水牛通信

人はたがやす 水牛はたがやす 稲は音もなく育つ

1986年6月号 通巻83号
        
入力 桝井孝則


夏の日の読書のために
 ――玖保キリコ 高橋悠治 田川律 三宅榛名 平野甲賀 平野公子 藤本和子 津野海太郎 八巻美恵――
水牛かたより情報
キリコのコリクツ  玖保キリコ
かえるの頭を持って黒姫行き  柳生まち子
料理がすべて  田川律
総理大臣へのプレゼント  鎌田慧
「カフカ」ノート  高橋悠治
走る・その六  デイヴィッド・グッドマン
編集後記



夏の日の読書のために
玖保キリコ 高橋悠治 田川律 三宅榛名 平野甲賀 平野公子 藤本和子 津野海太郎 八巻美恵

「サーカス」ミヒャエル・エンデ 岩波書店

これは本当に子供のための本なのだろうか――というのが、この本の読後感である。ファンタジーと現実が交錯した、この不思議な雰囲気の戯曲は、読む者を迷 宮に迷い込ませる。喜ばしい結末を迎えるファンタジーを取り囲んでいるのは逃れようのない厳しい現実であり、読み終わった瞬間に、あたかも暗く黒い深淵に 引き込まれるような絶望感に襲われるのである。しかし、次の瞬間、「まてよ。これはもしかしたら、ファンタジーの方が現実であって、現実の方は本当は現実 ではないのかもしれないぞ」という気持ちもわき上がり、夜明けの前の気配のようなかすかな希望が、この話の終わりには用意されているのかもしれないと思え るのだ。童話だもの。これは確かに童話だ。エンデが、子供たちに希望を与えずに終らせるはずがない。しかし、しかし、やはり、全体的に流れるこの黒い憂鬱 はなんなのだ。……とネチネチ果てしなく悩み続けるのがなかなか快感な一冊である。(玖保キリコ)


「遠い部屋 遠い声」カポーティ 新潮文庫

微熱をもったまま、ずっと薄暗い中をさまよい歩いてかなければならない、そんなイメージの本である。この本の中には、昼間の情景だって描かれているのだ が、何故か私は夜を連想してしまう。夜なのか夢なのかわからないような夜なのだ。その夜の中を、主人公の少年が進んでいく。生きているのは彼と、その連れ の少女だけで、その他の人間は作り物のように見えてしまう。作り物の人間たちは、よくディズニー映画に出てくる夜の人気のないおもちゃ工場におかれたおも ちゃ達のように不気味である。私はこの話がとても恐い。(玖保キリコ)


「カンガルー日記」村上春樹 平凡社

私がこの本を好きな理由は、とても簡単だ。おいしそうだからである。前々から村上春樹の食物の描写はとてもおいしそうだと思ってはいたのだが、この本は、 とくにおいしそうな描写がつまっている。この中の『図書館奇譚』のドーナツなど、絶品だと思う。私は特にドーナツ好きというわけではないが、このドーナツ にはとても魅かれる。(玖保キリコ)


「父の帽子」森茉莉・エッセー I 新潮社

この本のなかの「夢」。よむたびにことばのない思いのなかにおちこんでいるのに気づく。たよりない、時の羽音にさえぎられる影のような生活が、スライドの ようにとまってくっきりした絵になって、そこでは空気も現実よりすこし澄んでいる。「この世界の明るさ、それはどうしてあるのだろう。」あの戦争も「或冷 たい冬の朝見たことのない国々と」はじまり、「きのうまで空間を切り開いて立ったり、歩いたりしていた人々はそのあった場所に空気の層を残して消え」、ま るで光線銃だ。こどもの記憶とふしぎにぴったりしている。どんな歴史の説明も、このように、いなくなった人びとを、こわれやすい世界を気づかってはいな かった。(高橋悠治)


「天国が降ってくる」島田雅彦 福武書店

たいがいの本はうしろからよんでいくと、よくよめる。準備作業を読者におしつけずに、かきたいところからかきはじめればいいのに。この本も、ヒーローを説 明するために祖父の代からはじまっているのはよけいだと思ったが、はじめからよんでしまった。だが、うしろからよんだ方がいい本です。ことばにぎくしゃく ひっかかるリズムがついてくるのがそのあたりなので、よんでいてきもちがいい。そして思いだした。ゴンブロヴィッチが「神曲」はうまくない、そのうちかき なおしてやりたい、といっていたことがあった。かれはその前に、退屈のあまり死んでしまった。思いついたことは、すぐやった方がいい。(高橋悠治)


「ラテンアメリカの小さな国」ジョーン・ディディオン 晶文社

北アメリカ作家のエルサルバドル訪問記。数学やことばがあてにならず、知識や情報ではつかめない世界にほうりだされ、ガルシア=マルケスが伝説ではなく現 実そのものだと思いはじめる。「雨がふると銃声がする。」日々の恐怖にはなんの解決もありえない。論理や情報が、感じないですむための近道だという偉大な 発見をした文明にとって、テロルと夜ごとのパーティが同居するサンサルバドルは、都市の近未来のイメージとしては「ブレードランナー」よりはっきりとあ る。ベルファストが未来のロンドン、ベイルートが未来のパリ、チェルノブイリが未来の東京であると想像しても、なんの実感もない。偉大な時代にいきている わけです。(高橋悠治)


「ブルームービー」ジョセフ・ハンセン 早川書房

これはホモ・セクシュアルの保険調査員デイヴ・ブランドステッターもののシリーズ第五作。この本から私立探偵になるのだが、一冊ずつ、本人の環境が年毎に 移り変る「現実感」がこの本の面白さ。それと共に、ホモ・セクシュアルというと、とにかく「変った人」と思いがちだし、現にそんな人も多いが、ハンセンの 本に登場するのはそうではない。なによりも、ハードボイルドにありがちな「マッチョ」と「男性至上主義」がまったくない点がいい。なにをかくそう。あまり 「ほれ込みすぎて」、とうとう六作目を翻訳する羽目に陥った。シリーズは一作目から「闇に消える」「死はつぐないを求める」「トラブルメイカー」「誰もが 怖れた男」、この本と続く。(田川律)


「八百万人の死にざま」ローレンス・ブロック 早川書店

同じ作者の「泥棒シリーズ」の方が有名だが、こちらはアル中の探偵が主人公。「限りなく下戸に近い上戸」のぼくとしては、まったく異次元に近いほどの話だ が、アルコール以外なら、「中毒」になる気持も持ち合わせているだけに、主人公の悩みがよくわかる。現在のハードボイルドの傾向は、こうした主人公の性格 描写に重点があるより、なにがなんでも「強い男」というのがいい、とまたなりつつある。しかし、ぼくまわりを見まわしたところ「悩み多い男」ばかり。どう したって、そういうのにひかれてしまう。もちろん、人によったら小説は、事実と離れているからこそ、という意見もあるが、ハードボイルドは、世相の鏡だけ に、リアルな方が好きだ(田川律)


「笑う警官」マイ・シューバル+ペール・バールー 角川文庫

「中毒」でいえば、ぼくはミステリーの「中毒」。警官モノでも、87分署からこのマルティン・べックまで、ホントにいっぱい読んだ。黒人のふたり組「墓掘 りマックと棺桶エド」のシリーズもなかなかだが、やっぱりこの夫婦のコンビで書いたシリーズが面白い。これまたぼくの好みの、一作毎に「時が流れて」いく もので、こちらはハンセンよりもさらに克明に世の中の変化まで描かれている。それにトマス・チャスティンの書く警官みたいにスーパー・コップやないし、 ジョセフ・ウォンボーの書くアメリカ西海岸の警官みないに、うじゃじゃけてない。今、作者も主人公も思い出せないが、インドの警官シリーズ物は、なかなか やったな。(田川律)


「タレイラン評伝」上・下 ダフ・クーパー 曽村保信訳 中公文庫

フランス革命、ナポレオン時代、王政復活のどの時代にもとりのこされず、殺されず、失脚しなかった外交家の話です。ダントンや、ロベスピエールや有能な人 々のほとんどがその有能さのために生きのびることのできなかった時代に、あの人はなんだか、ずっと生きてきたんだっけということで読みはじめた本です。 “大した才能もなく、口ばっかり達者”とナポレオンにこきおろされ、何年も窓ぎわの人をやりつづけるこの外務大臣は、主人のナポレオン失脚後ウィーン会議 で、ただちにフランスに徹底的有利な条件を勝ちとる口達者なのです。“二十年もの粒々辛苦のあげくに、やっとセントヘレナの孤島にたどりついた”と書かれ るナポレオンの姿も、この本の中ではまるで手にとるように身近に見えます。ダフ・クーパーの底意地の悪さと、タレイランの手腕、才気とがしっかり出会った 伝記です。訳もとってもうまいと思いました。(三宅榛名)


「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」作者不明 会田由訳 岩波文庫

ピカレスク小説からの一冊。さしてみづからをかえりみずに進行する小説の方法、小説の構造。主人公の冒険的人生も右に同じです。貧乏としかいいようのない 生まれつきのラサーロ少年が、けちんぼ坊主、すかんぴんの騎士などにつかえて、あれやこれやさんざんの苦労のあげく、まあ最後に富み栄えて幸運という幸運 の絶頂に立っていたのですと自分で言うところまでこぎつける、というだけの話です。ためらいなく進む時間。どの場面も平気にでたらめ。紙芝居世界の成り立 ち。なにもかもが楽天的にスカスカ。以上のようなものだけから出来ている小説です。(三宅榛名)


「チェーホフ全集」からの短編の数冊 神西清・池田健太郎訳 中央公論社

むかし愛読していて、今もときどき思いかえし、ときどき読みかえすと、やっぱりあきているということはなく、軽々と上出来の出来上がりに単純に感心しま す。一瞬のひとことでそれまで書かれたすべてのことがらが全く異る世界としてひっくり返るというような場面とか、いちどきにその人の声が実際にきこえてく るような光景とかが、以前はとても好きでした。(三宅榛名)


「岸田劉生」富山秀男 岩波新書

岸田劉生の評伝。没後五〇年にあたる昭和五十四年には、国立近代美術館で回顧展が開かれ、それと同時に全集や画集が出版された。この本のあとがきによると 東京の展覧会では二十万人ちかくの人が入場したそうだ。人の頭ごしに「麗子微笑」「切通しの写生」「自画像」などイライラしながら見たものだ。劉生の絵の 中には、よく文字が書き入れてある。デューラーやファン・アイク風アナクロ古典趣味なのだろうか。ところがなかなか単純でないことが劉生の言葉によってわ かる。「――かくて美術の目的は結局現実を写すといふ事にはなくて、深い意味での装飾にある――写実は『道』であつて目的ではない。目的は写実以上の処に ある。」(平野甲賀)


「雑草のくらし――あき地の五年間――」甲斐信枝 福音館

染物を始めてから「草」「木」「花」とついた本をついつい買ってしまう。これは、そのうちの一冊。畑の一角を借りて(何坪だろうか?)五年間、雑草のおい 繁るのに任せ、観察・写生した絵本です。同じ著者の絵本「ひがんばな」もいい。私の染物は「雑草染」と自分で呼んでいるのですが、染色方法、草木の選び 方、全部自己流です。もちろん、染色用の植物図鑑、染色家の実用書等はたくさん出ているのですが、あまりおもしろくありません。甲斐信枝さんの一連の雑草 の絵本、渡辺一枝さんの「自転車いっぱい花かごにして」(情報センター出版局)などは私にとって、とても役に立つ実用書です。春から夏にかけて、家から自 転車で行ける所は、草とり、花摘みに、毎日走っています。始めて出会った花は、花が散り、草が枯れ、次の年の芽吹きまで見送ってから、雑草にします。明日 は、ドクダミを集めて、染めてみようかと思っています。臭いも強く、何処にでもハビコルので、あまり人気のない草です、もっとも薬草としては昔から知られ ています。干してから煎じて飲めば、毒消しの効用あり。(平野公子)


Labor of Love, Labor of Sorrow: Black Women, Work and the Family from Slavery to the Present. Jacqueline Jones. Basic Books,1985.

北アメリカの女性歴史学者ジャクリーン・ジョーンズが北アメリカの黒人女性の労働史を書いた。黒人女性の労働史を記すことは、とりもなおさず黒人の家族の 絆の性格を描きだすことにもなった。アメリカ社会の究極的な底辺であった黒人女性は、ずっと苛酷な労働によって家族を養うことを要求されてきたし、またそ の責任を引き受けて生きてもきた。彼女らはこの三百年のあいだ、労働することで、肉親の絆、家族の絆をまもろうとたたかってきた。三百年の持続。彼女らの 生をその労働の歴史から眺めれば、命をかけた労働が肉親と共同体に対する愛を基盤にしていたことがわかるし、そのために彼女らは悲しみの労働にたえてきた こともわかる。そして、そういう彼女らの三百年の生の軌跡を通して、アフリカ系アメリカ人の独自の文化の断面が見えてくる。そればかりか、白人はもとよ り、黒人男性によってすら共有されていない、黒人女性だけのサブカルチャーも見えてくるのである。女性史に、またその方法について興味を持った者たちに とって役に立つ本。(藤本和子)


Roll Jordan, Roll: The World the Slaves Made. Eugene Genovese. Random House, 1974.

アフリカ系アメリカ人が奴隷として労役をさせられていた時代、彼らはどのような思想にもとづいて、人間としての尊厳をまもろうとしたのか。そのことを調べ ているうちに、ジノヴィージーは、圧迫する目的でおしつけられた考えに対して、黒人はみずからきわめて自立的な解釈をおこなうことで、もっとも苛酷な状況 においても、人間としての威厳を手放さずに生きのびる方法をさがそうとした、という事実に気がついた。そのようにすることで、奴隷の身分に貶められていた 者たちは、結局アメリカの文化全体をとほうもなく豊かにするとともに、ひとつの独立した黒人民族文化をつくる基礎をきずいたのでもあった。抑圧される少数 者の集団の論理的な優越の意味、そして被抑圧者の集団の自立的な思想の力について考えるのに役にたつ本でもある。(藤本和子)


Black Culture and the Black Consciousness: Afro-American Folk Thought from Slavery to Freedom. Lawrence Levine. Oxford University Press, 1977.

現代のアメリカ黒人女性の文学を読んでみても、あるいは黒人女性の話をきくために歩きまわったりしてみても、作家個人や話をきかせてくれるひとりひとりの 特質や個性のむこうに、いつも集団的な特質と個性をうかがうことができる。たとえば、書くことや話すことを仕事にしてはいない女たちが語るという行為のな かで示してくれるあざやかな言語表現の背後には、底の深い言語的表現の伝統を感じることができるのだ。このレヴィーンの本は黒人のさまざまな表現の伝統的 な基盤を示してくれる。その思想的な背景を示してくれる。(藤本和子)


Exodus and Revolution. Michael Waltzer. Basic Books, 1985.

マイケル・ウォルツァーは旧約聖書の『出エジプト記』を歴史で最初の革命の記録として読んでみたのだ。そのとき、彼の注意をひいたのは、『出エジプト』革 命で、神がなにをしたかということよりも、人々が自分たちの解放のためになにをしたかということだった。『出エジプト記』はそれを記録した。それだからこ そ、イスラエル人のエジプトからの脱出(奴隷の身分からの解放)の物語は、西欧の政治革命の思想に大きな影響をおよぼしてきたのだ、と彼は考えたし、また その影響を例証してみせることもできた。南アメリカではじまった解放の神学と『出エジプト記』の関係に対する考察など、さまざまな示唆にとみ、参考にな る。(藤本和子)


Gorilla My Love. Toni Cada Bambara. Random House.

バンバーラの最初の短編集。彼女を贔屓にしてる人に。『ゴリラ、わが愛』とは、何ともすばらしい題。(藤本和子)


「シングル・ライフ」海老坂武 中央公論社

男が四十歳をすぎて一人で暮らしていると、からかいや道徳的糾弾の対象となることを日常的に覚悟しなければならない。最近の例でいえば、斉藤晴彦が芸能界 に顔をだした途端に、しつこいからかいのネタにされた。かれはちょっととまどったかに見えたが、すぐに、つめたい顔でそのからかいをはぐらかすようになっ た。そういう戦法をえらぶことに決めたらしい。もう一人の知人である海老坂武は、ながいこと「なしくずし未婚」をつづけてきて、「四十も半ばに近くなった ころから、ようやくにして覚悟ができてきた」という。「結婚なんてくだらない」と「自信をもって」いいきる覚悟がきまって、かれはこの本を書いた。「なし くずし未婚」をやめて、いわば自覚的な「未婚」にふみきった――それが四十代半ばだったというあたりに、息づまるようなリアリティが感じられる。すくなく とも数年おくれて海老坂さんのあとを歩む私にとっては。たぶん私の「未婚」論は、かれのように劇的なかたちはとらないだろう。それだけに面白く読ん だ。(津野海太郎)


「鴨長明――閑居の人」三木紀人 新典社

『方丈記』の前半は天災と人災の、後半は「閑居」生活の記述である。高度成長期をはさんで、『方丈記』論の重点は前半から後半にうつった。地味な国文学者 たちも、けっこう露骨なのだ。この本は後半派の代表である。長明は移動できる仮説住宅に、折りたたみ可能な琴と琵琶、好みの経典などをそなえて生きた。シ ングル・ライフはシンプル・ライフであるほかない。そのことを「自信をもって」再確認した。わびしさとともに。(津野海太郎)


「ぼくたちの好きな戦争」小林信彦 新潮社

去年、私は『物語・日本人の占領』という本のなかで、戦前のフィリピン芸能界を席巻していた奇体なアメリカニズムのスケッチをこころみた。すぐに小林さん が電話をくれて、日本だって同じことだったんですよとおしえてくれた。この小説は、その日本におけるアメリカニズム発生史という側面をもつ。脱亜入欧など はインテリのお話――大衆文化はいまもむかしも脱亜入米だった。マニラの劇場にあったものは、すべて東京の劇場にもあったのである。浅草のステージ・ ショーの芸人が、鼻の下に消炭でヒゲを描き、グルーチョ・マルクスの扮装でアメリカ軍に投降する。もちろん例のアヒル歩きで。すばらしく屈辱的な光景 だ。(津野海太郎)


「ロルカ・ダリ――裏切られた友情」A・ロドリーゴ 六興出版

ダリが親友のロルカを故郷のカタルーニャに招く。移動するお祭りみたいな青年だったロルカは、友人やその家族、近所の漁師や子どもたちとのつきあいを、そ のまま「たのしい芸術」にかえてしまう。耳できいただけのロルカの詩を、その人々がきそって暗記する。「私の詩は出版されて決定的に死ぬのだ」ダリの絵で さえ人々とのつきあいを必要とした。「これなんに見える?」と漁師に自分の絵を見せる。「海さ。でも本物の海よりいいよ。波がかぞえられるから」――だ が、まもなくダリはこうしたすべてを捨てて、現代芸術のお化けになってしまう。ディドロの社交か、ルソーの過激か。なかなか決着はつかない。(津野海太 郎)


「ガルシア・ロルカの死」ビラ・サン・ファン 彩流社

一九三六年八月、ダリはパリでロルカ暗殺の報にせっした。「死んだ友人のことを考えながら食うと、イワシの味が一層うまくなる。とくに銃殺か殉教のばあい が最高だ」――おそまきながらこの挑発にのって、もう一冊、新しいロルカものを読んだ。ロルカ殺害の謎にせまる著作としては、すでにイギリス人イアン・ギ ブスンの『ロルカ/スペインの死』がある。おなじことをスペイン人としてはじめてやったのが、この本である。フランコ時代、ロルカの存在は徹底的に消し去 られていた。かれの詩は少数の人々のあいだで、印刷ではなく口伝によって保存された。そのような仕方で、かれの詩は「出版による死」から蘇ることができ た。(津野海太郎)


「クリスマスのすすめ」くぼた尚子 白泉社 花とゆめCOMICS

「私、妹尾聖子17歳。作家のママ――藍子さんと二人暮し。ママって家事はダメだし、ヒステリーはすぐおこすし……ほんと、どっちが養ってるんだかわかん ないヨ……」という、過激な母と娘のおはなし。藍子さんは、われわれの世代がどのような「母親」になったか、あるいはどのように「母親」になれなかったの かということをしめすひとつの極端な例ではないかとおもう。なにしろ平気で「ばかーっ、あんたなんか苦労して育てるんじゃなかったっ、あたしの青春をかえ してよーっ」なんてわめくんだから。でも、「あたしがもっといい小説かいてもっといい母親になったらあんたあたしのこともっと好きになってくれる?」とい う母に、「ダメ。これ以上好きになれないもん」と娘。少女マンガの日常は現実よりもはるかにすすんでいる。(八巻美恵)


「切られた首」アイリス・マードック 新潮社

小説みたいなたいくつなものをじっくりとたのしみをもって読むのはひとつの才能である、と小説嫌いの者たちにいわれつづけている、その才能は、この小説を 読んで花ひらいたのではないかと思うほど、はじめて読んだ十代のおわりには衝撃だった。せまい人間関係のなかの複雑に入り組んだ愛の様相は、ミステリイな んかよりずっとおそろしい。スキャンダラスな物語なので自分がよってたっているわずかな部分まで一瞬のうちになぎたおされてしまいそうになったりもするけ ど、結果としては昇華されるのが、婦人雑誌の手記とはちがうところ。(八巻美恵)


「私は本当に私なのか 自己論講議」木村敏+金井美恵子 朝日出版社

なんといってもこの題名がいい。題名と小見出しの魅力だけで買った本。たとえば――この瞬間の自分が失われていく・誰かの夢の中の私・脳みそがサラサラ流 れる・自分が自分にとって一人の他人である・文体が変わるということ・差異自身が差異を差異化する・個別的他者の背後の他性一般・「私は私である」とはど ういうことか・歴史的差異の統合としての私・自己性は自己の内部には存在しない・鏡の前の指揮者・苦痛としての巨大な空虚・「いる」ことの障害・何重にも 重なっている時間・ふとここにいることの根拠・「すでに書かれている」小説・書いた言葉でなく、書き方がある・などなど。ね。わたしはつられて木村敏氏の 著作を四冊も読んだ。(八巻美恵)



水牛かたより情報


●「大国ニッポンの退廃」鎌田慧 すずさわ書房
 雑誌「教育評論」に連載したものを中心に集めた本。なぜか、水牛楽団や水牛通信も登場する。「学校は工場になった」という鎌田さんの意見を、さまざまな 教育現場のドキュメントで綴っているのが、前半の内容。学校の中でどんどん強化されていく管理体制の実体は、あちこちで耳にする。「この頃の学校は――」 の意見から推測するよりはるかにひどい。後半は、「どぶろく」から「国鉄民営化」、映画から活字にいたるまで、エッセイの幅は広がり、今日の文化状況に 「希望」ではなく「絶望」を指摘する。でも、鎌田さんは、短いものより長井ものの方が読みごたえがあって、ここに出てくるテーマのそれぞれの、「長編」が 読みたいと思った。(田川)

●「歩く書物」津野海太郎 リブロポート 一三〇〇円
津野海太郎の本と編集についての本としては、「小さなメディアの必要」につぐ2冊目。よみながら、津野海太郎についてかんがえた。ことばと機械(道具とい いたいだろうが)と人間ずきの少年。これは独身者のつよみだな。「水牛通信」をつくりながらつくりあげた活動のスタイル。これもまねできない。思いいれに おぼれたがらないスタイリスト。「本というものに過度に劇的にのめりこまずに、ごくあたりまえに本とつきあうスタイルでとおしていきたい。」なんちゃっ て。でも、本にかぎらず、すべてにそうしたい。それじゃ、さよなら、とあともふりかえらず、すたすたと、なんてね、どうだ、やったみたいだろう。かれの編 集は、見る目ではなく、かんがえる手としての本をつくる。本づくり以外にも応用がきく技術。(高橋)

●「平野甲賀〔装丁〕術」(仮題)平野甲賀 晶文社
いま「日常術」というシリーズを準備している。その第一回配本として七月半ばにでる予定。小野二郎著作集の装丁と造本の過程を追いながら、かれのブック・ デザインについての考え方をたどっていくという筋で、実況中継的な現場の語りが中心になる。水牛通信でやってきたテープおこしの方法と技術を大いに利用さ せてもらった。本のデザインを自分の生活デザインの一部に組み替えていく。ただしプリントゴッコにおいてさえ、あるいはプリントゴッコだからこそ、自分の 専門的な技術にこだわらざるをえない。革命のうえいなる反革命! なぜ平野先生が釣に熱中するのかという理由が、ほんのすこしだけ分った。(津野)

●「アフター・アポリカプス」D・グッドマン コーネル大学出版部
かれは日本の新劇を演劇世俗化の運動としてとらえる。方法上のリアリズム志向はその一部分である。だが、この運動は原爆という大きな集団的経験をとらえる ことに失敗した。そのことのうちに、六〇年代にはじまる新劇批判が準備されていたという仮説を証明すべく、かれは原爆をモチーフとする四戯曲、堀田清美 『島』、田中千禾夫『マリアの首』、別役実『象』、佐藤信『鼠小僧次郎吉』を翻訳し、それぞれに長い序文をつけた。いわゆるアングラ演劇の経験をバネに日 本の近代演劇史を読みかえるというこころみは、小生もふくめて、だれもやってこなかった。退屈な仕事のような気がしていたのだ。それにかれがはじめて手を つけた。おくれをとった。いそいであとを追う。(津野)

●「ブルースだってただの唄 黒人女性のマニフェスト」藤本和子 朝日新聞社 朝日選書 一〇〇〇円
たとえば「牢獄は出たけれど、わたしの中の牢獄をまだ追い出すことができない」というウィルマ・ルシル・アンダーソンの物語。彼女が自分史を語るのを読む と、共通点があるというわけではないのに、わたし自身の遠い記憶がゆらゆらとたちのぼってくるのがふしぎだ。どうして? とわたしはかんがえつづけてい る。この本は完結しない。しかも実用書の役目もある。なぜなら、他者と向き合う具体的な方法をまなべる。「他者の固有性と異質性のなかに、わたしたちを撃 ち、刺しつらぬくものを見ること」。読むと元気がでる。安くてしかも役に立つ、これが書物というものです。(八巻)

●「シニカル・ヒステリー・アワー4」玖保キリコ 白泉社 花とゆめCOMICS
7月17日発売予定の、ごぞんじ「シニカル」です。いとしのツネコもキリコもツン太もみんな健在で、いじわるやなかよしや、哲学などもやっています。ツネ コ型ロボットのはなしもありましたっけ。マンガの単行本は、書きおろしではなく、一度雑誌に掲載されたものをあつめて作るという方式なので、出版される前 でも、このように中身がわかっていて、それでも買うんだと待っている。これが正しいファンというものです。(八巻)


キリコのコリクツ  玖保キリコ

最近、悲しい怒りを体験したので、それを書くことにする。

私は常々、「漫画家には保障がない。ということは漫画家には未来がない。ないということを言い切ることができないかもしれないから、未来が怪しいと言って おいた方がいいかもしれない。とにかく少しでも貯金をしておいた方が良い」と考えていたので、先日、時間を作って銀行に行った。いつものように、リュック サックを背負って出かけていったのであった。
このリュックサックというのが話のポイントである。
銀行で、手続きを済ませ、お金を預け、ほっと一息ついてさあ帰ろうというとき、手続きをしてくれた女子行員が、大きな袋を手にして私の方に近づいてきた。
いやな予感がしたのだ。
その袋がどういう意味を持っているのか意識する以前に漠然といやな予感はあった。
そして、悲しいことにそれは的中したのだ。
彼女はにっこりと微笑むと、私にその大きな袋を差し出し、こう言った。「どうもありがとうございました。これは粗品です」
大きな袋の中には大きな箱が入っていた。
私はひきつる笑顔でそれを受け取りながらも、頭にかーっと血が昇っていくのを感じた。

粗品? 粗品だとー? 私はこれから打ち合わせをしに行くんだぞー。マンガ買って家に帰るんじゃないんだぞ。一体、銀行の人間は、銀行に来た人は銀行に来 たらすぐに家に帰るとでも思っているのか? 銀行に寄って、出かけていくという人のことを考えてるのか? こんな、かさばる物くれやがって。しかも、いか にも預金しましたっていう感じの『預金は○○銀行へ』なんていう文字が大きくでーんと書いてある袋にいれて。袋、捨てちゃおうかしら。おわっ。箱にも書い てある。どーしようもないな。これじゃ「私は預金しました。おまけに今、通帳と判子も持ってるのよん。ひったくったらお得よ」と言って歩いているようなも のではないか。リュックサックにも入りゃしない。こんなかさばるもの。私はリュックサックなんだぞ。おしゃれな小ちゃいバックか何かを持ってる人はどーす りゃいいんだ。大きけりゃいいってもんじゃない。大きいから困るってものも世の中にはあるんだ。小さいけれど実用的なテレフォンカードでもくれりゃいいの にっ。つっ返してやるっっ。こんなもん。

もちろん、気の小さい私は、その粗品を彼女につき返すこともできず、心とは裏腹に「どーもっ」と笑って銀行を出た。
弱い私。
私は銀行から駅までの道のりを、自分をなだめながら歩いていった。「冷静に。冷静に」
そうでもしないと、逆上したもう一人の私がこのかさばる袋をゴミ箱にたたき込むのを押さえることができなかったからだ。
でも、捨てるのは良くない。
人の手がかかっているのだもの。
使用せずに捨てるのは、作った人に対する冒涜だ。
私は駅に着いてから、この『荷物』にどう対処するかを考えることにした。
その間、さぞかし私はむっとした顔をしていたことだろう。

とにかく、このままでは絶対に、これはリュックサックの中に入らない。やはり、バラにしなければならない。私は、袋を捨て、箱を捨てた。
箱の中味を点検すると、タオル、ポケットティッシュ、箱に入ったティッシュペーパー、そしてサランラップが入っていた。
タオルとポケットティッシュと箱入りティッシュは、どうにかリュックサックの中に入った。
しかし、縦にしても横にしても斜めにしても、サランラップは私のリュックサックの中に美しく収まってはくれなかった。
いったん静まったかのように見えた怒りが、また燃え上がった。
どうして、バラにしてもまだかさばるものをくださるのだっ!
電車が来たので、とりあえず、リュックサックからつき出る形で、サランラップをリュックにサックにつっ込み、私はいらいらと電車に乗った。
この銀行は私に恨みでもあるのだろうか。私にこんな仕打ちをするなんて。私は預金をしたのに。

電車が大泉学園から池袋に向う間私は様々な工夫をしてみたが、どうしても、このサランラップは、不安定な収まりのままだった。
私はとうとうあきらめ、不格好なサランラップをリュックからつき出したまま歩いていたのだが、財布を出し入れするたびに、メモ帳を出し入れするたびに、ハ ンカチを出し入れするたびに、この邪魔なサランラップとそれを私にくれた銀行に対する呪いの言葉が心の中に渦巻くのであった。

打ち合わせの相手の編集者に会った途端、私はその不満をすべて彼にぶつけて、銀行はかくかくしかじかこうあるべきだとわめき散らし、一応スッキリした後、
「奥さんへのおみやげにどうぞ」
と、そのサランラップをプレゼントした。
彼は非常に迷惑そうに、
「いいんですか? 悪いですよ」
と遠慮していたが、
「私のリュックサックにそのサランラップは入らないが、そちらのバックはサランラップが充分入る大きさである」
という私の一方的な説明で、しぶしぶとサランラップを自分のカバンにしまった。
諸悪の根源は私から去っていった。
めでたい。めでたい。
私は、自分がそういう物を捨てるのには抵抗があるが、他人が捨てるのは別に構わない。
だから、彼がそれを捨てたって全く平気だ。
自分の手元にそれがなければいいのだ。
すっかり心が軽くなってるんるんしている私を編集氏はあきれたように眺めていたに違いない。

それにしても、人に物をもらって、これほど怒り狂う人間というのは、かなりわがままな性格に違いない、と何だか悲しくなってしまう。
どうして、物をもらってこんな悲しい思いをしなければならないのだ。
ああ、また怒りの炎がメラメラと燃え上がってくる。
もうやめよう。

しかし、わがままな人間は私だけではない。
私の知人は、中国ファンドをしたらコアラの人形をもらって、やはり怒り狂ったそうである。
ほっとした。


かえるの頭を持って黒姫行き  柳生まち子


いわれたとおりの切符は前日に用意して、さて新宿駅へ行ってみたら乗るべき列車はなかった。「これは上野駅だよ」なんということ!

かえるの頭を持って黒姫行きが心細くて、八巻美恵さんに同行をたのんだのに、その美恵さんは上野駅のホームで私をさがしているのだ。この私という人は、自 分の家からつれて行ってもらわなくてはどこにも行けない人だったのか!

忙しい美恵さんの時間をぎりぎりにとっての計画だったから、彼女は行かないことになってしまった。黒姫行きの列車は少ないから、一泊だけの彼女が明るいう ちには行きつけないからだ。とうとう私は泣きながら一人で行くことになってしまったけど、それは当然の罰だ。美恵さんと行くという楽しみを自分でぶちこわ してしまったんだから。

とにかく私にとっては、かえるの頭をもっての黒姫行きの楽しみは、ある時から始まったつぎつぎとつながった楽しみの、そのつづきの楽しみなのだから、めげ ないで行かなくては。

84年10月の水牛コンサートで、なんだかよくわからないけどうさぎの頭がいるという注文をもらって、頭にかぶれるうさぎの頭を作ったのが始まり。そんな ものを作るのは初めてだったけど、やったことないことをするのはとても好き。そういうことをやっている自分自身のことも楽しめる。矢川澄子さんがうさぎに なって「うさぎのスウプ」など歌ってみんなもおもしろがってくれた。と思うよ。そしてうさぎの頭は矢川さんと一緒に黒姫に。

それからしばらくして、やっぱりうさぎのしっぽも欲しいという注文が矢川さんからきて、頭と同じ布製のしっぽを作ってあげて、それで澄子さんはもっとりっ ぱにうさぎになれたわけで矢川さんは「兎とよばれた女」という本を書くくらい、うさぎなのでした。

その次は、子供の本に12カ月の連載用に「うさぎのしっぽのお話」を作ったこと。

そしてその次がこんどのかえるの頭。矢川さんの住む黒姫のお隣さんのニコルさんという人が、ボクもかえるになって歌いたいなあといっているというので、お もしろそうだから作ってみようかなという気になって、そしてまさに啓蟄の頃、かえるの頭はできあがり、前から行きたいと思っていた黒姫だから、かえるの頭 を持って黒姫行きという楽しみを計画したってこと。

これでおしまいかもしれないし、まただれかがおもしろいおもいつきをしたら、このお楽しみはつながっていくかもしれないね。



料理がすべて  田川律

トリのレモン煮
これは、ほんとはこの欄に再登場したのかもしれない。だんだん暑くなってきたので、さっぱりしたものを、と思って、ある日作った。というのは表向きで、ホ ンマは、斉藤晴彦さんが出た「料理番組」から依頼があって、ついつい出ることになって、何をしようかと考えてたら「夏向きに――」といわれてこれを選んだ ので予行演習(なんて、コワイ字や、よう考えたら)に作った。
トリの胸肉を皮つきのまま、ひとり一枚見当で用意する。ニンニクとショウガをテキトウにすりおろして、この肉にすりこみ、白ワインをたっぷり注ぐ。コショ ウとゲッケイ樹の葉も入れ塩味をつける。そこへ、ネギをざっくり切り、生椎茸をテキトウに切って加え、約三十分ほど置く。時々、かきまわす。深鍋に油とバ ターを入れ、まずトリを皮の側から、色がつくまで焼く。「魚頭鶏皮」というヤツだ。それからひっくりかえし、おおむね、火が通ったら、ネギ、椎茸、ワイン の漬け味ををここへ入れる。そこでレモンを扇形に切ったもの、肉一枚につき四分の一個分ほど入れ(多すぎると苦味が出る)十分間ほど煮る。
テレビ局の人。「テキトウ、というのはどのぐらいですか? これは冷やして食べてもおいしいのじゃありません」。それは考えてもみんかった。だけど今回も また、できたてを食べた。

いり豆腐
いつも作る「変り冷奴」の変形を、学芸大学のスナックで出してくれたのでマネした。ようするに、豆腐をいためるところがちょいと違うだけ。それと上からか ける具にトマトのみじん切りを加える。そうすると酸味がほど良い味になる。ただし、じっさいやってみたら、豆腐が崩れる。自由ヶ丘東急のニガリ入り木綿豆 腐なら、しっかり固いからええかもしらん。今回使ったのは渋谷東急の普通の木綿豆腐。

ナスの油炊めと、レバとコンニャクのいり煮
これまた、再登場かな。最近どっかの中華料理店のカウンターで見ていたか、モノノ本で読んだか。ニンニクを炊める時に、ネギもミジン切りにして炊めると、 また違う味と香りが出ることがわかって、この頃は、ナントカノヒトツオボエ、ですぐこれをする。ナスの油炊めに、なんでニンニクを使うのか。人によったら 邪道と思われるだろうが、これはひとえにニンニクが好きだから。そこへナスを輪切りにしてたっぷり油を加え、しんなりしてきたら、紹興酒と砂糖を加え、ま た少し炊めてショウ油を加える。だいたい関西では、すき焼きでも、まず油を引いて、肉を並べ、その上にまっ先に砂糖をかける。それからモロモロの野菜を入 れて、酒やしょう油をたして煮る。さしずめ「先砂糖、後醤油」だ。
レバはトリのレバ。これまたはじめにニンニク・ネギをゴマ油で炊めて、そこへコンニャクを入れて、しばらく炊めてから、レバをたした。どうも順序が逆、と いう気がしないでもなかったが、まあ、ええわ。そこへ紹興酒を加え、レバに火が通った頃ショウ油を加え、タカノツメのミジン切りをふりかけて、しばらく煮 込む。
このふたつを、かわりばんこに食べる。片方は甘辛く、片方は辛い。ところが。ナスの方が少々甘すぎた。その上、どちらも同じ量ずつ残った。季節はもうそろ そろ暑くなり、残り物がすぐ悪くなる時期。「ほなら、この両方をいっしょにしてもたらどないや」とばかり、この二種のものを混ぜ合わせて温め直した。それ を、例のヨーガ教室へ持っていって全員で食べた。いや正確には、これから全員で食べるつもりだ。でも「こんなもの、食べたくない」という人が出てきそう。 みんながそういうたらどうしよう。

米とソバ
日教組の教研集会で、二年続きで出会った同じ分科会の長野・諏訪の矢島先生が、米とソバを送ってくださった。ソバは、学校のこどもたちと育てたソバをもと に作ったもので、米は矢島さんの実家で作ったものだという。米はちょっと変っていた、と書くのも変だが、一回目炊いて食べると普通だが、それが残って冷え た時、おかゆなどにすると、粘り気がその辺のスーパーで買う米と違う気がする。思わず昔は糊といえば、ご飯粒を使っていたのを思い出した。手紙の封筒を貼 る時も、お釜の中のご飯粒を使ったものだ。あれは戦後一時配給された奇妙な「いり米」というか、一度いってある米では、ゼッタイ出来なかった。すかすかで 量ばかり多いのだ。もちろん粘り気なんかない。
ソバも腰が強くておいしかった。信州のソバの中には、ソバ粉だけで、今にもポロポロになりそうな真黒なヤツもあり、人によっては「これこそソバ」という人 もいる。ぼくは、どっちかといえば、もうちょっと腰がある、今回もらったようなのがおいしい。なかにはラーメンのメンみないなソバもあるが、あれはもひと つやな。そういえば橋本国彦が作ったソバの花をうたった曲をいつもうたう友だちがいた。





総理大臣へのプレゼント  鎌田慧


読み捨ててしまった夕刊だから、いまさら探すのは大変なのだが、五月下旬のある日、中曽根首相の誕生日だったとか。いまや天皇なみに首相の誕生日も記事に なるんだな。

目出度くも、無惨になった頭部を、野球帽のようなゴルフ帽のようなもので覆い、加山雄三のようなつくり笑いをしている写真が掲載されている。その帽子が ニュースらしく、つばの上に張りつけられたWのワッペンが、首相の野望である「ダブル選挙」のお祝で、中曽根担当の三人の女性記者が、その贈り主とか。

首相と新聞記者は、あたかもクラスメートのごとく、お誕生日のプレゼントごっこをやっているらしい。それが恥ずかし気もなく、大新聞のニュースになるんだ から。まして、ダブル選挙は、二院制度のなし崩しとの批判が強く、自民党内でさえ異論があるというのに新聞記者が率先してWサインを送っている。こりゃ、 もう駄目だ。

記者たちが贈ったのは、クダンの帽子のほかに舵輪がある。こっちの方は、その日が「海軍記念日」とかで、もと海軍将校にして防衛庁長官、「不沈空母」や 「二〇三高地」など、戦争用語を乱用するウルトラクンの歓心を買うプレゼントだが、カジまで与えているんだから。贈るほうも贈るほうだか、記事を書くバ カ、載せるバカ、新聞記者には、もはやこのうるわしい関係にギモンをもつものはいないのだろうか。

三紙ともにおなじ写真を載せていた。新聞記者は自作自演、記者がやらせでチョーチン記事のタネをつくっているんだから省力化だ。余談になるが、タネといえ ば、天皇誕生日にむけたチョーチン紙面を飾ったのは、敗戦直後、天皇が息子に書き送った手紙だった。そこには、終戦の決断は、「国民のタネ」を残すため だった、ときわめて即物的に書かれていた。さすが「万世一系」の保持がお仕事らしい発想だ。お陰さまで、小生も子どもの親となっているわけだが、あの戦争 は、大東亜共栄圏に日本人のタネを播く狙いだったことがよくわかる。

それでも結局、人類皆兄弟のタネ播き競争にまけてしまったのだ。子どももつくれず死んでしまった若い兵隊の帳尻は、東南アジアのあちこちに必要以上に播き 散らされたタネで埋め合わせになるのであろうか。

さいきん、新聞社のあいだで激しくなったのが「マチダネ」競争。これは天皇お得意の植物学上の学術用語ではない。たんなる業界用語で、巷のこまかなニュー スを指す。たとえば、幼稚園の運動会とか小学生の展覧会、演奏会の記事である。たいがい「黄色い声援」「熱心な観客の姿」「万雷の拍手」などキマリ文句で 色がつけられる。あとは社内報なみに市民の誕生、死亡の名簿が掲載され、「一生に一度はうちの新聞にお名前が載ります」との地元密着サービスとなる。

どれもこれも、政府広報の似たりよったりの紙面になってしまえば、あとはサービス競争だけ。毛の薄い首相に帽子を配ればリッパな記事になるが、一般家庭に バケツや柱時計を配って歩くのは記事にならない。それでとにかく名前を並べて記事にする作戦にしたのである。新聞社系週刊誌の、「有名大学入学者速報」な ど、有名高校、有名中学、有名小学校の宣伝と競争をあおりたて、教育をカネ儲けにしている元凶だが、新聞の名前集め競争は記者たちを忙殺している。

「もうすこしマシな記事はできないの?」
記者たちはたいがいこう答える。
「そう思うんですが、とにかく忙しくて」

新聞が政府の拡声器となってしまったこともあってか、さいきんの政治の退廃はすさまじい。文部大臣の海部俊樹などは、二十九歳から二十五年も衆議院議員 やってきて、議事堂に肖像画が掲げられる、あこがれの「掲額議員」となった。その祝賀会で「こんどは銅像だ」といったとか。あと二十五年も議員をやるつも りのようだ。どうしたことか列席していた社会党の武藤副委員長がカンパイの音頭をとって、「二一世紀の連合政権のときの総理大臣のために」とヨイショ。野 党第一党の最高幹部、あと二十五年は自民党の首相がつづくと思いこんでいるのだから、もはや救いがたい。

と、まあ、今月は思いがけなくも政治について書いてしまった。中曽根の退陣がちかづいたせいかもしれない。彼が首相に就任したあと、わたしは彼から配達証 明つきで「抗議文」を送りつけられている。四年たっても催促なしだが、返事をだす権利はまだ残っているはずだ。

さて、なにを送りつけようか。


「カフカ」ノート  高橋悠治


(まだつくってない「カフカ」、そのためのノート、そのためにつかえないノート、しんきろうみたいな作品)

ザウミ。ことばをこえることば。こころをこえることば(フレーブニコフ)
「牛のモーみたいかんたんことば」(マヤコフスキー)。
リズムをつくるのは母音のうたではない。子音はノイズ。音がちがづく。意味ははなれる。
にたかたちをくくりつけて、まくらことば。ものはたとえにかわる。すると、空間は時間にかわる。目は耳にかわる。うごきが人間になった。

ひっかかった音、かすれた音、しわがれた音、たよりない音。ひとつきでひっくりかえった音色。かきみだしてやろう。

昼間は役所でじっと、さなぎさながら。夕方。詩人の影が地上にはいのびる。アレクサンドリアのコンスタンティノス・カヴァフィス。プラハのフランツ・カフ カ。かれらのへやから暗闇がながれだしただよった。

きかいと動物、人間とことばがなかよくくらした流刑の森。

だれかによばれている。名前をくりかえしくりかえしよんでいる。リズムがめざめた。音がおきあがる。
音は――たたく、くりかえしたたく。それとも、はずれ。これが第1段階。
第2は、つづく。とまる。それから、うつる。
第3段階。くねくねながい線。階段をころげまわるこども。くたくたのリズムから力がぬける。
かたちは――しっかり、しるし。それとも、おもいで。
関係は――つけるか。かわりばんこか。べつべつか。

見えない映画のサウンドトラック。23分以内(46分カセットの片面)。1分から3分の断片のじゅずつなぎ。音色と身振りのマトリックス。
ポップ・ミュージックのそまつな原形。そざつという名のせんれん。クリシェをたちおとす。

息をみじかくくぎり、息で打つ。笛の管をとおして、それとも声。ふいごの息。いそぎあしの反復音。らんぼうなくぎりのアクセント。ひっくりかえる声。ひび われ、ひきさける笛ののど。


  夜の時間 カール・クラウス

ぼくからこぼれる夜の時間
ぼくは思いあたり 思いめぐらし 思いなおす
夜はもうすぐおしまいだ
外で鳥がいう 朝だ

ぼくからこぼれる夜の時間
ぼくは思いあたり 思いめぐらし 思いなおす
冬はもうすぐおしまいだ
外で鳥がいう 春だ

ぼくからこぼれる夜の時間
ぼくは思いあたり 思いめぐらし 思いなおす
人生はもうすぐおしまいだ
外で鳥がいう 死だ


手は2本、あたまはひとつ。
まず片手のうごきを記録し、それを再生しながら、もう1本の手をかさねる。手はおたがいから自由になった。

反対に――
片手のうごきを両手にわける。ふぞろいな、つまづく線ができる。

ブゾーニはピアノをひく手を3つの平面にわけた。内側――指1、2、3、中側――2、3、4、外側3、4、5。キュビズムの絵のなかのマンドリンみたい。 片手で2つのことを同時にできる。ひとつのことも、どの側でやるかでちがってくる。かれの演奏は異様に見えたらしい。手が鍵盤にぴったりはりついていて、 時々ぱっとうごく。同時代のピアニストのなめらかな手さばきにくらべて、不自然にぎくしゃくしていた。かれは独学だった。

準備をじゅうぶんする。準備の準備もほしい。準備のなかでプロットを複雑にする。滑走路であとずさりしている。とんでしまえば、あっという間だ。その瞬間 をさきにのばす。できるだけ。
条件をかぞえあげ、方法にこだわるのは、安全飛行のためではない。それより航路変更に賭ける。

ノートをとる。ノートをかきなおす。時間はこぼれていく。飛ぶ夢はうつくしい。それにくらべて、鳥はもうつくられてしまっている。改良の余地はない。


走る・その六  デイヴィッド・グッドマン


ひらひらのショーツ姿で、ソウル・ヒルトン・ホテルのエレベーターに乗る。鏡ばりだから、ぼくのうしろに立っている男たちがみえる。ビジネススーツに身を かため、革製のごく薄型のアタシェケースを片手にぶらさげているかれらは、白熱する韓国の経済にさらに拍車をかけるために、今朝も出掛けてゆくところであ る。エレベーターは十四階から下りていく。男たちは顔をしかめていない。ランニングウエアを洗っておいてよかったと、ぼくはほっとする。

先ほど、コーヒーがわりに飲んだコカコーラは胃のなかでぶくぶく泡立っている。ぼろぼろの靴下も、すでにくるぶしの下までさがってたるんでいる。空色と紫 のチマを着たエレベーター嬢は、ロビーを横切るぼくに微笑みをかけて、ぼくは励まされた気持になる。

回転扉を出て地図をみる。ちかごろ、ホテルはこういうジョギング・マップを用意している。「ご希望なら、従業員がお供しますので、お出かけになる前の晩、 アシスタントマネージャーまでご連絡ください」とも書いてある。外国にきて、走りたいけれども自信がないという人もやはりいるわけだ。

地図をみて、目の前に聳える南山をみあげる。まさか。ホノルルもこうだった。ホテルが用意してくれたジョギング・マップに従って走ったら、ダイヤモンド ヘッドを一周することになってしまった。登山じゃないんだから、まったく。もしかするとこれは共産主義者の陰謀なのかもしれない、世界中のホテルのジョギ ング・マップをこうした殺人的なものにすり替えて、国際ホテルに泊まる資本主義者を自滅させようという、邪悪な企みなのかもしれない。

たわけたことを推理しているうちに身体がどんどん冷えてしまう。これ以上ぐずぐずしてはいられない。ウォークマンのスイッチを入れてぼくは動きだす。流れ てくる唄は、フォリナーの『異なった世界/ツーディフレントワールズ』

     *

「韓国はカイの祖国だから、韓国にいるこの一週間はカイが中心だ、そのうち君の祖国のペルーにもいくから、そしたら君が中心になる」姉弟喧嘩を事前に防ご うと思って、六才になる娘のヤエルにこう説明した。二年前にわれわれの家族に加わり、一月に三才になった息子のカイのルーツを探しに、ぼくたち四人、韓国 にきていたのだ。

カイは馬山という韓国南部の港町に生まれたと、ぼくたちは聞いていたので、電車に乗って、ソウルから馬山に向かった。韓国の国土を見物する、いい機会にも なる、と思っていた。

ソウルを発って、五時間半後、馬山に着いた。イスラエル人の友達が紹介してくれた、馬山の顔役朴さんの運転手が駅まで迎えにきて、ロッテ・クリスタル・ホ テルに案内してくれた。翌日の朝、カイが一時収容された馬山エイリ保育院を訪ねた。朴さんが経営する倉庫会社の部長で、日本語のできる、蘇さんがついてき てくれたから、ことばの心配はなかった。

馬山に着いて間もなく、カイは馬山出身ではなかったことが判明した。エイリ保育院というのは、慶尚南道地方の施設で、慶尚南道で孤児になった、あるいは迷 子になった子供たちは皆一時的にここに収容されることになっている。徐副院長の話によれば、一時収容される子供たちのうち、四割は迷子で親が迎えにくる、 三割は国内の施設に送られ、満十八才になるまで国が面倒をみてくれる、一割は国内で新しい家族にもらわれて、残る二割は海外で養子になる。カイは毎年韓国 から海外に送られる一万人の孤児のうち一人であった、というわけだ。

カイが生まれたのは、馬山ではなかった。馬山から一八五キロ離れた蔚山(ウルサン)だった。ぼくたちは朴さんと相談して、タクシーで蔚山に向うことにし た。

     *

蔚山に着いたのは五月十六日の四時ごろだった。灌仏会(花祭)だったので、ぼくたちが目指していた蔚山の市庁は閉まっていた。それで時間つぶしに、ホテル の横を流れる川に沿って散歩することにした。市民はグランドで酒を飲み、歌をうたい、踊りをおどっていた。ぼくは危うくつかまりそうになって、酒を飲まさ れるところだったが、「哀号、あわれなる我が祖国よ、立ち直るのはいつの日か!」と顔を赤らめ、唇に赤唐辛子をつけて、ぶつぶついいながらぼくをつかまえ た男を振り切って、逃げるように川に向った。

「ほら、カイ、生まれ故郷の同胞たちは踊っている。華やかな民族衣装を身につけて、銅鑼をならして、踊っている。韓国人として、プライドをもちたまえ」 と、川端でゴミを拾うことで今にも母親を狂気に追い込みそうなわが息子に言おうと思ったが、振り返ると、「哀号、あわれなる我が祖国よ」の男がやってくる のが見えたので、駆け足でその場を離れた。

しばらく川岸を歩いていると、釣りをしている男たちに出会った。魚籃にはフナのような魚がたくさんはいっているのに気づいて、「見たい!」と子供たちは騒 ぎだした。いやだ、といっている和子を残して、ぼくは二人をつれて、土手を下りた。岩に腰をおろし、カイを膝にのせて、春のうららを味わった。男たちはカ イの顔を見て、ぼくの顔を見て、そして互いに顔をみあわせた。しきりに何かをいっているのが、韓国語のわからないぼくには、聞き取れるのは「国製」と聞こ える言葉だけだった。ぼくは社交しようと思って「そうだよ、この町に生まれた子だよ」と日本語と英語と両方でいってみたが、男たちは「こいつ、なにいって やがんで。さっぱりわかんねいじゃねいか」という意味らしいことばを荒々しい口調でいって笑った。居づらくなったぼくたちは、「それでは、失礼します、ま たいつかお目にかかりましょう」と挨拶して、土手をよじ登った。

「だからいったでしょ」と不機嫌そうなまなざしでぼくたちを待っていた和子は、われわれ全員が感じはじめていた旅の疲労を露にした。彼女はカイの腕を引っ 張って、すたすたホテルのほうへ引っ返していった。

その晩、焼肉を食べながら、ぼくたちは大喧嘩をした。そして、灌仏会の大パレードがおそくまでホテルの部屋の真下を行進したその夜、外へ出ないで、わかり もしない韓国のテレビニュースをみて、落ち着きを取り戻そうと努めた。

     *

子供を返しにきたと思われたらしい。

蔚山市庁に十時きっかりに到着したぼくたちは、市長の部屋を訪ねた。言葉が通じないので、漢字で「市長」とぼくの名刺に書いて、通りがかりの人に、三階と 教えてもらった。

「突然お邪魔します」というにも、いえないので、ぼくたちはつかつかと市長の部屋にお邪魔をした。「市長」と書いた、さっきの名刺を秘書らしい若い男に差 し出して、「御用件は?」という意味のことをいわれた。ぼくはカイを指して、この子のことでうかがいました、と説明した。日本語でいっても英語でいって も、「あなたのいっていることが全然わかりません」という秘書の表情は変わらなかったので、蔚山の市長の斡旋でカイが馬山エイリ保育院に送られた事情を説 明した手紙を見せた。われわれ宛てのその手紙はもともと英語だったが、馬山の朴さんに翻訳してもらっておいたのだ。

「よしないさい、誤解されるわよ」と和子はいったが、こちらの目的を説明するのに、この方法がいちばん手っ取り早いとぼくは判断した。ところが、ぼくが渡 した手紙をみて、部屋中の人々があわてて話し合ったり、あちこちに電話をかけたりしはじめた。まずいな、とぼくは思った。アメリカ国籍であり、カイ・グッ ドマンという名前の、ぼくたちの息子であることを証明するカイの旅券を急いで取り出して見せた。「我々の息子です。ご覧のとおりの立派な子供です。我々が 彼を返しにきたと思われては困る」と、手も足も動員して、カイを指したり、自分を指したり、部屋を走り回ったり、なんとか理解させようとした。

カイたちは、ヤエルが背負ってきたリュックサックを開けて、人形を出したり、玩具の車をだしたり、市長の部屋の応接間セットに登ったり、ガラスのコーヒー テーブルの下に潜ったりしている。写真を撮りたそうに先刻からうろうろとしているカメラマンは、機会を狙っている。和子はソファに座って渦巻く状況に句読 点を打つように、子らに注意をしたり、ぼくに指示したりしている。ぼくは紙をだして、擬似中国語で「我々之息子」、「調査」など、思いあたる数少ない共通 語のすべてを書き並べてみる。

蔚山市庁の公報室に勤めている季昌変さんが現れると、ぼくたちはかれを救いの神のように歓迎した。日本語ができるからだ。話が通じれば、なんということは ない。社会福祉部の係員がきて、社会福祉部に案内してくれた。「いま記録を探して見ます」と季さんは通訳してくれた。

戻ってきた係員は、カイの記録を持っていた。ハングルで書いてあるから、読めない。李さんは記録を読んで、翻訳してくれた。

「子供の性は朴です。蔚山市が彼を父親から預かったのは、八三年六月某日でした」カイは“捨子”で、両親のことなど一切不明だといわれていたぼくたちは、 季さんの説明を聞いて驚いた。「父親は後で子供を迎えにきたのだが、三日もたたないうちにまた預けにきて、消息を絶った。市は探したが、行方がわからす、 仕方なく子供を馬山に送った」

なるほど、そうだったのか。よかった。これでカイが大きくなって自らのルーツについて聞いたとき、ぼくたちは「お前は両親に捨てられた」という残酷な宣言 を下さないで済む。「お父さんは一生懸命お前を育てようとしたが、どうしてもだめだった。お父さんには、子供を見殺しにすることができなかったので、蔚山 市に預けて、育ててくれる新しい家族を探してもらうことにしたらしい」こう説明すればいいのだ。よかった。ほんとうによかった。

ぼくたちはカイの記録のコピーをもらって、彼が置き去りにされていたという住所にいってみた。眩しい五月の昼ごろだった。「コカコーラ飲みたい!」と騒ぎ たてている子供たちの写真をその家の前で撮って、カイのルーツ探しの旅を切り上げることにした。ホテルに戻って、荷物を取って、毎月行われる防空訓練が終 わったところで、タクシーに乗った。釜山で飛行機に乗り継いで、ソウルに帰った。メデタシメデタシ。

     *

「嘘だよ、そんなこと全然書いてない」子供が寝ついたころ、ソウル・ヒルトンに駆けつけてくれた友人の孫さんは、ぼくたちが蔚山で勝ち取った書類を読ん で、そういった。イリノイ大学のぼくの同僚であり、ソウルの延世大学の教授でもある孫さんは老眼鏡をもってこなかったので、フロントで作ってもらった書類 の拡大コピーをカクテル・ラウンジの薄明かりで読んで正確に翻訳した。

「まず、朴というのはカイの性ではない。カイを預かっていた人の名前だ。それから、あなたたちが訪れた家はカイが“捨てられた”場所ではなく、朴さんの家 で、カイは六カ月近くそこに住んでいた」

ぼくたちは唖然とした。蔚山の季さんはどういうわけか、ひどいでたらめをいっていたのだ。だが、二杯目のピニャコラダを飲みながらぼくは思った。もし蔚山 でいわれたことが全部本当だったとしたら、カイを蔚山市に預けた父親はいつか迎えにくるつもりだったのかもしれない。蔚山市は、彼の身元を知りながらも、 よくない父親だと勝手に決めつけて、「子供のためを思って」捨子だという書類をでっちあげて馬山に送った、ということになるかもしれない。それではカイは かわいそう。いつまでたっても疑問が残る。

だが、そうではない。朴さんという人にカイを預けた父親は、カイを迎えにきたものの、その後ふたたび預け、終いには、六カ月も預けたまま蒸発してしまっ た、というわけである。朴さんが知るにしても、父親の身元を蔚山市は知らない。朴さんはそもそも里親で、カイが一才になって這いだし、歩きだしはじめた ら、もう育てきれないと、市庁に渡したにちがいない。うむ、幸か不幸かぼくたちの子になったカイにとっても、カイの親になったぼくたちにとっても、この話 のほうがずっと説得力をもっている。

ぼくは孫さんに向かっていった。「それだったら、朴さんに連絡取ってみたい。六カ月も家の子の面倒を見てくださった方だし、お礼をいいたい。そして直接朴 さんに聞けば、事情がもっとはっきりわかるかもしれない。手伝ってくれますか」
「わかりました」と孫さんは答えた。

     *

日曜日の朝六時半、昨夜頼んでおいたルームサービスのウェーターが、コーヒーとジュースとパンを部屋まで届けてくれた。八時半の空港行きのバスに間に合う ように荷作りもしなければならないし、レストランでゆっくり朝食をたべている暇はない。

カイザーロールにジャムをつけて、コーヒーを飲みながらぼくは窓の外の南山を眺めた。きょうは走る時間はない。このあいだ走って坂道は苦しかったが、戻っ てきた時は、気持がよかった。たまには坂道もいい。ランナーとしてのスケールがそれだけ大きくなるような気がする。



編集後記

六月六日。小雨もよい。肌寒くてストーブがこいしい。
日比谷の松本楼で藤本和子さんの『ブルースだってただの唄 黒人女性のマニフェスト』の出版記念会がひらかれた。藤本さんの古い友人、新しい友人があつ まって、彼女と彼女のしごとをめぐるそれぞれの話に耳をかたむける。新しい本が出ると、それを口実に仲間があつまってお酒を飲んだりするということはよく あるけれど、きょうのはもっと正式な感じのする出版記念会で、それが証拠に、主役は金屏風を背にすこし緊張気味にみえた。
小さい人間は小さい人間、小さい本は小さい本である、カラワンのスラチャイは夏に出る予定の本(詳細は次号のかたより情報でお知らせします)に書いてい る。書くことは、こころの奥深くに名指しがたい幸福を与えてくれる作業で、視力と思考力と空想を使うだけのおしの世界だけれども、それは何ものにも邪魔さ れずに自分自身に対して自由でいられる、そのような状態なのだ、とも。
金屏風のまえに立つ緊張気味の藤本さんの姿に、校正刷りで読んだばかりのスラチャイのことばがかさなった。
出席した人たちもそれぞれナニカを感じたらしく、出版記念会をやりたいといいだす人が複数にのぼった。出版記念会をやるために本を出すというのが流行する かもしれない。実際、まだ本を出す予定すらないのに、出版記念会の式次第のほうはちゃんとできあがっている人もいるのだから。
藤本さん一家は今月末にアメリカに帰る。約一年の滞在だった。(八巻)




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