しもた屋之噺(61)

杉山洋一

今晩は久々に深い霧が立ち込めています。朝の4時過ぎ、地階の寝室の窓からこちらをしばらく覗いていた猫の影がゆっくり去ってゆき、5時半過ぎ、寝室と壁一つ隔てて走っているモルターラゆきの線路を、そろそろと列車が通り過ぎてゆきます。クリスマスの連休も終わり、朝霧に包まれて今日から街は少しずつ活気を取りもどします。

12月初めはジェルヴァゾーニの練習の合間にボローニャのアンサンブルとドナトーニやブーレーズの本番があって、毎日の移動中にモーツァルトの交響曲をフューチャーした学校のセミナーの準備をこなし、自分の授業と3日間のセミナーを立て続けに終わらせて気がつくとクリスマスでした。

時間の使い方が下手なのでしょう。学校で教えるときは9時半に教室に入り夜の8時半に部屋を出るまで、水一口も飲まず教えて続けている有様で、時にはお手洗いにすら出ることなく11時間も教室にこもっていることになります。そうやって準備しても、生徒たちはセミナーでオーケストラを前にすると、やはりガチガチになってしまいます。

指揮クラスでは恩師ポマリコのアシスタント役として、新入生のテクニックを担当する気楽な役目の約束で、当初は皆で楽しくがやがややっていたら、一人また一人と、上級の生徒たちが「申し訳ないんだけど、時間が余っていたら見てもらえないかな」と不安そうな顔で入ってくるようになり、結局先に書いたように不安な人にまみれ11時間も教室にこもることになります。

ハフナー・シンフォニーとジュピター、可愛らしい29番がテーマでしたが、ハフナーを選んだ生徒たちは、幾ら教えてもオーケストラを目の前にすると最初の出だしで気後れしてしまい、収拾がつかなくなってしまいます。ジュピターの4楽章を持ってきた生徒はいなかったのですが、天国的な2楽章を伸びやかに歌わせるのは難しいと思うし、実際出だしの8小節を教えるのに1時間かけても、オーケストラを前にすると緊張で全く手が動かなくなってしまいます。イ長調の29番の1、2楽章はシンプルだし、テクニックも取っ付き易いはずですが、付点で飾り付けられた珠玉のメヌエットは侮れません。

今年の新入生は珍しく皆若くて平均23、4歳に見えますが、その他の生徒は30歳代、40歳代で、既に音楽家としてステータスがある人ばかりです。今年新しく入った生徒の一人はミラノ・クラシカというオーケストラの1番フルート吹きで、今年は指揮科の伴奏をミラノ・クラシカがやっているので、先日のセミナー中、彼はずっとオーケストラのなかにいて、降り番になるとこちらの教室で他の生徒と一緒にテクニックをやっていました。新入生たちにもオーケストラのセッションを見学させて、自由に意見を言わせてみたところ、言うことが奮っています。

「オーケストラとの授業はやっぱり胸がおどります。感激しますね」などと最初は調子のいいことを言っておきながら、「どの生徒も点がしっかりしていないと、オーケストラがぐちゃぐちゃになるよね」、「一々オーケストラに向かって注文をつけ過ぎ。何を言おうとしているのかもよくわからないし」。
彼らの中には、さっきまでオーケストラで演奏していたフルート吹きまでいるので、勢い話が盛り上がります。
「身体がぐらつくと、棒が見えなくてイライラする」、「最初のフランチェスコは駄目だったなあ、二番目のパオロも好きじゃなかった。あのジュピターの子でしょう? 三番目のアルフォンソだったかな、あれも好きじゃなかったなあ…」。
さすがに生徒たちが可哀想になってきて、何とか話を纏めないと思っていた矢先、
「もっと棒でやりたいことをしっかり表現しないと、駄目ですね!」
一刀両断ばさりと斬り捨てられたところに、「駄目でした…」と足を引きずりながら打ちのめされた生徒が入ってきました。

5、6年前から通って来ているジャズ・ピアニストのロベルト。イギリス人でロンドン生まれだけれど5歳からミラノに住んでいて、ロバートより寧ろロベルトと呼ぶほうがしっくりきます。背が高く白髪もずいぶん混じり40歳台も半ばを過ぎたというところ。不器用な上すぐにパニックに陥ってしまいます。暗譜で振るのが怖くて指揮台に上るだけで髪をかき乱して混乱してしまうのです。2拍子を振らせれば、どちらが1拍目だか分からなくなるし、メヌエット(3拍子)を振らせれば、物凄い目つきで4拍子を振っている。違うよというともっと目玉を飛び出しそうになりながら2拍子を振っている。止めれば慌てるのは分かっているので、そのままピアニストについていって貰い、最後の小節は当然字あまり。

典型的なブリティッシュ・コメディーのような性格なのですが、ジャズ・ピアニストとして活躍しているし音楽の才能はあるのだからと、辛抱強く身体と頭をほぐすことに費やしてきたところ、去年あたりから俄然調子が出て来ました。ポマリコにもやめてほしいと言われながら、もう一年もう一年と頼み込んでここまでやって来たのだから、彼も相当な頑固者です。そんな頃を知っているので、彼がオーケストラを振るだけで感激するのだけれど、そのロベルトが今回のセミナーでは、上手にジュピターの1楽章を振ったらしい。生徒たちが言うには、オーケストラの音を引き出すのは彼が一番上手だったし、とても勇敢だった。はて勇敢な指揮とはどんなものかわかりませんが、妙な賛辞ながら口を揃えて褒めていたし、自分でも狂喜して髪をかきむしっていたそうだから、直前まで緊張でガチガチのロベルトを落ち着かせるべくレッスンしたのも報われました。

そういう按配で昔の師匠との関係は続いていて、今年のクリスマス25日にはポマリコが昼食に招いてくれました。こちらの25日は日本の元旦そっくりで、家族が集ってゆっくり昼食を頂く習慣です。今年は、厳かで静まり返った朝に抜けるような青空が広がって、見事な一日でした。
数年前にご主人が亡くなったショックから、アルツハイマーが始まったお母さんエンマに会うのは3年ぶりでしょうか。思いがけなく明るく、陽気なエンマの姿に、初めは少し戸惑いました。「エンマの記憶が少しずつ混濁してきていてとても辛いんだ」とポマリコからも聞いていたし、ご主人の喪失から間もない3年前のクリスマスに会ったときの、力のこもらない笑いと大違いで、見違えるように愉快で闊達なおばあちゃんになっていました。
冴え渡るヴァレーゼの白い尾根が、鮮やかに青空に突き出しているのに見とれながら、車中ポマリコとエンマの会話に耳を傾けていると、大方クリスマスのお祝いの電話をどこから貰っただの、親戚の誰それがどうしただの、ごくありふれた家族の会話に聞こえました。

ポマリコが振ったモーツァルトの39番をかけると、嬉しそうにステップを踏んで「わたしはね、若いときに主人と一緒にずいぶん踊ったもんだよ。コンテストでも随分優勝したし」。「音楽を聴くのは嬉しいけれど、弾いてる若者たちの顔が見られないのはちと惜しいね。良く見りゃあんたもいい若者じゃあないか。音楽はいいねえ、若くて器量良しの男の子や可愛らしい女の子が集って一緒に弾くんだから、楽しいよねえ。見ているだけでも楽しいさ」。

前菜のサラミからトルテッリーニのブロードに移った頃でしょうか。「フランチェスコ、ねえフランチェスコや。このトルテッリーニは美味しいねえ」、エンマが思わず声を上げました。傍らに座っていた娘のラヴィニアが、「おばあちゃん、お父さんはエミリオだよ。フランチはエミリオの弟」と優しく言葉をかけると、「ラヴィ!」と小声で諌める声がしました。
それから暫く、純白のテーブルクロスの食卓は、12月とは思えぬ眩い太陽の光が、きらきらと輝くばかりでした。

(12月27日 ミラノにて)