音がそこにある

高橋悠治

1月には「風ぐるま」でテレビの録画をし その後ナレーションの録音もした 作曲した曲と それにつながる過去の音楽を集めたプログラム シューベルトの歌曲とシューベルトの詩に作曲してみた曲 アイヴァー・ガーニーが作曲した曲とガーニーの詩に作曲した曲のように 時代も場所も離れているが 抑圧的な政治や戦争のなかで 細い糸で外につながるような 微かな風を感じられるような 弱く遠い響き合い マラン・マレの『膀胱結石手術図』のような バロックの曲を バリトンサックスやピアノのように 当時は存在しなかった楽器で演奏するとき 楽器もちがう響きを立てる

2月はピアノ・リサイタル「めぐる季節と散らし書き 子どもの音楽」 そのために作曲した『散らし書き』は和歌を書き写した色紙の筆跡を音の線でなぞる もとの色紙は 仮名の連綿体と分かち書きを ことばの切れ目と一致させない書きかたで ことばの途中で改行している 字は撓って入り 手が浮いて消えるか 筆を軽く当てて 次の字に降りる それをなぞる音は 墨の濃淡や線の幅は筆の速度によるとみなして 濃く太い線は長い音 細い線は早い音の動き 曲線は音程の揺れ 音の始まりは 前の響きを拾い 終わりは音程を外す その線を右手と左手に振り分け ちがう音域に移し もうひとつの線をあしらうか 絡めるか 背景に鹿の声の線を入れる 二つの線がかさならないように 楽譜の見かけと演奏でずらす と言っても 安定した位置に停まっているのではなく いつも動いている感じがするように

音の線は横で 響きは縦のイメージだが あらゆる方向に散る音を 見えない糸でつなぎとめて網をつくり その網が形を変えながら動くと感じるなら 斜め方向がすべての場合を含み 横や縦を特別なものとはしない それぞれの音がかってに動きながら 瞬間の星座を作っては崩す おなじ音の並びにもちがう結びつきをかさねて 多次元図形が現れるようにも感じる 近くの音たちと見えない糸でつなぎとめられて その位置にある音を 網のかたちを変えても 網を破らないで どこまで動かせるか

書かれた筆跡をなぞり 音として納得がいくまで細かく直す 作業には時間がかかる それでも筆跡の曲りからは もとのことばは浮かんでこない 続け字を書くような音の曲りを作る手の舞からはじめて 斜めにずれていく網が見えるような音の並びを残して消えていく