製本かい摘みましては(152)

四釜裕子

月に一度、原稿を受け取りながら会っていたひとに30代の終わりに失明していた方がいる。本でも雑誌でも映画でも耳で読んで観ていて、その量たるや、すごかった。人工透析のあいだは、お気に入りのアナウンサーが朗読するものをおもに聞いていたようだ。ほとんどは一度しか聞かないというのに、読んだものについていつもおもしろくこまごまと的確に話してくれた。「目で読むほうが、そりゃあ速いですよ」と言うのだけれど、スピードというのはこの場合もつくづくどうでもいいことだと思った。映画『シン・ゴジラ』を観た直後に会ったときには、往年のゴジラマニアとはいえストーリーのみならずビジュアルにいたるまで、こちらがまったく気づかなかったことまで教えてもらった。確かゴジラ好きのひとによる音声ガイドを聞きながら都内のユニバーサルシアターで観たと言っていた。あのひとの記憶力と読解力はやっぱりイジョウだったかもしれない。音声ガイドのひともかなりイジョウな能力の持ち主と思う。イジョウの2乗は最強。

そのひとが急逝してまもなく1年になる。透析のあいだ好んで聞いていたという朗読をネットで探すうちに、Audibleのサイトに行き着いた。オーディオブック系のサイトをのぞくのは久しぶり。ずいぶんいろいろなジャンルが出ている。落語もある。ニュースやヨガ、ラジオの番組もある。そうか、みんな「オーディオブック」でもあるわけか。「NHKラジオ深夜便」のコンテンツもある。花山勝友さん、鎌田實さん、安保徹さんなど、1時間弱の人気のインタビューだ。Audibleの「ヒストリー」を見ると、セントラルパークをカセットテーププレーヤー片手に長年ジョギングしていたドナルド・カッツさんが、ネット上でのデジタルファイル変換にたどりついて1995年にAudibleを設立。1997年に世界初のポータブルデジタルオーディオプレーヤーを発売して(スミソニアン博物館に保存)、2008年にアマゾン組となる。2015年に世界で6番目の国として日本でもサービス開始、2018年からダウンロード形式になったようだ。日本ではほかのオーディオブックもだいたい同じころに始まったのだったか。

サンプルもたくさん用意してある。聞いてみた。『人生がときめく片づけの魔法』はささやきボイス。『留学しないで英語の頭をつくる方法』は人工音声みたいな肉声。『ハリー・ポッターと賢者の石』は演劇調。『理由』は「……であった(ha~)」みたいに語尾が無声で伸びるタイプ。『コンビニ人間』がいい。朗読は大久保佳代子さん。聞きながら最寄りのコンビニが頭に浮かぶ。バイトはほとんどアジア系の留学生でみんな優秀。先月レジでわたしの前にいた観光客が無茶なお願いをしていたので「大丈夫だった?」と声をかけたら、笑顔で「シカタナイデスネ」。うれしくなった。都心でよく行くコンビニはむかしの女教師みたいな店長の声かけ指導が徹底していて、バイトの留学生が「いらさいませ」「ありがとざいます」となってしまうのに心をいためているのだけれど、ここはそういうことがないのもいい。

『コンビニ人間』の朗読はサンプルなので5分だけ、主人公が子どものころに、死んだ青い鳥を食べようと言ったあたりまでだった。ナレーターのコメント欄にあった「8回くらいクスッとくる」には遭遇しなかった。詩もある。雰囲気たっぷりだったり音楽をつけたりして過剰なものが多い。『Becoming』は、著者のMichelle Obamaさんが読んでいる。とにかく読み手がいろいろだ。

作家と作品と朗読者による舞台、そこに聞き手として加わるのは楽しい。ところがその舞台があまりにも完璧で、作品と声がもはや分かちがたくなることもある。わたしにとってそれはたとえば、石澤典夫さんの声と夏目漱石「夢十夜」(なかで特に〈日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。ーー赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、ーーあなた、待っていられますか〉)と、高橋悠治さんの声と北園克衛「熱いモノクル」(なかで特に〈まづいピアノを弾く〉)。分かちがたいというよりは、乗っ取られたという感じすらする。作家1、作品1、朗読者1という舞台を聞き手は頭でいつでも勝手に独占する。

あのひとの頭のなかは、本も雑誌も映画もなにもかもがこんな舞台でいっぱいだったのかと改めて思った。体の端々まできゅんきゅんに詰まっていたのだろうと思った。