

カンパーナの「フィレンツェ」は、この古都を形容するに当たり、必ずと言ってよい程引用される代表的な詩で、「色とりどりのお前の橋」は、モザイクのように様々な小さな商店が軒を連ね彩を添えるポンテ・ヴェッキオのこと。そして、その下をたゆたうアルノ川に映る街の風景を詠う。ブソッティがどれほど生れ育ったフィレンツェを愛していたのかよく分かり、訳しながら少し切ない思いにかられる。

Tacciono i boschi e i fiumi,
e’l mar senza onda giace,
ne le spelonche i venti han tregua e pace,
e ne la notte bruna
alto silenzio fa la bianca luna;
e noi tegnamo ascose
le dolcezze morose.
Amor non parli o spiri,
sien muti i baci e muti i miei sospiri.
Tasso

森も川も口を閉ざし
海は波も立てずに、横たわっていて
深く昏い洞窟も、吹きすさぶ風も、
薄ら明かりの夜すらも戦いをやめ、安らかに
どこまでも続く沈黙は、真っ白な月をもたらしていて
僕たちは、ひっそりと
愛の喜びを分かち合っている
愛するお前、声をたてず 息も立てないでおくれ
言葉も要らぬ口づけと、言葉も要らぬ僕の溜息だけで
タッソ

このマドリガルがいつ書かれたものか正確には分からないけれど、タッソの作品でもよく知られた詩の一つ。タッソは同性愛者ではないが、ブソッティがこの歌詞を歌わせる箇所は、耽美的でまるで同性愛的な美しい旋律で縁取られていて、そのままラーラ・レクイエムにも転用していた。改めてタッソの表現力の幅広さと、説得力の強さにおどろく。

Per entro i colli rintronano i corni
Terror del cavriol, mentre in cadenza
Di Lecco il malleo domator del bronzo
Tuona dagli antri ardenti; stupefatto
Perde le reti il pescatore, ed ode:
Tal diffuso dell’arpa erra il concento
Per la nostra convalle; e mentre posa
La sonatrice, ancora odono i colli.
Foscolo

続く丘に雷の角笛が鳴り響き
急転直下、レッコからやってきた
銅鎚の遣い手が地を叩き
燃え盛る口から稲妻が飛落ちる。愕き
思わず漁師は網を手放し、耳を澄ます
打広げられた竪琴の音が、こだましている
大きく開かれた谷のまにまに。楽女が
楽器を置いて憩うとき、続く丘たちは耳を澄ましている。
フォスコロ
 
これもイタリア近代文学で良く知られた名作の一つ。この断片は長編詩の一部に過ぎないが、男性的に切立つ谷に挟まれたレッコ湖の辺りをよく知っているからか、読みながらこの数行の描写に感激して鳥肌が立った。言葉が五感全てを刺激して、湖の匂いまで漂ってくる。

10月某日 ミラノ自宅
楽譜に書かれた音を発音するには、ピアノなら鍵盤を押せばよく、声楽なら歌えばよく、指揮者なら棒を振り下ろせばよい筈であるが、実際はそう単純ではない。
夏に或るインタビューでも話したのだけれど、演奏する行為は楽譜をただ機械的に再現するのではなく、朗読をして読み聞かせするのだと思うと少し分かり易い。
文字をそのまま読み下してゆけば、一応文章にはなるだろうが、何の説得力も持たないだろう。それ以前に、単語の意味を考えずに文字をただ機械的に発音してゆくと、恐らく文章としても成立しないと思われる。
恣意的であれ、と言う積りは毛頭ないが、文法や単語を理解した上で、その文章の言わんとしている対象を念頭に文章を読み下さなければ、説得力のある朗読は成立しない。
楽譜も恐らく同じではなかろうか。楽譜に書かれていることを、書かれているという受動的な理由だけで演奏していては、絶対的な説得力に到達できないのではないか。
それが正しいか正しくないかは別として演奏者なりに文章を咀嚼し、自分なりの言葉で意味を表現し、伝えようとする能動的なアプローチこそ、少なくとも説得力を持つための出発点になり得るのではないか
音符を弾いて音符がそのまま見える演奏では、文章を読んで文字ばかり見える、意味の成立しない文章と同じではないか。
レッスンに来た生徒に、訓練として詩を読むよう薦める。詩を客観的、分析的に読むのではなく、恰もその光景に自らの身を置き、詩人が驚きや感動を持ってその光景を詩に綴る心地を出来る限り実感しながら詩を読んでみて欲しいと伝える。
書かれた文字の意味を理解するのではなく、文字の意味が読み手に露にするその光景に自らを置いてみる。そしてそこに自らが同化出来るまでじっと詩を眺める。実際は詩でなくとも構わないのだろうが、楽譜に近い感覚で読めるのは、どうも詩のような気がする。
棒をどう振れば聴き手が感動するというものではないだろうし、技術が高くても、それで感動する音楽が生まれるわけではないだろう。心から感動して生まれた音は、それだけでやはり他者の感動を呼覚ます気がする。

10月某日 ミラノ自宅
耳の訓練の授業を受持ってもう随分時間が経つ。今年から国の方針で音響技師科が大学課程に組込まれて、音響技師科の新入生16人の授業も受持つことになるのを聞いたのは、学校の授業の始まる10日前程。蓋を開けてみると、前期のクラスだけで器楽科の教室は22人、作曲と指揮の教室が3人、映画音楽作曲の教室は16人、その上、音響技師の教室が16人。
ドイツのトーンマイスターとは随分格が違って、イタリアで音響技師と言うと、今までは基本的にスタジオで実践しながら手に職をつけて仕事を始めるような立場だった。
最初の授業は、彼らの今までの音楽体験などを自由に話してもらう。16人中、楽譜が全く読めない学生が1人、ト音記号は何とか読めるが、ヘ音記号は全く読めないという学生が3人もいる。尤も、彼らに必要な耳の訓練をすればよいわけだから、楽譜が読めればよいわけでもないだろう。
音を聴く、という作業を視覚化するため、黒板に、五線など無視して極端に大きな全音符を三つ縦に並べてかく。適当に三つの音の和音を弾くから、こちらが言う音を眺めながら聴いてみて、と練習を始める。すると、当初三つの音が絡み合って聴こえていたのが、少しずつ頭の中でほぐれて見えてくるのがこちらから眺めていてもわかる。
音は、聴こえると思えば聴こえるし、聴こえないと思えば聴こえない、不思議な存在だが、まず頭の中で音を聞かず、音の存在を目の前で見えるようにする。音が見えれば、必ずそれが聴こえるようになる。下手に音楽の訓練をしていない彼らは、特にその反応が早かった。皆自分の耳が嘘のように聴こえる、と興奮している。音を聴くために、楽譜がどうしても読める必要などない。

10月28日 ミラノにて