オトメンと指を差されて(56)

大久保ゆう

不振。不調。ぴりっとしない。地元方言にするなら何かあかん。

そういうことってありますよね。みなさんそれぞれそういったものに対して打開策なり解消法なりがあると思われますが、わたくしの場合は基本的にどんなことも眠ってしまえば万事解決することが多く、そういった局面に出くわすことがたいへん少ないのです。とはいえそんなわたくしであってもにっちもさっちもいかなくなることがごく稀にたまにあったりもしないわけでもなかったりするのですが、そうなってしまうと(限界を超えた状態になってしまうと)甘い物を食べようとも回復するものではございません。

ではわたくしは何をするか。ふたつあります。

1.笑う
2.踊る

すごく簡単です。しかもこれをやるには、別にお酒を飲んでいるとかそういうこともなく(わたくしお酒を飲んでも普段とあまり変化がないのです)、あくまで素面の状態で、何の脈絡もなく笑ったり踊ったりふたつ合わせたり致します。またその場合、大事なこともふたつあります。

1.唐突
2.無秩序

さきほど何の脈絡もなくと申しましたが、その笑いなり踊りなりは突発的で何のきっかけもつながりも流れもない感じでなくてはなりません。ごくごく普段通りで自分の心にも準備ができておらず「踊るぞ」とか「笑うぞ」とかそういう意思のないような瞬間に始まってしまうような、そういう瞬時の刹那的な切り替えが必要であるというか何と言うか。

なおかつその踊りなり笑いなりに決まった型があってはいけません。ただひたすらにお腹とかお口とかお手々とかおみ足とかの動きに自分の全身全霊を委ねながら預けながら任せながら自動筆記のごとく涌いてくる変化してくる自分を感じて振り払うと思いきやむしろそんな自分のことを考えず忘れてしまうくらいの勢いでやっているとそのうち何か大丈夫になります。

なんでしたっけ、これって演劇でいうところの感情解放でしたっけ(違う)。

これはまったく意味がないわけではなくて、だいたいにおいてわたくしの不調というのは、演じようとするキャラなりペルソナなりにうまく合わない、といった状態が不振になるわけでして(翻訳の話ですよ)。色んなスタイルにあれこれその場で切り替えたり寄り添ったりしているうちに少しずつノイズみたいなものがおそらく澱のように自分の底に溜まっていっちゃうんでしょうね。そういうのは他者の要素であるので何かしらしんどいものなのでしょうか、積もっていくと何かを振る舞おうとする自分の邪魔をしてくるわけです。

なのでそういった濁ったものをいったんゼロにして綺麗にすることが要るというか、そのための手っ取り早い方法が、何にも囚われず踊ったり笑ったりすることだという。ただし客観的にそれを見つめるとただマッドでクレイジーなんでしょうけれど。(うひゃはやあへふふへははっひとか口にしながら身体くねくねしているわけですからね)
徒歩で動くのも好きなので、時々ひたすらに歩きに歩いてウォーカーズハイで無心になることもあるのですが、それとはまた違うようで。それにあまり時間がかからず、だいたい5分〜10分くらいで終わります。しかしこれ、誰にでもできることではあるのですが、誰にもすすめたくはなく、また誰かが私もやってるよみたいなことも耳にしたくはない、そういうような気持ちになる方法ですね。

ちなみに今回は頭のなかがノイズまみれで文章が書けず、とりあえずいつものように笑ったり踊ったりして自分をほぐしていたら、それよりもこのことを書けばいいのかなと思って今に至ります。もはやオトメンでも何でもないですよね。いいえそんなことありません!(自分つっこみ) これはきっとラフターヨガの一種なのです、みたいなことを強弁しておけばそれっぽいのでみなさまがたにおかれましてはここはひとつそんな解釈でよろしくお願い申し上げます。