オトメンと指を差されて(44)

大久保ゆう

2月といえば豆です。誰が何と言おうと豆なのです。

豆に生き、豆に死ぬ、そういう豆主義者として生まれたからには、いつかは触れなければならないことだと覚悟しておりました。そう、わたくし何を隠そう豆の使徒。お肉よりも豆を好み、〈まめ〉という言葉に似合うよう人生までまめにしたる者。そんなまめまめしきお話を今回はひとつ。

えんどう、いんげん、だいず、うぐいす、うずら、ひよこ、グリーンピースにあずき、ピーナッツ、豆といえばたくさんありますが、わたくし豆によって育ってきたといっても過言ではございません。元よりお肉もお魚も苦手、今でこそ生のお魚や薄いか柔らかいお肉なら何とか大丈夫ですが、ほとんどのタンパク質はこれまでずっとお豆頼みで来ておりまして。わたくしの身体はお豆でできているというわけなのです。

思い出せば子どもの頃、給食でいちばん楽しみだったものといえば〈大豆のしゃりしゃり揚げ〉、何だそれはといぶかしがるお方もおられましょうが、この大豆をからりと揚げただけのよくわからない食べ物がわたくしは好きで、今でも夢に出てくるくらいなのに、今まで誰も再現できた人もされたものも見たことがなく、まさに夢のなかのもの。
カレーも自分で作るときはビーフでもポークでもチキンでもシーフードでもなく豆カレー、多種多様な豆の入ったカレーであるわけで、あらゆる料理の肉は豆に置換され、麻婆豆腐の挽き肉だってグリーンピースに変わり、豆丼に豆じゃが・豆うどん、ピーマンの豆詰め、青椒肉絲の肉だってもはや枝豆になってしまうのです。ハンバーグだって豆腐バーグよりもお豆バーグにしてくれた方がうれしいくらいで、できれば豆ご飯の流れから豆寿司的な創作料理ができあがればいいと思う始末。

あるいはわたくしにとって〈あんこ〉なる豆スイーツはお豆レシピのクイーン、日本の至宝、というかおはぎにおかれましては、炊かれた白米とお豆が組み合わさってるのですから、お菓子というよりはむしろごはんですよ、あれです、赤飯がごはんであるのと同様にごはんであるわけです。(めでたいときに夕食として食べればよいのです、わたくしはそうしておりますし、うちの家族からもそういうものとして長年認められておりまする。)

そこで2月。そうでございます、まず節分がありますから堂々と行事としてお豆がたらふく食べられるのです。煎った大豆がそりゃもう大量に。年の数なんか気に致しませんもぐもぐもぐもぐ。今では全国化しましたが関西では太巻きを食べるのですよね、でその太巻きの具も自作するなら好きに選べるってことでお豆にしちゃうのです。あははは。豆太巻き。

そして中旬にはバレンタインデイがあるわけですが、あれだって元々はお豆です、カカオ豆(実だというつっこみはなしで)。ですから街じゅうにこれでもかとお豆があふれるのです2月はっ! わあい、お豆祭りの月ばんざい! 本当、お豆の国に生まれついてよかったです。お醤油もお豆腐もお味噌も、しっかりお豆の味がするものが大好きなわたくし、もうお豆がなくては生きていけません。もし無人島に漂着なんかしたらまず食べられる豆を探しに出ちゃうくらい。お豆大使とかあるならなりたいくらい。豆のためだけにスペイン行きたいくらい。

そんなわけなのでわたくしはピタゴラスの教団には絶対入れないわけで残念なのですけれども、どっちかというとわたくし豆を信仰していると申しましょうか、ちょっとくらい元気がなくても、ただ豆のことを考えるだけで妄想するだけで、にやにやにや、身体の内側から力がみなぎってきますから、何と言いましょうかもうお豆のご加護のたまものであります。ちなみにお豆へのお祈りは、豆をお箸で器から器に移し替えること。百粒でも千粒でも、多ければ多いほど功徳がある……なあんてことはございませんが、わたくし、たぶんいくらやってももくもくもくもく、飽きないとは思います。