オトメンと指を差されて(11)

大久保ゆう

……天才と出会いたかったんですよね。

えっと、いきなり何の話かと思われるでしょうが、近ごろ友人たちが結婚したり結婚間近だったりして、その一方で私はそういったものとは縁遠いところにいるのですが、そんななかで自省しながらふと気づいたんです。いわゆる「白馬の王子さま」が云々というシンデレラコンプレックスではないのですが、天才との出会いを欲していた自分をあらためて自覚したというか、ずっと天才のパートナー(右腕?)になって、世界(もちろん観念的なものですが)と一緒に戦うことを夢想していたといいますか。

いえその、年上の天才は知ってるんです。幸いなことにそういう方々の近くにいられたおかげで今の自分があるわけで、感謝してもしきれないわけですが、ここで言いたいのはあくまでも同年代の天才で、そういった人と愛情もしくは友情関係を介してパートナーになりかたかった、ということです。振り返るにおそらく中学を卒業したあたりからそう思っていたのではないかと推測できます。

ただ天才に出会いたいといっても、そのパートナーとたりえるにはその資格が必要なわけで(と当時の私は考えていて)、天才に見合う能力やら実力やらを手に入れようとこの十数年努力してきたつもりです。むろん、出会えるための努力もしました。様々なところへ行きましたし、またその都度、個人としてやるべきことはやってきました。心がうちふるえ、感涙にむせび泣くような、そんな天才と出会えることを信じて。

でも出会えませんでした。天才なんてどこにもいなかったのです。

現在籍中の某旧帝大には、どこかしらにそういう人間がいるのだと思っていました。けれども蓋を開けてみれば、現実はそういう想定と真逆でした。自分の身を、自分の命を捧げ、一生お仕えできるようなカリスマは、どこにもいないのです。大学院になるとよりいっそう期待薄で。失望と幻滅、と言えるほど大したものでもありませんが、一抹の寂寥感みたいなものはあります。

そうそう、「副長コンプレックス」とでも名付ければいいでしょうか。

新撰組の副長であるところの土方歳三でもイメージしながら。実際、自分のかかわった物事でうまく行くのはだいたいそういう立場にあったときがほとんどですから、能力的特性としてはそっちの方にあるのだと思います。そもそも翻訳っていうのもそういう作業ですしね。いかに天才に寄り添えるか、その天才を引き立てられるかがひとつの課題なのですから。

紙の上で天才には出会えても、リアルな世界では天才に出会えない――いえ、そうやすやすと天才が転がっていてもおかしいのですが――それも違うな、おそらく、リアルな世界で天才に出会えないから、その欲求不満を翻訳にぶつけているのかもしれません。過去の天才は常に居場所を補足されているから、いつでも出会うことができるし、そのパートナーになることもできます。ただしその天才とともに生きることはできない、その点が大きな短所です。

これまで運悪く私のパートナーになってしまった人たちにとっては、そういう私のコンプレックスはずいぶん重荷であったのではないかと思います。非常に申し訳ないことをしてしまったな、と今となっては感じているのですが、取り返しのつかないことなのでしょうね。

それこそ逆シンデレラコンプレックスとでも言いましょうか、私が天才不在に対する不満から(あるいは天才のパートナーになるための試練だと思い込んで)厄介事に首をつっこんで片をつけてしまったあと、なぜか白馬の王子さまと誤認識されたりすることもありましたが、まあそれはひどい王子さまだったでしょう。プリンセスに対して、その資格を持っていることを強く求めてしまうのですから。本人は出していないつもりなのでしょうが、天才に出会えない欲求不満から無意識に相手へそういう態度を取ってしまっていたのかもしれません。

そもそも、私は誰かを守るとか、あるいは誰かに支えられるとか、そういう柄じゃないのです。守ってほしいなんて言われたら足手まといだと感じてしまうでしょうし、たとえ自分が崩れそうでも自分の身体くらい自分で支えられます。だから自分の隣に誰かがいるとしたら、それは戦友以外にありえない、そうとすら思うくらいです。

そう考えてみると、そりゃ結婚できないわな、と我ながら爆笑してしまうのですが、芸術的な側面からすれば真剣な話にもなりうるわけで。ずっと上手な翻訳をし続けようと思ったら、この欲求不満は解消されないまま持ち越された方がいいのかもしれない、とか何とか。

そんでもって最終的に余生はどこぞの屋敷の執事になって天才を育てる、みたいな。……冗談ですよ、冗談!