コロナ後の社会は? そして音楽は?

高橋悠治

コロナ後の社会を予測する文章をいくつか読んだ パオロ・ジョルダーノ(How Contagion Works Nel contagio の英訳)とスラヴォイ・ジジェク( Pandemic!: COVID-19 Shakes the World)の本 ハン・ビョンチョル(韓炳鉄 Byung-Chul Han: COVID-19 has reduced us to a ‘society of survival’)のインタビュー ヘザー・マーシュ (Heather Marsh) の The catalyst effect of COVID-19(https://georgiebc.wordpress.com/2020/04/25/the-catalyst-effect-of-covid-19/) 最初の二つには日本語訳があるが(ジョルダーノ「コロナの時代の僕ら」 ジジェク「パンデミック-世界をゆるがした新型コロナウイルス」) 近所の図書館では予約が多くて借りられなかった

ペストの流行がヨーロッパ中世を終わらせ 近代をひらいたとすれば コロナ・パンデミックはその近代を終わらせるきっかけの一つであるかもしれない 岡本裕一朗:新型コロナ感染症は「近代の終わり」を促すか(https://synodos.jp/society/23663

近代は終わるのか 1968年パリの5月 1990年ソ連崩壊後の新冷戦 イスラエル・アメリカ・サウジアラビアに対して中国・ロシア・イラン・ベネズエラ さまざまな試みと失敗のなかで転換をかさねてきた時代 パンデミックのなかで見えるのは 方針を立てられない政治と大きく複雑になって管理できない社会 古びて現実に対応していないが だれも変えられない制度や規制 失業と経済崩壊を利用してファシズムに向かうエリート支配

民主主義は 選ばれた人間が ヒトラーのように トランプのように あるいはどこかの総理大臣のように irresponsible (呼びかけても応えない)になるのを あるいは大きな声の人間がその場を支配するのを どうやって防げるだろう  

その兆候を見ながら 日々の暮らしのなかでささやかに続けられる手仕事と観察

質のちがう断片を集めて組み合わせるとき エイゼンシュタインのモンタージュは対立のダイナミックにアクセントを置いて 全体の統合を鍛えようとした その試みは反対方向のスターリンのパターナリズムに包まれていく危険があったのではないだろうか

映画もそうだったように オーケストラや合唱 さらにそれらを含むオペラのような芸能が コロナ後に もとの力をとりもどすことができるだろうか

コラージュやアッサンブラージュは 異質の組み合わせの上に やはり作品という一つの全体を置く

それとは逆に 集めた異質な断片が 一つの全体を作れず(作らず) それぞれ別な方向に分散しようとする その崩壊の瞬間をとらえる霧箱や泡箱は 音の響きと遊びながら できるだろうか