しもた屋之噺(141)

杉山洋一

息子がどうしても行きたいと言うので、遅めの夕食に、散歩がてら「カジキマグロ亭」まで出かけ、二人で人気のないサヴォナ通りを歩いていると、雨が少し降ってきました。夏季休業前日に顔を出して以来ですから、古ぼけた「カジキマグロ亭」のドアを引くのは2か月ぶりでしょうか。色とりどりの珍しく「お誕生日おめでとう」のカードが天井から垂れていて、壁のあちこちには風船が飾られて、何十年も老夫婦が二人で営んできた場末の食堂にそぐわない、賑々しい雰囲気です。店は既にほぼ満席でしたが、こちらに気づいたコックのジョゼッピーナが厨房からでてきて、南の人らしい慇懃な抱擁で迎えてくれるのは、何時もと同じです。
「息子はトマトのパスタで、こちらはあの鰯の」と何時ものように応えると、だしぬけに「これは最後の晩餐よ」と言いました。
ジョゼッピーナは自作の宗教詩で何度も受賞し、油絵も描く才女。ましてや敬虔なカソリック信者ですから、イエスの最後の晩餐がどうしたのだろうと、二の句を待っていると、
「今日でお店を閉めるの。8月末に或る中国人が訪ねてきて、この店を売ってくれって。とても好い人なのよ。ペッピーノと二人で少し考えて、多少の交渉もしてね。売り払うことにしたの。お寿司屋さんにするそうで、家具をすべて中国から持ってくるとかで、明後日この鍵を彼に渡すのよ。今日は奮発して活きのいい鰯をたくさん前菜に入れたから、食べて行って頂戴ね」。目は涙ですっかり潤んでいて、もう一度抱擁してから、厨房へ消えました。

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 9月某日
都響とのリハーサルの合間、野平さんに「何時どのようにこれだけの量の作曲をこなすのですか」と尋ねる。家で時間の許す限りいつも机に向かっていて、演奏と作曲の切替えだけは、長年の訓練で出来るようになった、とのこと。

 9月某日
今日の本番中、実は西村作品の一本締めの掛け声をどうするかずっと悩んでいて、後半西村作品が始まっても未だ決めかねていたが、途中寺本さんが実に好い感じに独奏を吹いて下さって、漸く踏ん切りがついた。

 9月某日
7月に続いて指揮のワークショップ。日本人はやはり吞み込みが早い。棒を振って音を出させるのではなく、棒に思いを籠めるのも違うと説明する。「啼かぬなら、啼かせてやろうほととぎす」。力技ではなく、時鳥が思わず啼きたくなるよう、前以てそっと仕掛けを忍び込ませる。

 9月某日
神楽坂でKさんとトンカツを食す。美味。今後日本のクラシック人口は減り続けるという話。今現在音楽会に足繁く通う世代が、20年後未だ演奏会に来ることが出来るか。彼らより若い世代に、クラシック音楽は果たして浸透しているか。必要とされているか。Kさんは、自分は醒めているからと謙遜していらしたが、客観的に現実を見つめる勇気と重みを痛感。

 9月某日
現音計画演奏会。生まれて初めて4分の曲を振るべく本番の洋服を用意。大袈裟だと内心笑っていたら、間違えて茶色の革靴を持ってきてしまった。有馬さんから黒靴を4分間お借りした。
ドレスリハーサルに一柳先生がいらして下さった。「6、70年代、我々の時代は所謂ローテクでね。ハイテクではなくて…」とのお言葉に、内心「我が意を得たり」と膝を打つ。ハイテクよりも寧ろローテクの方が、ずっと各人の個性を反映させ易いのではないか。ハイテクのように個性までブレンドする能力は、ローテクは持ち合わせていない。

 9月某日
演奏会に足を運んで下さった音楽大学の作曲科の学生さんらにメッセージを、とのリクエストに応えて。
「…作品について細かく説明すると、気持ちがわるくなってしまうかもしれません。「耳なし芳一」という怪談がありますね。作品は言ってしまえば、あんな感じです。楽譜は最初から最後まで全部書いてあります。即興の部分は、オスティナート上の打楽器くらいでしょう。音列はサロウィワのお墓の周りで歌われていた、キリスト教の賛美歌から取られていて、音列の変化、リズム構造は、彼が処刑される直前に書いた声明を一字ずつ転写したもので、声明の内容は相当きついものです。何しろ弁護士もつけられないで、一方的に死刑を宣告され、殺される直前に書いたものですから。
ラジオは、ナイジェリアの現在のFMを幾つか選び、それぞれ8時間くらいずつ録音して、500箇所くらいずつ頭だし出来るようにし、それらが互いに同期しないようにしながら、ランダムに鳴る仕掛けになっていて、リズムは細かく決まっています。これは言ってみれば、ナイジェリアの空気のようなもので、一方的に美化する気もない。ナイジェリアは、いくつか大きな部族があって、オゴニのような少数部族をしめつけていると言われます。これらのFMは、オゴニ側のFMではありません。その他、大多数です。ノイズは単純にサロウィワの最後のインタビュー全部を、200回重ねたものです。
最初から最後まで、それだけです。スコアは存在しなくて、進行表によって演奏が進められます。敢えて通俗的に聴こえるよう、最初からずっと書いてあって、最後に、芳一の耳だけが見えるように、本人の声が少しだけ聞こえる。ところが、実は最初から演奏された全ての音が彼の言葉そのもので、その上に本人の無数の声がかき消すように挟み込まれて、それが最後に一つの声として認識される。まあそんなところです。
あなた方が作曲を学んでいるので、ここまで詳しいことを申し上げたけれど、別にそんなことはどうでもいいんです。ぼくが、あなた方にいえることがあるとすれば、これから先できるだけ、「なぜだろう」、と自らを問いかけるようにしていってほしい、ということです。自分は「なぜ」作曲をしているのだろう。「なぜ」生きているのだろう。「どうして」死んだのだろう。「なぜ」それは起きたのだろう。「なぜ」それは起きなかったのだろう。
こうすれば、こうなる。現象論とでもいうものかもしれないが、それですべて生きてゆこうとすれば、あなたの人生は、とても薄っぺらいもので終わってしまうのではないでしょうか。こうやれば、よい学校に行ける。こうやれば、コンクールに通る。こうやれば、人生で勝利をつかめる。ぼくは、結果よりも、そこに至るプロセスと、そのきっかけとなる、「なぜ」が大切だとおもいます。
最近は啓発本とか、僕も読みましたが、ああいうのが流行っていますが、あなたの人生は、やはりあなたのやり方でしか切り開いてゆけないとおもう。いや、絶対的に切り開かなければいけないのかも、もしかしたら分らないです。みなが同じように物を考え、同じようなものをたべ、同じように平べったい意見をいいあって、それってどうなのでしょうか。
サロウィワの告発は、もちろん僕にとっては311以降の思いそのものです。「なぜ」それは起きて、「なぜ」人が沢山死んで、「なぜ」現在の状況はこうで、「なぜ」みな生温かい言葉でオブラートに包んで、刹那的に生きなければならないのか。それで本当に幸せなのか。
最初からずっと通俗的、世俗的な音楽に見えるでしょうが、それは全て彼の骨の関節一つ一つのようなものです。聴き手は気がつかないまま、最後まで聞いてゆく。別に、どうやって書いたからよいとか、わるいとか、気にすることはないと思います。「どうして」自分はこれを書きたいのか、「なぜ」書くのか。「なぜ」書かないのか。「なぜ」、そんなことを思って、音楽と向き合えば、それがたとえ現代作品であろうと、クラシックであろうと、自らの意思が少しずつ研ぎ澄まされてゆく気がします。
別に政治的である必要もないし、メッセージを伝えなくてもいい。でも、そこに「なぜ」という確固たる必然が、やはり常に必要だとおもうんです。僕があなた方にいえることは、たぶんそんなことくらいかな。歪であっても、そこにそれたらん意味があるものと、どんなに見かけがよくても、何の存在理由もないもの、どちらを選びたいか、という問題です。それはそのまま、あなたの人生観につながるかもしれません。聴いてくださって本当にありがとう…」。

 9月某日
現音計画の新作を書いてみて、自分の作曲においては、全ての事象がパラメータ化出来ることを確信する。聴く側にとっては、作風が違って聞えるかもしれないが、作曲の本質は全く変わらない。音を自分の皮膚から引き剥がして、音そのもので存在してほしい。
ところで、今もし本当に戦争が起きたら、オーケストラ作品を書きたいと生まれて初めて切望するかもしれない。今まで純粋にオーケストラ作品を書きたい欲求は皆無だったが、少しずつ戦争に対する恐怖が、実感されるようになっているからだろう。夏休み、日本で過ごす8歳の息子が、夏休みでエジプトに戻っているクラスメートの安否を心配して、ニュースに熱心に耳を傾け、9月にミラノの学校から戻ると、真っ先にクラスメートの無事を話してくれたこと、エミリオの息子が大学で国際司法を勉強し、今はコンゴで国連の難民登録に従事していることなどに端を発して、さまざまな思いが頭を巡る。
例えば大オーケストラに指揮者が二人おいて、それぞれが指揮官のようにコマンドを出す。こう書くとクセナキスのようだが、実際に使われる素材を、進行中の戦争に関わっている国々の国歌や軍歌、召集ラッパ、葬送行進曲などから選ぶとなると、ずいぶん印象は違うだろう。作品として成立させるよりも、半日ほどかかるイヴェントとして、死者の数をリアルタイムに音楽に反映させる方法もあるかもしれない。
現実的にオーケストラをそんな風に使うことはできないだろうが、それ位強い意志がなければ、伝えられないものもあるのではないか。兵士が死ぬサイン、市民が死ぬサイン、女が死ぬサイン、子供が死ぬサインと予め決めておき、死者の数を速度に反映させることもできる。ただそこには、どうしても自分の主観を介在させたくない。敵味方という括りも、多分できない。100パーセント正義の戦争など、存在し得るのだろうか。
この場合、オーケストラという特殊な集合体は、象徴的な意味合いを帯びるに違いない。無数の響きは、一人ひとりそれぞれ意志や個性をもった人格が、うずたかく重なり合いながら造りだされるものだから。戦争を起こしては、絶対いけない。非国民と言われようが自分の家族はどんな形でも生きていてほしい。敵と呼ばれる兵士の一人一人にも、家族はかならずいる。人を一人殺すことが殺人で、大多数殺すことが正義など、どうしても納得できない。

 9月某日
沢井一恵さん宅にお邪魔して、17絃で「六段」を聴かせて頂き、涙がこぼれそうになった。子供のころから、功子先生との演奏で数えきれないほど聴いた筝の音は、身体が覚えているのか、皮膚にすっと馴染むようだった。
夜はユージさん、美恵さんと味とめ。ワサビ漬けとヌカ漬けという二種類の秋刀魚を頂く。美味。三宅一生の日本での最初のファッションショーを、ユージさんと一柳先生が4手ピアノで伴奏した話。演奏曲目はドリー組曲やケージなど。

 9月某日
ミラノに18年も住んで、プロメテオやらオペラやら何度となく一緒に仕事をしているのに、アゴンのスタジオに今まで一度も行く機会がなかった不思議。セスト・マレルリ駅から歩いてカーターのリハーサルに出かけると、実際は駅から6、7分の距離なのだが、すっかり道に迷って40分ほど彷徨った。ピレルリの工場跡地なのか、荒んだ巨大な建物が立ち並ぶ一角にあり、これから再開発も始まるようだが、道すがらネズミが叢を走り回るような、捨て置かれたような風情が漂っていて、国鉄の陸橋を越えて錆びた鉄門を入れといわれても、どこの鉄門も錆びていて、どれだかわからなかった。
カーターのトリプルデュオは実に難しいけれど、三日間演奏家と丁寧に音を読んで分かったのは、指定の速度を目指して音楽を過呼吸状態に陥れるより寧ろ、三つ重なり合う二重奏のタクトゥスが見えるよう、音のあいだに空気を通す大切さだろう。思いもかけない美しさに、目が覚める思いがした。

(9月30日ミラノにて)