音の庭と回廊

高橋悠治

どのように作曲するのか石田秀実にたずねたことがあった 音についていく と言われて その時はわからなかった 構成や構造 全体と部分 分析 そんなこと(ば)にとらわれていた ピエロのように 音を組み合わせる 音を操る それとも 巫女のように 音に操られる 音にとりつかれる そのどちらでもなく

聞く耳がある 楽器の上を歩く指がある 息が出てゆき 声が立ち上がる そのなりゆきを書きとめて その跡をたどっても 二度とおなじ音楽はもどってこない 音符は曲り目の目印 ひとつひとつに触れながら たどって行くとき 道はおなじでも 歩みはいつもちがう 思うようにはすすめない 音は不意に現れ その都度のはからいで響きになり 余韻を残し それらを足場として 響き合う音の空間が 奥行きを変え 影の乱れをまとって おぼめき よろめき続ける

知っているはずの音も もう一度訪ねると どこかよそよそしく あらぬ方を向いている 行く手にあるからと言って あと一歩というところまで近づくと それ以上は近づきにくい溝が 足元にあるような気がしてくる 一瞬ためらって踏み越えると すっと身を引いて通してくれる すぐそばにありながら 響きは急に遠ざかる 音は立ち止まったままで 時間がその前を通り過ぎていく 次の曲がり角はすぐそばかもしれないし まだしばらく先かもしれない どちらにしても 音ごとに道は曲がる 直線にみえても わずかな偏りでたわみ そり ねじれができて 先が見通せなくなる

音は無数の目になって見つめている 音は道でもあり 手触りでもあり そこを通っていく曲線の記憶でもある 手や息の感触が跡を残して 消えていくと 記憶のなかに耳の空間がひろがって しばらくふるえている

問いかけ うたがいながら 投げかける網の いまにも切れそうな細い糸 音はいつまでも続かない 現れ消え 絶えないうちに他の音が現れる 足が踏み外さない距離で踏み石が並び 回廊になる 石の並びのまわりには こだまの庭がある

音の回廊と庭の目は そのなかを歩く人をみまもる 身体の内側では 音をたどる手のうごきだけでなく 耳のはたらきや 呼吸や 背や腰や胸が 音をうけいれてふるえ 絡まって波打っている 聞く人は 見えない鳥の群れがはばたき 暗い影を落として飛び交うのを感じる

音の流れに引き込まれたり その流れに棹さして 思いのままに 操ろうとしても 音と手とその他の身体の部分や 書かれている音楽とそれまでの音楽とのかかわりも含む もつれる網が支え合っている危ういバランスを崩したり 音の影のざわめく会話をさまたげるかもしれない かえって時々中断しては 姿勢を立て直し 空間をあらためて感じるのがいいかもしれないが 意識が目覚め 軌道修正しては また流れにまかせてすすむ その中断も いつ起こるかわからない

こうして 「風ぐるま」のために『ふりむん経文集』を書いて演奏し ピアノのために『瓔珞』と『メッシーナの目箒』の楽譜を書く