しもた屋之噺(84)

杉山洋一

昨日の夜明け頃からミラノは久しぶりの本格的な雪になり、午後初めまで勢いよく降り続いたお陰で6、7センチは積もったでしょうか。3時半、止んだ雪景色のなか息子を幼稚園に迎えに行くと、道すがら、小中学生が我先に雪球を作っては、歓声を上げて投げ合って、雪でしんとした街の風景を、子供たちが賑々しくしています。

夜半や夜明けに仕事をしつつ、夏の終わりまで姦しいほどだった鳥のさえずりが懐かしくなります。鳥がどこかへ渡ってゆくからなのか、冬は単にさえずらないのか知りませんが、ごく稀に、深い夜のとばりの向こうから、キキと鋭い声が聞こえると、その美しさにはっとします。

鳥の声で思い出しましたが、ここ暫くドビュッシーの「牧神の午後」を読んでいて、9月末に、ジュネーブ室内管と今井信子さんと一緒に武満さんの「ア・ストリング・アラウンド・オータム」を演奏したときのことを、しばしば思い返しています。

「牧神」は、来年ミラノのポメリッジ・州立オーケストラと演奏するのですが、新年早々サンマリノのオーケストラ選抜メンバーと、アウシュヴィッツ解放記念の演奏会でも、シェーンベルクの室内編成版を演奏します。「牧神」は速度表示が曖昧でさまざまな演奏スタイルがあるのを、ご存知の方も多いとおもいます。速度表示に特に変化が記されてないところで速くしたり、「動いてゆきながら」と書いてあるところでわざわざ遅くしてみたり、「冒頭の速度で」の指定に至っては基本のタクトゥス(拍感)すら不明瞭です。

特に原典版至上主義ではありませんし、ルバートに異議はありませんが、ただ、それが根拠もなく因襲的なだけなら、「牧神」のように構造が一見流動的な場合、さらりと演奏したいと思う方なので、楽譜を開いて暫く自分なりの切掛けを探していて、武満さんの「ア・ストリング・アラウンド・オータム」を思い出したのでした。

タクトゥスに関して、武満さんがどこまで意識して書いていらしたかは分かりませんが、この作品のTempo I=4分音符「46」とTempo II=4分音符「32」に関して敢えて言うのなら、Tempo Iの2倍、Tempo IIの3倍である、大凡「94」前後のタクトゥスを、武満さんは常に意識されていたことに気がつきます。つまり曲全体を通して、ルバートを除いて、実際のところ速度が変化しないわけです。それに気がついてから、曲の流れが明快に感じられ、作品に支配的な3連符の意味が明確になりました。

個人的なアプローチに過ぎませんが、近しい試みは、「牧神」にも当てはめることが出来ると思いますし、そう読み進めてゆくと、曲の多くの素材やフレーズまでもが、実に律儀に3対2のプロポーションを保っていることに気がつきます。ドビュッシー自身による2台ピアノ版に残るアーティキュレーションや速度記号から、恐らく彼が当初抱いていた、恐らく今よりもすっきりした体裁の印象を、垣間見ることが出来るでしょう。もっとも、それらの指示を敢えて書き換えて、現在の版が残っていることを忘れては本末転倒になってしまいますが。

ただ、音楽は解釈を説明するためにあるわけではありませんし、作曲者自身の作品に対する印象すら、実のところ非常に流動的なものだと思います。ですから、正しい演奏解釈など、存在し得ないでしょうし、それよりは素晴らしい音楽を素晴らしい音楽として如何に伝えることが出来るかに、最大限腐心すべきだと思います。同時に、作曲家が伝えようとしたことを再現したいと願うのは、演奏家としてのせめてもの良心とでも言うもので、そこから楽譜を旅するロマンが始まるわけです。

最初に今井信子さんと楽屋で打合せした際、まず仰ったことは、「武満さんは、この作品を、楽譜から受ける印象より、ずっと骨太な演奏を願っていた」ということで、少なからずショックを受けました。「だから、書いてある通りに演奏すると、彼が思っていた音楽にならないのよ」。

伝達ゲームではありませんが、どうしても時間とともに変化してゆくものはあって然るべきだと思いますけれども、この作品は今井さんのために書かれていて、彼女が武満さんと一緒にお仕事されるなかで、身体のなかに染みこんでいった呼吸が確かにあり、それがとても深い表現力と説得力になって迫ってきて、文字通り何十倍も演奏を引き立てて下さいました。やはり、作曲者自身の息吹が吹きかけられていると、演奏の鮮やかさがまるで違うのは確かかも知れません。

こういうとき、伴奏しているオーケストラも指揮者も聴き手も、みな一つになって感動を共有できることに、改めて感激し、そこに武満さんの凄さを見ました。決して大きくない今井さんの身体が、途轍もなく大きく感じられたのは、言うまでもありません。

その演奏と、自分が苦労して勉強した楽譜との距離が、どれだけ近くて、どれだけ遠いのか、正直いって全く分かりません。これから先もきっと分からないと思いますが、でも、分かりたいと思う気持ちこそが、音楽を続ける糧になっているのでしょうし、これはこれで良いのかも知れない。

さて、こう赤裸々に告白してしまえば、後はドビュッシーともがっぷり組むことが出来る気もします。5年後には全く反対のことを書いているかも知れないけれど、それもまた良し。素晴らしい演奏家や作曲家との出会いは、掛値なく、深く心に刻み込まれてゆきます。

(11月29日ミラノにて)