沈丁花 喪われた風景 滝の人魚

高橋悠治

吉祥寺美術館で北村周一個展『フラッグ《フェンスぎりぎり》一歩手前」のために『移りゆく日々の敷居』を作曲し演奏する  旗のはためきは 単純な形が風になびいて変る フェンスは斜めの関係の網 

いくつかの線が交叉する直前の空間が旗に見える 空間のなかに旗があるのではなく ひるがえる空間を旗とよぶ

交差する点を沈丁花と見れば 班点がひらいて 細い茎を隠す 見えない網がひろがり 花々や小石は宙に浮かぶ 隙間の多い空間には中心がない 刹那に変る時間は流れない

絵のタイトルを読み その絵の映像を見ながら 音の短いうごきを手さぐりし  短歌のことばを とぎれとぎれに詠む 

できたばかりの浦安音楽ホールで 武満徹が1960年に書いた弦楽四重奏曲『ランスケープ』を聞く 静かな呼吸の風景 響きと余韻と間 それ以前の『室内協奏曲』の静かに残酷な響き 無名で貧しい時代の 喪われた音楽

イルマ・オスノの新しいCD『Taki Ayacucho』(TDA-001)を聞く アヤクーチョの歌 祭の響きが野をわたってくる 秩父の山かげに水子の群れが立っている ペルーから遠く 旅をして 別な世界でも 滝の人魚の遊ぶ声 雨や花 川の向こう 谷を越えて 帰ってこない悲しみが 声のなかに住んでいて また新しい歌を誘う