オトメンと指を差されて(40)

大久保ゆう

そういえば、私が毎週欠かさず見ているTV番組のあとに「THE IDOLM@STER(アイドルマスター)」という作品が放映されておりまして、流れでそのまま見ているのですが、どういう内容かと申しますと、いろいろな個性を持つ新米アイドルたちの日常(仕事・レッスン・交流)や、彼女たちを売り込んだりしてスターに育てていくプロデューサの奮闘を描いていく、アイドル事務所のお話なのです。

ぼーっと見ているときは、だいたいささいな妄想も伴っているのですが、このあいだふと思ったのは、こういうアイドル事務所的な〈翻訳家事務所〉は、ありえるんじゃないかな、ということで。つまり、所属する翻訳家のキャラと能力を前面に押し出して、そのための宣材を作って営業をかけて――というような。もちろんそれと同時にレッスンやら、事務所や控え室での翻訳家同士のわいわいがやがやとした交流なども含むわけですが。

もしかすると、足りなかったのはこういうものなのかな、という考えもありまして。というのも、ある意味では翻訳業界とアイドル業界は通じるところがあるのです。とりわけ1990年代、ご存じの方もおられるとは思いますが、一部の女性翻訳家がアイドル視されることがあったわけで、しかも成功したキャリアウーマンとして、女性たちの自己実現の対象として目されました。しかしもちろんそこには裏があるわけで、そこへの憧れや欲求をあおることで、語学業界はたくさんの教本を売り、翻訳学校におおぜいの生徒を集めた、という寸法。

こうして90年代以降、多くの翻訳家志望者を生んだのですが、ところが問題になるのは、そういった人々が抱いていたイメージと、翻訳業界の実体にギャップがあったことです。彼女たちは翻訳学校を卒業後、その運営母体である翻訳会社にフリーランスとして登録されたりするのですが、そこから回ってくる仕事は基本的には縁の下の力持ちのような、名前の出ないもので、くすぐられた自己実現とはほど遠いもの。翻訳会社にしても、喧伝するのは〈自社〉であって、いかに安く早く何でもできるかというようなこと、個々の翻訳家なんてどこにも見えず、生徒を集める際に説明したあれやこれやの形もありません。

また文芸翻訳家を目指すにしても、卒業後は自助努力で、もちろん地道に出版社でのリーディングを経て訳者の地位にたどり着く人もいますが、苦労して得ようとするそれも、何というか強いコネさえあればその過程は理不尽なほど簡単にすっとびますし、ましてや有名人・芸能人なら。(このあたりの事情から〈翻訳家を目指さないことが翻訳家への一番の近道〉という逆説に気づいた私があれやこれやし始めるのは別の話。)

と、いうようなことを踏まえたとき、下地としては90年代から00年代を席巻した〈アイドルを目指すブーム〉と下部構造がどことなく似通っているわけなのですが、向こうにあってこっちになかったものは、やはりアイドル事務所的なものなのではないだろうか、と妄想したりもするのです。つまり、せっかく育てたのに、その人をちゃんと売り出すようなところがなかったのではないか、少なくともエージェントでもあれば現状はいろいろと変わっていたのではないか、と。しかも、今や語学教育の若年化が進んでいるのですから、おそらく翻訳の教練もそれこそ中学校どころか小学校から低年齢から行える(私は中学からですが)、可能性として翻訳姫・翻訳王子のようなアイドルを誕生させることさえありえて、インターネットの普及した今であればそういった人たちを売り出していく事務所も割と現実的に作れるのではないか。

なーんてことを大した真剣味もなく考えていましたら、先日学会に出た折、そんな妄想も冷めてしまうようなことが耳に入りまして。なんと、今の子たちは翻訳に対してもっともっとドライに考えているというのです。もはやアイドルや自己実現としての翻訳家イメージは影も形もなく(というのは言い過ぎかもしれませんが少なくとも以前ほどではなく)、翻訳はあくまでもスキルのひとつ、社会へ自分を見せるための売りのひとつにすぎず、翻訳を学習する人も、翻訳家になりたいというよりは要領よく効率よく技術を身につけて利用したいと考えているのだとか。

ひょっとすると、承認欲求をあおるよりもそっちの方が健全かも。実際に、スキルとしての翻訳の技術や知識は、いろいろなところで必要とされているようですから、無理に目指して路頭に迷っちゃうよりも。言われてみれば、00年代で大きくプッシュされたアイドル翻訳家なんてあまり思い出せませんから、そもそも抱きようがないのかもしれませんね。正直、社会的には文芸翻訳よりもビジネスにおける翻訳の方が、支えるものとしての重要性は高いわけですし、そういうものを毛嫌いしたり下に見たりする風潮もどうかと思いますし(翻訳家の偶像視はそういう点でも悪影響だったかも)。

まあ、でも今の私は、翻訳業務だけでなく営業も経理も宣伝も編集も鍛錬もみんな自分でやっているわけなので、個人的に事務所はほしいかも、なんて。とはいえ自分がアイドルとして売り出されるとなると…………あははは、演技としてなら結構嬉々としてやりそうな気がする、私。