しもた屋之噺(72)

杉山洋一

頭が煮詰まってくると、庭の落ち葉をかいて気分転換をします。一本大きな木が立っているので、そこから洋芝のじゅうたんに枯葉がはらはらこぼれてくるのは風情があるのですが、ここ数日風が強かったせいもあって二日も放っておくと無残な姿になってしまいます。慣れてきて、ものの10分ほど、無心で落ち葉をかいていると、気分も庭も落ち着くし、悪いものではありません。ティツィアーノ・テルツァーニは、インドから持って帰ってきたガラスの目玉を、トスカーナにある自宅の庭の大木につけていて、インドではこうして木にも心があることを分かりやすくしている、と説明していました。

一ヶ月ぶりに日本から帰ってきた友人からの電話を受けると、声が作曲家になっているわねと言われて、自分の声色はそうも変わるものかと家人に尋ねると、意外にも納得しているので驚きましたが、いずれにせよ、ここ暫く家にこもって仕事をする時間が長かったように思います。自分の作曲のほかにも、1月に訪日するブソッティのマドリガルを演奏者用に書き直し、気の遠くなるようなCD18枚分のジェルヴァゾーニ録音のテイクを選定をしながら、シェーンベルグとプロコフィエフのピアノ協奏曲の粗読みをしていました。できるだけ効率よく済ませたいと思っていても、例によって全然ダメです。

夜、息子と一緒に9時半すぎに布団に入り、2時、3時から7時すぎまで仕事をし、風呂で少しテルツァーニの本を読んでパンと牛乳を買いにでかけ、合わせや学校がなければ、結局いつも家にこもっていました。尤も昼間は、2歳の息子がしょちゅうチョッカイを出しに来るたび、瀬名恵子さんの「ねないこだれだ」のおばけを見せたり、「利口な女狐」とか「アルジェのイタリア女」とか、子供が好きなDVDを一緒にながめて、何かと相手をしてやらなければいけません。

今月はじめ、作曲科生に指揮の基礎をおしえるワークショップのため、マントヴァの国立音楽院にでかけたときは、この調子で夜半に自分の仕事をしてから、朝6時すぎに家をでて、夕方までぎっしり教えてから、そのままレッジョ・エミリアの劇場に直行し、ダニエレ・アッバード演出のオペラ「ミラノの奇跡」を見て、最終のミラノ行に飛乗って中央駅に着いたのが0時0分。それから2回ほど立て続けにあった、スカラ座オケのソリストたちのガラコンサートも似たようなタイム・スケジュールでしたから、さすがにメヌエルが怖くなって、ジェルヴァゾーニの編集にでかけるジュネーブは、来月に延期させてもらいました。

拙宅のあるロサルバ・カッリエーラ通り向かいの停留所から、郊外に4駅ほど、ものの3、4分ほど路面電車に乗ったところ目の前の、茶色い目新しい高層アパート最上階に住んでいるのが、1月東京にゆくシルヴァーノ・ブソッティです。メゾネットと呼べばいいのか、エレベータで最上階までゆき、そこから更に階段でもう一階上がったところにシルヴァーノの玄関があります。中に入ると、イタリアらしくとても整頓された部屋に、来客用のソファーと机でできた8畳ほどのスペースがあって、クローゼットで仕切られた向こうに、アップライトピアノと大きな仕事机のある15畳ほどの仕事部屋になっています。窓の代わりに天窓があって、この部屋が大きな屋根裏のスペースを利用したものであることがわかります。1階下に住む連合いロッコ・クヮーイアの部屋とは、玄関脇の螺旋階段でつながっています。

部屋が全体にこざっぱりした印象を与えるのは、シルヴァーノ自身がものすごく几帳面で、彼「神経質なほどの整頓癖」のため、全てきっちりとアルファベット順に整理してあるからだと思います。同じようにいつも整頓されていた薄暗いランブラーテのドナトーニの仕事部屋を思い出します。シルヴァーノの部屋の違うところは、部屋中いたるところに絵や彫刻が飾られていて、それら殆どが男性器か男性の肉体美をモティーフにしたものであることです。ドナトーニは仕事部屋向いの台所の食卓前に、3、4枚ほど、女性の臀部のステッカーをペタペタ貼っていて、これを眺めてフランコは食事を摂るのかと納得すると微笑ましかった記憶がありますが、シルヴァーノの部屋はずいぶん違って、一種耽美的ともいえますが、美術品以外はこざっぱりしているので、すこし違う気もします。

客間のスペースと仕事部屋を分けるつい立て代わりのクローゼットには、彼の楽譜やレコードなどが、それは奇麗にぎっしりと整理されているのですが、木製のクローゼットの表面全体には、無数の男性の裸体の写真の切り抜きが、ぺたぺた貼られていて、その上改めて全体を彩色してあったかもしれません。「ぼくが作ったんだよ。どうだい、ちょっとした美術品だろう」と偉くお気に入りでした。

年代ものの木製の大きな仕事机も、一面に数え切れない裸体や局部の写真がひしめきあっていて、これを見ながら作曲しているのかと思うと、彼の音楽がよくわかるような気もするし、これでよく仕事ができるものだと感心もさせられます。歩いても出かけられる程の近所で気軽に遊びにゆけそうだけれど、結局日々の忙しさにかまけて、なかなか実現できません。ただ1月に日本でやる演奏会のため、シルヴァーノの音楽や楽譜を勉強している時間はかなりあって、いつも彼の部屋が頭に浮かんできます。

ブソッティのマドリガルを東京で演奏するにあたり、歌手の皆さんが各自効率よく勉強できて、譜面を読みやすく合わせ易くするため、結局2曲ほど全部書き直すことにしました。オリジナルの楽譜は、譜表そのものがオブジェか絵のように扱われていて、たとえば「愛の曲がり角」など、まったく実用的ではないのです。自分ですべて書き直すまで、どんな曲なのか見当がつきませんでした。誰がどこを歌い次にどう繋がるのか理解出来なかったのです。正直に告白すれば、果たして楽曲として本当に魅力ある作品なのか、ただ美術品の価値のみの作品なのか、判断しかねていました。

ですから、全て書き直してゆくプロセスは、自分にとって目から鱗が落ちるような経験で、驚きと発見の連続でした。この絵にしか見えない楽譜が、どれだけ精巧に、緻密に計画され組み合わされて、丹念に書き込まれているのか、よく分かったからです。高校のころから慣れ親しんだ「ラーラ・レクイエム」など、イタリアの現代音楽に於いて将来に名を残す傑作中の傑作の一つだと思うし、彼の才能を疑ったことはなかったけれど、でもこれだけの響きのヴァラエティや音色の魅力がこの絵に詰まっているとは、想像もしませんでした。

最も基本的な音の定着は、素朴な12音に従っているようだけれど、それを膨らませるプロセスは、安易な方法論に陥らないし、とびきりのファンタジーと遊び心に満ちていて、その表面を大げさなほど飾り立てながら、元来置かれていた音の意義そのものを全く別な次元へと変容させるかのようです。それが素晴らしいと思いました。
だから、「愛の曲がり角」を例のとれば、幾ら演奏し易くても、どんなに理解し易くても、彼の書いた絵の楽譜の意義は絶対的にあって、演奏者、少なくとも指揮者は、たとえ演奏用スコアを別に作ったとしても、原曲があの美しい楽譜であることは忘れてはならないのでしょう。

これが生産的な芸術かどうか考えるのは、あまり意味があるとは思いません。単純に音楽を理解するため必要とされる煩瑣な手続きを、演奏者が実際喜ぶかどうかも別問題です。ただ、イタリアが連綿と継承してきた「マニエリスム」という言葉を思い出すとき、シルヴァーノに勝る存在はいないと合点が行くし、それだけ意味ある存在なのだと実感させられるのです。挑発的で遊び心に満ちた、でもどこか合理的な奇矯な部屋も、彼の音楽と同じだとに気がつきます。

さあもう御託はやめにして、夜が明ける前に自分の作曲に戻らなければ。すっかり寛いで長居してしまいました。こんな処でくだを巻いているのを中嶋香さんに見つかったら大変です(でもすぐに着替えて、朝から12月初めにトリノで演奏するペソンとシェーンベルグの練習に出かけないと。どうしましょう!)。ああ、ごめんなさい!

(11月28日ミラノにて)