しもた屋之噺(218)

杉山洋一

目の前には美しい夕焼けが広がっています。市立音楽院も愚息の中学校も休校しているので、隣の部屋で彼がベートーヴェン「サリエリの主題による変奏曲」を練習しているのが聴こえます。机に向かって仕事をしていて、時折イタリアの新聞サイトを開き、死亡者数が増えていないか確認します。昨日は朝1人が亡くなって以降死亡者数が増えずに少し安心していましたが、先程確認したところ、今日は既に2人も亡くなっていたと知り、暗澹とした気分が戻ってきました。コンテ首相が、イタリアは安全だ、国民は安心して、旅行者の安全も保証する、と毎日連呼しているのが、愈々虚しく響きます。それでも庭の樹の枝には臙脂の蕾が膨らみ、夜明けには鳥たちの囀りが、澄んだ空気を走り抜けてゆきます。人通りが少なくなった分、それが余計新鮮に瑞々しく感じられるのかもしれません。


2月某日 ミラノ自宅
橋本さんから演奏会の録音が届く。冒頭のチューバ音は神秘的で寺の梵鐘のよう。チューバ版は橋本さんの見事な編作の賜物で、自作と呼ぶのはおこがましい。藤田さんのピアノに、彼女の熱い想いを聴く。こんな風にチューバと正格に交われるのは、お二人の信頼関係あってのことだろうが、知らなかった彼女の姿を垣間見た気がする。深い絡み合いに耳を奪われつつ、作品の主役は実はピアノだったのかと独り言ちていた。

同日、サクソフォンの大石さんと和太鼓の辻さんの録音が届く。昨年暮れ、この作品の演奏会を聴いていらしたSさんが、ぽろりと、あれは重い内容だった、と話していたのが印象的で、録音を聴いてみたかった。
聴き手の耳自身が、広い空間の宙に浮かんで音を紡いでゆく心地がするのは、聴き手の耳が目の前の梯子を掴もうとする瞬間、その梯子がふっと消えてゆくからかも知れない。そうやって手を宙に泳がせながらも、少しずつ高みへときざはしを昇ってゆく。和太鼓は宙にぶらさがった足にそっと手を差し伸べ、次の梯子に手を伸ばそうとすると、ほんの少しその足に弾みをつけてくれる。

大石さんなら、この楽譜をどのようにでも吹きこなして下さるとは思っていたが、想像を遥かに超える空間の広がりに、愕きを禁じ得ない。和太鼓パートに、幼少から可愛がっていただいた石井眞木さんへのオマージュを籠めた。辻さんが眞木さんの作品を演奏するのを聴いて、大変感銘を覚えたのが切掛けでもあり、眞木さんを介し辻さんと知合った感謝の徴でもある。
こうした素晴らしい演奏を聴かせていただき、冥利に尽きる。交通事故で一度死にかけているので、それから後の人生は、運よく授かりし余白の時間、お負けで授かった人生と最近頓に感じる。だから、誰かにへつらい、顔色を窺いつつ生きずともと、有難く落掌した余白の人生を生き長らえている。

2月某日 ミラノ自宅
ミラノの市立学校は、音楽、演劇、映画、通訳翻訳の専門学校と4校あり、一つの財団が管理している。昨年暮れ、ミラノ市から市立学校への助成金が大幅に削減されたのに反対し、4校の学生が揃って市庁舎の前で抗議の座りこみをし、その様子はテレビや新聞でも大きく取上げられていた。一番先に解雇されそうな立場なのに、何も知らずに授業をしていて、今日は何故学生が少ないのかと訝しんでいたのだから、呑気なものだ。

月曜は朝の10時から夜8時半まで、3時間の授業を三つ立続けにこなす。17時半から始まる最後の授業は、去年開講した「音響技師科」の12人程の大学生相手、と言えども、他の学生とは違って型破りな若者ばかりの集う、愉快な授業だ。
去年教え始めたばかりの頃は、ト音記号すら読めず、歌を歌ったこともない連中相手に途方に暮れたが、何時の間にか自由で煩い小学生のような彼らと、がやがや授業するのがすっかり愉しくなった。
誰かが隣であてられて練習していても、周りは騒がしく話しこんでいるか、ヘッドフォンの音楽に合わせて身体を揺らしているかで、教師に何のリスペクトもないように見える。とんでもないクラスを引受けたと思ったが、実はやる気がないのではなく、単にそういう人種なのだった。
寧ろやる気は十分あって、順番が来れば真剣に課題に取組むし、今日も授業の後、何時もヘッドフォンを掛けて身体を揺らしている学生の一人から、「いやあ、この授業最高ですね。去年までラップのレコーディングやると、決まって後で音程の微調整やってたのに、今じゃ先生のお陰で一発、生録音でバッチリですよ。本当に信じられませんよ。先生最高!」と褒められた。

2月某日 ミラノ自宅
息子のコンピュータの充電器が壊れ、近所の電気屋に修理に持ってゆく。職業を尋ねられ音楽関係と言うと、目を輝かせ「こう見えても俺は一流の音楽家だ、この上のスタジオを見ろ」と梯子を登り、中二階に設えたミキサーのコンソールとエレキギター数本、壁にかかるゴールデンディスク数枚を自慢した。

音楽で何をやるのかと繰返し質問するので、耳の訓練などしていると言うと、彼も独自の音楽理論コースを開こうと思うから話を聞けと言う。
適当に返事を返していると、「俺にはお前の心が読める。早くこの話を終わらせろと切望しているな」と詰め寄られ、仕方なく「それは違う」と否定すると「では俺の話が聴きたいのだな」と修理したコンピュータを返さない。

彼曰く、音楽が心地よいのは、楽器が発する波動が、人間のそれと合致するからだそうで、何か根拠となるデータはあるのかと尋ねると、俺の話を信じないのか、と凄まれる。
話は終わらず「お前は偉くなりたいだろう、金持ちになりたいだろう」と畳み込まれ、「金儲けには興味がないので失礼する」と言うと、「お前が金持ちになれる方法を教えてやる」と譲らず、「金持ちになるためには、高次元の波動を集めて、高次元な波動を音から発すればよい。そうすれば、より高い次元で波動が共鳴しあって、世界中の人々を心地よくさせる。そうすればお前も金持ちになる」と力説して譲らない。

漸く次の客が店に入ってきたので、ここぞとばかりにコンピュータを取戻し、「素晴らしい話を有難う」と店を後にすると、相手も諦めず、わざわざ店先まで走ってきて、「お前になぜこんな貴重な話をしたかわかるか。俺は世界の別の場所にいる自分の心の兄弟を探している。お前なら俺の話が分かると思って、話をしたんだぜ。近々連絡くれ」と念を押される。
3日ほど経って心の兄弟が修理した充電器はすぐに壊れた。80ユーロも出したので、家人は取り替えて貰うべきだと譲らなかったが、結局通信販売で23ユーロの別の充電器を購入した。

2月某日 ミラノ自宅
プレトネフのリサイタルを聴く。シューベルト作品164のイ短調のソナタに、作品120のイ長調のソナタ。後半はチャイコフスキー「四季」。アンコールにシューベルト即興曲3番。文字通り放心状態で帰宅し、翌日もそのまま放心状態で一日を過ごす。
予定調和は皆無で、その場で音楽が生れる姿を目の当たりにする。音楽が顕れる瞬間に立ち会う新鮮さと崇高さ、そして沈黙の素晴らしさ。響きの際限ない可能性から、まるで宇宙を漂う錯覚に陥る。
人を驚かせるのは、強音ではない。これ以上の弱音は存在し得ないほど弱い、玉のように美しい弱音を聴いた後、それ以上に弱い音を耳にする、まるでパンドラの箱の蓋を開いて中を覘いてしまったかのような、現実離れした緊張感と興奮。時間の感覚を麻痺させられる音楽。
音楽を崇高に感じるのは、こういう瞬間なのだろう。宗教的高邁さとは比較にならず、それよりずっと先、遥か彼方の、命の萌芽を目の前で見るような体験。
即興曲3番が始まると、最初のアルペジオで、周りの客席から先ず一斉に深い吐息が洩れ、それから皆が低い声で、そっと旋律を歌い出した。プレトネフの音を慈しむように、本当に薄く数小節だけ旋律を歌う声が聴こえ、客席は沈黙に戻った。
一体どのように弾いたのか、冒頭の内声で耳にしたことのない音がピアノから零れてきた。輝くものがこちらに流れてくるような、ガス状の光がピアノから漂ってきたかと思いきや、何時しかホール全体をそのきらきらしたものが満たしていた。
弾き終えても客席も沈黙したまま。始まりのときと同じ、深い吐息が会場のあちらこちらから聴こえるだけだった。

2月某日 ミラノ自宅
昨日朝、市立音楽院より、学校は一週間休校とする旨のメールを受取る。
朝6時に散歩し、卵とブリオッシュ購入。朝30分ほど歩きまわるのは大分前からの日課。
学校は休み、愚息の通う中学校も休み。ロンバルディア、ヴェネト封鎖。スカラ、フェニーチェともに休演。葬式、結婚式、ミサも中止。リヨンでイタリアからの長距離バス通行止。インスブルックでヴェニス発ミュンヘン行列車通行止。モーリシャスでイタリア人の該当地域からの旅客隔離。スーパーに生鮮食品は殆どなし。ミラノのドゥオーモ閉鎖。コドーニョは街全体封鎖。株価暴落。スーパーでは、若者二人に「逃げろ!」と叫ばれ、小学生くらいの男の子をつれた父親も、慌てふためきながら目の前から走り去るが、仕方がない。先日までミラノに滞在していたSちゃんも、街で「コロナ!」と名指しされたと言う。

2月某日 ミラノ自宅
アジア人だから、人前で到底くしゃみも咳も出来ないので、ともかく健康を害さないよう過ごす。人込みを避け、夜遅く24時間営業のスーパーマーケットへ出かける。昨日より棚に並ぶ商品が少ないのは何故だろう。今朝には商品が補充されていたはずが、これだけ少ないのであれば、日中よほど市民が買い物に走ったのか。文字通り空になった棚から、最後に残るスパゲティ2袋を購う。昨日はミラノ北部で感染者が見つかり、付近のスーパーマーケットが封鎖された。その際、州の関係者が、封鎖がミラノ全体に広がる可能性を否定しなかったため、こうしたパニックが起こったと思っていたが、封鎖を正式に否定した筈の今日ですらこうならば、人々の恐怖心は未だ到底払拭されていないのであろう。
今日は息子より少し上くらいの年齢の妙齢二人が、こちらを上目遣いに見ながら、スカーフで口を覆って傍らを通り過ぎてゆく。何とも言えない心地。イタリア人からイタリア人へ感染している現在、アジア人を避けようが、口をスカーフで覆ったところで意味があるとは思えないが気持ちはわかる。11人目の死者が出て、消毒用ジェルやマスクは手に入らない。
311の時は、日本がどうなるか固唾を呑んで見守るしかなかったが、今回は文字通りピンポイントで、日本とイタリア、それもロンバルディアが当事者になった。先日は、両親の住む町田の隣の相模原駅職員が感染とニュースで読んだところで、彼らの年齢を鑑みてそちらの方が余程気懸りながら致し方ない。311の時は息子は未だ幼く、状況に怯えていたのは家人だけだったが、今回は家人の傍らで、息子も時事ニュースに耳をそばだてている。

2月某日 ミラノ自宅
朝、人気のないジャンベッリーノ通りを散歩する。
以前はユニセフ、現在は「国境なき医師団」のためにコンゴで仕事をしている、ロレンツォに誕生日祝いを書く。ロレンツォはエミリオの長男で、幼い頃からよく知っている。エボラ熱や、難民のために働く、ロレンツォや彼の同僚たちに日頃から感服している。

中世「死の舞踏」を描いた画家たちは、どれほど過酷な状況でかかる絵画を描いたのか。今回の伝染病はペストの致死率とは比較にならぬ。医学が進歩した現在でこの状況ならば、未だウィルスの可視化もままならなかった中世、累々たる亡骸を横目に、どんな思いで骸骨を踊らせ、ボッカチオは艶笑譚を書いたのか。

そんなことを考えながら、行きつけの珈琲焙煎屋に立ち寄ると、年寄りの主人が息まいている。
「全く外出禁止令なんてさっさと取っ払って貰わないと、こっちは仕事が上がったりだ。来週からは学校も何も普通に戻るそうだ。ついでにマスク着用も禁止、禁止!マスクなんぞつけて外を歩くと、何十万の罰金だとさ。マスク着用じゃあどんな悪党でも見分けがつかない。物騒で仕様がないさ。昨日も銀行の受付が言っていたが、昨今誰でもマスク着用で皆銀行に入って来るが、そりゃあ不気味で仕方ないらしい。彼だって、いきなり目の前でピストル取り出されてズドンじゃあ堪らないよ」。そう言って、豪快に笑った。

2月某日 ミラノ自宅
死亡者数は14人になった。ミラノ行のブリティッシュ・エアウェイズは乗客が殆どいないので、暫く休止とのニュース。ロンバルディア、ヴェネトからの旅客は、ヨーロッパや世界各地の空港で隔離措置や経過観察などの措置。封鎖されているコドーニョの事業者たちがテレビで、事業の再開許可を強く求めている。経営破綻が目の前に迫っている、政府の下支えが必要と力説している。日本からの留学生にメールをして様子をたずねる。幸い全員健康と聞き安心する。
ミラノのサッコ病院の研究者ら、コドーニョの患者4人から採取したコロナウィルスの病原分離に成功とのニュース。近日中にワクチン開発が始められるが、実用化には手順が嵩み時間がかかる、とある。新聞を読み返すと、死者は3人増え、17人になっていた。

ミラノ・アレッサンドロ・ヴォルタ科学高校(liceo scientifico Alessandro Volta)ドメニコ・スクイッラーチェ(Domenico Squillace)校長より、学生父兄宛の手紙。
「”ドイツ軍がミラノにペストをもたらすのではと保健当局は危惧していたが、ご存じの通りペストはミラノにやってきた。よく知られるように、それどころかペストはイタリアの大部分を侵し、人々をなぎ倒していった。”
これは「いいなづけ」(Alessandro Manzon: I Promessi Sposi邦題「いいなづけ」「婚約者」。マンゾーニの不朽の名著)第31章冒頭の言葉です。この章では続く章とともに、1630年ミラノを斃したペスト伝染病の描写がつづきます。実に啓示に富み、驚くほど現代的な文章ですから、この混乱した日々のなか、心して読むことを奨めます。これらのページには、外国人の危険性への偏見、当局間の激しい諍い(首相と州知事との軋轢が話題になった)、(今回イタリアに病気を持ち込んだ)第一号患者の病的なほどの捜索劇、専門家に対する侮辱、(中世ペスト塗りと呼ばれた)ペスト感染者狩り、言われなき風評、もっとも馬鹿げた治療、生活必需品の掠奪、保健機構の緊急事態など、全てが書かれています。これらのページを捲れば、Ludovico Settala 、Alessandro Tadino(両者ともペスト治療に尽力した高名な医者)、Felice Casati(ペスト流行時Lazzaretto院長だった高僧)のように、わが校周辺の通りに名が冠され、みなさんもよく知っている名前にも出会うでしょう。何よりわが校は、ミラノLazzaretto(伝染病患者収容施設としてヴェネチア門から外に建設されていた)地区の中心に建っているのですから、こうして綴られた言葉は、マンゾーニの小説からというより、わたしたちの日々のページから飛び出してきたようですね。

みなさん例え学校が閉まっていても、わたしはこれだけはお話したい。わたしたちの世界は、昔からずっと同じことを繰返してきました。わたしたちの高校は、規律を貴び、落着いて勉学に励むべき学び舎であり、今回のような関係省庁からの、異例な学校閉鎖通告に従うのは当然です。わたしは専門家ではありませんし、専門家を偽るのも嫌ですから、当局の今回の措置について、個人的意見を述べるのは避け、彼らの対策を尊重し、全幅の信頼を置いて、彼らからの助言を注意深く見守ってゆきたい。わたしは、皆さんが冷静沈着につとめ、落着いて行動し、集団心理の過ちに陥らず、細心の注意を払いつつも、ぜひごく普通の生活を続けてほしいと願います。
どうか、この時間をぜひ有効に役立ててください。家から出て散歩をし、良書に接してください。みなさんが健康ならば、家に閉じこもる必要はありません。スーパーマーケットや薬局に押し掛ける理由はないのです。マスクは苦しんでいる患者さんたちに譲りましょう。彼らにこそ必要なものです。今日、地球の端から端まで、この病気の伝わるめざましい速さは、わたしたち自身が作り出したものであり、それを阻める壁などありません。その昔も、伝播する速さが多少緩慢なだけで、等しく伝わってゆきました。

マンゾーニや、彼よりむしろより力強くボッカチオがわたしたちに教えてくれること、それはこうした出来事で社会生活や人々の繋がりに毒が盛られ、市民生活がより粗野になることです。
目に見えない敵に脅かされていると感じると、わたしたちの身体に走る本能が、どんなものも敵であるかと見誤らせてしまいます。危険なのは、わたしたちとまるっきり同じものでさえ、まるで脅威のように、潜在的な攻撃者のように見せてしまうのです。
14世紀17世紀の伝染病と比べて、わたしたちには現代医学があるのを忘れないでください。医学の発達や精度を信じてください。理性的な思考を使おうではありませんか。医学とは、わたしたちの最も尊い財産、つまりこの社会やわたしたちの人間性を守るために生まれたものです。わたしたちに今それが本当にできないのであらば、ペストが本当に勝利したことになるでしょう。
では近いうちに。みなさんを学校で待っています」。
https://www.corriere.it/scuola/secondaria/20_febbraio_26/coronavirus-cari-ragazzi-leggete-manzoni-boccaccio-non-fatevi-trascinare-delirio-59cd3726-5869-11ea-8e3a-a0c8564bd6c7.shtml

(2月28日ミラノにて)

追伸
3月1日朝現在。死亡者29人。感染者1000人を超え、現在まで50人回復。アメリカで初の死亡者。トランプ大統領がイタリアのレッドゾーン(ロンバルディア、ヴェネト、エミリア・ロマーニャ3州)へ渡航を控えるよう発表。アメリカン・エアラインス4月24日までミラノ便休止。昨日のAA198ミラノ便はJFKから発つはずが、乗務員がコロナウィルスを理由に搭乗拒否。今日のアリタリア便で帰国予定。イタリア人がニューヨークなどで酷い扱いを受けている、との告発記事掲載。イタリアレッドゾーンから世界各国への渡航が困難になりつつある。
レッドゾーンの各学校はなお1週間休校決定。ミラノ工科大など、インターネットでストリーミング授業を再開予定。
医療関係者不足を解消するべく、ロンバルディア州は、現役を退いた医者の招聘検討。コドーニョなど封鎖された街での医療環境の急激の悪化をはじめとして、数日前から医療関係者が感染、隔離されて、各病院での医療に支障を来している。「いいなづけ」31章の描写は、現在のミラノを彷彿とさせる臨場感と緊張感に満ちている。(3月1日ミラノにて)