しもた屋之噺(93)

杉山洋一

ここ数ヶ月ずっともやもやと考えていることがあって、それは日本とヨーロッパを自分のなかでどう位置づけたらよいか、それほど明確な問いでもないのだけれど、それに近いことに漠然と思いを巡らせていました。

イタリアで勉強を始めて暫くは、ヨーロッパの技術がどれだけ優れているのか、分かるようでいて余り実感できなくてもどかしさを経験し、何年か経ってその差異が見えた瞬間、今度はとんでもないショックを受けて、自分がそれには及びもつかぬことに苛立ちさえ覚えたのを覚えています。それでも日本人特有の器用さで何とかそのギャップを埋めてゆくと、今度は「日本は何と違うのだろう」、とまるで自分がヨーロッパ人にでもなった心地で数年が過ぎると、それもただ自分の傲慢だった、と猛省するようになりました。別にこれが結論でもなく、今自分がそう感じているだけのことなのですが。

今日グルッペンで初めて3つのオーケストラを合わせるセッションがあり、指揮の沼尻さんと一緒に、大音響のなかサントリー小ホールの真ん中で、必死に楽譜を追っていたのですが、その折、先日沼尻さんが都響を振られた現代作品の演奏会のお話を少し伺いました。先日の沼尻さんの演奏はとてもすばらしかったので、演奏会中、傍らに座っていらしたO先生とも、これだけの演奏をヨーロッパのオーケストラでどれだけ聴くことができるだろう、世界に本当に誇れるものですねと話していたし、すぐ後ろの席に座っていた、細川さんのオペラを指揮したヨハネス・デビュスも深く感動していました。当日のリハーサルを見ていたスザンナ・マルッキも、翌朝ホテルで会うなり、日本の演奏会の水準の高さについて、興奮気味に話してくれました。

たぶん我々日本人は、自分たちが世界に誇れる優れた技術と文化を持っていることを理解しているけれど、ヨーロッパ、欧米に対しやはりどこか劣等感と羨望を捨てきれません。これは音楽に限らず、恐らくごく何にでも当てはめられる、ごく一般的な価値観ではないでしょうか。

これを例えばヨーロッパの国々でどう感じるかと考えると、イタリアに関して言えば、自分たちは世界でもっとも美しい風景の国で、世界に誇れるさまざまな文化が古くから培われてきた国であり、現在経済的には弱く不安定な国、という按配になるかとおもいます。経済的に遥かに豊かなフランスやイギリスに対し、ある種の羨望は隠しもしませんが、自国を貶めることもないように見えます。

今回、ウンスクチンとイリャンチャンの演奏会をやってみて、彼らが本当に韓国人である誇りを表現の強さと糧にしていることに、脱帽しました。もちろん韓国にもいろいろな人がいて、彼らが全てというつもりもありませんが、ヨーロッパ人からすれば、それは至極当然だと感じるに違いありませんし、個性としてとても肯定的に捉えられると思います。ウンスクさんが韓国的な作品を書こうとしているとは思いませんが、彼女にもとんでもない芯の強さと情熱があり、きっとそこに迷いがないのでしょう。聴き手をぐいぐいと引き込んでゆきます。

ぼうっとして、帰りの銀座線を反対方向に乗ったことすら暫く気づかなかったほど感動した細川さんの「班女」も、晦渋に音を絞るだけでは、あの鋼のように輝く表現力は生まれないはずです。細川さんの裡にある時間、個として、文化としての時間、それら全ての肯定的な発露こそが、「班女」の深い魅力につながっているようにおもいます。別に日本的かどうかは、最早大した意味はないともおもうのです。ただ、迷わずに自分の表現をきっぱりと言い切れるか、表現しきれるかどうか。ですから、日本人の演奏、日本的演奏、日本的作曲。そんな薄い言葉で現在カテゴライズできるかどうか。すべきものかどうか。出来たとして、それにどれだけの意味があるのか。それは否定なのか、肯定なのか。善悪で判断できるものなのか。そんなことをここ数ヶ月反芻しながら日々をやり過ごしています。

言うまでもなく、ヨーロッパでもたとえば、フランス、ドイツ、ロシア、イタリアとそれぞれ演奏や作曲のスタイルは違います。日本の土壌がそれらとまるで違うのは当然ですが、それら全てを否定すべきものだとも思えません。今の学生は「モデラート」の意味すら知らない。どう伝えたらよいでしょうね、と尋ねられたのですが、今の自分にはそれをどう伝えてよいのか、正直言葉がみつからないのです。こんな風に悶々としながらあと数年経って、何かが吹っ切れ迷いがなくなることを祈るばかりですが。

今日はこれからグルッペン練習のハイライト。昨晩2時までかけてスタッフの皆さんが設営してくださった大ホール仮設舞台での稽古にでかけてきます。この8月は、たくさんの若い演奏家や指揮者の、そして日本のオーケストラのすばらしさに触れることができて、そしてまた、自らの誇りを豊かに表現するたくさんの作品に出会えたことで、忘れることのできないものとなりました。明日のグルッペン本番も、皆さんの思いがぎっしり詰まった、歴史に残る名演になるに違いありません。
そこに立ち会える幸運に感謝しつつ。

(8月30日東京・三軒茶屋にて)