庭を出て

高橋悠治

1950年代には 音楽を音の庭とみなし そのなかを歩きまわる演奏のための図形楽譜を作ることもできた 空間のイメージ図式を一曲限りの楽譜として それを音楽作品とみなすのは浪費のような気がする 図形を音にする作業を演奏家にまかせると 時間内の音のまとまりとして演奏を構成していくうちに いつのまにか劇的な対照や効果が忍びこんで来たらどうなるだろう

庭は囲われた空間で そのなかにあるものは はじめからそこに置かれて 訪れる人を待っている 回遊式池泉庭園は 歩きながら変る眺めを考えて設計されているにちがいない

そういうしかけなしに 歩くにつれて風景が変わり 細い道は思いがけなく曲って 先を見通せない 一歩一歩足場をたしかめながら進むよりない そんな音の風景 足を停めるたびに発見があるかもしれないが 通り過ぎると 何を見たのか 記憶がたちまち薄れて 近くに見えてくるものに置き換わり あるいは何も現れない闇に迷う 発見と迷いを織り交ぜながら 半透明な迷宮空間を探り抜け その記録を楽譜に作って もう一度おなじところを辿る いままで見えてなかった景色に出会うことがあるだろうか 

あざやかな印象が一瞬で褪せると聞くと 香のように 獣のまわりに 見えない微粒子となって漂いながら 獣のうごきにつれて渦巻きながら流れていくありさまが思い浮かぶ 音の群れと群れのあいだに 彩りというより 翳りが 響きを包み 響きにまつわり その余韻に あるときは予感になる ざわめきのなかに離れた音をひとつ打つ 短い旋律線の途切れ 長い線の意外な逸れ 一つの線に別な線が延びて絡まる 音は別な音や線の干渉で曲り たわみ そりかえる 物語をつくらない 音の戯れ うごめき

自由な音のあそびを 楽器の上で即興する たとえばピアノで 両手が別なうごき 遠ざかり 近づき 組み合い 交代し いっしょに 別々に 休み うごきまわる音の地図を 弾いている身体の表面 その前後左右上下に映して 鍵盤上の指の感触と同時に 皮膚の上の勘所と 筋肉と神経を伝う響きの流れとして感じる 世界のイメージが音となって身体に入ってくると そのとき音には身体の運動感覚が埋め込まれ それを手がかりに 弾いている身体が その場の響きや そこにいる人びと通じて 世界とつながっていく それが音楽を演奏している人にとって 音楽をすることの意味として個人的に感じられるとすれば その場に立ち会う人びとにとっては 音の動きのなかに 意味やことばとならない世界が現れてくる

即興は経験から生まれてくる能力でもあるし それまで経験したことのなかった偶然にこたえるやりかたでもあるだろう 対抗して積極的に何かしなくても 避けたり まわりこんだり ためらう両手が それぞれちがうことをするにつれて 二つの手のかかわりはいつも変る 対位法や和声のように使い古された技術を持ち出さずに このあそびをどこまでつづけられるだろう

即興はその場で生まれ そこで消滅する 弾き続けていると 波が途切れずに高まり ある軌道に落ち込みそうになる 気づいたらすぐリズムを外し 波をやり過ごし 躓いたリズムが静まったころ 別な空間から入り込む 一回の即興は 失敗とやり直しの乱れ 隣り合う音のわずかなちがいと 遠くからでもわかる切り立った断面とを往復する切り替えの見極めでなりたっているとも言える

作曲は抽象的な構想からはじまるように思われているが 実際の作業は 演奏の場や楽器 コンサート・プログラムの順番などの具体的な条件があり 昔は机の上に紙と鉛筆や消しゴムをそろえ いまはコンピュータの楽譜ソフトでページを設定して まずは書き出してしまう 紙の上で即興するとも言えるほど なめらかに一貫した作業のこともある そういう場合は 何日か経って見直すと それ以上続けられなくなっていることに気づいて はじめからやり直しになったりする 断片をいくつも作ってから それらをコラージュしてもいい その場で即興するのとちがって 楽譜を書くのに慣れていても その音を出すのよりはずっと時間がかかる 作曲は 音楽を遅らせる装置と言ってもいいだろう 顕微鏡で花粉を観察するように 音の細部を見て 強弱や連結や揺れを定着する そんなことが20世紀音楽には多かった 実際には 細かく指定された楽譜は 指定通りに行かないばかりか 想像したようにおもしろくならない

いまやっているのは 使う記号をすくなくして 隣り合う音とのかかわりをあいまいにする あれこれの実験だ さまざまに長い音と短い音と休止があり 空間のなかには決った方向も中心もない かってに動き回り かかわり合い 逸れていく音の運動がある この音楽をどう書いたらいいのか 書きかたにもこれという方式はない いつもすこしずつ記号も使いかたも変えて試す 図形楽譜のように 作曲家が新しい記譜法を発明しても ほとんど定着しなかった 音楽が職業になると 基礎技術を共有していないと いっしょにしごとができない 新しい記譜法の説明ページが楽譜の最初にあると 現代音楽の専門家でもなければ 説明は読んでいないことが多い バッハの原典版の注釈を読んでから演奏する人はすくないのと似ている この状況で 使い古された記号の使いかたをすこし変え それが説明なしに通じるのには どうすればいいだろう

即興があり 作曲があり 演奏はその後で変る クラシックの楽譜も 指の感触と身体に投影された方向や運動イメージで 古典的な和声構造 ロマン主義的な感情のうねりのパターンから自由になって 響きの微細な揺れや 不規則なアクセントで 別な音楽の顔を見せることがあるかもしれない