しもた屋之噺(91)

杉山洋一

昨晩、桐朋学園オーケストラとの演奏会が無事におわり、ミラノに戻るところです。梅雨の盛りに一ヶ月間東京にいたら、どんなに鬱々とした陽気かと思っていましたら、意外なくらい雨は少なく、今日のように朝から低い雲からひたひたと梅雨らしい雨が滴っていると、安心するくらいです。

ある朝、外を見ると雨が降っていて、玄関の靴置きから黒い折りたたみ傘を取り、そのまま何日か特に気も掛けず使っていたのですが、仕事帰りにふと握り棒に色褪せたほんの小さな紙切れがセロテープで貼り付けてあり、何やら名前が書いてあります。よく見れば、この6月13日に20回忌をむかえた、父方の祖父の名前ではありませんか。先日、もう95歳のお祖母さんに会いに湯河原に出向いて、定吉さんの20回忌にも代わりに線香を上げて欲しいと電話したばかりでした。誰もこの傘の所以は知りませんし、ましてや何故うちの靴箱にあるのか想像もつきませんが、お祖父さんが亡くなったときも、虫の知らせなのか、朝5時前、突然目が覚め誰に言われるでもなく、ただ何となしに一人で病室へ足を向けると、ちょうど臨終だったのを思い出します。

20年という時間を考えれば、昨日一緒に演奏した学生さんで、その頃に生まれた人もいた筈です。20年で昨日のような立派ができるようになる。当たり前じゃないかと笑われそうですが、自分は20年前もしっかり生きていて、20年経ってようやっと演奏会をご一緒できる程度になったことを鑑みれば、素直に驚いてしまいます。

昨日の本番前、楽屋裏に指揮の高関先生がいらしていて、顔から火が出る思いでご挨拶したのですが、昨日の打楽器セクションには高関先生のお嬢さんも参加していて、昨晩は特に大活躍だったのです。高関先生も今日芸大オケの本番なのに、わざわざ聴きにきて下さったことに感激しましたし、親とは誰もきっとそういうものだな、と妙な納得もしました。

ほぼ20年前、正確には22年前ですから高校終わりか大学1年だったと思います。サントリーの作曲家委嘱シリーズで、ノーノが来日したとき、興奮しながら演奏会に出かけたのを昨日のように思い出します。実のところ、ノーノの新作よりもむしろ生まれて初めてシャリーノのオーケストラ作品を演奏会で聴けることに上気していました。小遣いをはたいて楽譜ばかり買い集めつつ、ハーモニックスのみびっしり書き込まれた楽譜から、どんな思いがけない響きが飛び出すのか、想像するだけで胸が躍らせていました。あの晩、「夜の寓話」を指揮なさっていたのが、高関先生でした。あまりに感動して、演奏会の数日後、桐朋の学生ホールで高関先生をお見かけした折、思わず少しお話させて頂いたのも、懐かしく思い出します。そうした体験が積み重なり、自分がイタリアに住むことへと繋がってゆくのですから、一期一会と呼ぶと大袈裟ですが、一体誰に対して、何が役立つとも知れないのだから、一つ一つの出会いや時間は、せめても大切にして生きなければと、ウッドブロックをたたく高関さんの真剣な顔を見ながら、内心独りごちていました。

1ヶ月近く若い演奏家の皆さんと付き合っていつも感心していたのは、彼らの年齢で自分は理解出来なかったことを、しっかりと理解し、実現にむけて努力してゆくひた向きさと誠実さでした。今この歳になって初めて、当時先生方から言われていた意味に気づかされるばかりで、一体当時何を考えていたのだろう、と呆れることが日常茶飯事です。言葉にしてしまえば簡単なことのようですが、全員で鳴らす不協和音の渦のなか、ここにG majorを聴こう、ここにA majorを聴いてみようと言われても、当時の自分では絶対耳を開くことすら出来なかったと思うし、ヨーロッパにゆき、それが出来るようになるまで一体何年かかったのか数えたくもありませんが、でも昨日の彼らは、無意識かもしれないけれど、当時の自分よりずっと耳が解放されていて、羨ましいほどでした。だからでしょう、本番の演奏は余裕をもって驚くほどのびのびと、作曲家側の視点に立てば、驚くほど正確に、ひとつの作品さえ取りこぼしもなく弾ききった姿は見事でした。たとえプロフェッショナルだとしても、それは凄いことではないでしょうか。本番中は指揮者は何もする必要がなかったからか、演奏会後の疲労感はまるでなかったのにも驚きました。

こうして日本で、それも若いひとたちと長く接する体験は初めてでしたけれども、終わってみて結局とても彼らに励まされた気がします。自分にとっての励みでもあるし、自分の子供が知ることになる、これからの日本を思うとき、何かとても頼もしいものを感じることができたのは、幸せでした。これから20年経ち、自分が何を思い何を考えるのか、不安でもあるけれど、でも愉しみにもなってきました。

さて、これからすぐにミラノに戻り、今度はイタリアの若者相手にレッスンをし、締め切りを2ヶ月過ぎた新作を仕上げ、滞ったまま積み上げられている8月以降の譜読みに勤しみ、8月半ばに東京にもどるとき、果たしてどんな顔色になっているか、考えないように致します。わざわざ自分の顔を見る必要もないですしょうし。

6月30日 東京・三軒茶屋にて