製本かい摘みましては(161)

四釜裕子

スピカさんに花マルをもらった。いつも担当してくれる歯科衛生士さんで、本名かどうか知らないけど似合う名前だなあと思っている。この人のおかげで年に一度の検診も億劫ではなくなったし、フロスも使えるようになった。定期検診はいつも3月中旬、去年はコロナでその後のクリーニングは行かずじまいになった。今年もその時期だけど手書きの案内はがきがこないのはなぜだろう。
検査が終わると、スピカさんは2色ペンをカチカチいわせて使い分けて、結果と注意などを話しながら歯周検査表の余白にいろんなことを書き込んでくれる。二重線とか星マークとか、「歯がとけてくる」とか「毎日!」とか「2cm」とか。それで去年はついに花マルをもらった。オイオイという感じはしたけど、うれしかったというか、スピカさんはすてきだ。

山本貴光さんは『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社 2020)の中で、本以外の余白への書き込みについても書いている。楽譜があったけど、さすがに歯周検査表はなかったな。歯周検査表なんて公的な書類じゃないし持ち帰って見直したところでそれほどどうってことないのに、こうしてすきまに自在に書き込まれた文言とか花マルがあるから今も捨てられずにいる。お守りとかおまじないみたいなものか。マルジナリアのオマジナイ。

『マルジナリアでつかまえて』で取り上げられている多くは、自著であれ他の誰かの本であれ自分があとで読むことになる書き込みだ。それとは別に作家と編集者が交わす校正ゲラの例もあって、山本さんはこれを〈他人によるマルジナリアとの対話〉と書いていた。読んで、吉村昭さんのエッセーの、あれはどうだったかなと思った。お若いころに刑務所内の印刷所とのやりとりで原稿以外の文字をみつけたという話、あれは「余白」にあったのだったかどうか――。

「刑務所通い」という一編だった。吉村さんは大学の文学部で「赤絵」という雑誌を編集していて、資金集めのために落語会を開いたりもしたが、印刷費削減のために刑務所の中の印刷所にお願いしたという。60ページで12000円、市価の6割だったと思う、と書いてある。初校ゲラまで1か月、再校ゲラまで1か月、刷り上がりまでさらに1か月もかかったが安さにはかえられず、2年ほど小菅に通ったそうである。原稿はところどころ〈巧みに直され、誤字は一字残らず訂正されているのが常であった〉。そのうち〈奇妙な親密感めいたものが生まれてきて〉、〈かれらは朱を入れた私たちの文字に外界の空気を吸い込んでいるように感じているようだった〉。

それがある日、原稿にない文字が入ってきたという。〈或る時、ゲラに朱を入れていた私は、その最後の部分に妙な一節が加えられているのに目を据えた。/そこには、「雨、雨に濡れて歩きたい」という活字が、ひっそりと並んでいた。それは、あきらかに囚人がつけ加えたもので、その活字を消すことは、私にとって苦痛だったが、やはり、私には自分の作品が大事だ。/私は、複雑な気分で、赤い線を一本遠慮しながら引いた。〉

「雨、雨に濡れて歩きたい」と活字を拾ったその人に、新國誠一さんの「雨」を差し入れしてみたかったと思った。

ところでこれは「書き込み」と呼べるのかどうか。最初に「刑務所通い」を読んだ記憶では欄外の余白に付け足されていたように思っていたが、今回改めて読んでみたら、吉村さんの原稿の最後に改行して入れられたように思える。欄外じゃないし、なにより手書きじゃないので、マルジナリアの仲間ではないのかな。
でも「余白」に記されるマルジナリアは「メイン」を持つことが条件で、それは満たしていると言えるだろう。それに、欄外である必要はなさそうだ。「雨、雨に濡れて歩きたい」その人は、わかるひとだけにわかるしかたで精神の脱獄を図る方法があることに気がついて、〈他人によるマルジナリアとの対話〉にかけたみたいだ。拾った活字が印刷されることはなかったけれど、ささやかな対話はここにまた再開された。姿を消したマルジナリア。書いた人も受け取った人もみな消えて。

実際自分はどうかというと、ふだん本を読むのに書き込むことはほとんどない。試しに『マルジナリアでつかまえて』を鉛筆片手にマルジナリアン気取りで読んでみたけど無理だった。でもそれで思い出した。古い広辞苑をバラして紙を加えて製本しなおして遊んでいたことがある。ま行をとじた「ま行本」が棚の奥にまだあった。「マヴォ」「マカヴェイエフ」「まはりくまはりたやんばらやんやんやん」「まじ?」……、あるある、マルジナリア。ない項目を書き足すみたいなことをやっていたのだったか。他の人の筆跡もあるのはなぜだ……。「きょうはま行の日」とかいって「ま行本」を持ち出して「ま」で始まることばを探して書き込むみたいなこともやっていた気がする。せっかくだから、「マージン」のところに吹き出しで「マルジナリア」をマルジナリアして本を閉じよう。