風の糸

高橋悠治

コンサート・タイトルに選んだ「余韻と手移り」ということば 響きは停まらない 現れてから消えるまでにも変化している この響きとあの響きと言っても そこにはもう何もない うつろう記憶にすぎない 手移りは 笙を両手で包むようにして持ち 息を通わせながら 指穴をふさいでいる指をすこしずつちがう指穴に移していく 捧げ持った瓢の表面をまさぐる手が 響きを変えていく

入口がどこかにあり 内は迷路になっている 壁にさわりながら 風が感じられる方にすすむと やがて出口が見えてくる

連歌は それぞれの部分が独立しているが その前の部分とどこかでつながり しかも環境は変わっている 旅は 巻き戻せず ただほどけていくだけの絵巻のように 移り変る風景を辿って 遠くへ去っていく

写真でしか見たことのない植物の草むらに近づき 根から見上げて葉のかたち 花びら まだついていない実の内側までのイメージを音に移し その断片を組み替えて亀裂を入れる

編曲という作業 その楽器ではできないような離れ業をやってみせる芸はいくらもあった その逆の試み 反名人芸は 一つの楽器のための音楽を 別な楽器で演奏してみるとき よく知っているやりかたではなく どちらの楽器にもない いくらかのためらいをもって試してみる響きの たどたどしく 確実な足どりというより おぼつかなく いくらか宙に浮き そこに置いた音を仮の姿に見せ その後ろ側に そよ風が音もなく起こり まだここにない音楽を予告するかのように 翳が射すことがあるかもしれない

石田秀実が言っていた「ここではない・いまでもない響きの縁」
エルンスト・ブロッホの「生きている瞬間の闇」から垣間見る「まだないものの意識」
手にした楽器が聞き慣れない響きをたてるとき それが徴