しもた屋之噺(201)

杉山洋一

ボローニャの劇場で、クセナキスのバレエ稽古を眺めながらこれを書いています。今月は悠治さん旧作室内楽の練習から始まり、翌日家族で中央シベリアへ発ちました。イタリアに戻ってからは、学校の試験などが続き、漸くクセナキスに集中できる状況になりました。

若いバレエダンサーたちは、恐らく演劇畑から連れて来たのでしょう。休憩中など、仰々しい口調で「吾輩の人生は、左右にふれる振り子のようなもの」などと大声を叫びながらじゃれ合っています。ボローニャは常に若者の街。劇場の周りも、常に大学生で溢れかえっています。

彼らは輪になって走り、倒れ、迷い、闘い、揺れています。少なくとも舞台上に60人はいるでしょう。彼らの激しい息遣いが舞台から劇場一杯にひろがります。リノリウムを引いた舞台から、キュキュと靴が擦れる音がそこに交じります。意図したものなのか、彼らの動きは、ちょうどクセナキスの音楽をそのまま視覚化したものにも見えます。一つ一つのダンサーは端正で静的なルカの演出のうつくしさを描きつつ、それらが集団として激情をほとばしらせるさまは、圧巻です。

9月某日 三軒茶屋自宅にて
高橋悠治作品リハーサル。「6つの要素」の稽古では、まず口三味線で雰囲気を作ってから、流れを感じながら楽器で音をだしてみる。細部を積み重ねてつくる音楽ではなかった。もしかすると最近の作品と演奏のスタンスは違うかもしれないが、音符を載せる箱があるかないかの違いはあっても、本質的には違いはないように感じる。「クロマモルフ」では、悠治さんがヴァイオリンのポンティチェロの響きを探して、あれこれ試してみる。やはり作曲家が目の前にいる意味は計り知れない。音を入れて形を整える前に、音楽の本質を掴むことができる。

演奏しやすく、わかりやすく、バランスよく、スタイリッシュな昨今の現代音楽にはない存在理由。たとえ、作曲の意図は、50年前と同じような武骨なものであったとしても、それを最新式コンピュータのフィルターにかけると、近似値に偏るためなのか、どこかみな似た手触りになる。そんな将来の音楽を知ることもなかった作曲者によって、まだ見ぬ未来へ放たれた、希望とも不安とも戸惑いとも無邪気とも聴こえる音たち。

9月某日 クラスノヤルスク
ハバロフスクの空港のパスポート検査に並びながら、バッハのチェンバロ協奏曲を読んでいたのを思い出す。家人のピアノの伴奏をするのは久しぶりで、新鮮だった。普段はレッスンで彼女が我々の伴奏をしてくれているから、一緒に演奏することそのものは別段珍しくないが、彼女のピアノが引き立つように、演奏家たちの耳を彼女の音に近づけてゆく作業は普段とはまったく違うプロセスとなる。

自分にとってバッハは本当にむつかしく、新古典やロマン派、それ以降のものを勉強してからでないと、バッハを演奏する意味も方法も見いだせない気がしていた。物凄く複雑だから手が出せないのだ。バッハ以外の複雑な音楽は、複雑だからこそそこに端正さ、或る意味での平板さ、単純さを見せることが、自分の演奏のスタンスだと思っている。バッハはどうか。複雑だから、単純に見せるような音楽だろうか。それ以前に果たして単純になど、どうやって見せられるのだろうか。

そんなことを考えているから、頭でっかちで手が出なかった。今回、家人の伴奏のため譜面を読むと、どの小節も演奏する喜びに満ちていて、イタリア音楽への憧憬もありありと感じられたから、その辺りをどう引き出そうと考えているうち、普段の心配などすっかり忘れてしまった。感情を込めることで成立する音楽ではないから、家人の音のうつくしさが際立つ。珍しい夫婦共演に息子は大喜び。

折角家族でやってきているというのに両親がずっとリハーサル続きで、息子はつまらない。今日のリハーサルが終わってから、マウンテンバイクを3台借り、既に昼に一回りしてきた息子が先導して、夕焼けの雄大なエニセイ川を眺めながらサイクリングする。なぜマウンテンバイクなのか不思議だったが、かなり野趣溢れるサイクリングで、一時間は軽くかかる。大人が走っても十分面白く、世田谷公園とはずいぶん違った。

9月某日 クラスノヤルスク
リハーサルは午後からなので、ラリッサに連れられて、息子とアスターフィエフの生家へ出かける。街から30キロ程の距離、クラスノヤルスク水力発電所から6キロほど下ったあたりのエニセイ川のほとりの古い小さな村にある。花壇の美しい木造りの旧家に入ると、これがロシアの伝統的な家の匂い、とラリッサが嬉しそうに呟いた。アスターフィエフの代表作「魚の王様」は邦訳も出ていて、今度読んでみたいと思う。彼の父親はずっと牢獄に繋がれていて、母はアスターフィエフが幼い頃、エニセイ川で投網をしていた折、誤って網に絡まり川底に沈んでしまった。河を一望する展望台には、チョウザメの模型。アスターフィエフの「魚の王様」のモニュメントだと説明を受けたが、何しろ読んでいないので意味がよく分からない。

シベリアに着いて以来、余りに美味なのでウーハという魚のスープを毎日食べている。鮭の場合が多かったが、チョウザメで作るウーハもあって、とても脂こくなるそうだ。シベリアでは肉が食べられないと困るだろうと心配していたが、杞憂におわった。息子は、ロシア風餃子が気に入って繰り返し食べている。家人の好物のピロシキは、日本の揚げパンとはずいぶん印象が違って油ぽくない。野菜や魚のピロシキもあって、これは何度も頂く。文化や人種、音楽はもちろん、料理ももちろんロシアは我々とヨーロッパの中間にある。

9月某日 クラスノヤルスク
ミハイルからいいね、君の「レパ」はとてもいいね、君の「レパ」は、と言われて、最初は何のことだかさっぱりわからなかったが、英語が苦手でいつも仏語で話していたので、「レパ」は曲名の「the steps」を「les pas」と仏語で呼んでいるとはわからなかった。

言葉で細かい手続きを伝えるのも大変そうだったので、指揮なしの作品を作るにあたり、流れは極力単純にする。最初は本條さんの三味線と弦楽オーケストラはそれぞれ別の世界にいたけれど、リハーサルを繰返すなかで、互いの音楽が聴こえてくると、互いが発する音が急に有機的に混ざりはじめ、化学反応をはじめる。

何か作り上げられたものを、実現するために弾いているのではなく、どう弾いても間違った演奏にはならない、という曲を書いてみたい。演奏は正しいことを実現、再現するためではなく、演奏して作り出すために必要とされる。或る箇所では、三味線とオーケストラが互いに聴きあい、刺激しあって進んで欲しいと伝える。言葉ではいとも簡単だが、実現は容易ではない。本條さんはその部分になると聴衆に背を向け、ピアノやチェンバロの弾き振りのように、オーケストラメンバーを見つめながら演奏した。すると途端に、オーケストラの音色も、顔の表情もまるで違ってみえる。

サスナヴァボルスクで演奏したときは、演奏前に、作品の素材がブリヤートのシャーマンの歌の断片であること、これらが日本人の原風景ともつながっていることなどを説明したからか、演奏家たちの音が最初からまるで別人のようだった。シベリアの人々は例えヨーロッパ系であっても、西ヨーロッパ人の感性と明らかに何かが違う、我々に近いものを持っている。

9月某日 ハバロフスクから成田への機中にて
オーケストラの弦楽器の美しさに驚く。子供のころから、ロシアのヴァイオリンは本当によく聴いていた。音の深みや濃さは、オイストラフを思い出す。丸みを帯びた音だけでなく、ふとした瞬間に、すっと線を引くような美しい音が駆けてゆくさまは、少し胸と肩を張り出したコーガンの姿を垣間見る思いがする。とにかく、それぞれの発音の仕方がこれだけ揃うのは珍しい。誰もがミハイルの下で培わられた音だからこそ可能になる表現なのだろう。

しかし彼らの心尽くしには、感服するばかりだ。ボタンが外れたズボンをクリーニングに出せば、丁寧に手縫いで繕ってクリーニングされて戻ってきた。特に肉が食べられないと言わなくても、パーティーでは常に魚料理でもてなされた。ウォッカなどとても飲めないと思っていたが、クラスノヤルスクの白樺の皮で濾した上級ウォッカを頂くと、信じられないほど円やかで美味で、自分が知っているウォッカとは全く別物だった。ソ連時代の名残なのか、時間はとても正確で、こちらがどんな酷いロシア語で話しても、一所懸命理解してくれる、とても心の温かい人々だった。

クラスノヤルスク空港にイタリア風ピザ屋があって、メニューにある「ユージ」ピザを注文した。美味。ハバロフスク朝5時半。飛行場が近づき機体が地面を舐めるように降りてゆくと、真赤な朝焼けの光に、湖沼から湧き立つ白い靄の濃さにおどろく。

9月某日 ボローニャ劇場
クセナキスのスコアは、コピーも薄い上に、細かい動きもあって、本当に判読不可能だと思っていた。まず、2センチごとに、恐らく書かれていたであろうと想像できる箇所に小節線を引くところから始め、遺跡の発掘でもするように、少しずつ音楽がスコアから浮き上がるのを待つ。巨大な遺跡を前にするかのように、塊をつかみながら発掘を進める。ところどころ、年月が経って、崩れかけ粗づくりに見えるのも、ちょうど西洋の遺跡に似ている。自分が演奏するためのキーワードを探しながら、ページをめくる。

悠治さんとクセナキスの音楽は、ちょうどポジフィルムとネガフィルムのようだ。同じ表現を、まるで表と裏から眺めているよう。シルクロードの建造物を西洋と東洋から眺めているようでもある。ルカは一つ一つの動きをていねいに彼らに伝えてゆく。細かい動きの微細は変化というより、鷲掴みにする明快な身振りが、強い表現を生む。静的な表現の印象があったルカの舞台が、クセナキスに突き刺さる。

「文字通りクセナキスの音楽をそのまま舞台で見ているようだ。見事だね」、思わずルカに話しかけると、「そりゃそうだよ、クセナキスの音楽は自分の演出の原点だからね。これが5作目さ。クセナキスから、君ならどんな演出でもやっていい。音に合わせた動きさえしなければね。そう言われて以来、とても自由に感じられるようになったのさ」。嬉しそうに答える。

目の前の無音の舞台では、アリーチェが長い時の流れを彷彿とさせる6メートルほどの細い長い金属棒を掲げ、ゆっくり回転している。傍らではイリーンが、時の流れに翻弄される我々のように、はらはらと回転する。真っ暗の劇場のなか、ヴィンチェンツォの照明が、彼女たちの動きを、傍らから、上部から美しく浮き上がらせては、また深い暗闇へ消えてゆく。

ボローニャ 9月29日