オトメンと指を差されて(51)

大久保ゆう

どうもこんにちは、不思議の国へ行ったり来たりの筆者です。『アリスの地底めぐり』も第3章を訳了し、終わりが見えて参りました。

個人的なことを言えば、今回の訳は白黒サイレント映画『ふしぎの国のアリス』の訳に始まった一連のアリス翻訳の4つめにあたります(あいだに『不思議の国のアリス ミュージカル版』『えほんのアリス』を挟む)。ですので、アリス好きのみなさんには及ばないながらも、訳しつつそれなりに自分の感じるテクストのイメージを抱きつつあったり致します。

とはいえ、昔からわたくし、文芸作品に対して物証や根拠もなく自分の想いや感触を勝手に文章にしたためるのがたいへん苦手で、また趣味とするところでもないのですが、せっかくのエッセイなので、リハビリがてら筆をうっかりすべらせてみると……。

ひとつ、何か自分が変な感触を抱いたというか、この『アリスの地底めぐり』を訳していて初めて思ったことがございまして、うまく言語化できないのですが、なんとなくの勘めいた発言が許されるならば、この『地底めぐり』というテクストが、どこか「ごめんね」という心情を宿しているように思えてならないのです。

つまり、謝罪や後悔といったような、あるいは贖罪や懺悔・告解みたいなものを秘めた、静謐な葛藤があるのではなかろうか、という。誰に謝っているかはまったくわからないのです。相手がアリスなのか、それともリデル家なのか、はたまた天主様なのか。それにどの程度のことをどれくらい謝っているのかも正直どうとも言えません。ささいなことからくるすごく軽い「ごめんね」なのか、ものすごい過ちを犯してしまってこんな形でしか言えないけれど「ごめんね」なのか。

むろんこの物語は楽しげなファンタジーでもあって、訳していても非常に面白いのですが、そういう内容とか筋書きとかとは別の層のところで、「ごめんね」があるんではないだろうか、と。

こういう手触りに類することはどうしても主観に頼らざるを得ず、どうしても妄想めいたものになりがちで、何度も言うようにわたくし自身はっきりとわかっているものでもありません。どこかルイス・キャロルはわたくしが想像していた以上に(とりわけ若い頃は)繊細な人物であったのかなとも思われ、彼の心に触れられるのか手が届かないのかといったところで、日々うなりながら訳していたりしております。

元々は自分のものではなかったはずの文体を用いながら、他人の文章を訳していくことは、やはり痛みに似たものを被ることがあります。このあいだ、ふと自分の昔の文章をまとまって読み返す機会があったのですが、今のわたくしからすれば嫉妬してしまうほどに教科書通りの文がつづられており、現在との差をよくも悪くも感じずにはいられません。

けれども何かしらの異質の痛みを引き受けつつも、このテクストの「まだ訳し出されていない何か」を引き出すことができれば、結果としては面白いことができるのかな、という希望めいたものを抱きながら、あともう少し頑張ってみようと思います。