製本かい摘みましては(158)

四釜裕子

セブン – イレブンのコピー機で、100ページの「ピーター・ドイグ展の記録」をプリントできるという。ネットに公開された10本のレビューを中心に、鷹野隆大さんの撮り下ろしもあるとのこと。でも所詮コピー機だよね……と思ったのだけれど、〈印刷の実費のみで入手することができ、おうちにある道具を使って簡単に冊子として綴じることができます。ぜひ、お手に取ってみてください〉〈製本にはホチキスと消しゴムが必要です。ハードモードとして糸で中綴じをする方法もご紹介しています。キリと刺繍糸+針をご用意ください〉と言われたら、試さざるを得ないわけで。

2月26日に開幕した東京国立近代美術館の「ピーター・ドイグ展」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のためにまもなく休館となってしまった。再開したのは当初予定の最終日の2日前(6月12日)で、しかしその間に展示期間の延長が決まり(10月11日まで)、それで私も見に行くことができたのだった。このとき会場には図録の見本がなく、「見たいのですが」と申し出ても叶わなかった。残念だけどいたしかたなく、見もしないで買う気にはなれず、そのままになっていた。

「ピーター・ドイグ展の記録」は図録ではない。突然休館せざるを得なくなり、同館の主任研究員・枡田倫広さんは〈再開することなく展覧会が終わることも覚悟しないといけないなと思った〉(枡田さんの編集後記より。以下同)そうである。〈せめて言葉だけででもこの展覧会の記録を残したい〉と、まずはウェブで「現代の眼 特別版――ピーター・ドイグ展レビュー特集」を公開。しかしその可読性と記録性の低さが気になり、〈さりとて小冊子を印刷・製本頒布する予算はありません〉。〈いかにして高めようかと頭を抱えていたところ、研究補佐員の山田歩さんが(略)ネットプリントというシステムがあると教えてくれました〉。

冊子はA4判(一部A5判)100ページ。デザインは、neucitoraの刈谷悠三さんと角田奈央さん。表紙のみカラーであとはモノクロ。コンビニのプリンターで指定された番号を入力してデータを呼び出し、A3サイズとA4サイズを合わせて25枚、両面コピーする。代金は全部で1,080円。すべて2つ折りにして重ね、中綴じとする。留めるのは、ホチキスでも、穴を開けて糸でかがってもいい。同館のウェブサイトにあるプリントや綴じの説明も分かりやすく図解されている。コピー機でお札は使えないことまで示してある。まあ実際はそこまで読み込まなかった私は途中でレジで両替してもらったし、両面印刷の選択ボタンを確認しなかったので片面印刷になってしまったり、いろいろあったわけだけれども。

家に持ち帰りコピー機の墨ベタはすべるなあと思いながら2つに折って、折り山に3つずつ穴を開ける。麻糸を針に通し、「ハードモード」と称されていた方法で仕上げるのはあっという間だ。ページをめくって4ページ、1月からの美術と社会の出来事を記したタイムラインが始まる。WHOが新型コロナウイルスの名称をCOVID-19と発表した2月11日ころから、ドイグ展の展示作品が徐々に到着したようだ。修復士の田口かおりさんが寄せたレビューによると、田口さんはニューヨークで、展示するドイグ作品の点検と梱包に立ち会っており、それら作品とともに貨物便でこのころ日本に飛んだそうである。お立場ならではの作品を「裏」から見ての論考がおもしろい。
タイムラインに戻ると、2月17日にはドイグさんが来日、翌日から展示作業開始。そして2月26日、一般公開初日のこの日、総理が2週間のイベント自粛要請。なんというタイミング。27日、29日から3月15日までの休館を公表。「2月29日 ドイグ展休館」。冊子は次のページからサイズが倍になり、写真が始まる。まずは会場の天井、そして無人の場内が続く。

31ページ、元のサイズに戻って、タイムラインの続きが始まる。3月1日、無観客でドイグさんの講演収録。翌日ドイグさんは帰国。以降、展示再開の検討、断念、検討、断念。会期延長に向けた交渉、さまざまな配信、自宅待機……。特別レビューの依頼、到着、公開。ネットへの公開順に、10人のレビューも並ぶ。そして「6月12日 ドイグ展再開」。
71ページから再び大きな判型に。今や日常となった感染予防対策シーンの写真が並ぶ。タイムラインにあった7月30日の撮影がこれだとすれば、私が出かけた時期にも近い。写っている人のほとんどが白の不織布マスクで、今にしてみると異様だ。当時会場では絵そのものや作家のことよりも、トリニダード・トバコなど描かれた遠い場所のこと、スキーだのボートだののこと、作家がやっていた映画の自主上映会のことなどに思いが飛んでは立ちすくんでしまい、移動への渇望は結構大きく、でも悪くないなと感じたことも思い出した。そういう意味で実は多くのレビューにはピンとこず、椹木野衣さんが「画家ピーター・ドイグをめぐるエセー(企て)」の中で〈心踊る随想的な絵画〉と書いていたところに断片的に深くうなずいてしまう。

タイムラインの8月31日、ここに編集後記が続く。〈何年かあと、書棚の隅でほこりをかぶったこのネットプリント版を見つけたあなたは、ピーター・ドイグ展、あるいはこのレビュー集の記憶とともに、狂騒と虚無感が同時に訪れたかのような、2020年の奇妙な月日のことも合わせて思い出すことでしょう〉。それは、間違いない。ただ若干の問題は、表紙が本文より小さいので、このままでは棚に差したり抜いたりするたびにめくれるであろうことだ。なのでクリアファイルにはさんでおくことにした。中綴じだが背に大きく「Peter Doig」の文字があるので、書棚に並んでもそれなりに分かる。
タイムラインの最後は「9月10日 『ピーター・ドイグ展の記録』配布開始」。奥付に「印刷・製本 あなたと、富士ゼロックスカラー複合機」の文字。

山中剛史さんが『谷崎潤一郎と書物』(秀明大学出版会 2020)の中で、書物を文学の「生態系」と捉えると、書物は実態的な生き証人だと書いていた。〈書物とは、作者のみならず出版社、編集者そして装幀家、また印刷・製本所そして取次から小売書店といった流通サイクルや、また書物が商品として各々の時代にいかように宣伝、売買され読者に受容され版を重ねて浸透していったのか等々の問題について、それぞれの時代における文学のありようと、その中で作者や作品の位置はいかにあったかを示唆してくれる実態的な生き証人でもある〉(7ページ)。
せめて言葉でだけでも残したいという思いから始まった「ピーター・ドイグ展の記録」という冊子も、最後はたくさんの「あなた」に綴じられ、それぞれの「あなた」の棚におさめられて、ひとつの美術展の実態的な生き証人になったのかなと思った。こうしてひとまとまりのかたちを得るのに、この方法がぴったりだったのだと思えた。