製本かい摘みましては(139)

四釜裕子

6月6日。この日を命日とする2人の詩人、北園克衛(1902.10.29-1978.6.6)とケネス・レクスロス(1905.12.22-1982.6.6)にちなんだ朗読会が東京・銀座で6月9日に開かれた。ケネス・レクスロスはビートの父と称されるアメリカの詩人で、北園と親交があった。邦楽家・西松布咏さんが伝統=前衛をテーマに開催してきた「ニュアンスの会」の6回目で、東京TDCの希望塾の一環としての会でもある。『北園克衛の詩学 意味のタペストリーを細断(シュレッド)する』(思潮社 2010)の大著もある日本文学研究家で詩人のジョン・ソルトさんが全体を構成して、同志社大学教授の田口哲也さんと、青木映子さんが司会を務めた。3人の訳編による『レクスロス詩集』(思潮社 海外詩文庫17)が、昨年9月に刊行されている。

会の1部「ケネス・レクスロス」では、レクスロスと交流のあった片桐ユズルさんと思潮社総編集長の高木真史さん、2部の「北園克衛」では、指月社社主の大家利夫さんと世田谷美術館主任学芸員の野田尚稔さんがゲストでいらした。スライドが流れる中、4人のゲストを含めた20人が客席から次々出て、レクスロスと北園の作品を日本語と英語で朗読していく。

私もいくつか読むように言われて数日前から練習していた。なかで、北園の「単調な空間」に難儀していた。「白い四角/のなか/の白い四角/のなか/の黒い四角/のなか/の黒い四角」で始まるアレ。もうこの際、朗読原稿として、「白い四角のなかの白い四角のなかの黒い四角のなかの黒い四角」と改行なしのテキストを用意してしまおうと思った矢先、ふと、これまで読んでいたのは縦書きだったけれども、『北園克衛の詩学 意味のタペストリーを細断する』に載っていた「VOU」掲載の横書き「単調な空間」のページを開いて読んでみたら、すんなり読めた。なぜだろう。試しにみなさん、横書きと縦書きの「単調な空間」を声に出して読んでみてください。

間違えずに読めれば成功というのが私のレベル。横に文字を追うことで三拍子の流れがつかめてなんとか読み終えることができて、英語版を朗読するジェフリー・ジョンソンさんにマイクを手渡した。棒読みの日本語版を受けて単調に始まったかと思いきや、最後に高々と「スクウェア!」。ジョンソンさんの口から六波羅蜜寺の空也上人像よろしくちっちゃい四角が続々飛び出し、一気に膨張して会場に広がってゆくのが見えて鳥肌が立った。四角が、空間を単調に抜き去ったのがわかった。二次会も含めて終わってみれば、ゲリラ性もあったからなおのこと、2人の詩人への粋な愛をランボウに振る舞う『レクスロス詩集』の3人の編訳者が、この詩集を台本として仕込んだ長い祝宴のような一日だった。本の出版とはひとつの台本を世間に公開するようなものでもあると思った。楽しかった。

7月7日。この日が誕生日の谷口俊彦さんから、自著『オルフェのうた』をいただく。以前仕事でお世話になった。40年の勤め人の生活に別れを告げるにあたって、感謝の気持ちを伝える長い手紙のつもりでまとめたとあとがきにある。当時から俳句をなさっていて、和綴じかなにかでほんの数部、退職を期に俳句をまとめてみようかなとおっしゃるのを聞いたことがある。とてもおさまりきらなかったのだろう。148ページ、空色の、軽やかな丸背の本になって現れた。自作の句や歌がタイトルになったり自解を添えたりと自在で、端的な語り口とあいまっている。ご家族への思いが特にいい。抑えた余韻に、読み手の家族まで迎え入れてくれる。

世間に7月7日を詠んだ句は多い。谷口さんがお気に入りの一句の作者に句意をたずねる一幕がある。自身が思い描いたロマンチックとほど遠い慌ただしさに苦笑しつつ、〈解釈のすべては読み手に委ねられる〉。作り手、読み手。一つの句をはさんで、互いお見通しのうえでの対話がいい。『オルフェのうた』を受け取った日、こちらはにわかサッカー観戦中だった。谷口さんの〈鬱を蹴り憂ひころがし日脚伸ぶ〉に目がとまる。晴れやかで愉快で、作り手の新しい始まりが重ね見えたように思ったけれど、続く自解には朝の通勤電車の憂鬱があった。あの日あの状況でこの句に覚えたよろこびは私だけのものなの、トンチンカンでも、恥じることはないだろう。

8月8日。姉が1つ歳をとってこの日から3つ違いになった。学年という感覚があった頃に2つ上だった名残りで、今も聞かれれば2つ上の姉がいると言う。2つでも3つでもどうでもいいと思っているわりに、3つ違いのきょうだいとはビミョー違う感じはする。7か月たてば2つ違いになり、5か月たつと3つ違いになり、それで2人の1年は過ぎる。