梅雨が明けて東京にも夏がきました。ことしは、風がとおればエアコンなしで耐えられる程度の、久しぶりに夏らしい暑さの夏です。夕立というには早い午後でしたから、スコールと呼ぶほうがふさわしい雷をともなう激しい雨がさきほど降って、空気が洗われたような午後です。
「水牛のように」を2016年8月号に更新しました。
ベストセラーそのものに罪はないにしても、世の中のたくさんの人が読んだり聞いたりするものなら、別に私は読まなくて聞かなくてももいいように思えます。時間は限られているのですから、それならば少数の人に読まれ聞かれてているものを選びたい。
この水牛もそうですが、自分が編集をしたり公開しているものもは、あまり多数の人に届かなくてもいいとどこかで考えています。必要な人がいれば、きっと探しだして読んでくれるはず。浴びるように降ってくる情報は受けとる側にとってはあまり関係のないものばかりで、自分がほんとうに求めているものはほとんどないと実感します。編集の仕事の場合には、情報を出す側ですから、具体的な数字を早急に出すことをまず求められるのですが、努力はするにしてもそう単純にはいきません。これも多くの編集者の実感だと思います。小さなものが自由にたくさん存在している世界がいいなと思っているうちに、多数決という民主主義の決めごとにもおおきな疑問を感じるようになってしまったこのごろです。さて、どうするか。
それではまた!(八巻美恵)