2016年1月号 目次

あかねぐもくぼたのぞみ
しもた屋之噺(168)杉山洋一
交互にやってくる暑さと寒さのせいで仲宗根浩
アジアのごはん(73)冷や飯食いのススメ森下ヒバリ
夜明け前のこと璃葉
人生のあらすじ植松眞人
一年の計大野晋
グロッソラリー ―ない ので ある―(15)明智尚希
製本かい摘みましては (116)四釜裕子
仙台ネイティブのつぶやき(9)雑煮のしたく西大立目祥子
抽斗を開けると時里二郎
申年に思う冨岡三智
134 混メール 長明さん、啄木さん藤井貞和
時のしなり高橋悠治

あかねぐも

葉をすっかり落として
折り重なる枝々を透かして
あかね色に染まる空が見える
だれもいない夕暮れを歩くと
鳴き交わす鴉の声が聞こえる
と思うまもなく
翼を広げた影が
ゆうゆうと道を横切っていく
裸木の枝で鳴いていたのは
途方もない災厄の年を送る
ゆく年の鴉だろうか 
くる年の命運を告げる
カッサンドラの鴉だろうか

空は刻々と翳り
そびえる建物の輪郭が
夕闇に溶けて
かわたれどきがやってくると
心はふたたび
遠い記憶へまよいこむ

あかねぐも
それは父の歌集の名前だったか
かの人の詩のことばだったか
まだ生まれぬきみが
祭り囃子を聞きながら握りしめた
わたあめの色だったか

溶けてしまった夢の糸は 
赤道をまたぐ羽衣となって
乾いた黄褐色の樹木の先の
熱波にしおれた葉群れに絡み
火のなかに輪を描きながら
きみが愛することばの連なり
紡いだ人の黄色い納屋へ向かう

両半球に散らばる
熟成期に入ったことばたちは
いま粉飾をそぎ落とされた
言語に変換されて
きみの内部に降りつもり
埋み火のように暖め
暗い時代に向かう道を かすかに
かすかに照らしだす
夢のような
雪はまだか

かわたれどきの
小暗い道で
いずれ生まれる
まだ見ぬ人が読む
夢のような
雪にほおずりする


しもた屋之噺(168)

低く暗い雲の立ち籠める大晦日の朝です。机上の樅の苗木は一昨日息子がアルベンガから持ち帰りました。庭の松も十年前に植えたときはずっとささやかなものでしたが、今では二メートルを超えるまでに成長しています。
二年ぶりにミラノを訪れた母と十歳の息子が同じ背丈で、息子の長靴で寒をやり過ごしたり、並んで台所に立つ後姿に感慨を覚えます。甘えるだけの東京での再会と違い、言葉が覚束ない祖母をミラノで迎えるのは、息子の責任感を駆り立てるのか、驚くほど頼もしく感じられます。

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 12月某日 ミラノ自宅
「火の鳥」のテンポを読み返しているのは、速度記号の単位が版でずいぶん違うから。実際に演奏可能の速度かは一先ずおいて、作曲者が何を意図したかを把握する。
指定速度が時代を追って遅くなるのは、演奏した実践結果に基づくものだろうし、初版でアッチェレランドとされた部分が、19年版で均一速度に統一したのも演奏上の都合かも知れない。

指定速度の単位が四分音符であったり八分音符であったり、附点四分音符だったりとまちまちなのは誤植と思しいが、どれが正しいか判断に悩む部分もある。19年版終章直前のコラールの不自然さは、本来テンポすら違う二つの素材が重ねられているからだが、和音も所々歯抜けになっていて、流石に音を直したい欲求に駆られる。19年版では「Moderato」など速度に関する表情記号はほぼ削除され、作品全体が無機質で合理的な音楽に仕立てあげられている。
尤も、作品も作曲者も時間と共に変化するのは自然の摂理であって、演奏が作曲者の意図を汲むべきものとするなら、どの時点に於ける作曲者の意図を目指すべきかも懸案とされるべきではないか。初版の初演前に意図した鮮烈な音像と、何度も自分で演奏し、角が取れ整理された音像とでは、たとえ見栄えが違っても同じ作者の別側面を表出する。近代作品ですらかかる問題を孕むのだから、況や古典やバロックの演奏解釈で喧々諤々になるのは当然だろう。

ローマのオペラでドナトーニの「Prom」をやる、とティートから電話。
「この音は本来このパートと同じだと思うのだけれど」、「ここに速度記号の抜けていると思う、直したいのだが」、と矢継ぎ早に質問を受ける。
自分はこう解決したと説明しながら、ドナトーニは自らの書き損じを甘んじて肯定していたのを思い出し、ほろ苦い心地になる。つまり本来手直しの必要はない筈だが、演奏する立場としては整合性から手を加えたくなる。二月にミラノで演奏する四人の女声とオーケストラのための「Fire」の譜読みしていて、何箇所か訂正したい欲求は抑えがたいから、ティートの気持ちは理解できる。

 12月某日 市立音楽院にて
朝は乳白色の霧に包まれている。幻想的と言えば聞こえは良いが、要は秋以降の雨量不足による大気汚染の悪化に過ぎぬ。
朝一番、エミリアーノに「ジュピター」のレッスンをしながら、一秒ごとに違う場所から音楽を眺めるよう奨めてみる。上から音楽を見下ろすと、旋律の頭が先ず目の前にあって、その下に内声の骨組が橋桁のように広がり、遥か彼方に低音の動きが垣間見えるし、下から見上げれば、低音の足の裏の向こうに、内声の足取りが見え隠れする。先回りして前面からまじまじと見てもいいし、後ろからそれぞれの音符の背中を目で追うのもいい。斜めに走る音の断面から、また違った音のバランスの発見もあるだろう。音楽そのものの足取りは邪魔せずに、我々の視点のみ瞬間移動し続け、音の質量を三次元で浮上がらせる試み。同じ視点から音を観察し続けた瞬間、音楽は途端に平面的でつまらなくなる。

その昔家人がメッツェーナ先生のレッスンを受けていて、四声のコラールの各声部のバランスを不規則に変化させて弾くよう指示されたのに、当時とても愕いた。
音楽の質量や質感は本来とても不安定で不規則で人間的であって、外声内声と役割分担させるべき機械的物質ではなかった。「声」は本来かかる凸凹のある空気振動ではなかったか。ロマン派以降では、感情移入や表出といった別の側面も考慮しなければならないが、モーツァルトやハイドンで音と音との空間を感情で埋めると、呼吸できない。

先週、ドイツでCD録音するカルテットにヴェルディの弦楽四重奏を聴かせて貰ったときも、同じように「音像を廻してみて」と頼むと、彼らがそれを由とするか否かはさておき、人間臭さというか古臭い懐かしい響きが立ち昇った。フィオレンティーノは「最近のピアニストはみな和音を崩さず几帳面に同時に鳴らすのがお気に入りだが、崩した方がずっと複雑に倍音が交じり合って音の立ち上がりが豊かなのに、実に勿体ない」とインタヴューで零していたが、技術やテクノロジーが進化する程に、退化し廃れゆくものもある。我々は一方的に進化していると錯覚しているが、対価として常に何かを失ってもいる。

 12月某日 ミラノ自宅
今朝もひどい濃霧で息子を学校に送ってゆくと目の前が見えない。
息子は朝、転入生の徐くんに中国語を教えて貰うと云って、中国語のテキストをコピーし張り切って出掛けた。徐くんは夏前にイタリアにやって来たばかりで、未だイタリア語が覚束ない。だから登校して出欠を取ると、すぐに特別クラスに呼び出されてイタリア語を中心とした集中講義を毎日受けている。クラスに戻るとイタリア語を解さないのを良いことに、卑語を教えてはからかう同級生が多い。息子は徐くんと漢字で筆談できて愉快だと言うのだが、彼の説明を聞く限り、互いに随分突飛な誤解を生んでいるようだ。尤も、からかうよりはずっと良いから、もっとやりなさいと励行している。

同級生たちは、徐くんはイタリア語を学ばなければいけないから、中国語など持っての外と詰るそうだが、その挙句卑語を云わせては笑うので始末が悪い。徐くんは実はカンフーの名人で、からかうと酷い目に遭うぜと嘘を吹き込めと息子に言うと、徐くんが運動神経に長けた風情は皆無だから駄目だという。徐くんは丸々と恰幅好く、人の良い印象だ。からかう連中の筆頭は長年少林寺拳法を習っているDで、母親は一流大学の語学の教授職、父親は人権派弁護士。母親はクラスの父兄代表だが相談できる雰囲気ではない。因みに徐くんは、英語と数学は好く出来るので、分からないと英語で説明を受けている。

 12月某日 テルニよりローマに戻る車中
Mさんよりお便り。
「日本は極東の果てで、ヨーロッパなどから遠く取り残された場所だと思います。そんな地理的条件に今まで護られてきたのでしょうか。一時期、経済大国第二位にまでなり、日本人は名誉白人にでもなったつもりで、でもその割には今ヨーロッパで起こっていることは遠い場所の出来事という空気になりつつあります」。
カリフォルニアでは銃乱射、ロンドン地下鉄ではナイフで暴漢が市民を切り付けたばかりだ。

今日初めて訪れたテルニは、小さな美しい町だった。スタジオに着くと丁度アルフォンソとセレーネがマンカの作品を録音しているところだった。セレーネが中世フィレンツェの聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツォというカルメル会修道女の奇怪な幻視録を朗読し、傍らでアルフォンソがピアノを弾く。恍惚と陶酔に満ち溢れる彼女の幻視は、宗教的というより寧ろ官能的だ。

「そこに現れたる聖アウグストゥスが、彼女に彼女が望む言葉をどうぞ書き刻み下さいますことを!その場所に彼女は歩を進めて彼に云うのでした。迸る血潮なら此方にございます、インキ壺の蓋も開いております。おお聖アウグストゥスよ、急いて下さいまし。あの聖なる焔と云わしめる甚だ高邁なる心に、書き刻んで下さいまし。それはもはや愛ではございません。最早、愛ではございません。ああ私のキリストよ。貴方が苦しみに耐えながら、私が苦しみを味わわずどうしていられましょう。私に千の命があったなら、全て貴方に捧げましょう」。

ヒルデガルトやメヒティルトのようなドイツの女性神秘主義者を思い出しつつ、延々と続く陶酔に嬉々として聴き入る。帰りの車中、自作の録音の立会いに行った筈が、すっかり君の作品に惹き込まれた、とガブリエレに連絡した。ペンをとる聖アウグストゥスの前に膝まづき、胸に聖なる言葉を書き刻んでもらおうと身を投げ出す彼女を描いた絵が、フィレンツェに残されている。深い陶酔状態の聖女たちを描く宗教画は、時として官能的だ。

 12月某日 ミラノに戻る車中にて
母の達ての希望で息子と三人でローマに出掛ける。
早朝、眼下に朝焼けのテーヴェレ河を臨むと、ヴァチカンはサンピエトロの穹窿が真っ赤に染まっている。街中どこかしこも警察と軍の警備が物々しい。テロの危険を肌で感じる。気温は5度。母と息子は「あんたがたどこさ」で遊んで身体を温めている。
昨晩、母と息子が初めて口にした「牛胃トマト煮」を何杯もお替りするのに愕き、ザンポーニャ吹きとチャルメラ吹きがフラミーニア通りを流す姿に心を躍らせた。ローマでは、冬になると未だ山からザンポーニャ吹きが降りてくる。

カラカラ浴場やコロッセオを巡りながら、十歳の息子は祖母に歴史や風習をさかんに大声で説明した。授業で習った床のモザイクなどを実際目にして興奮が抑え切れないようだ。人影まばらなカラカラ浴場で、「何故これほど大きなお風呂が必要だったの」と母は繰返し感嘆したが、確かに富士山の壁絵の日本の銭湯とは規模が違う。その割に、残されているアッピア街道の路肩が案外狭いのが不思議だった。

 12月某日 自宅にて
ドナトーニ「Fire」譜読み。ワーグナーの引用箇所が明確になって、漸く全体の謎解きが氷解しつつある。当時ドナトーニはワルキューレのレコードをかけながら仕事していると笑っていたが、意味が分からず戸惑っただけだった。
諧謔的に「死」を扱う「Fire」の「焔」と、ブリュンヒルデを眠らせる「火」が繋がっていて、最初に表れる「フニクリ・フニクラ」の動機は、火山へ登る登山電車から採られている。ではジークフリートの引用の意味は何だろう。末尾ではショパンの「葬送行進曲」とその第二主題が重ねて使われている。少しずつパズルが解けてくると、グロテスクに見えてくる。
女声四人の存在も「ワルキューレ」と無関係ではないだろう、とマリゼルラに話すと、「きっとこればかりは後天的に繋がった伏線じゃないかしら」と笑った。「Esa」の素材の端々が、実は変わり果てた「フニクリ・フニクラ」の断片だったりして、荼毘に付された白い遺骨を拾う錯覚に陥る。
耳が少し遠くなった母が日本に戻ったので、話し声が静かになって寂しいと息子が少し泣く。

 12月某日 ミラノ自宅
息子は最近同級生の中で特にフィリピン人のエドリックと仲が良い。息子と同じようにフィリピン人の夫婦のもとミラノで生まれた。週末は教会の合唱隊で歌っているという。或る時、そのエンドリックが息子に向かって「でも日本は昔フィリピンを二回征服したんだ」と話したと聞いて愕くばかりだった。突然のことに、息子は「昔は日本人も間違ったことをしたかも知れないけれど、今の日本人はもうそんな事はしないから」と答えるのが精一杯だったそうだ。ミラノ生れの10歳のフィリピン人が、日本人という単語に過去のフィリピン征服を思い起すことに衝撃を受け、いつも微笑みながら挨拶を交わすエドリックのお母さんとエドリックが、そんな風に日本について話すところを想像して、少し悲しくもなった。第一、いつもはしゃぎ回って先生から大目玉を喰らう役のエドリックが、政治や戦争について話すのも意外だった。
日本がフィリピンを二度征服したという本意は不明だが、少なくとも彼らからそう受取られる歴史的事実があったのだろう。「バターンの行進」と「マニラの虐殺」を差しているのかも知れない。政府間での戦後処理裁判はさておき、友人関係において大切なのは、何が正しいかを互いに主張するより寧ろ、相手がその事実をどのように理解しているかを正しく理解し、どうすれば納得できるかについて、率直に話し合うことかもしれない。エドリックに向かって、日本軍がフィリピンを植民地化したのは一度きりと息子が主張したところで、エドリックの心は頑なに閉ざされるばかりだったろう。
フィリピン人から見た戦時中の日本軍の行動が、我々日本人の認識と違っていても仕方がない部分はあるだろう。何しろ立場は全く逆だったのだから。フィリピンが太平洋戦争で日本とアメリカの戦場に選ばれてしまった不運の地であることには変わりがない。
解決を見たことになっている韓国との慰安婦問題は、既に国家間の補償問題に発展しているから、エドリックと同じように扱えないのは当然だが、彼のふとした呟きに、韓国の人たちが納得できない想いの一端を垣間見たような気がした。

(ミラノ 12月31日)


交互にやってくる暑さと寒さのせいで

「under control」と言ってオリンピックをやるというのはいいことなのだろうか?
基地の跡にディズニーランドを誘致するのはいいことなのだろうか?
「抑止力」という言葉で片付けるのはいいことなのだろうか?
どちらが経済効果があるかを比べるのはいいことなのだろうか?
いろいろなものが入り組む複雑さの前に、よそ者が簡単なことは言えないというのはいいことなのだろうか?
小さな小さな間違いをいけないこととして自らの納得いくまで相手の回答を頑なに要求するのはいいことなのだろうか?
戦争状態という名のもとに原子力で動く航空母艦を出すことがいいことなのだろうか?
テレビ、新聞を見て共感したり反発したりすることはいいことなのだろうか?
許可を得たからといってどんどん海に土砂を放り込むのはいいことなのだろうか?

暖冬というより暑冬を過ぎて、12月の雨の日は少し蒸して半袖で過ごしたあと少しばかり寒さが来て、暖房の無い部屋て少しばかり厚着をする。


アジアのごはん(73)冷や飯食いのススメ

テレビ、電子レンジ、炊飯保温ジャー。現代ニッポンではごく当たり前の電化製品かも知れないが、ワタクシはこれらの電化製品を所有したことがない。中学まで住んでいた親の家にはもちろん3つともあったが、高校で家を出て以来、自分の居住空間にこれらがあるのがどういうわけかイヤなのである。ほしいと思ったことがない。くれると言われてもお断りしている。

で、ご飯は何で炊いているのかというと、ある時期は鍋だったり、圧力鍋だったりして、現在は炊飯用のみすずの土鍋で炊いている。これはとても使いやすく、小さくて場所をとらないのもいい。ご飯を食べたい1時間前にお米を洗って30分浸水し、だいたい15分中火で炊いて、火を止めて15分蒸らす。もちろん、何時間か前に米を洗っておいてもかまわない。火の調節はしないでいいのでタイマーさえセットしておけば楽ちんである。この土鍋では玄米は炊きにくいが、玄米は身体に合わないと分かったので、玄米健康神話から解放されて、心置きなく7~9分搗きぐらいのほぼ白いご飯を炊いて食べている。波照間島のもちきびを混ぜ込んで炊くのがお気に入りだ。

朝ごはんは食べないので、昼にご飯を炊くのだが、そのとき夕食の分も一緒に炊く。昼は炊き立てのご飯を食べ、夕食はそのまま冷や飯を食べるのが好きだ。持ってないけど炊飯ジャーで保温したご飯の味が好きではないし、温め直すために電磁波の強い電子レンジを買うなど考えられない。蒸し直すのも手間のわりにおいしくないし。だったら冷や飯のままでいいじゃないの。

京都人の連れは「それはいや」と冷や飯を断固拒否するので、以前は仕方なくお粥にしたり、雑炊にしたりしていた。京都人はお粥やお茶漬けを日常的によく食べるが、ヒバリにとってお粥は病人食だし、水っぽいお茶漬けもたまにはいいが毎日は食べたくない。冷や飯はけっこうおいしいと思うのに、連れがそこまで嫌うことがどうにも理解できない。

子母澤寛の「味覚極楽」(中公文庫)には飯は冷や飯に限る、という一節がある。「絶対熱い飯は喰わない。いや喰えなくなってしまった。そのため朝など女中さんが困ることもあるらしいが、少し硬めの冷飯に、その代わりだしのよく利いた舌の焼けるようなうまい味噌汁、これが私の一番好物」

ふむふむ。昼の残りのごはんを塩にぎりにしておいて夜に食べるのもいいな。あったかいおにぎりはおにぎりじゃない、と思う。もちろん、子母澤寛のように毎食すべて冷飯ということはなくて、1日2食のうち1回は冷や飯で何の不満もない、という具合だ。

前回の水牛通信では、痩せようと思って朝ごはんをココナツオイルとプーアル茶だけにしたところ、意図しないうちに長年の悩みであった低血糖の諸症状を改善し、血糖値コントロールに成功した話を書いたが、それから面白くなって血糖値を上げない食べ方や食べ物、腸内細菌について調べているうちに、思わぬところで冷や飯に出くわした。

それはレジスタントスターチ(難消化性でんぷん)としての冷や飯である。レジスタントスターチは食物繊維と同じような働きをする。胃や小腸では消化されず、大腸へ送られて腸内細菌の重要なエサになるのである。放射能問題に頭を悩ませているうちに、世界では腸内細菌の働きに関して、ここ数年で研究が飛躍的に進んでいたのだった。

腸内細菌の働きについてはここでは書きつくせないが、とにかくわたしたちの腸内に共生する細菌たちはとんでもなく多く、その数は3万種1000兆個にも達するとも言われる。腸内細菌が腸内で食物繊維やレジスタントスターチをエサとして発酵分解すると、酢酸、プロピオン酸、酪酸などの人のエネルギー源である短鎖脂肪酸を産生し、さらに抗酸化作用を持つ水素、ビタミン、ミネラル、アミノ酸、各種酵素また脳内物質の前駆物質、ホルモン様物質なども産生する。要は、腸内細菌は人にとってものすごく重要な働きをする、なくてはならない共生細菌たちなのであった。

腸内細菌の働きは多種で複雑だが、大まかに分けて人にとって有益な働きをすることが多い菌たちを善玉菌、よくない働きをする菌を悪玉菌、どちらにも属さず多勢になびくものを日和見菌と呼ぶ。善玉菌の腸内フローラを増やし、各種の菌の絶妙なバランスを保って腸内の健康を保つことが、身体の健康を保つことになる。この善玉菌の働きを助け、エサになるのが食物繊維やレジスタントスターチである。

レジスタントスターチを多く含む食品は、いんげん、小豆、かぼちゃ、とうもろこし、大麦、玄米、白米、じゃがいも、さといもなどのでんぷんを含む野菜や穀物だが、これらの食品に含まれるでんぷんは、加熱されるとα化する。そして、それがゆっくり冷やされるとレジスタントスターチが倍増するのである。ちなみに小麦はレジスタントスターチの含有量が非常に少ない。玄米も白米も全粒小麦の10倍近く含む。

つまり、冷や飯を食べると、胃や小腸で糖分としてほとんど吸収されないということである。腸内細菌の非常に有効なエサとなるだけでなく、血糖値を急上昇させることがない、ということではないか。なんと!血糖値の急上昇はインシュリンの放出を呼び、それが血糖値の急降下を呼び、この血糖値のジョットコースターが身体にとって非常に悪い。これを日常的に繰り返すと、たんに低血糖でイライラするとかのレベルでない病気の元となってしまうのだった。肥満、ぽっこりお腹、老化、認知症!、糖尿病、高血圧。血糖値異常がつながりあって生活習慣病のさまざまな病気を引き起こす。

冷や飯は、温め直すとレジスタントスターチは元のように減ってしまうので、冷たいまま食べるべきである。お弁当のごはんやおにぎりも。じゃがいもはポテトサラダに、小豆は砂糖を加えず塩少々であんこを作るとすばらしい。いんげんは煮物より茹でて冷ましてサラダや胡麻和えに。

そういえば、以前面白く読んだ「最強の食事」(デイブ・アスプリー著、ダイヤモンド社刊)にもレジスタントスターチの話が少し書いてあった。読み直してみると、これらレジスタントスターチはそれをエサとする種類の菌が腸内にいないと、まったく意味がないようだった。この本の著者は、アメリカ人だが、冷や飯を試したところ、腹部膨張感と下痢に悩まされたという。

善玉菌にも膨大な種類の菌がいるわけで、うまくあなたの腸にいればもうけもの‥と著者は言うが、水田が広がり、米を常食する日本人やアジア人にとっては何の問題もない。あなたのお腹にはほぼまちがいなく、冷や飯レジスタントスターチを分解する腸内細菌が常在菌としている。

牧畜民族以外のアジア人は、デイブの推奨する「牧草を食べている牛の乳によるバター」を大量摂取して酪酸を得るより、冷や飯やカボチャなどを食べて腸内細菌に酪酸を作ってもらうのをメインにするのが正しい選択であろう。酪酸は人体にとって非常に有効で重要なエネルギー源である。

冷えたおにぎりを食べると異常にお腹が張るとか下痢するという人でないかぎり、冷や飯を食べることで簡単に腸内環境を整えることができるとは日本人は幸いである。しかも大量に食べる必要はない。夜に小さ目の茶碗一杯で十分なのである。

なんか好きじゃない、という理由でご飯を炊いて保温する電気炊飯ジャーも容易に温め直しができる電子レンジも持たないヒバリは、知らず知らずのうちに腸内フローラを整えていく環境がそろっていた。

「そういうわけなんで、これからは夕食のごはんは、君もお粥はやめて、冷や飯でいくから」と京都人の連れに申し渡したところ「ええ~、それはちょっと」と、盛り付けられた冷や飯を手に取ると、自分でお湯を沸かしてお茶漬けにしてさっさと食べはじめた。ココナツオイルコーヒーも拒否されたし、連れの身体改造計画は遅々として進まない‥。

2011年3月以来放射能が降り続けるこの国に住んで生きていくなら、自身の免疫力を上げていくしか生き残る道はない。免疫力を最大限に上げるには腸内フローラを育てていくしかないのだ。さあ、電子レンジと炊飯保温ジャーを捨てて、冷や飯を食べよう。


夜明け前のこと

明け方に目が醒めたとき、横になったまま、ぼんやり考え事をするのが好きだ。
その時間に考えることは妙に落ち着いていて、
真っ白な画用紙を目の前にしたときと少しだけ似ている。
図形、文字の塊、影の山、凪、落ち葉の滑る音。
頭のなかに淡々と映し出されていく映像と音は、夜明け前の静けさそのものだ。
辺りが白んできたときの静寂と怪しさに、自分が共鳴しているのではないか、とも思う。
音は色と線になり、身体の片隅に残る。すり抜けていくものはそのまま見送って、
留まったものは紙の切れ端に書きとめることにしている。
その走り書きを後から見ると、大半は苦笑いをするが、書いておいて
よかったと思えることもあるので、この遊びがすっかり好きになってしまったのだった。
夜から朝に変わる間の、ささやかな楽しみは、しばらく続きそうだ。


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人生のあらすじ

 生まれたとき、彼はごく普通だった。父と母は恋愛結婚でちゃんと結婚をしてから彼をもうけた。
 学校に上がる前は意外に賢いと近所で評判になった。評判になるきっかけは、本屋の店先で大人向けの週刊雑誌の見出しをつまることなく読み上げたりしたからだ。なかには少し見聞をはばかられるような見出しもあり、人によってはこの子を野放しにしておくと危ないという声もあったと聞く。
 両親は私立の学校に行かせるのは経済的に無理だと判断したのだが、いややっぱり行かせた方がいいという人がいて資金的な援助までしてくれて、無事に私立の小学校へ通うことになった。
 その時に援助してくれたのがサカモトさんという父の親友で、サカモトさんの援助は父や母に見えないところでも実あったのだということは随分と後になってから知らされることになったのだが、サカモトさんと母には男女の関係があったからだという人もいるが、真意は定かではない。また、彼の顔はサカモトさんではなく見事に父親に似ていた。
 小学校では算数が得意で、中学、高校の数学の問題でも、遊びながら解いてしまうことがあり、担任が興奮のあまり、たまたま居酒屋で知り合ったNHKの教育番組の担当ディレクターにそのことを伝えてしまった。そのディレクターは面白がってローカルニュースのほんの三十秒ほどの枠で取り上げると、番組を見ていた有名私立中学や高校から連絡があり、入学金授業料免除できてくれと伝えてきた。
 そのなかでも一番理数系の教育に実績のあった学校に進学した。入学して最初の数学の時間に、担当の教師はフェルマーの大定理について話した。数学への興味を持たせるための話題であり、特にフェルマーの大定理についての説明があるわけではなかった。いかに人は何かを仮定し、仮定されたものを証明しようとするのか、ということを教師は面白おかしく話した。
 大半の同級生たちは笑いながら聞いていたのだが、彼は教師が板書したフェルマーの大定理についての走り書きをじっと眺めていた。眺めながら、それを解き明かすことの愚かさ、という言葉を思い浮かべた。思い浮かべた瞬間に、数式は霧散して笑っている教師と級友たちを愛おしく思う気持ちに満たされてしまったのだった。
 その日から、彼は数学の勉強を一切しなくなり、文学にのめり込んだ。
 もちろん、数学的な理路整然とした思考回路は生きていたのだが、できる限りそれを封印して、文学的な曖昧さを大切にしようと決めてしまったようだった。おかげで、明確に答えがわかっている場合でも、答えを書かないという選択をするようになってしまい、成績のほうは曖昧さの欠片もなくあっという間に最下位にまで落ちてしまった。
 しかし、理数系に長けた同級生たちの間での評判は依然として高いままで、彼の曖昧な受け答えは人としての深みとしてとらえられ、中高一貫教育が終わる頃には、マスターの称号で呼ばれるようになった。
 成績が最下位のマスターは、彼をマスターと呼ぶ同級生たちの代返やテスト用紙入れ替えなどの不正を支えに学校を卒業した。卒業式の日には彼の使っていた木製の机に『知のマスター、ここで学ぶ』と彫刻刀で彫った者がいて、後日、後輩たちの生徒会で、学校備品への落書きいたずらは禁止、という言わずもがなの校則が加えられた。しかし、『知のマスター、ここで学ぶ』と刻まれた文字は校則が出来る前のものだということで、そのまま残された。
 大学に行かず、市ヶ谷駅近くの釣り堀に就職した後、彼は画期的な釣り堀の水の濾過装置を考案した。これまで濾過装置よりも材料費などが半分以下で、しかも効果が目に見えて素晴らしかったので釣り堀になくてはならない存在となった。
 働き始めた翌年には、釣り人にすれて釣れなくなってしまったフナを再び釣りやすくするシステムを考案した。それは、環境が変わるとフナは初心に戻るという習性を利用したものだった。釣り堀のフナにタグ付けをして、升目に分かれた釣り堀のフナを徹底的に調査した。その結果、同じフナ同士を一カ月以上同じ升目に入れておくと、互いに協力しあって、釣り人の仕掛けを教えあっているのではないかという仮説が浮かび上がってきた。そこで、タグ付けされたフナ同士が必ず一カ月未満で別の升目に引き離されるようにしてみたのだった。
 あの釣り堀のフナは釣れる、と評判になるまで時間はかからなかった。日がな一日、ぼんやりと釣り糸を垂れているだけで満足していたかのように見えていた釣り人たちが、釣れるとわかると前のめりに釣りを楽しみだした。都心に釣り堀がないこともあり、かろうじて経営できていた釣り堀は近隣からの客で満員になり、なかには本格的な海釣りを楽しんでいた釣り人まで集まりだした。
 半年で、釣り堀の経営は大幅な黒字を記録して、その利益を巡ってオーナーをだまそうとした実の息子との裁判沙汰が起きた。裁判自体は不起訴となったのだが、嫌気のさしたオーナーは彼に釣り堀を譲りたいと言い出した。釣り堀に集まる釣り人を眺めているのが好きだったので、彼は引き受けることにした。オーナーの息子は、彼を非難したり誹謗中傷のビラをまいたりもしたが、毎日釣り堀を穏やかな顔で眺める若者がそんなに悪い奴であるはずがない、という周囲の支えが息子の悪意を押し返した。
 三十歳を目前に釣り堀のオーナーとなった彼は、釣り堀に人が集まりすぎていることを懸念して、人が集まらない工夫をした。あえて、フナ同士を一カ月以上同じ升目の中にいれるようにして、釣り人たちをがっかりさせるようにしたのだった。
 しかし、いったん人が集まりだした釣り堀は釣り人同士が仲良くなり、釣果に関係なく釣り堀に集まるという習慣ができあがってしまっていた。釣れても釣れなくても釣り人が集まるという状況に、曖昧さを喜びとする彼は素直に嬉しかった。そして、もうこれからは釣り堀になんの工夫もしないことを決めたのだった。
 あっという間に五十年が過ぎた。その間、彼は釣り堀を見守っていただけで、心に決めた通り、なんの工夫もしなかった。西暦は二〇一五年になり、その年も終わろうとしていた。彼は釣り堀のオーナーとしてもうすぐ八十歳になる。今日も釣り堀の隅っこに作られた電話ボックスのような監視小屋で釣り堀を眺めている。そして、いままでそんなことは考えたこともないのに、ふいに人生を振り返ってしまったのだった。
 たくさんのフナを生かしたり、釣らせたりしてきた人生だったなあ。彼は楽しそうに声に出すと、立ち上がり、監視小屋を出て、まだ釣り人が誰もいない釣り堀に飛び込んだ。(了)


一年の計

新年明けましておめでとうございます。

この年末年始は、システム構築の成功に関する知識体系の枠組みを定義するという宿題をもらって、頭の中がシステム関連でいっぱいになっています。

コンピュータが利用できるようになって、私たちの身の回りは様々なものが人工的に再構成できるようになってきています。その一方で、複雑化するシステムはさまざまな問題も私たちの身の回りに起こすようになってきています。

といいますか、まずはその「システム」自体をどうとらえるかが一番の問題であったりするのです。以前も書いたような気もしますが、システムとは人間が作った全てのものをそう定義することができます。少なくとも、社会学におけるシステムとは、コンピュータとそれを利用したソフトウェアだけではなく、そうしたものを利用する環境も、また、コンピュータを利用しないものもシステムだと定義されています。そうした広い範囲のシステムに対して、私たちはどのような構築のためのノウハウを持っているのか?というのが、今後、4年間のテーマであったりするのです。

さて、どのようなものができあがりますか。こうご期待ということで、明日もうんうんと唸ることにしましょう。なんとなく、この1年を象徴するような年始になりそうです。

ああ、その前に年賀状を刷らないといけません。

では、今年もよいことが訪れますようにお祈りしております。


グロッソラリー ―ない ので ある―(15)

 1月1日:「おまえもいずれは彼女を作るんだろうけど、似非お嬢様には気をつけろよ。昔なぽろっと貧乏だからと言ってしまった女がいて、大慌てで『貧乏症だから』と必死に訂正してた。もういいじゃん貧乏で。実際そんなにカネ持ってなかったから、まあおごらされるわ。飲めもしないのにワインバーとか行って全部こっち持ちだ――」。

(/∇≦\)アチャ-!ミテランナイ

 歳をとると、だんだん孤立感が増すように思うようじゃが、実際はそうじゃないんだなこれが。確かに年賀状はほとんど来なくなったし、来客もないに等しい。やってくるのはセールスマンくらいじゃ。だけどな、生活費はかかる、税金は取られる、妙な噂を立てられる。若い時とさして変わらぬくらい世間様に縛られておるんじゃよ。磔刑じゃ。

( ・ 。 ・ ; )

 ある晴れた日の夕方、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソは、ヨアンネス・クリュゾストムス・ヴォルフガングス・テオフィールス・ゴットリープ・アマデ・アマデーウス・モーツァルトの曲を......。

ρ(ーoー)♪

 何でもいい。積極的な行動を終えて家に帰ってくると、部屋にこもっていた時に抱いていた嫌悪感や罪悪感、その他細々とした精神・神経の厄介な付着物が、根絶・一掃された心境になる。これは行動と探究が一度に働かないことを意味している。研究者的なサッカー選手、野球漬けの哲学者などいようか。もしいるのなら名乗り出てほしい。

( + o + )

 素人理論、グラフ理論、ラベリング理論、文化葛藤理論、電弱統一理論、力の大統一理論、カオス理論、究極理論、アノミー理論、プロスペクト理論、期待効用理論、ドリフト理論、符号理論、公平理論、批判理論、論理階型理論、特殊相対性理論、暗号理論、比較優位の理論、スカラー・テンソル理論、超重力理論、ゲーム理論、心の理論。

:-P

 机の上の整理からはじまって軍隊の統率まで、人の世では暗黙裡に秩序が求められる。秩序のための秩序と表現できるくらいやや強迫的。一般に、興味深い人間は無秩序から生まれ、紋切り型の真人間は秩序から生まれる。一方で混沌とした社会という言葉もある。試しに無秩序や混沌をスローガンに方向転換しても面白い。WEIRD THE WORLD。

ヽ ( ^ o ^ ) 丿

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(ノд`@)アイター

 1月1日:「ワインの味ってわからないねえ。酸味の強弱や甘いかどうかはわかるんだけど、おいしいかどうかがまるでわからない。子供舌なのかね。自分がそうやってわからないもんだからさ、ワインが好きなんて言ってるやつはただ気取ってるだけって決めつけちゃってるんだよ。確かによくないよ。勝手に決めつけちゃうってのは――」。

( ^^)/▽☆▽\(^^ ) カンパーイ

 一生分の強壮剤でも痛飲したみたいに、勢いだけで生きている人には、生の諸法則や精神的達成など縁遠い。不断の興奮が万難を排する。巨大なタイヤで各所の陥穽を通過し、疲れていても大口を開けて問題を豪快に食らい、気づけばお歴々の仲間入りをしている。怠惰になることを知らないだけに、こういう人種は突然死もしくは夭折しやすい。

( T o T ) /~~~

「なに見てんだよ」「お前が見てるからだろ」「お前のほうが先に見てただろ」「俺じゃねえよお前だろ」「じゃあ見るなよ」「お前こそ見るなよ」「見るなって言ってんだろ」「見てねえよ」「見てるじゃねえかよ」「うるせえな見てねえよ」「だから見るなって言ってるだろ」「見てねえよ」「さっきからずっと見てるじゃねえか」「なに見てんだよ」

(¬з¬)σ ナニミテンダヨ

 ブックワームの自覚がある人は気をつけたほうがいい。本と読者の二項対立は、精神のインフレーションを引き起こすからだ。共感も反対意見も、ゼロの底からインフレの元凶が随時蓄積されていく。歯止めがかからないのが常、逼迫感にさいなまれ始める頃には、非社会的行為が両手を広げている。我に返れればスタグフレーションで大団円。

<( ` ^ ´ )>

 1月1日:「でもその人の趣味・嗜好って結構重要だと思うんだよな。楚々とした人がウオッカがぶ飲みするなんてことを聞かされた日にゃあ、その後の付き合い方が変わるってもんだ。酒だけじゃなく、休日の過ごし方とかどんな服装が好きかとか、そういう情報が多いほど当たり外れが少ないからな。ま当たり前の話かもしれないけど――」。

∈( ̄o ̄)∋ ホーッ

 ついてない時ってのはついてないねえ。先月なんか正月の3日に車に追突され、翌日はわしの粗相で逮捕。その後の約2週間は留置場生活。病気を悪くして娑婆に戻ったら、罰金刑などで多額の借金ができていた。仕事の面接も落とされるしどうしたもんかと思ってたら、友人が病死した。あの世へのプレリュードってのはこういうもんなのかねえ。

( ー ー 〆 ) ゼンカイッパン

 喫煙者だと言うとタバコはやめたほうがいいと言う人が増えた。一つ断わっておくが、煙が嫌いだからという本音を、あなたの体に悪いからとすり替えるのは勘弁だ。体に悪いのは承知で現にある通りになったわけであり、そもそもこちらの健康を云々する応分なのかと問いたい。タバコはたかが一本で軽く悶着を起こせるほど人気ということか。

( *ω*)y─┛○o。

インタラクティブでクロスオーバーでボーダレスでシームレスでオルタナティブでアクチュアルでコミュニカティブでインテレクチュアルでトピックメイキングでセグメントでドラスティックでデフォルトでシュリンクでロングテールでブレインストーミングでクラウドソーシングでセスイーエムでビートゥービーな、けん玉。

ハイハイ (´。` ) =3

知らないことだらけの世。知ってはいけない、知られたらいけないこともあるだろう。好奇心・向学心・知識欲。これらがどれだけ作用しているのか不分明だが、多くのことを知りたい。知るために知りたいのではない。変質コレクター趣味なのかもしれない。知って知って知りまくる。そうして忘却の彼方へ消えた良き思い出の補填にもする。

(゜-Å) ホロリ


製本かい摘みましては (116)

水を使うことなく古紙を新しい紙に作り変えるというエプソンのオフィス製紙機「ペーパーラボ」を「エコプロダクツ 2015」で見る。デモが始まってまもなく「では、入れてみます」と幅2.6×奥行1.2×高さ1.8メートルの機械に1枚の古紙が投入された。紙を作ると聞けばどうしたって抄紙機を思い出すわけで、となると目の前にある機械はあっけないほど小さいのだがオフィス仕様というわりには大きく感じる。人だかりを前に淡々と説明が進むうちに向かって左側の吐き出し口から1枚の紙が出てきた。さっき入れた紙がこの3分で白い紙に生まれ変わったという。機械の内部が見えないので実感が持てない。1枚の再生紙に使われる古紙は1.2〜1.3枚分、1分間にA4サイズなら14枚、1日8時間稼働すれば6,720枚が製造可能、2016年には実用化したいと言う。

水を使わないとなれば目も表裏もないだろうからビリリと破るとどうなるのか試したかったのだけれど、できた紙を持ち帰ることはできなかった。係のひとに触らせてもらうと、柔軟性に欠けていかにも押し固めたふうでパリパリしているだろうという想像とは違っていた。言ってみれば見た目にもごくふつうのプリント用紙で、会社で使うには十分のようだ。色つき紙もあった。色上質紙にあるような淡い色が作れるそうで、機械の上部3割程度のスペースにはそのためのインクカートリッジが入っていた。香りもつけられます、風合いもいろいろできるようになります、と言う。そういうことよりも機械がよりコンパクトであることをアピールしたほうが初披露には良いのにと思ったが、社会にはアップサイクル(Upcycle)というキーワードがあるようだった。

さて、そのしくみとは。モニターやパンフレットにはイメージ画像とともに「ドライファイバーテクノロジー 使用済みの紙→繊維化→結合→成形→新たな紙へ」の文字がある。ブースで名札をさげたひとをつかまえると限られた言葉で説明してくれた。まず、古紙に機械的衝撃を加えて繊維化する。繊維化ってどうなるのですか?と尋ねると、ガラスシャーレに入れた実物を見せてくれた。細かいチリの塊というか綿ぼこりを少しギザギザにしたような白い物体で、しかし蓋は開けてくれなかった。古紙の表面に付着していた色などはこの機械的衝撃で分離されるという。次に、結合素材を加えて繊維をからませ、あとは加圧して薄くする。結合素材はプリンタのインクカートリッジのような交換式になるようだ。色紙にする場合は繊維に色成分を、白度を増す必要があれば白を加える。シンプルなしくみだけに「機械的衝撃」という言い回しが衝撃的で、これがどんな技術の応用で、あるいは他にどんな可能性があるのか、とても興味深い。

通常、古紙は、まず水の入った大きなミキサーのような機械に投入されて水と混じりながら繊維にほぐされ、異物をのぞいてインキを抜かれると古紙パルプとして紙作りの原料となる。抄紙機では水で薄められたパルプが薄く網にふきつけられて、脱水、乾燥、プレスなどを経て紙になる。とにかく、水、水、水。水に繊維を泳がせることで繊維がからみやすくなり、結果丈夫な紙になる。水の流れの向きに繊維が並ぶので紙にはおのずと「目」ができる。一枚の紙を縦と横に折り比べればその紙の目がわかる。折り曲げやすい向きがその紙の目だ。本や雑誌はみな自分の天地に紙の目が合う。そういうふうに作られるから、図書館に並ぶ本もネット本屋の書影も机に置かれた同人誌も、どれもみな水や樹々の流れを背に負っている。浴室の排水口に向けて髪の毛が並ぶのも似たようなことだ。相似が世界を近くする。

JIS(日本工業規格)によると紙は「植物繊維とその他の繊維を絡み合わせ、こう着させて製造したもの。なお、広義には素材として合成高分子物質を用いて製造した合成紙、合成繊維紙、合成パルプ紙の他、繊維状無機材料を配合した紙も含む」とある。ペーパーラボが作るのも紙に違いはないが、特徴をあらわす別の愛称をいつか得て欲しいとも思う。そもそも日常的に会社で使うコピー用紙は永遠ファイルするための丈夫さもしなやかさも発色の美しさもほとんど必要ないのだから、繊維が強靭にからみあっていなくてもいいだろう。プリントしたものを折って製本することもないだろうから、目の向きがどうこう言うこともない。それよりも、これまでの資源ゴミ置き場やシュレッダがペーパーラボの原料投入口になり、これまでのコピー用紙置き場がペーパーラボの再生紙完成トレーになることを思い描くと、タチの『ぼくの伯父さん』のような愉快をおぼえる。

古紙を原料にしたオフィス製紙機、と仮にくくって振り返ってみる。明光商会とシードによる溶解と抄紙の機械がセットになった古紙再生装置(2008 エコプロダクツ)や、ナカバヤシとオリエンタルによるシュレッダ紙片からトイレットペーパーを作る「ホワイトゴート」(2009 環境展)などが記憶にある。どれだけ今市場に出ているのだろう。水を使わずに紙を作るエプソンの技術は世界でも初めてのようで、同社は「Advanced Paper Project」と名付けた新製品プロジェクト第1弾として2011年から開発を進めてきたらしい。繊維化の技術は、自社のプリンタ内のクッション材などに既に採用しているとも聞いた。「紙の利用に感じる後ろめたさを取り払いたいという志で開発した。ペーパーレス化への流れを押し返したかった」(同社社長談 日刊工業新聞 2015.12.7)。いつか「紙は買うより再生する方が安い」をスタンダードにしたい、とも。会社あるいはビル単位で、バックヤードや地下に必ず一台となるのかどうか。年末、シュレッダゴミの袋をいくつも積んだトラックを横目に思ったことである。


仙台ネイティブのつぶやき(9)雑煮のしたく

仙台雑煮のだしは、焼きハゼでひく。秋口に入ったら、松島湾に出かけ...と書きたいところだけれど、そこまではできていない。でも、父が元気だったころは、釣ってきたハゼのワタをとり、ガスコンロであぶって天日にさらし、年末まで大事に保存しておいて使っていたこともあった。

焼きハゼは貴重品なので、毎年のことながら店頭の藁に吊るされたどこかユーモラスなその姿をながめては、ここで決めていいものか逡巡する。一連10匹で、数千円。もうちょっと安いところはないかと、つい思ってしまうのだ。東日本大震災以降、ハゼは不漁になっていてますますの高上り。今年は特に深刻らしく、クリスマスを過ぎても店先に並んでいなかった。

「近くのスーパーで5匹で5千円くらいだったよ」とか、いろいろ情報が飛び交う中、最終決断したのは29日。仙台駅前の市場で5匹で2,500円なり。焼きハゼが手に入ると、毎年ほっとした気分になる。

この焼きハゼを30日の夜に水を張った鍋に放り込んでおいて、大晦日、あらかたおせちの準備がすんだころにとろ火にかける。鍋が熱せられてくると、やがて台所にいい匂いが立ち込めてくる。白身魚のやさしい香りと炭火でいぶされた香りが入り混じる、独特の風味だ。鍋の中は金色のだしに生まれ変わっている。ああ、今年も終わったとひと段落ついた気持ちと、でもそれがまた新年の始まりになると気づかされるような気持ちでのぞき込む鍋だ。

具は大根、ニンジン、芋がら、凍み豆腐。大根とニンジンは千切りにして、冷凍してから使う。一度凍らせるとくたくたになって、だしがよく染みこむのだ。子どものころは冷凍庫が普及していなかったので、親に「庭に出してきて」とザルに入った引き菜を預けられ、子ども心にどこにおけばよく凍るだろ、と思案したものだ。

芋がらは里芋の茎を干したもの。毎年、乾燥してひも状になっているのを買っていたのだけれど、今年は長さ1メートル、太いところで直径5センチもあるような生のものが10本ほど束になってなじみの八百屋の店頭に積まれているのを見つけた。なかなかに迫力ある姿だ。でもいったい、いまどき乾燥させる手間をかける人がいるのだろうか。そうたずねたら「いないねえ」とひと言。なんだかそのひと言に刺激されて大きな束を買い込み、皮をむいて洗濯ハンガーのピンチにぶら下げておいたら、11月は好天続きであっという間に乾いた。1、2センチに切って使う。

凍み豆腐は、宮城県岩出山産と決まっている。ここは伊達政宗が仙台に城下町を築く前に城を置いたところだ。いまは小さな田舎町だけれど、凍み豆腐と麹づくりが盛ん。数軒の店が昔ながらの製法を守っている。ここの凍み豆腐は、よく売られている高野豆腐よりずっと小さくて、3、4センチ角、厚さは5ミリくらい。これを細く切って、具に加える。
だしは醤油仕立てにする。
ここまでを大晦日にすませておけば、万全の元日が迎えられる。

そうして迎えた元日。角餅をきつね色に焼いたら大きめの椀の底に入れ、熱くした具がたっぷりの汁を注ぎ入れる。そしてその上に、紅白の板かま、黄色の伊達巻、ピンク色の模様が入った鳴門巻を厚めに切ってのせ、さらに緑のセリを加え、最後にひとさじつややかな赤いイクラを仕上げに飾ってできあがり。華やかでめでたい気分を誘うひと椀だ。

伊達者ということばは、伊達藩の武士たちのあでやかな装束に由来するともいわれているけれど、たしかに見た目の華やかさという点では、雑煮もどこかカッコツケのこの街に通じるものがあるかもしれない。

ほかにつくるのは、すき昆布、長もやし、ニンジン、油揚げ、凍み豆腐を細く切って煮た、仙台五目引き菜。これは祭りなどのときつくられてきた郷土料理だ。ニンジン、ゴボウ、里芋、こんにゃく、凍み豆腐、シイタケ、タケノコでつくる煮しめ。そのほか、ゴボウやニンジンを鶏肉で巻いたチキンロール、年に一度だけどかんと豚の三枚肉を買い込みつくる角煮など。そしてつくった料理は、毎年、友だちとトレードする。3品つくっても6品になるというわけだ。

こうした料理を食べるのは、大晦日である。「年取りの膳」としてごちそうを並べお酒を飲む。昔は年齢は数えで数えたから、この日にそれぞれ1歳ずつ年を取るということなのだ。

さて、2016年の元日は、全然万全じゃない。この稿を書きながら、昨日ひいたハゼだしを温め直していて、これから味を決めなくては。昨日の年取りで、ついに大台にのったというのになあ。また1年、ぼろぼと荷物を落としながら行くのだろうか。

みなさま、明けましておめでとうございます。どうぞよいお正月を!


抽斗を開けると

抽斗を開けると
黄色いボタン
海といっしょに入ってた

お気に入りの上着だったのに
今はよそのくにのわたしのお気に入り
けれど ひとつ足りない黄色いボタン

抽斗のなかの海
黄色い夕陽のまあるいボタン

よそのくにのわたしは
ボタンを探しに
いつもここまでやってくる

途方にくれて
抽斗の海
ひかりをなくした
黄色い夕陽

抽斗を開けると
黄色いボタン
海といっしょに入ってた


申年に思う

今年は申年ということで、サルにちなんだジャワ舞踊を紹介しよう。ジャワ舞踊にはサルの型がわりとあるのだが、これは、1961年に観光舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』が作られたことがきっかけらしい。この舞踊劇はクスモケソウォというソロの宮廷舞踊家が総合振付をしているが、サルのパートはだいたいその息子のジョコ・スハルジョ氏(私の舞踊の師匠の夫)が振り付けたようだ。ジョコ氏は背が低かったので、サルとかチャキル(羅刹)のような役がほぼ専門だったらしい。昔、あるジョグジャカルタ出身の老舞踊家にインタビューをしていた時のこと、私がジョコ氏の奥さんに舞踊を習っているということを知るや、実はジョコ氏がいきなり私の所にサルの踊りを教えてくれと言って来たことがあるんだよ〜、と教えてくれた。その時はなぜだろう?と思いつつ、ジョグジャカルタ様式のサルの型を教えたらしいのだが、しばらくして『ラーマ―ヤナ・バレエ』が始まったのを知って、これか!と思い至ったそうだ。ラーマーヤナではいろんなサルのキャラクターが出てくるから、ソロの伝統舞踊の型では足りず、バリエーションが必要だということになったらしい。ちなみに、そのラーマーヤナ・バレエの初演でサルの花形とも言うべきハヌマンを演じたのがサルドノ・クスモで、ハヌマンに関してはターザンをヒントに動きを作り上げたと本人は言っている※。

1998年からアセアンの共同制作として『リアライジング・ラーマ』という作品が作られ、アセアン各国で公演した。これもラーマーヤナ物語が題材だ。この時に私の男性舞踊の師も選ばれて参加したのだが、その時に、他の国々ではサルの舞踊の型がジャワ舞踊のように多くないと気づいたという。サルはインドネシアに限らずアジアでは多くみられるので、ジャワだけレパートリーが豊富だとしたら、『ラーマーヤナ・バレエ』で急ごしらえしたおかげなのだ。ジャワで男の子が最初に習う「ルトゥン」と呼ばれるサルの踊りも、『ラーマーヤナ・バレエ』から生まれている。


※ 水牛の本棚NO.3 「ハヌマン、ターザン、ピテカントロプス・エレクトゥス」にそのいきさつが書かれています。ちなみに、この文章の中でアトモケソウォとあるのがクスモケソウォ。
http://www.suigyu.com/hondana/SardonoJ.html


134 混メール 長明さん、啄木さん

若し、ありく事あれば、みずからあゆむ。謂う心は、両足を地面(じべた)に喰っ付けていて歌う詩という事である。くるしといへども、馬くら、牛車と、心をなやますにはしかず。実人生となんらの間隔なき心持をもって歌う詩という事である。今、一身をわかちて二の用をなす。珍味ないし御馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物の如く、手のやつこ、足ののりもの、然く我々に「必要」な詩という事である。よくわが心にかなへり。――こういう事は詩を既定の或る地位から引下ろすことかも知れないが、身心のくるしみをしれれば、私からいえば我々の生活に有っても無くても何の増減もなかった詩を、くるしむ時はやすめつ、まめなればつかふ。必要な物の一つにするゆえんである。


(ははは、方丈記と「食うべき詩」とを一つにしちゃいました。ごめん。)


時のしなり

棒の片側に力がかかり ゆるやかな曲線になると「しなう」 弱いが 折れないで 反り返って耐える 反る力のほうが強いと跳ね返る 耐えきれないと弱さを見せて「たわむ」

弱さには陰がある 複雑にまじりあった色が乱れて変わる 強さは純粋だが その力は信頼と従属をあてにしている 状況が変わると 追いつけずに折れることがある 弱さはその翳りがしなって かぼそいまま かえって長く跡を引く まじりあっているものを切り離して それぞれの作用をつきとめるのは意味がない 一つ一つでなく まざるから はたらきが生まれるのかもしれない

「先へ先へと行くばかり」の芭蕉の連句では 一句が前後と蓮の糸でつながっている 順序があり 順番かまわずならべることができる断片の集まりにはならない

時の矢は「今」という時間には止まっている 瞬間は流れない 瞬間の印象が弱まっていけば 次の瞬間が取って代わる ゆっくり褪せていく印象が 折り重なると 静止画の連続が動画になるように 変化しているように見えるのか

音をつくる身体のうごきがまとまって短いフレーズとなって聞こえる うごきつづけるメロディーのなかで フレーズがもどってくるたびに 時間がめぐるように思われる 一つの音に立ち止まれば重心が見えるような気がするが すこしずつかたちを変えるように聞こえれば 中心のイメージは薄れて 変化の面が表立つ

先へ行くために まずちょっともどる 新しい線のはじまりには 反対方向に向けて筆を下ろす そこにエネルギーの「貯め」ができる 閉じた循環システムでは うごく勢いがなくなったとき エネルギーを引き出すためにもどる場所は いつもおなじでなくていい 先へ行く動きはここで めぐる動きに変わる これが時のしなり 曲り角 道行に区切りをつける道しるべ

時の矢は めぐる時の一部分を見た場合なのか 矢と循環は地球の自転と公転のように二重の運動なのか めぐる時はたくさんの時の矢をいれた矢筒なのか 時間が 時計とちがって どこかにあって世界を計っているわけもなく ひとそれぞれに見えない音の変化を追う尺度のひとつなら どれもたとえにすぎないかもしれないが ちがうたとえからちがう窓がひらくとも言える