8月のエピソード 御喜美江
この4週間でちょうど5kg減量した。
私は特に大食いではないし、甘いものは食べないのでどうして太るのかというと、日が暮れると同時に「今日はワインにしようかな、それともビールにしようかな」となるからで、これさえやめれば減量する体質なのだ。毎晩ミネラルウォーターとかハーブティーなど飲んでいれば、どんなに沢山食べても体重はきっと増えないだろう。そんな簡単なこととわかっていても日常生活でそれを行うことが難しい。ワインにしてもビールにしても、こんなおいしい飲み物を発明してしまった人はほんとうに罪深いな〜、と恨みたくなってくる。お料理も気が付いてみると、いつも飲み物に合わせた献立で、あの赤ワインにあうからこの肉料理にしよう、ヴァイツェンビールにあうソーセージを買おう、美味しい白ワインを頂いたから市場に魚を買いに行こう……といったふうで飲み物を軸にするといろいろアイデアが湧いてしまう。
ダイエットもあれこれ試してはみたが、どんな意欲も宣言も完璧な三日坊主で終わり、つくづく自分の弱さが情けなくなる。とくに 好きな洋服、ちょっと高い洋服は必ず2、3kg減ったときに買うので、数えるほどしか着ないで、それからは永遠と箪笥に収められてしまう。それでもオランダの田舎で暮らしていれば回りには巨大な人間ばっかり、『太ってる』といわれる人の体型はその次元が違うけれど、日本に帰るとスマートな女性ばっかり、例えばブティックに買物に行っても素晴らしいチョイスがあるのに見るだけで終わってしまうから誠に残念……。 そこでこの夏は絶対に減量しようと決めた。 そして減量に見事成功した。そのいきさつは?というと:
7月25日に手術をした。これが第一ステップ。
お腹を15cm切って内臓を約400g取り出した。ここですでに400g減量。25日は食べ物、飲み物ゼロ、26日はお茶、27日はお茶とラスク。28日から少しずつ食べ物が出てきたけど、ほんのひとくちふたくち食べるともう満腹。この辺ですでに2kgくらいは減量したと思う。
第二ステップは運動。
「歩け、歩け」と言われるのであっちこっちうろうろ歩く。階段を5階までのぼったり降りたり、そのうち外に出て公園内を行ったり来たり、無心に東西南北 壁にぶつかるまで歩いては戻ってくる。何となく動物園の檻の中にいる動物みたい。でも動くわりに食欲はほとんど出ない。
もちろんアルコール類は病院内で飲めないし、不思議なことに ちっとも飲みたいと思わないから「自分は今、病気だな〜」と痛感しつつ、毎日ハーブティーとミネラルウォーターを飲む日々が2週間続いた。
これが第三ステップ。はじめに書いたが、この“ノンアルコール”の効き目が一番大きかったと思う。
2週間たって退院し自宅でさっそく体重を量ったら4、5kg減量しているではないか! 試しに洋服ダンスの中から、はまらなかったズボンを出して きて試着……しかしこれは残念ながら失敗。痛みがあるし、腹部はまだ何となく膨張しているから。でもジャケット、ブラウスを着ると実にすっきりとおさまるのでうれしいな〜。鏡に映る自分の顔もずいぶん細くなっている、というか目だけがやたらとでっかく映る。普段スーパーで買う5kg入りのじゃがいも袋は、とっても重くて車のあるときにしか買えないから4、5kgも体重が減ったら外観が変化するのは当然だろう。ダンナは「これ以上は減量しないでください。」というけどここまでくると結構簡単なのだ、減量が。その後は大したこともしなくてさらに減量。
回りから「ずいぶんやせたわね〜、でももうちょっとふっくらしたほ、がいいんじゃない?」なんて言われて自分でもそんな気がした。それで今度は少しもどることを考えはじめ、さらに二週間たったいまは、食欲あり、ワインもビールも再び飲み始めた。運動は減った。それで7月24日からみて5kg減量したというわけ。
それにしてもこんな時アコーディオンは最悪の楽器。医者に「貴女の腹筋はものすごく厚かったですよ。」と言われ、看護婦さんには「どんなスポーツをなさっているのですか?」なんて聞かれただけあって、とにかくお腹が中心となる楽器らしい。14、5kgが上半身にベルトで固定され重さがもろにお腹にあたるのみならず、蛇腹の開閉でそこは常に左右動かされるからその摩擦と振動も傷口にはよくない。
でも5、6週間前、「最終的には開けてみなければわからない、もし悪性のものが少しでも見つかったら全部摘出しますよ」と言われ恐ろしくて震えた ことを思えば傷口がどうのこうのなんて贅沢な心配かな。こんな時、友人、知人から病気についていろいろ聞かれたりお見舞いもらったりするのが私はすごく苦手なのでほとんど誰にも知らせなかったけど手術前には手書きで遺言状を書いておいた。そうしたら少し気持ちが静かになってここまで準備しておけばきっと大丈夫だろうな〜と安心し、もうどうあがいても無駄だから、まあ減量してスマートになって見違えるほど美しくなった自分の姿でも想像しようと決めた。幸い手術は成功し病気も良性で念願の減量もでき見違えるほど美しくはならなかったけど一つのハプニングとして終わったので一件落着!
これがわたしの8月でした。
(2001年8月29日 オランダ・ラントグラーフにて)
[おせっかいな編集部注]
減量して美しくなった御喜 さんに会えるコンサート情報
●緋国民楽派 第10回作品演奏会 御喜 美江 plays 緋国民楽派
2001年10月1日(月)午後7時開演
東京オペラシティ・リサイタルホール
【全自由席】前売3500円、当日 4000円 *消費税込
【チケット】チケットぴあ 03−5237−9 990、
東京オペラシティ・チケットセンター 03−53 53−9999
【マネジメント・お問合せ】コレクタ 03−3239− 5491【出演】
御喜美江(アコー ディオン)
寺嶋陸也(チェンバロ)、山田百子(ヴァイオリン)、三宅進 (チェロ)、溝入敬三(コントラバス)、岩佐和弘(フルート)、大澤昌生(ファ
ゴット)【演奏曲目】
吉 川和夫/「夏の記憶」〜アコーディオン・ソロのための(2001)新作初演
寺 嶋陸也/エクローグ第4番〜アコーディオンとチェンバロのための〜(2001) 新作初 演
萩京子 /新作初演(コントラバス・ソロ)
林光 /蜜蜂は 海峡を渡る(アコーディオン・ソロ)
林光 /室内協奏曲「それがわかっ たら」〜アコーディオンと四人の奏者のための(2001)新作初演
港大尋と仲間たち 三橋圭介
昨日(8月30日)、アサヒビール 音楽講座「音楽はカイゾクだ!」(AsahiスクエアA)に参加した。この講座(東京編)は昨年10月かははじまった「ライヴ+ワークショップシリーズ」の締めくくりとなる公演で、コーディネートを勤める港大尋(ピアノ・うた・ソプラノ・サックス・三線)をはじめとして、高田和子(三弦・うた)、斉藤徹(コントラバス、打楽器)、OKI(トンコリ・うた)、アマラ・カマラ(パーカッション・うた)という豪華な演奏者の競演で行われた。
それぞれ伝統楽器とうたを十分にきかせ、その後に高田の三弦、OKIのアイヌのトンコリ、アマラ・カマラのうたとアフリカン・パーカッションを、港が即席で覚えた沖縄の三線まで持ちだしてコーディネートしていく。
港の新曲「ちゃーちゃー」は作曲者の三線と高田の三弦、斉藤のコントラバス、そして聴衆の合唱も加わって、沖縄民謡をかれ独特のユーモアで読み 替えて笑いをさそう。港の三線と高田の三弦の調弦やリズム感、音色の微妙なずれがおもしろい効果をだしていた。アマラ・カマラをフューチャーしたうたは、三弦、ピアノ、コントラバスが加わって絶妙のコンビネーション。そして演奏者全員のセッションとなったカラフト・アイヌの伝統的なうた「トパットゥミ」は不思議な色彩とリズムの戯れを呼び覚ますBそれぞれの楽器がそれぞれの呼吸で打ちだす声は豊かで、おおくの要素をさまざまな方向へと揺り動かして、わたしたちをどこか遠くへと連れて行ってくれた。
後半は聴衆のムックリとの共演でアイヌのうた「スマ・カーペカ・イレテク」。港が用意した9つのパターンを参加者が教わり、各自が自分のパターンを演奏する。パターンは音楽的な配慮に欠けるいいかげんなものだったが、 ぼくの周りの人たちは自由に動き回りながら、しだいにそれぞれが自由にパターンを作りながら、音楽に乗って個々に音楽する行為を遊びながら楽しんでいた。
カイゾクのボス港は、船が港を巡るようにさまざまな旅と出会いを通して、それぞれの伝統の波を逆らうように巧みな強引さによって刺激的な音のカイゾクたちをまとめあげた。カイゾクたちは一筋縄ではいかない豪快な暴れ者だが、懐深くわたしたちを包み込んでくれた。この講座で港大尋の活動の中心となるバンド、ソシエテ・コントル・レタ(国家に抗する社会)のファースト・アルバムが発売された。とても刺激的なことばと音のパフォーマンスです。以下はわたしが書いたCD用のノート。
--------------------------------- 失語症の詩(うた)
そうしてぼくらはまた眠らなければいけない
くりかえしくりかえし、
曲がおわり、いくたびもの「し」をむかえる
曲がおわったのに、「し」な、ない
そうしてわたしたちは
くりかえしくりかえし眠りにつく港大尋「おそれやまさいぐだ」より
港大尋は音楽家であろうとしているのか、それとも詩人であろうとしているのか。ギンズバーグが詩集「吠える」をロックバンドを従えて歌うのともちがう。よくある音楽つきの詩の朗読ともちがう。楽器を打ち、ことばを発することによってのみ成立する詩(うた)があるとすれば、それが港大尋とソシエテ・コントル・レタの音の世界だろう。
ことばと音楽、ふたつは補足しあうというより、ことばを本来の意味から隔てていくために音楽がある。ことばによって名づけることは所有することであり、固有名詞、人称が物語を生む。それが限定されない多様なものだとしても意味の強度が貫く。ことばを隔てるとは、ことばを引き裂くこと。港はあえて失語症を装いながら数字を並べ、ユーモラスにことばを造語し、跳躍しながら繰り延べていく。距離をおいたことばの羅列、それは無重力に漂う。だがそこに音楽という楔を打ち込むことで別の光景を投げかける。
楔とは港のことばをを借りるなら句読点。強迫観念のようにかりかえされる失語症のことばに句読点としての音楽を打ち込む。その音楽はひとまずジャズをベースにした即興ということができるかもしれない。だがジャンルという名づけを拒むように、東京の雑多な文化の交差点からアシッド、パンク、ラップ、民俗音楽、クラシック(「現代音楽」をふくむ)などが無作為に入り込んでいる。なにを選ぶか、選ばれたかではない。大切なのはことばに亀裂や抵抗を導きだすために巧妙に仕掛けられたリズムだろう。
リズムは単純であっても、機械的であってもいけない。字足らずのことばを埋めるのは身体の脈動がぶつかりあって打ちだすアクセントの利いた字余りのリズム(変拍子)。音とことばの複雑なクロスリズムの格闘-リズムのレジスタンスから裂け目がうまれる。
身を乗りだして打つ港大尋のピアノとことばのアクロバットな綱渡り、青白い炎を燃やす高野浩雄のサックス 、澤和幸のギターは横道にそれながら切れ味鋭くことばの隙間に音を刺す。ベースの村上和正は冷静に全体をみつめて支えている。そして清水達生のドラムは港のピアノ、高野のサックス 、澤のギターに挑むように強烈なリズムを叩きだす。かれらの熱に浮かされた身体リズムがことばの句読点となり、ことばをゆさぶり、緊張をあたえ、その瞬間に位相が散らばり、時間がほつれ、語ることの「いま・ここ」を現前させる。
『ありったけのダイナシ』にはそうした港大尋とソシエテ・コントル・レタの失語症の詩(うた)がつまっている。「カゾエウタ」にはじまり「おそれやまいいぐだ」で頂点に達する。なかでも「構造のためいき」は象徴的に失語症の苦悩をあらわしている。幾度もくりかえされる「あれ、それ、これ、どれ」は、宙づりにされたどうしようもない不在と空虚に充満している。不可視の構造の引力にひきづられる息苦しさのためいき。不在と空虚に過剰な音とことばの洪水で耐える。それはことばを隔てることでかすかに開かれるかもしれない夢の光景のための戦いであり、終わりのない問いでもある。
港大尋と ソシエテ・コントル・レタはくりかえしくりかえし眠り、夢にうなされつづける。だからこそ、ためいきなどつく暇もなく 言いちがい、へらへら笑い飛ばしながら「おそれやま」*という険しい斜面を一気に駆け登らなければならない。(*死の山の意)
[おせっかいな編集部注]
★「ありったけのダイナシ」(2625円 ATNR-0020 ATONOレコード)。通信販売をお申し込みの方は住所、氏名、枚数をお書きの上、042−302−2988までファックスかscle@af7.mopera.ne.jpにお申し込みください。2625円+送料にて販売しています。(CD到着後の振り込みです)
書きかけのノート(5) 高橋悠。
8月19日 [BG(M or P)?]と題 する3人 くヲの音 松井茂の方法詩 滝本あきとの踊りによるパフォーマンスを見 る
3人は上下とも黒い服 白いシャツ はだし
松井茂の方法詩は 123の3つの数字の3連のくみあわせ これを楽譜のように3人がよむ
数字は3つ 3つの数字の3連は27通りある 英語のアルファベットは26文字 ことばの切れ目を27と読み替えれば 3連の数字の配列は無限にあるだろう
松井茂がどのように3連の数字の配列を決めているのかは わからない
それが松井茂の方法だが その方法は松井茂だけのもので だれかが234の数字をつかってちがう方法で方法詩を書いたとしても それは松井茂の方法詩になってしまうのだから この方法は私有されているばかりか どのような方法をつかっても 方法詩というジャンル自体も私有されている
松井茂だけが松井茂しか知らない方法で方法詩を書くことができるという事実は それは方法ではないということとおなじだ
他人がいくら松井茂の方法を論じてみても その方法も それに似た方法もつかうことはできない
できない というのは 可能性がないのではなく つかう権利がないということ
偽ブランドになってしまうということこれは服装の問題でもある
上下とも黒い服 白いシャツ はだしの3人 4人 5人が決められた時間のなかで何をやろうとも その服装だけで それは[BG(MorP)?]になるだろうじっさいに起こったのは くヲがコンピュータをつかってしばらくはエンジン音のようなノイズをひびかせたあと 数種類の短い和音の組み替えで規則正しいリズムをつくり それにあわせて3人がそろって しゃぶしゃぶ鍋に一箸ずつ材料を入れ 一箸ずつそれを口に運ぶという動作をくりかえしながら 用意された肉やねぎを食べてしまった ということだった
こんなにまずそうなものを こんなにまずそうに食べるのは 日本人だけができる方法食であった
それから松井茂は ならべたグラスに123と塩を振り 滝本あきとは譜面台におかれた方法詩を見ながら123と手をふりまわし くヲはコンピュータにむかってなおも体操音楽をつづけた
さいごに観客は地下のギャレリーから地上に追いたてられ あらかじめ持たされていた線香花火に123と火を付けてもらい 昼間の銀座裏通りで さびしい火花を味わった3人は終始無表情だった というより 無表情であることにつとめた
なぜなら ハプニング イベント アクション ミュージックというジャンルは 客のうけをねらったりしてはならず やるべきことだけを淡々とやるべきである と どういうわけか決められているのです
すくなくともこの日本では ナムジュン・パイクがへらへら笑いを浮かべていきなりアプライト・ピアノを突き倒すというような暴力も ジョン・ケージのミュジサーカスのように演奏者も観客もかってきままに楽しむ陽気な空間もなく パフォーマーは淡々というスタイルを守って やるべきことだけをやる ということをやるべく誠実に努力する 自主規制がある
芸術には うやうやしく接しなければならぬ それはバッハだろうとパフォーマンスだろうと すべてに通じる大道である
方法詩という楽譜があるだけではない そのよみかたにも手本がある
手本はヨーロッパかアメリカにある それを思い浮かべつつ 道を踏み外さないように 慎重にとりおこなう
コンピュータ・ミュージックは コンピュータでどんな音を 出してもいい というわけにはいかない
コンピュータ・ミュージックというスタイルにあてはまるものだけを演じなければいけないのです
だれがつくっても あ コンピュータだ とすぐわかることがだいじ
踊りは日常のうごきを装っているが 頭で決めたうごきを 手足が追っているのが見える
うごく前に うごきがよめる
それは日常でもなければ 非日常でもない 外側から自意識が見ているうごき方法芸術は グローバリズム時代の新古典主義ブランドだ
みんなでやればこわくない*
それでも 方法詩のパフォーマンスは 現代音楽のコンサートよりましだ
現代音楽コンサートに行けば 現代音楽作曲家がいる
音楽批評家もいる
聞く前にどんな音楽かわかってしまう
どんな批評が書かれるかもわかってしまう
でも そうでないわけにはいかない
ヨーロッパには現代音楽の作曲コンクールがあり 現代音楽祭がある
そこで入選し 演奏されれば 似たような音楽を書いているヨーロッパ人に会える
ちいさいけれど たのしい世界のわがや
そのために みんなが力をあわせてがんばっているのです日本の現代音楽にあってヨーロッパにないことが一つだけある
演奏が終わった瞬間に 客席からホッという叫びがあがる
この叫びがなければ 日本の現代音楽とは認められない
どんな音楽批評家より偉大なこの叫び手が 新作に終止音をあたえ 認可印を押す
ホッ
(これまでに書いたテキスト、スケジュールなどは、「楽」にあります)
ご意見などは suigyu@collecta.co.jp へどうぞ
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