人はたがやす 水牛はたがやす 稲は音もなく育つ

1982年9月号 通巻39号
        
入力 田中耕作

呼びかけ・民衆演劇ワークショップ
民衆演劇ワークショップの報告
新聞劇「タクシー慕情」など
ワークショップ参加者の感想
マダン劇・アリラン峠
水牛楽団のページ
マダン劇をやってみた 久保覚 津野海太郎
編集後記



呼びかけ・民衆演劇ワークショップ


アジア・アフリカ・ラテンアメリカの各地で、いま、民衆の、民衆自身による演劇創造のこころみが、深くしずかに、その波紋 をひろげています。韓国の人びとによって「広場の演劇」(マダン劇)と名づけられたこの民衆演劇のこころみは、一言でいえば、「演ずる 者」と「見る者」の固定した関係を否定して、その場に集う者すべてによって即興的にドラマをつくりだし、あるいはそれを変容するこころみ です。参加者はそこで起こることすべての作者であり、俳優であり、観客であるのです。ラテンアメリカやアフリカでは識字運動とむすびつい て発達したこの演劇運動は、演劇運動であると同時に、教育運動としての内実をもふくんでいます。近代演劇が観客を、文字どおり客体として 受動化してしまうように、近代学校もまた、一方的な知識の伝達によって、被教育者から、みずから探求し行為する主体としての力をうばいと る傾向を示しています。民衆演劇運動は、こうした近代教育のありかたをのりこえ、相互主体的なコミュニケーションを媒介とする現実の認識 と探究の場として、それをくみかえようとする教育運動でもあります。

民衆演劇の共同制作の実践は、一般にワークショップとよばれています。ワークショップは、だいいちに、劇の共同制作をとおして、人びとの 創意が最大限に発揮される集団のありかたそのものをつくりだす実践です。また、そうした関係をつくりだすことの楽しさを、人びとがともに 体験するための実践です。

ワークショップは、第二に、文字だけではなく、生きた身ぶりによって、自分たちの生活をつづり、現実のイメージを構造化し、そして、それ を検討しあう、認識と探究の過程です。しかし、そうした活動は、たんに、何かを知ることだけを目的としておこなわれるものではなく、むし ろ何かを知ることの楽しさを知ることを何よりもたいせつにし、それを追求する点で、教育や学習とよばれているものの通常のありかたとは、 いちじるしく趣を異にしています。そして、まさにこの点において、演劇のもつ奥ふかい可能性が十全に発揮されることになります。

主として第三世界で行われてきたこの教育演劇ワークショップは、いっけんやや異なる状況を生きている、われわれ日本人にとっても、自分た ちの創造的な力を解放するきわめて有効な手段であることが、すでに明らかになっています。

さて、このような趣旨にもとづいて、さる七月一〇日、今年の三月及び六月の岩井(内房)でのワークショップに参加した人たちが中心にな り、「民衆演劇ワークショップ」(People's  Theater Forum Japan 略称PTFJ)という集団を、暫定的ですが、発足させ、活動を続けてきました。

このたびの五日市・広徳寺での大規模なワークショップ(八月二三〜二五日、二六〜二八日の二回)は、PTFJ主催の最初のこころみです。

そして、この五日市ワークショップ参加者の協力をえて、九月からPTFJを正式に発足させたいと考えています。これを母体にして日本の中 に民衆演劇ワークショップの経験を深め広げていくために、九月以降、さまざまな地域や職場でワークショップ活動を展開していきたいと考え ています。

そして、一方で私たちは、このPTFJの活動が、来年(一九八三年)夏に日本ではじめて開催されることになっている「アジア民衆演劇 フォーラム」の推進力になっていくことを期待しています。従来、主としてフィリピンでおこなわれていたアジアの教育演劇の経験交流と共同 ワークショップを、こんかいあえて日本でおこなうことを、わたしたちが決意したのは、日本という高度に工業化された社会で、この演劇活動 がはたす役わりを明らかにし、そこにうまれる独自な困難とあたらしい可能性を検討することが、ワークショップ運動全体の可能性をさらに多 面化する上で、少なからず有益であるとかんがえるからです。

極度に工業化された社会である日本の現実を、アジアの人びととともにドラマ化し、また彼我の思考と感性の差異を、どう対象化し、それを共 同作業のなかにどう活かすかという課題にとりくむことは、われわれにとってもまたアジアの他の国々からの参加者にとっても、おそらく、貴 重な経験となることでしょう。この対話は、アジアの民衆文化運動の、深い、持続的なそしてより広範な、相互の交流の端緒となることができ るでしょう。

連絡先
*渋谷区東4−10−28 国学院大学教育  第一研究室(里見、楠原)気付  
TEL 03・409−0111内321    
*世田谷区下馬2−33−5108
TEL03・422−3750 津留由人気付



民衆演劇ワークショップの報告
 一九八二年6月 千葉県岩井海岸


 コミュニケーションゲーム

六月四日午後十時すぎに集合。
一、ネームチェーン――三四名のフルネームを鎖のように連ねる。
二、紹介ゲーム――二人ずつの組になり、相手の顔から眼をそらさずに描く「似顔絵」。次いで、一分半のインタビュー。「似顔絵」を持ち相手に なり替って全員に向かい「自己紹介」する。
三、おはし・お茶碗・おかわり――入れ替わりの輪の中でおはし(右手)、お茶碗(左手)の人の名を覚える遊び。
初日は、参加者の名前とその人がどのような出身かを完全に覚える。約二時間。

六月五日朝九時、海岸でウォームアップ。以下コミュニケーションゲーム続き。
四、早ならび競争――二列に分かれて、(1)髪の長さ、(2)足の小さい順、(3)声の大きさ、(4)口の大きさ、(5)体重、(6)誕生 日、(7)名前のあいうえお順、(8)眼の大きい順に早く正確に並ぶことを競う。
五、沈没寸前――ファシリテイター(進行役)が何らかの条件(たとえばおしりをつけ合って)で何人沈没寸前というと、それを満たすグループを す早く作る。残った人はゲームから除外。
六、ドラゴンテール――前の人の胴をかかえて長いドラゴンを作り、しっぽのハンカチを食い合う。
四のあたりから、参加者を知る段階から肉体的接触を含めた親密さを深める段階へと移っていく。約一時間

 形と空間を作る

一、形づくり(ギブミィーシェイプ)――五チーム六人ずつに分かれ、(1)げた、(2)バナナ、(3)いす、(4)きかんしゃを体だけを使っ て作る。バナナでは皮がむけていくもの、いすはユラユラと動くロッキング・チェアーやソファー、きかんしゃでは火夫のいるものや動輪が動くも のがでてきた。
二、空間づくり(ギブミィースペース)――空間づくりに、ファシリテイターの方からさまざまな条件を付ける。(1)物体だけの空間。どのよう な物に成るか相談は可。どのような空間であるかを他のグループに当てさせる。題は、イ田舎の駅、ロ田んぼ、ハ海岸。二分間。(2)前記の条件 に、さらにグループ内で決して口を使って相談してはいけないという制約が加わる。題は、イ公園、ロ波止場、ハ台所。二分間。とくに、発表後、 お互いに口を使わずに空間の内のどのような物に成ろうとしたのか、どのように伝えようとし、伝わったのか(伝わらなかったのか)を確認した。 たとえば、公園ですべり台をやった二人組が一人が手をつき、他の一人が前者の足を肩にかついだけれど、どのようなプロセスでこうなったのか 等々。(3)空間の構成要素に人間を入れるもの。題は、三グループ共通で駅。一〇分間。東京駅のドームと騒音をまずやったグループ、駅のアナ ウンスとラッシュを象徴化してホームでの乗客の動きを示したグループ等があった。
物づくりは、短時間の間に競争的にやらせることが多い。短時間で話し合い、短時間で一緒に物を作ることが、ゲームでの人間関係をさらに掘り下 げることになる。
PETAの方法による即興劇づくりの一つの特色が、このギブミィーシェイプにある。ワークショップでの経験者は即興劇を作るなかで、言葉で説 明するよりも、体を使った物の表現へと立ち帰ることが多い。
空間づくりは、即興劇の土台となるもので、一つの空間を基礎にしてさまざまな即興劇へのヴァリエーションが考えられる。

 お話を即興劇にする

イソップの話を劇にする。
(1)小鹿と(洞穴のなかの)獅子――最後に付け加えられる教訓があらかじめ明らかにされている。オチで楽しめる劇。例として、獅子たちの劇 中劇のもの、ナレーションが入るもの、狂言回しが鹿、猟師、獅子と違ったもの等が演じられた。三人ずつ十一組。
(2)ランプ――教訓が隠され、各グループで解釈して演じる。教訓をひねるとストーリーが変わってくる。三人十一組。
(3)山羊飼と野山羊――同じく教訓が隠されている。八人四組。教訓の話し合いの過程でストーリーのふくらみ、読み換えが出てくる。
話し合いの中で以下の意見が出た。
楠原――イソップのようなものをやると、どうしても思想性が問題になって、頭でっかちになってしまう。
山元――表現→関係→思想性というやり方があるのではないか。山羊の場合、読み換えをしていないグループは、動きや表現の面で面白かった。
服部――思想的なものを出そうとすると、どうしても説明しようとする。そうするなら、もっと長い経過が必要ではないか。

 詩を使った即興劇(ドラ・トラ)

食事をとり、昼からドラ・トラを使ったいわば観察劇作りに入る。
一、観察トリップ――まず四グループに分かれる。それぞれ、(1)山ぞいへ行ったグループ、(2)北側海岸へ行ったグループ、(3)南側海岸 へ行ったグループ、(4)岩井の中心街へ行ったグループに分かれた。行く前、ファシリテイターから二つの指示があった。
1、印象的な事柄、物、人間をしっかり心に刻み込んでくること。
2、その印象的なもの、事柄、人間を象徴するものを一つ持って帰って来てほしい。
二、詩を作る――持って帰ってきたものを自分の前において、そのものを中心にして詩をつくる。そのとき、ファシリテイターから次の指示があっ た。
1、名称
2、思い出
3、連想すること・人・もの・事件
4、手ざわり・音・色・性質・機能
等を含んだ6行のことばを書き連ねること。
その詩を一人ずつ発表した。
 三、詩を使った即興劇づくり・討論――各個人の詩をグループとしてどうあつかうかはグループにまかされた。約一時間。ストーリー を作成、中間発表。
夕食をとる。
 四、集中力を高めるゲーム――練習・上演を前に、演技のテンションを高めるゲーム。
(1)輪になってのシャドー・ボール投げ――相手がちゃんと受取ったか、二人が同時に手を出したりしないか、重いボールなのに軽々と受取って はいないか等を確認する。ボールの大きさや重さを変えてなげるのもよい。
(2)シャドー・綱引き――どうしても引いている感じがつかめないときは、一度本当にタオルや綱で引き合ってみる。周りの人に見てもらうこと が大切。
(3)シャドー・バレーボールゲーム――集団で本当に一つのボールに意識が集中できるか。本当に意識が集中した時は面白い感じがつかめる。二 チーム以上つくり、見るチームを作るとよい。
五、詩を使った即興劇づくり・練習・上演――練習一時間。上演四組約一時間。
以下は各グループの記録者からの報告のうち、スペースの都合で一つを紹介する。

 観察劇報告 

北側海岸へ行ったチーム 劇名『岩井・袋』
1、観察・情報あつめ
会員で観察にでかける。コースとしては浜辺(これが全く長い。遠い。こまったものだ)を行き“袋”という漁港まで。まず漁港までは全員でい き、村に入ってから一〜二名ずつ分かれ、あちこちへ情報あつめにいく。その際記念品を一つもって帰る。漁村では各自、村の人に話をきく。造船 所の人の話、おばあさんからの防空壕の話、別のおばあさんからは、村の様子、おじいさんの港がさびれていく様子などを聞いた。その他にも昼間 から流れるカラオケ、家で食べる野菜を作る主婦たち、などの様子をつかんだ。これらがストーリーの柱になった。
2、詩づくりおよびストーリーづくり(場面展開)
宿に戻ってから各自、もちかえったものをおりこんで詩をつくる。これらの詩がストーリーのもとになっていった(骨子)。
これらの詩をもとにストーリー作りをおこなった。各自の詩、そして観察により、場面を三つに大きく分けることになった。
(1)浜辺……打ち上げられたもの(貝、海草、ビニール、プラスチック、小石、ヒトデ、熊手、etc)
(2)岸壁……せまりくる岸壁、とんび
(3)漁村……造船所(石載船)、防空壕、さびしい漁港、老人
この三つの場面ごとに各自の詩を断片的にくみあわせた一つの大づかみなストーリーとしての詩を形成した。
3、リハーサル
演技の仕方としては、ギブミィーシェイプを中心とし、人物の登場は極力避けた。人物も対話形式はやめて、すべて観客に対する語りかけの形をと ることにした。こうすることによって、劇の主題を見ている人にはっきり示すことができると考えたのである。
4、アウトライン
(1)浜辺にて、全員『寄せては引く静かな波』――プロローグ的に――波が打ち寄せる浜辺。二グループに分かれて交互に波をつくる。(波がひ いていく様子がよくでていて拍手、拍手。パチパチ)。
〈場面変わる〉各自が人気のない浜辺にうちあげられた貝がら、ヒトデ、熊手、プラスチック、小石などになり、波にさらされてユラユラしてい る。ギブミィーシェイプをしながら各自が連続的にセリフをいう。
「宝物だった貝がら、母にもらったピンクの熊手……」
「波にあらわれる砂岩」
「さまざまなプラスチック容器やビニールでごったがえし……」
「ひからびて小石のはりついたヒトデ。ひからびてしわのはりついたかあちゃんの手」
バッと、全員が立ち上がり、
全員で、「海につきでたそそりたつ断崖」
(2)断崖 背を断崖にみたてて ギブミィーシェイプ(互いに手を絡ませ足をくっつける)、そのまわりを2羽のとんびがピーヒョロヒョロと飛 ぶ。「とんび!」「とんび!」ピーヒョロ。
全員ゆっくりと前にふり返り、全員で「季節はずれの漁港!」
(3)漁村 「岩はだのせまった小さな家々」 家になった一人に全員でおおいかぶさるようにする。「さびた鉄くずの中にほされた玉ねぎ」。玉 ねぎになった人をかこむように鉄くずをつくる。「ゆたかな土地を使って女はヤサイを作る」。全員で「生活をみんなでささえている」
〈場面かわって〉
「プシュー」「カンカンカンカン!」と音を出しながら六人で石載船をつくる。溶接工登場。観客に向かって「二年に一度は船の定期検査があるん だよ……。羽田のうめたてはここの石をもっていったんだ」。バーナーをプシューと吹く。全員「今では草のカゲにかくれて使われなくなった防空 壕」。船から防空壕に変身。おばあさん登場。防空壕についてのエピソードを話す。
カラオケが流れ、歌いながらおじいさん登場。
(防空壕から再び船に変身)
おじいさんの語りかけ。「みてくれよー。このデッカイ釣り針をよー! ざらざらにさびついてよー……(昔、活気のあった漁の様子、そして魚が とれなくなってさびついた漁港の様子を訴える)。今じゃあ、おれたちは廃物さ。みてくれよー。このさびついた釣り針をよー! オレたちの人生 みてえだ!」
(4)エピローグ的に。最初と同じく波をつくる。ザッパーン! 最後に全員がうつぶせになっておわる。(映画ならば「完」とマックに出る感じ である)
5、評価
なんとこの劇は、他のグループの人から満点をもらってしまったのである。やった方としてはてれてしまうのでした。何がよかったか、というと主 題がはっきりしていたということでした。やっている本人としては、別段、本当に様子をそのまま形であらわしただけで、何を言いたいかなどとい うことはあまり考えていなかったのですが、どんなものでしょうか。(全く私見ですが、他の人とちがっていたらゴメンなさい)まあそれはともか く、できとしてはかなりよかったんじゃないかと思います。(急に胸をはるかんじになってしまいますが……)観察劇のタイプの一つをつくれたの ではないかと思っているのですが、どんなもんだったんでしょうか。(文責阿部)

この劇は一でいっている(2)のグループである。他のグループの題を上げておくと、(1)は『びわと鉄工場』、(3)は『センチメンタル・シ ティーボーイ』、(4)は『ウエルカムとみやま』。それぞれ漁がだめになったこと、民宿で生活している現実、若い人たちが東京へ出て行ってし まうことなど、岩井の現実をそれなりに反映した劇作りができたのではないかと思われた。
PETAなどの方法では、スラムの市街や大企業に追われる漁民の村などを訪れ、眼で見たことを、このような詩にまとめ劇にする、ドラ・トラが 即興劇作りの中心にあるという。日本でこのような形で完全にドラ・トラを行ったのは初めてであった。日本では問題が見えてこないのではない か、フィリピンのように問題が見えやすいところでこそ有効なんだという心配を、みごとにふきとばす楽しい経験だった。何より観察をともにする ということによって、そのことが話し合いや劇作りの広場になり得るということがあると思う。これからは、歴史的な視点を取り入れた観察(むし ろ調査といった方がよいか)や、ルポルタージュ的に対象に切り込んでゆく方法と、ドラ・トラを組み合わせたならどうなるかなど、多様な可能性 が残されている。
6、評価・レクチャー
PETAのOAO理論の説明が行われた。
  O Organization  (人間関係)
  A  Artistic     (表現技術)
  O  Orientation   (思想性)
即興劇は、O・A・Oの三点に渉って評価確認していかなければならない。表現技術のAが良くても、人間関係のOが抑圧的であれば、教育劇とし ては無意味。「ウエルカムとみやま」では、O(人間関係)で問題があったという意見がだされた。そういう問題が必ず出てくるということが、こ のPETAの方法の良い点だ。これから先のゲームや劇作りの中でどのようにその問題を解消していくかが、われわれに課せられている問題だ。劇 作りのどの段階でも、このOAOの三点からチェックしていくことで、集団の変化・成長を知ることができる。

 観察劇の地図づくり

六月六日朝、浜辺で――
それぞれ別個のものとして演じられていた観察劇を、一枚の浜辺を利用した大きな地図の上に定着させ、岩井という町全体をイメージ化する作業。
一本の白いナイロンの綱を国道にみたて、浜辺でそれぞれのグループが自分たちの道すじを作る。全体が出来あがるとそれぞれのグループの代表が 立って、劇の中のエピソード等の解き明かしをしながら地図に説明をくわえていく。そのとき、観察トリップでひろってきたものを、地図上の点に 正確に置く。
今回このような形で地図を作ったのはワークショップで初めて。好評だった。他のグループの観察トリップが共有できたという意見があった。即興 演劇が視覚芸術等の他の民衆演劇のジャンルとつながりをつけていく意味で、こうした試みは大切。

 新聞劇

五グループに分ける。ファシリテイターから題材の提出(新聞記事が配られた)。これは、あらかじめファシリテイターのグループで選ばれていた もの。約一時間の話し合い。中間発表。午後から練習を一時間。上演。
各グループの題は、(1)タクシー慕情、(2)娑婆物語、(3)二三〇円のブルース、(4)残り三一円、(5)刑務所に架ける橋。
新聞記事は、東北・仙台の往復タクシー代をふみ倒した男が、実は刑務所へ入りたい一心だったという話。今回は、五グループの中から、「娑婆物 語」の記録者に報告してもらう。

与えられた新聞記事を、ひとりが声を上げて読み、お互いの確認のため、感想やテーマを導きあった。
“大野さん”の性格、社会的背景、なぜタクシーを利用したか、大野さんが知り合った“女”の性格、そして、なぜ大野さんがまた刑務所に入ろう としたか、などのさまざまな動機を語りあう。
事件の性格上、大野さんに同情があつまり、おのおのの体験の発露はなかったものの、自らを肯定的にとらえたいという要求から自分に重ね合わ せ、発言もつつましいように思われた。それは私の思い過ごしで、じつはお互いが知り得ていないことからくる各自の想いのこもりであったかも知 れない。
とにかく、社会的テーマ、人間を想うことによって、今日支配的な諸力を知るような方法が暗黙のうちに了解されていたのかもしれない。劇を作る という前提があるので……
そして、大野さんという人間を主体に大野さんのおかれた情況を構成していこうということになったのか?
“世の中世知辛い”という大野さんの言葉に共感。
再び新聞記事のコピーをながめながら、今度は広告のコピーに目が向けられ、店告を利用しようということで、プラカードを作ることになる。結果 的にプラカードは、プラカード本来の意味の他に、空間を構成していく素材となっていったようだ。
時間も限られており、細部のことはリハーサルの時にやるということで、ストーリーの構成に入る。
(1)大野さんが刑務所から出て、職安での場面
(2)職を求めて歩く場面
(3)公園にて
(4)駅の食堂にて(女との出会い)
(5)タクシーで仙台へ。東京へ戻る場面
(6)結末
この場面を設定していくなかで、大野さんのこと、事件の内容、さまざまな要点が語られた。
題名は「娑婆物語」とする。
さまざまな動機(モチーフ)が潜む、象徴的な場面を構成しようという契機は、この時生まれたのか……。
昼食をとったあと、それぞれのメンバーがプラカードを作りはじめる。

 不動産屋の広告(大日本同私会)
 車の広告(トヨタ)
 求職、求人の広告(掃除人、学歴、年令、地域)
 アジアの旅(インド・ピンク風、主催日本インドネシア文化交流協会)
 ピンクサロン
 小さな求人のプラカード

ストーリーリハーサル
場面ごとにギブミィーシェイプ、効果音などを最大限に使おうと確認しあいながら、大野さんの配役はおのずと決定。その他は手さぐりの作業。
(1)職安の場面
大野さんと職員のやりとりを前に、後方に四人、プラカードを裏にして持ち(壁として)、大野さんと職員のヤリとりが終ると同時に「世の中世知 辛い」の群読。セチガライ部分を、一字ずつ声をあげプラカードを開いていく。開き終ったところで前に出て並び、広告プラカードを前に押し出 す。
このリハーサルの時、最後はプラカードで大野さんを囲んでしまい、シャバの一場面と、大野さんが一言いう最後の場面が決定された。
(2)公園にて
ギブミィースペースを生かす。
大野さんひとり、三一円しかない金を数えながら……。
電車の音、パトカーのサイレン、犬の鳴き声、チャルメラなどの効果音を入れる。
(3)駅の食堂
効果音としてカラオケを流す。
無銭飲食をするところ。女の人に助けられる。(セリフはすべてアドリブ)
(4)職を求めて歩く場面
大野さんの間を、プラカードを持った六人が流れる。
(5)タクシーの場面
雪の車と帰りの車は、形を変えてギブミィーシェイプで作る。行きと帰りに、必らず言わなければならないセリフを決める。行きと帰りの場面の設 定。間に新聞記事の一節をナレーションとして流す。
(6)タクシーの運転手が妻におこられる場面。
(7)ラスト
大野さんの間をプラカードが流れる。やがて、大野さんをプラカードで押し合い、そして、プラカードが裏返り刑務所の四方の壁となり大野さんを 閉じ込める。そこで大野さんの一言。「シャバは一場のユメだった」

○時間に追われつづけ、あとの三場面は十分に検証出来ず、とにかく即興でなんとかやってしまおうと……。そしてとにかく明るくやろうとはげま し合う。
○演じる前の不安は、結果的にはよかったようだ。
○どこで押し出し、どこでひかえめな表現をするか?
○観るものとして、自己の体験をもって語られるようなひかえめな表現、それはおそらく、象徴的で簡潔されたものであると思うのだが、プラカー ドがその役割をはたしたようだ。

六月六日夕方、新聞劇上演のあと第二回ワークショップは解散となった。
新聞劇は三月のワークショップでもやられた。アウグスト・ボアールの「被抑圧者の教育劇」の中で説明・提案されていた方法である。


新聞劇「タクシー慕情」など


岩井のワークショップにおける新聞劇の例を、もう二本、あげておく。問題の新聞記事は以下のとおり――「娑婆物語」と同一のものである。 「東京―仙台タダ乗り七〇〇キロ」「実は刑務所志願」という見出しがついている。

「世の中せちがらくて暮らしにくい。食うに困らない刑務所でのんびり余生を過ごしたい」――と、タクシーで東京―仙 台間往復約七百キロ を無賃乗車した老詐欺師が東京・品川署に捕まり、きょう三日、身柄送検される。この男、無銭飲食の常習者。しかし、「いつもの無銭飲食ぐ らいでは、とても刑務所に入れてくれない」と“発奮”し、「十万円以上の詐欺」をねらい、タクシーの無賃乗車を実行したのだが、出発前 に、土産まで買ってやった運転手は、「人の良い田舎のおじいさんと思ったのに」とガックリ。
捕まったのは、住所不定、無職、詐欺などの前科八犯、大野光雄(61)。調べによると、大野は一日午前八時ごろ、国鉄東京駅八重洲口のタ クシー乗り場で客待ちをしていた葛飾区お花茶屋三の二一の一〇、タクシー運転手大竹常雄さん(28)に「仙台まで行くと、いくらぐらいか かる」と話しかけた。大竹さんが「七万円ぐらいではないか」と答えると、大野は「いまは持ち合わせがないが、仙台に知り合いがいるので、 仙台で払う」と言って乗り込んだ。
大竹さんは埼玉県の浦和インターから東北自動車道で仙台へ向かい、同日午後三時ごろ、国鉄仙台駅前へ着いた。ここで大野は電話で五十歳ぐ らいの女性を同駅前に呼び出し、約二十分間話したあと、大竹さんのところへ戻り、「金の都合がつかない。東京の品川まで戻ってくれれば、 帰りは倍の料金を払う」と言った。
大竹さんは「ここまで来ては仕方がない」と覚悟を決め、再び大野を乗せて東京へUターン。同日十時五十分ごろ、品川区北品川の酒屋の前ま で来ると、大野はまたも「ここもだめだ。品川警察署に知り合いがいるから、そこに行ってくれ」と言い出した。
ところが、同署の前まで来ると、大野は車から降りるのを渋ったため、大竹さんも不審に思い、大野を同署に突き出し、大野は詐欺の現行犯で 逮捕された。
調べに対し大野は、「今の世の中は暮らしにくいので、食べるのに不自由のない刑務所に入りたかった」と自供。「いつもしている無銭飲食程 度では、(刑務所に)入れない恐れがあるので、タクシーの無賃乗車を思いついた。仙台の女性は一週間前に上野駅で偶然知り合い、電話番号 を聞いただけの人」と平然としていた。
大竹さんは、「田舎のまじめな老人風だったので、すっかりだまされた」としょんぼり。仙台往復の際は、持ち金がないというので、食事や ビールまでごちそうし、東京駅前をスタートする時は雷おこしの土産まで買ってやったという。被害金額はタクシー料金十八万千百円と高速道 路料金一万六百円の計十九万千七百円。大野は現金三十一円しか持っていなかった。
大野は身寄りもなく、無銭飲食など詐欺の常習者。五十五年春、無銭宿泊で静岡県磐田署に逮捕され、昨年七月富山刑務所を出所して以来ブラ ブラしていた。

  タクシー慕情 ああ仙台の灯

メンバーは大浦、金井、窪寺、中澤と、たったの四人。他の二人は昼メシを食べると、さっさと帰ってしまった。然もこの四人の中でも、二人 は最後までいないとのこと。芝居の内容にも形式にも影響を与えぬはずがない。

参加者が少ないために、芝居のオモシロサの多様性が出なかった。大野老人と運転手の会話に依存せざるを得なかったために平板な芝居に なった。ギブ・ミー・シェイプ、ギブ・ミー・スペースの応用、活用もできなかった。

さて、以下場面を追いつつ反省してみよう。第一の場面、タクシーの乗り合い場。タクシーに乗ろうと窓ガラスを叩くが、どの運転手も窓す ら開けない。没交渉、無会話。事件に関係した、あの運転手は単なるマヌケではなかった。東京と云う現実を拒否して刑務所に逃げ込もうとす る大野さん――私達は彼を巧妙なサギ師よりは、都会での生活に失敗した者とイメージした――を受け入れるだけの心の優しさを持つ人物とし てタクシーの運転手を描いた。しかし、それが余りにも前面に出て単なる人情話になってしまったキライもある。

回想シーンが続く。私たちの芝居は、東京という現実を離れて、仙台――以前、助けてあげたことのある女性が居て、東京よりは、ずっと ずっと良いところのイメージ――という幻想の素晴しい目的地に向う旅という過程の中にこそ、つまり、現実と現実の狭間の非日常の時空にこ そ、大野さんとタクシーの運転手の素直な会話が成り立つ、と云うことを示している。

女性と大野さんの出会い。はじめチンピラにからまれているのを、その辺の「顔」である大野さんが助ける事にしようとしたが、無銭飲食常 習者程度で「顔」であるはずもなく、忙しそうにする東京人に顔を殴られることによって、相手の気勢をそいで女性を助けた。仙台の女性の演 技についてだが、東京という場を浮き上がらすために、徹底的に田舎のオバサンを演じること、方言、身のこなしに留意すると良い。

次の回想の間で、運転手が、金のない大野さんに、土産の一つでもと云って雷おこしを買ってあげるシーン。人の好い――バカと云う意味で はない――運転手を出すためのシーン。

再び回想。刑務所を出て就職活動に失敗している様を、ナレーションとともに一人演ずる大野さん。他のグループではもっと立体的に演じら れていた。私達は芸達者の金井君の演技に依存した様でもある。そして再び無銭飲食をはたらく。はじめはおでん屋。一人が屋台になる。日頃 言葉ばかり使って動作の伴わぬ私などは、台詞のないおでん屋の親父をいかに演じるかが問題だった。次はラーメン屋。一人は机になる。その 家のおかみは、大野さんの犯行を容認してしまう。「あの人はカワイソーな人でね」と。うるさく「あの人は無銭飲食よ」と言いたてる別の客 と対照的に。この辺に私達の芝居の「救い」があるのだろうか。

はじめの回想は回想シーンとして観客に理解できそうだが、二度目はゴチャゴチャして判りにくかったそうだ。回想の時間と地の時間の区 別、メリハリを付けるのに、仮面でもかぶったら、とアドバイスされたが、それも一つの考えだと思う。少し脱線して考えてみると、東京での 大野さんを「仮面」とし、会話の中での彼を「素面」にしてみると、どっちが本当の大野さんかが判っておもしろかろう。

さて、最後のシーンに近づいた。タクシー運転手の過去――集団就職で東京駅について恋人と別れ別れになる――を演劇化しようとしたが、 前後の脈絡がないので、やめて、台詞化した。

仙台についてから私達の芝居は簡単に終わる。仙台についてしまえば、そこは東京と何ら変わらぬ現実であるから、あの女性と大野さんが 会ったとしても何にもならぬのだ。その意味から女性に会うシーンもない。
さびしそうに帰って来る大野さんに運転手は云う。「乗りなよ」と。それが再び東京と云う現実に回帰せざるを得ぬ二人の中で成立し得る最後 のやさしさであった。幻想であっても目的を持つ仙台行きの旅は幸福であったが、現実に回帰する旅には会話がない。舞台は東京へと向かうと ころで終る。

こう書きながら、自分がウルトラ観念的な芝居の台本を書いているような気がした。この深遠かつ高尚なる(?)主題を表現する演技力も持 ち合わせず、余りにも主題を大野、運転手の会話の中に単純化したため、単なる人情話に堕した感もあった。
劇の作成の中では、参加者の創意、想像力が要求されている。饒舌ではなく心を打つような言葉も要求されている。
さらに、タクシーの場で両者が座ったことは舞台を平板にした原因の最たるものと思う。人数の少ない分を個人的な演技にたよったのだが、ギ ブ・ミー・シェイプ、ギブ・ミー・スペースでの基礎を応用したかった。
タクシーの音、運転中の人々の動き、おでん屋のオヤジの仕事と云う日常的な営みを演じられぬ自分。なんと観察力のないことか。

  「残り三十一円」

五日の観察劇をまってみて、自分達が問題とするのは何なのかという点を明確にしておく必要性を感じていたので、この新聞記事のどこを問題 とするかを最初に話しあった。

○社会制度に疎外されている人間
○東京・仙台往復などという長距離タクシーは案外あるのかもしれない。ノルマを達成できないタクシーの運ちゃんが一発あてようとして逆 に、金銭を超越した人間にはめられる。
○東京→仙台はいいとしても、帰りのタクシーの中で、運ちゃんは疑いを抱かなかったのか?
 →大野はプロのサギ師(人にお金を出させるのがうまい?)
 →素人っぽいから運ちゃんは信じたんじゃないか。
 →半分疑いながらも、自分が金に縛られている今、運ちゃんはそれを超越した大野という人物に興味をもってしまう。一緒に旅をしたくな る。

話しているうちに、大野さんというのは、「刑務所志望」というフレーズに象徴されているように、僕達が自らのうちに内面化することで、日 頃煩わされている常識を超越したユニークな存在たりうるのじゃないかという風に思われてきた。そこで、新聞記事を忠実に再現したり、それ に肉づけするというよりは、記事からわかることをもとにして僕達なりの大野さんをイメージしてみようということになった。

〈大野さんをイメージする〉
○罪といっても、無銭飲食程度で、セコイというかその日暮し的なものが多そうだし、今回のタダ乗りにしても逃げようとすれば逃げられただ ろうし、この人どうも一発大きく稼いでやろうみたいなところはないんじゃないか。或いは悟ったのかな。
○普通の人だったら、お金を稼ぐとか、モノを所有するといったことに追われて自ら疎外をひきおこしているのに対して、もう少しのびのび と、或いはしたたかに生きているのかもしれない。
○浮浪者というより、もっと小ギレイな感じ、案外オシャレだったりして……。
そのあたり、疲れた感じのサラリーマンと対照的でおもしろそー。
○ヤーさんなんかもそうかもしれないけれど、モノを所有するという考え方でなくて、あくまで人と人とのやりとりの中でいきてく。その形が モノやお金の動きになっているというんじゃないかな。で、それがモノ、金中心の社会ではドロボーとかサギ師ってことになるのじゃ。
○この人、刑務所を出たり入ったりしているのね。シャバと刑務所を往還して、いろんな人を仲介している。だから、人びとは大野さんとつき 合うと自分が相対化できて、ほっと一息つけるような気がする。
○最後の所持金三十一円ていうのもいいわよ。

〈リハーサル〉
話しあいで結構時間をとってしまったので、各メンバーの配役で大まかな場面展開を、体を動かしながら一とおりやった。あとはアドリブでつ ないで本番に臨んだ。

〈あらすじ〉
大野が富山刑務所を出てから、今度のタクシーただ乗りで再び刑務所に戻っていくまでの一年半の間に、服役中に稼いだわずかなお金で公園に 行っては鳥をみながらパンを食べ、時には鳥のエサを父親にせがむ男の子にパンをやったり、パチンコですったりして使い、また、たまには土 方をして生活費を稼いで、夜の公園で一杯やったり、遊びすぎて終電をのりすごした女子高生を酔っぱらいから守る(?)ために有金全部をタ クシー代としてやってしまったりしながら、最後の所持金三十一円に至るまで、のんびりとシャバの生活を楽しむさまを描く。

〈表現〉
劇全体を、警察の取調べ室での証人の陳述(関連する役をやった人の声)と、回想シーンの組み合わせでやり、場面の変り目は大野の所持金の 読みあげとストップモーションでやった。
刑務所の扉、公園のベンチ、パチンコ、タクシーはギブミーシェイプを利用。
最後に大野が刑務所の扉の前で、客席をふり返って、「金は天下の回りもの、あまり固執したらあかん」というセリフを投げるところは、イ ソップの教訓からヒントを得た。

〈あとで〉
○釘の間を田嶋さんのパチンコ玉が走りまわり、平田クンの足によるチューリップに入ったり、すべてアウトになったりするシーンがうけた。
○題名の「残り三十一円」になる過程が今一つはっきりしなかったという声があった。
○劇をやっていて、見ている人の反応がなかなかつかめなかったという声があった。
○少人数、短時間に、人間の体だけを使ってこれだけのことができるというのには、少なからず驚いた。


ワークショップ参加者の感想

この意見は当日発言されたものではなく、定例会等で行われた発言を集めたものです。発 言もれのないよう手紙等でアンケートというかたちで発言を求めたりしましたが、なお不十分な形でしか採録できませんでした。

窪寺 演劇観が固定的だった。ギブミーシェイプ、スペースが使えなかった。

土橋 演技の出来る人にカバーしてもらった。最後の新聞劇では三宅さんたちにたよってしまった。もっと違った、素人でも出来る ものがあっ たと思う。

石丸 窪寺くんと同じ、自分が持っているものを捨てて、本当の自分を見つけていくプロセスが面白かった。いかに日常の中で物を 見ていない かを痛感した。

田嶋 書き言葉にとらわれている男で、違う世界に飛び込んだ。体がほぐれるか心配だった。体をほぐすことが誰でも出来るすじ道 があるんだ なあということを知った。

阿部 幼児教育や小学校ではギブミィーシェイプ等はやっている。ただプロセスとして使うのは面白かった。

中沢 幼児教育の中でもギブミィースペース等をやっているというが、みんながそうなのではない。自分がまずその方法を学べたの がよかっ た。

亀谷 地図を作るのが楽しかった。現場の方でワークショップをやったときは、人についていく感じで、一回目の岩井の時は言いた いことも言 えなかった。今度はガアガア言えてよかった。堀田さんの説明がよかった。共に考えることが出来た。

三宅 楽しかった。酒飲んだ時が面白かった。観察劇をもう一度やってみるというようなことをやってもいいのではないか。

小坂 ギブミィーシェイプ等は自分の学校でもやった。集団が良いとすぐすばらしいものが出来る。それから先を学びたい。

五十嵐 表現していくプロセスみたいなものが面白かった。空間があれば芝居が出来るという実感、自分たちで作るということの意 味が見つけ られる感じ。

平田 自分の体を使って表現するということが面白かった。分からないで、体が動かなかった。体を解放していきたい。

山元 ファシリテイターの違いによって、ワークショップが違ってくる。その辺が面白かった。みんなでその辺を考えて新しいもの を考えてい きたい。

里見 マンネリがないというのが印象的でした。

大森 観察旅行が面白かった。日常の中で見つけていくことの大切さを知った。

堀田 組み立て方が自然に解放へ向かうように出来ている。その方向さえ分かればどのようなひとでも自分を集団の中で解放してい くことがで きる。観察劇をむりに入れた。芝居の題材は日常の中にある。観察を通じて体験を共にする、この共有した具体を通じて考え方の違いをきわだ たせることが出来る。ワークショップを通じて対立を見出してゆく、そのことを通じて個々の対立を解消してゆくキッカケとすることが出来 る。

 グループは人間によって違ってくるというのが分った。労組や他の集団に合わせた方法を考えたい。

成沢 ワークショップが広がりつつあるという実感。ワークショップに対する考え方がフィルターみたいなものになってはいなかっ たか。

服部 今回演る方に回って、演劇をやる人間にも有効だということを感じた。

中村 劇では服部さんにたよったところがあった。ワークショップの考え方からいえば違うものもあったのでは。

金井 ギブミィーシェイプ等のように、いきなり物がでてくるのが不気味だった。これからの活動は演劇を目的としないよう注意を 払って、本 当に何をめざしていくのかをはっきりさせるべきだ。私は今までの人間を演じる芝居をやりたくなった。

金山 とっても楽しかった。(解放)教育の原点って相互変革であり、自己変革だってことが分った。今の学校教育の現場にも広げ ていきたい。



マダン劇・アリラン峠


集団劇に参加する人たち。彼らの疎外された生活から脱皮していこうとする動き。
疎外された個人が陽的(集団的)な演劇を通して疎外を克服し、集団の主体となり、相互の関係を確認しながら体験をわかち合い、 連帯感を獲得していく。
このような形で興が高潮していくと、俳優たちはみだらなほど「病身踊り」をし、爆発的な段階に発展、それを跳躍と群舞を通じて表現する。

 踊り、パランセ(歌)

《農者天下之大本》という旗をっかげた農民一人を前に、うしろから村人たちが農楽チャンダンに合わせて踊りながら登 場し、舞台に会議 の座を作っていく。

   アリラン峠(合唱・音響)
    アリラン アリラン アリランよ
    アリラン峠を越えてゆく
キルヨン ああ、この歌は、いつ、どこで、だれが最初にうたいはじめたのかも知らないで、われわれ同胞はみんな楽しんできた。
アリラン峠は、別れの峠よ。アリラン峠は悲しみの峠だ。
ならば、このアリラン峠はどこにあるのか? だれも知らないし、事実、ありもしない。
ならば、このアリラン峠はどこにあるのか? 大韓民国三千里、錦繍江山、曲がりくねった黄土の峠の道、アリラン峠よ。三千万同胞の 胸々に、編まれ、積まれ、血で結ばれた哀しい一節一節に、このアリラン峠はあるのだ。
炎のように愛しあっていた娘と若者が、心こがれた別れの時、腸がちぎれるほど悲しい曲を歌うのも、このアリラン峠だ。祖先が残してく れたわれわれの土地を日本人に奪われ、水筒をたずさえて越えていった恨みの峠も、このアリラン峠だ。
このアリラン峠は、大韓民国三千里、その山河のすみずみに、さまざまな血でいろどられた歴史と共にあるのだ。
これからはじまる話を見て、われわれ、一緒に歌を歌い、泣いてもみ、せいいっぱい声を出してみようじゃないか。
――チンの音――

農民1 さあ、さあ、みんな今から討論をおっぱじめようぜ(拍手の音)。さあ、それじゃ、今きいてきた話を伝えれば、まず賃金 最低四 ウォンだ。それに作業の時の酒とタバコとメシは主人側で負担するっちゅうことだ。
農民2 なんだと、五ウォンにしてくんねえのか?
農民1 たしかにそうだ、じいさまよ。そんじゃ五ウォンちゅうことで、もう一度かけあってみるか。そんで、そのかわり女ッ子の 場合は 男衆の賃金の八割、そんでガキは七割とするっちゅうこった。
農民3(女) それじゃダメだ、おらんちにも同じだけくれんと。
農民1 ああ、おらもそういうふうに言ったけどもな、きいてくれねえんだわ。いま言ったのは決まったことを伝えてるだけなんだ から。 なあ、みんな、ちょっと静かに聞いてくれよ。
農民4 そんで次はなんだ?
農民1 そんで、働く時間は毎日十五時間ずつっちゅうだ。
農民5(女) なんだって! 十五時間だと? そんじゃ賃金一ウォン上がったってわりが合わん。わたしたちは、犬畜生だってい うのか い?
農民1 ちょっと静かにしてくれや、話は最後まで聞いて……
農民5 ああ、もうなに聞いたって同じだ。日本人野郎の考えてるこたあ、おらんちの土地を取って戦争しようってことだ。あいつ らのコ ンタンはわかってる。おらんちの土地をのこらず引っかいて持っていくんだ。
農民6 賃金を上げといて土地を持ってく。日本人野郎は、ますますおれたちの土地を奪ってくって寸法さ。おい、こんな会議する 必要な んかないぞ。
農民4 おい帰ろ、帰ろ、へッ!
農民6 おれたちが血がでるほど仕事したって、腹いっぱい食えるわけではないし、子供たちに勉強させてもやれないし、ケッ!  日本人 野郎め!
農民4 そうだ、われら三千里、この祖国がみんな日本人野郎のものになっちまった、これ以上日本人野郎のために働けるか!
農民5(女) あーあ、うーあ、このどうしようもないさだめよ。アイゴー! おれんちの生まれたこの土地があいつらのもんにな る、ア イゴー! 日本人のブタ野郎から食べさしてもらうことになるなんて、アイゴー!
農民1 さあ、さあ、気をしずめてくれよ、しょうがねぇじゃねぇか、おらたちがもっと働いてよう、うばい返すってことを考える べえ。
農民5 アイゴー、もしおれんちが働いてこの土地がもどってくるなら、両手がくだけて、この身がこなごなになってもおしかない よ。ア イゴー!
(みな言葉もなくしょんぼり黙る)
農民2 はい!(手を上げる)もう十二時を過ぎちまった。遠いところから来たもんたちは、ハラがすいてるべえ。ちょっと休憩時 間にし てメシ食ってからまた討論したらどうだ。
農民たち そうだ、そうだ。
農民5(女) ああ、腹がへっちまった。
農民1 そんじゃあ、まあ、メシ食ってトウロンすべえ。金剛山の見物もメシ食ってからしろっちゅうことわざもあるしな。
農民たち んだ、んだ、腹へった。
(みな笑う)
農民1 (こまったように)実は、おらちの村は食糧があんまりなくってな、たいしてふるまえるメシがな……そのかわり酒ならあ るぞ。 酒ならなんとか……
農民たち そんじゃ、それでいい。
農民たち いいぞ、いいぞ。
農民たち やあ、酒だ、酒だ。
(しばらく会議中断。立ちあがる人、互いに名前を呼びあう。タバコを吸う人、等々)
(しばらくのち、客席の中から、「のいた、のいた。」と両手に酒――マッコリーの入った壺を持った人びとがやってきて、村人に 配り、まわりの人にふるまったりもする。)
(この時、親日派ヤンバンを先頭にして日本人二名が、監視するような意地わるい目をして登場する。農民たちは杯をすすめるが、 親日派は日本人ともども、無視して受けない)
(また会議するかたちになる農民たち。親日派、日本人、警官の三名は、村人の会議を端でながめる)
農民1 さあ、それじゃ続けて議事進行。これから、標準賃金制定問題について、それぞれに意見を言ってくれ。
農民6 まず、これ以上日本人野郎の下で野良仕事はできねぇっちゅうことだ。これ以上、なにを言えったって無理だ。
農民4 おい、おい、気いつけろ。(口を押さえるように、日本人を見て)
農民2 おらあ、ノラ仕事しかできねぇ学問のない人間だ。だから思ったこたあなんでも言うだ。聞いてるとなんだと? 日本人野 郎は賃 金とおらんちの土地をくれる振りをしても、その半分以上、奪ってくんだろ。わかってるこった。許せねぇ。このじじいの背骨がなんでこ んなに曲がっちまっただ? 日本人のブタ野郎のために働いてきたからよ、アイゴー、大事な祖先から受けついできたこの土地が、あー あ、日本人のブタ野郎どもが、あーあ。
(みな興奮し、口々に悪口をいって叫ぶ)
日本人 チューイッ! キオツケッ!
(ヤンバンはおそれをなして日本人にむかって何かを言う)
農民6 日本人にくっついてメシ食って、日本人の言うなりになっている親日派、いや、売国奴の意見にしたがうような、おらんち の農民 協会はそんなもんじゃ絶対ねえ。どこまでも我が民族の独立と解放をかちとるために闘う農民団体だ。さあ、みんな、たとえ飢えて死んで も絶対におらんちのこの土地をとりかえすまで闘うぞ。
日本人 チューイッ! キオツケッ!(日本刀を抜いて威嚇)
(農民たち、立ち上がり、おびえる)
日本人 (前に出て刀をふりまわしながら)コノカイギハフオンノカイギトニンテイシ、カイサンヲメイズル。キオツケ!
(刀におびえ、農民たちは退場)
(舞台にはヤンバンと日本人二名が残る)
日本人 (舞台をまわりながら)ヨイムラダナア。タンボニハアンナニイネガミノッテイル。コノムラニハナンケンノイエガアルノ カ?
ヤンバン 二百戸ほどです。
日本人 ソレナノニ、ナゼ、コメヲゼンブトッテコレンノダ?
ヤンバン はい、(手をすりあわせて)ええと、最近どうも百姓どもが村の農民協会なんぞというものを作りまして、賃金を要求ど おりに しないと脱穀もしないというふうに……。どうも面目ございません。少しお待ちくだされば、私めがよく言ってきかせますので、ええ と……
日本人 キミ、センジンッテモノハ、クチデイッテモダメナノダ。キョーセイテキニコメヲトリアゲテシマエ。ハッ、ハッ、ハッ。
ヤンバン (言葉もなく、面くらったようにオロオロする)
日本人 デアルカラ、コウイウトキニソナエテオクノダ。アラカジメクモノスヲハラセンヨウニスルノダ。
ヤンバン え?
日本人 センジンの百姓どもの農民協会なんぞ、我々が四方八方、手をのばしておさえつければ、すぐ息の根をとめることができ る。 イーッハッハッ。
ヤンバン (黙ったまま)
日本人 (内緒話をするしぐさ)
ヤンバン (わかったようなしぐさで首をふる。笑う)
日本人 だから、今週中にはおわることだよ。我々もこの村についてはガマンするだけガマンしてきたのだ。ここに至っては……上 官に報 告しなければならんしな。(と言いながら、慰めるようにヤンバンの背中をなでる)
ヤンバン それで、金融組合でこの間融資してやった金を今週中に返せ、と。さもなければ米か地所で……。
日本人 そうそう。えりくびつかんで……センジンの百姓ってものは悪質分子だからな。
ヤンバン そうはいいましても、まだ融資期間が残っておりますから、百姓どもが反抗して立ちあがったらどうしますか?
日本人 心配することはない、いま、チョウセンは日本が支配しておるのだ。いうことをきかなければ法律を変えればいい。ハッ ハッー、 金融組合から借りていない家は一軒もないのだからな。もちろん、その金はその前にみんなセンジンどもからまきあげたものだが。イーツ ハッハ。
ヤンバン えー、えー。
日本人 そうすれば、おまえさんのふところもあったかくなる。もし失敗すればおまえさんもつまらないことになる。
ヤンバン (うす笑いして)もっともです。私を信じて下さい。(そろばんをはじく振り。二人笑いあう)
〈暗転〉

       (暗い舞台に女性たちが坐っている。)

 丁、家にいるか!
  朴、家にいるか!
  李、家にいるか!
  催、家にいるか!
女性たち いません(四人が順々にこたえる)
 どこにいった?(四人に順々に)
女性たち 村役場に行ったんですよ。
     金融組合に行ったんですよ。
     町に行ったんですよ。
     交番に行ったんですよ。
 なぜ?
  なぜ?
  なぜ?
  なぜ?
女性たち 税金を払わないってひっぱって行かれたのよ。
     借金を払わないってひっぱって行かれたのよ。
     肥料の代金を払わないってひっぱっていかれたのよ。
     工事現場にひっぱっていかれたのよ。
 小作料をなぜ払わない?
女性たち 脱穀をしなきゃあ。
 なぜ脱穀をしないのか?
女性たち 脱穀したところで、小作料どころか、金融組合の借金として土地まで出してしまうようになったんだってよ。
 それはお前らの都合だろう。それで小作料も払わないというのか?
女性たち 払わないといってんじゃないよ。払う物があればこその話よ。
 まず、とれたものは脱穀して、できるだけ払って、足りない分は土地を出すんだ。
女性たち 私たちはもうこれ以上生きていけねえよ。死んでしまうよ!
 そんなくだらん考えを持つからいかんのだ。
女性たち もう野良仕事も嫌になった。アイゴー。ご先祖様に罰当たりなことを――あーあー私の土地! 土地! 土地!(泣く)
(明るくなる)
農民1 (気がぬけたように)俺はこのまま死んでしまうよう。どの面下げて家に帰り、女房子供の顔を見ることができるてえん だ。もう 身動き一つできず。飢え死にしなきゃならねえってのに、野良仕事もできなくなり、いまでは土地までも奪われちまって……ご先祖様の墓 にでも行って、このやるせない事情を報告して死んじまおう。
農民2 この老いぼれの命、前世にどんな悪いことをしたからって、こんな目にあわなきゃなんないんだ。春先から息子や娘、女房 まで、 家族全員が田んぼに這いつくばって、やっとのことで植えておいた稲を一粒も口にできずに全部出してしまわにゃなんねえとは……お天道 さまも助けてくれねえのか。これが、どうして、俺一人の罪なんだろうか? 去年食えなかった分まで、今年は死ぬ思いで、頑張って補お うとしたのに、もうおしまいだ。俺の土地でありながらも俺の土地じゃねえんだから。どうやって生きろってえんだ(むせび泣く)
キルヨン あんまり心配しなさんな、じいさま。国のない民衆がどうして腹いっぱい食べて生きることができますか。私は決心しま した。 日本人野郎の圧迫に耐えるよりは、いっそのことあの北方の高句麗時代からの広々と肥えたわれわれの土地、はるか遠い満州の“北間島” に行きます。そこには抗日闘争をしているパルチザンの兵士たちも多いというし、そこで力を合わせ、一日も早く、この土地から日本人野 郎どもを追い出すのが先です。
農民1 キルヨンや、お前まで出て行ったら、俺たち家族はどうやって生きていけばいいんだ。
キルヨン お父さん、時が来るまで我慢して待っていてください。いまは力をたくわえる時です。涙を流している時ではありませ ん。いま に日本人どもは、私たちを一人残らず飢え死にさせてしまうでしょう。
農民1 俺たちがおろかなせいで、子供たちにまで苦労をさせてしまうのか。
キルヨン いまの苦労は何でもありません。しかし息子として、親の面倒をみることができず、親不孝することをお許しください。 国をと りもどすその日まで、どうか長生きしてください。われわれは、永く生き残って、民衆の抑鬱した事情を、日本人野郎どもの世界の法にも ない残悪な行動を、我々の歴史に正確に残さなければなりません。われわれが今、涙を流しているだけなら、将来、日本人野郎どもは今日 の事実をあいつらのいいように変えてしまうだろうから。日本人たちは、遠からず亡びてしまうことでしょう。さあ! 力を出しましょう。
(教科書問題の新聞スライド、メッセージ)
(村人たちみんなで合唱)
 クェジナ チンチン ナネ……
(日本人が韓国に侵犯した内容をセリフにして歌い踊る)

(新劇調、誇張した演技で)
キルヨン 毎日、毎日、見て歩いて通っていた道なのに、今日は何て遠く長く感じるんだろう。あの川辺のしだれ柳、かわら屋根、 なつか しいこの故郷の山川も、こうしてその姿を見ていられる日々は残り少い。
プニ キルヨンさん、いまあなたが行ってしまったら、私たちはどうなるの? 私たちの土地はいつ私たちの手に戻ってくるでしょ う。ね え、どうなの? なんとか言って!
キルヨン ……。
プニ あなた、どうしても行くの? どんなことがあってもいつも一緒にいよう、別れちゃだめだと約束してくれたのに、あなたは 本当に 行ってしまうの?
キルヨン プニよ、プニ。泣くな。俺だってこのなつかしい故郷を捨てて、見知らぬ土地へ行きたかないよ。愛するプニをおいて、 故郷を 離れるオレの気持ち、苦しくて言葉もないぜ。
プニ いやよ、いやいや、キルヨンさん、あなたひとりでなんて行っちゃダメ。私も一緒に行く。私も行って一緒に働き、日本人と 闘う わ!
キルヨン ダメだ、プニ。君の勇気はすばらしい。君の愛もすばらしい。だが、これは女のできる仕事ではないのだ。わかってく れ、プ ニ。
プニ 北間島でなくても、たとえ地の涯までも私ついていくわ。そうよ、いくのよ!
キルヨン オレの気持ちも同じだ。君と分かれるのはたしかにつらい。君一人なら、すぐにでもつれていくが、おとうさん、おかあ さんの 面倒を一体誰が見る。われわれは若いから、いつかどこかでまた逢えるかも知れないが、おとうさん、おかあさんは、老い先短いからな あ。だから……
プニ わかってるわ。キルヨンさん。あなたの高い理想は! でも……どんな苦労をするのも一緒、死ぬ時も一緒って誓い合った じゃない の。あの二人の誓いはどこに行ったの? あーあ、すべて日本人のブタ野郎のために。あーあ。
キルヨン プニよ。そうだ。そうなんだ。われわれの将来のために、われわれの子孫のために、われわれの山河のために……われわ れはい まこの苦しみを耐えなければならないのだ。
プニ 万が一、キルヨンさんが戻ってこないようなことがあったりしたら私、ワタシ、日本人のブタを殺して私も死ぬわ。悲しく て、その 時はうらみ殺す。そうじゃない、キルヨンさん。その時は死を選ぶわ。死ぬだけだわ。
キルヨン プニ。オレの愛しいプニ! このオレだって故郷を離れるいまは、からだ中のまっ赤な血がたぎっているんだ。ああ、わ が同胞 よ。一体誰が自分の生まれた故郷を去って、見知らぬ、それもはるか遠い満州の北間島のようなところに行きたい人間がいるんだ。プニ よ。他に残された道があるかい? プニよ、待っててくれ、オレはきっと帰ってくる。この世でわれわれが生きていける道をさがして、オ レはきっと!
プニ キルヨンさん、私、ワタシ、あなたなくしては生きていけない。帰ってきてね。ホントよ、ホント!
キルヨン プニ、オレは帰ってくる! あの裏山の松の木の下で、オレたちが固く誓ったあの日のことを忘れるものか。プニ、プ ニ、待っ ててくれ!
(演歌などが流れる。たっぷりと)
プニ キルヨンさん、キルヨンさあん! 頑張って。私、まってるわ。
(抱きあう)
日本人 おい、まっぴるまからなにやってる、色きちがい!
キルヨン 色キチガイだと! 好きな者同士が抱きあってなにが悪い。
日本人 まっぴるまに若い娘に抱きつきやがって、この悪党め!
ヤンバン この礼儀知らずめ!
キルヨン おい、野郎! 日本人の尻にくっついて、キーセンはべらして飲み食いしてる。そんな汚い奴らがなに言ってるんだ。
ヤンバン なんだと? ま、そのうちこの村から追いだしてやるからな。
日本人 そうだ。そうだ。
キルヨン 追い出すだと? オレは追い出されるんじゃない、お前らのような奴らに復讐するために、自分から出て行くんだ。
(キルヨン退場)
日本人 あいつ、どうしてやろう。
ヤンバン あいつのオヤジが金を貸してくれと言ってくれば、手はあるんだが……ま、安心して下さい。このセンジンたちを追い出 せば、 個々の土地全部はあんたたちのものになります。そうなったらあんな奴にデカイ顔はさせませんよ。
日本人 ハッハッ、そうだ、そうだ。
ヤンバン エヘン、プニのおやじ!(と呼ぶ)
農民2 お呼びで、ダンナ。また誰かを死に目に会わせようというコンタンで?
ヤンバン おい、じいさま、この生きるのも難しい時代に、どうだ、金は必要ないか?(金をみせびらかす)
農民2 そんな汚い金なんかいらねえ。
(ヤンバン手で押す。ヤンバンつまらなそうに退場)
農民2 ふん、あの色きちがいめが! ぬすっと!
(キルヨン、村の人たち登場)
キルヨン プニよ、おまえをおいてオレは行くが、かならず目的をはたして戻ってくるよ。この宿命の地、恨多いこの地をオレたち のもの にする日まで、待っていてくれ。一年になるか、十年、いや、百年になるかもしれないが……
プニ キルヨンさん、あなたの闘いが終わって帰ってくる日まで、私は千年でも万年でも待っているわ。この地にかじりついて、最 後の息 がとだえるまで、この地であなたを待ちます。
キルヨン たとえ生きて帰ってこれなくても、死んで骨になってでも、我々の国を取り戻してから帰ってくるんだ。
農民1 行け、仕方がない。どこの誰が愛しい故郷を捨てていきたいものか。いまは土地を奪われ、家もない。ご先祖様から代々受 けつい できたこの土地を、守りきれなかったんだから……
キルヨン ふたたび日本のブタ野郎どもと闘って、取り戻すしかないんです。皆さん、わかって下さい。
農民2 (ひとりごと)キルヨンや、お前が将来足をつけ、身をおくべき場所がどこにあるというのか。この豊かな土地を捨ててど こに行 こうというのか。
農民2 どこに行っても、身体に気をつけてな。俺がお前にやれるものは何もない。ただ、この故郷の土ひと握りだけだ。どこに 行っても この土をお前の故郷だと思って、忘れるんじゃないぞ。
キルヨン ありがとう。私がどうしてこの土地を忘れられようか。われわれの先祖が埋められ、また、私の骨が埋められるだろうこ の土地 を。私の祖先の魂がしみ込んでいる故郷のこの土。
農民1 われわれも、この土地に埋められなければならないのに。将来、われわれはどうなるんだろうか。
農民2 発つ人は、さあ、発ちなさい。
キルヨン 皆さん、私はいま発ちます。この土地はわれわれを捨てなかったし、われわれはこの土地を捨てなかった。一日も早く日 本人ど もを追い出し、ふたたびわれわれの手に。皆で力を合わせて、精いっぱい闘いましょう。
農民たち 残ったわれわれも、この地で闘おうじゃないか。
キルヨン さあ、いまはわれわれが苦しい時にともに歌っていたあのアリランを、一緒に歌って下さい。
(みんなでアリランを歌う)
プニ キルヨンさん、かならず戻ってきてよ。いつどこに行っても、裏山の松の木の下で結んだ私たちの約束を忘れないでね。
キルヨン プニ!
(村人たちが手を振る)



水牛楽団のページ


八月一日(日)原宿の茶房ナームで「原発」コンサートとシンポジウム。樋口健二さんの話と写真で原発労働者の状況。水牛楽団は、「よねの 歌」改訂版(またまた、なおしてばかり、いつ決定版になるのか)や「だるまさん千字文」(これも改訂版だった)をふくむプログラム。会場 のひびきやふんい気はたいへんよかったが、台風のため、きき手は三十人たらず、そのうち半分は顔みしり。
八月十一日(水)静岡市青嶋ホールで「アートスペース82」展のなかでのコンサート。
八月十二日(木)山谷夏まつり。今年は人もおおかった。山谷も四回目なので、おぼえている人もなりいる。
八月十五日(日)俳優座劇場でコンサート「死んだ兵士のバラード」。黒色テントの月光楽団やこんゃく座がブレヒトの詩による歌や林光のカ ンタータ「脱出」を力いっぱいうたい、水牛楽団はパンパイプ合奏「夜ばいの曲」からはじめ、ベラウのケベコールさんの反戦歌などをのんび りうたった。
八月末から九月はじめにかけては、たいへんいそがしい。その報告は次号で。
九月十九日(日)全国一般南部支部が「連帯」の活動家をヨーロッパからまねいて集会をひらく。水牛楽団も歌をもって参加。お茶の水の YWCA、午後1時。
十月はひま。
十一月はじめ、ポーランド「連帯」に連帯する長野県実行委員会のひらくコンサートに水木陽子さんといっしょにいく。六日(土)松本市厚生 年金会館、七日(日)長野市勤労者福祉センター、六時から。梅田芳穂さんの話がある。
十一月二十四日(水)中野の喫茶店みなとコンサート、夜八時から。ギターの中林さんと、ラテンアメリカ音楽
十一月二十六日(金)福岡の九州芸術工科大学でコンサート、六時から。



マダン劇をやってみた  久保覚 津野海太郎


――この八月十六日、俳優座劇場で「韓国民衆演劇の実験」というもよおしをやった。黒色テント68/71の「八月の劇場」という連続企画の一環として、準 備に入ったのが六月の終りか七月のはじめ。第一部で高銀やキムジハの詩を日韓両語で朗読したり歌ったり、あ、それから小熊秀雄の一九三五 年の「長詩長長秋夜」を、やっぱり日本語と韓国語で朗読したんだな。そのあと、たまたま来日中だった韓国民俗劇研究所の沈雨晟さんの仮面 劇についての話をはさんで、第二部で、『水牛通信』の本号に台本をのせたマダン劇『アリラン峠』を上演した。
以上、まえおきがながくなったけど、このもよおしの全体をプロデュ―すした久保さんに、この『アリラン峠』についてちょっとはなしてもら おうと思ったわけだ。まず、これはいつごろつくられた劇なの?

――初演は一九七八年年。はじめはソウルの学生たちがやったんだね。もちろん集団制作。でも、その後もいろんな場所で上演されつづけてい る。去年も今年もやってるという話だね。それはひとつには、主題が日帝支配にたいする批判だから、やりやすいという理由もあると思う。反 米的なマダン劇だってもちろんあるんだけど、そういうのは弾圧されやすいわけでしょう。
ただ、たしかに日帝時代の農村が直接の舞台になってるんだけど、もうひとつ、裏の主題というか、現在の韓国における政府主導のセマウル運 動にたいする批判がある。その批判を日帝批判というかたちをつうじてやっているんだ。「標準賃金」とか「金融組合」っていうのも、現在の セマウル運動の中でさかんに使われていることばなんだろ。ま、その部分をわれわれの場合は教科書問題にひきつけて上演したわけ。

――でも、水牛楽団の「関東大震災と朝鮮人虐殺」コンサートにしてもそうだけど、計画をたてはじめたときはまだ教科書問題は起っていな かったわけだ。

――そうだね。はじめは韓国の民衆的文化の伝統を押さえた上で、なにかマダン劇的なものを上演してみたいと考えていた。それで、在日の若 い韓国人たちで、じかにむこうのマダン劇にふれてきた連中と相談をすすめているうちに、たまたま、といっていいかどうか、ともかくこんど の問題にぶつかったんだね。だから、台本のなかのスライドの部分(日帝による虐殺・弾圧などの現場写真)や、韓国の友人たちからのメッ セージはもとからあったんじゃなく、こんどの上演であたらしくつけくわえた部分なんだ。見てくれた人たちのあいだでも、好評だったし、 「いま起きているできごとのまっただなかにおける広場劇」というマダン劇本来の性格を、なまなましく実現しえたと思っている。たんなる紹 介ということじゃなく、日本人と韓国人との共同の抗議行動になっていたということだよね。

――やったのはどういう人たちなの? と俺がきくのもわざとらしいんだけど、いちおう、久保さんから紹介しておいてくれよ。

――うん。中心になったのは、やはりこの号に呼びかけ文がのることになってる「民衆演劇ワークショップ」の運動をやってる連中で、そこに は黒テントの「赤い教室」を母胎にした「朝鮮民衆文化研究会」の人たちも加わっている。みんなシロウト。それに黒テントの俳優たちと在日 韓国人が何人かずつ。主として昼間は働いている連中だから、夜六時半か七時ごろから稽古をやったんだけど、全員がそろうことはほとんどな かったと思う。それでも十回ぐらいはやったのかな。終るのはいつも十一時ぐらい。とうとう終電車に乗りおくれたりすることもあったんだ よ。夏の休みをこれで全部つぶしちゃった人もいるし……。

――あるていど想像はしていたけど、マダン劇の実際というのは躍動的というか、歌や踊りからディスカッションまで、表現の幅が非常にゆた かなんだよな。重層的というかさ。台本を読んだだけでは、とても想像がつかない。そこで、いくつか印象にのこった場面をかんたんに説明し ておいてもらおうと思うんだけど、まず、オープニングがずいぶんにぎやかだったね。全員が白いチマ・チョゴリで、鉦や太鼓をガンガン鳴ら して……。

――まっ白い農民の作業着で、「農者天下之大本」の旗をふりたててね、客席からドンチャン乱入してくる。あれは農楽の踊りなんだよ。大阪 の猪飼野で人権問題の運動や韓国舞踊の勉強をやっている人たちが稽古場にきて、一生懸命おしえてくれた。なにしろみんなはじめてなんで往 生したけど、よくやったと思うよ。楽器はケンガリ(鉦)とプク(小太鼓)とチャンゴ(長鼓)とチン(銅鑼)の四つ――これも農学の基本的 な楽器。そのあと仮面の踊りがあって、全員が太い竹の棒をもって踊る伝統的な戦闘舞踊があって、アリランの歌があって、やっとお芝居にな る。台本だけよむと単純なんだけど、そこにたくさんの歌や踊りがうまく組みあわせられていて、全体としてはとてもゆたかなものになるんだ ね。

――歌は「アリラン」と「ケジナ・チン・チン・ナーネ」と「セア・セア」か。どれも日本でも有名な歌だけど、あれは日本むけだからなの?  もともとそうなの?

――もともとそうなの。だれでも知ってる歌だから、韓国でやれば、みている人たちもいっしょに歌にはいってくる。そのためだと思うな。と もかく自分たちでやってみてはじめてわかったんだけど、やってる人間たちが自分をどんどん解放できるようにつくられているし、当然、その 分だけ観客も参加しやすい。そういう演劇なんだよ。はげしい場面とおだやかな場面のくみあわせ方が、なんというか、生理的に気持よくでき てる、そのリズムがね。これはやってみないうちはわからなかった。台本だけではぜんぜんわかんない。実際に演じた連中も、日本のアマチュ ア演劇なんかだとうまくやらなくてはならないというんで緊張しちゃうんだけど、その緊張がまったくなくて、かるくやれたといってたね。だ から疲れないらしいんだ。
それはたまたまそうだというんじゃなくて、やっぱり、この七、八年間のマダン劇運動の成果なんだと思う。農村とか大学とか教会とかスラム 街とかで、演劇のプロじゃない、ふつうの人たちが演じる経験をつみかさねてきたなかで発見した構造というか、そのやり方がこの芝居のなか にもしっかりはいっているんだよね。

――それはそうなんだろうな。やってる人たちは本当にいきいきしていたもの。客席の反応もよかったし、みんな味をしめちゃったんじゃない かな。ええと、それから、はじめの討論のとこに日本人が二人とヤンバンがやってくる場面があるね。上演では日本人が一人しかいなかった。

――要するに人間がたりなかったんんだ。女の人たちがおおぜいあつまって、元気がいいのに、男の参加者がすくなかった。なんでかな、どこ でもそうらしいけど、男のほうがだらしない。韓国の運動でも若い男がすくなくて、悩みのタネになってるらしいけど、それは徴兵制度のため なんだ。いちばん働きざかりの連中がいなくなっちゃう。日本に徴兵制はないのに、それでも若い男がたりない。

――みんな株式会社に徴兵されちゃうんだろう。背広を着た日本軍だよ。

――ま、韓国でも条件に応じて登場人物をけずったりふやしたりしてるんだし、それがマダン劇のやりかたなんだから、日本人が一人でも二人 でもいいんじゃないかな。

――それから暗転のあと、女が四人、薄暗い舞台の四隅にうずくまっていて、仮面をかぶった二人の男に尋問される場面になる。あそこは韓国 で上演するとき、いちばん感動的な場面なんだそうだな。あの仮面は日本人なのかな? まえの場面のつづきとしてみると、日本人の手先につ かわれるヤンバンか、下っぱのゴロツキという気がしないでもないんだけどさ。

――やっぱり日本人でしょう。あのまっ黒い仮面は河回仮面劇のものなのね。

――ちょっとふしぎな場面だった。様式化されていて、へんにモダンな感じで。マダン劇のなかにはああいう表現もあるということなんだな。 ふしぎといえば、そのあとのキルヨンとプニの別れの場面ね。あそこをほかの連中が野次ったり笑ったりするなかで、劇中劇ふうに演じるわけ だね。ト書きには「新劇風、コチョウした演技」という指定がある。こんどの上演では「新劇風」というより「新派風」、貫一・お宮やお蔦・ 力税の別離シーンみたいになってたけど……都はるみの演歌が流れたりさ。まさか韓国でも都はるみってわけじゃないんだろう?

――そのときどきで流行している歌をいれる。日韓併合の直後、日本の新派劇がはやって、それが韓国の文化にわる
い影響をあたえたという説もあるけど、本格的な影響をあたえたのはやっぱり戦前の新劇運動なのね。その意味での「新劇風」で、つまり翻訳 劇くさい大袈裟な演技ということだろ。でもね、「新劇風」=「日本風」として、日本的なものを皮肉っているんじゃないと思う。センチメン タルな、メロドラマ的になりやすいシーンをコミカルに演じて、自分で自分を笑ってみせる。その自己批評に、運動としての成熟が示されてい るんじゃないかな。なにしろ、ああいう感情を噴出させるようなシーンにのめりこみやすい傾向があるから、それをあえて茶化しておいて、伝 えたいことだけはちゃんと伝えていく。あの場面だけふざけすぎで、ふまじめな感じがしたという批判もあった。じつは、そういう頭のかたさ やキマジメさを批評する場面でもあったんだからね。

――こんどの稽古や上演のプロセスで、いやおうなしに、五年まえにやったタイの『醜いジャセアン』という芝居のことを思いだしたんだけ ど、あのときもこんどとおなじようなやりかたで、タイのマダン劇をそのまま再現らしいね。日本だから都はるみ。韓国では日してみようとい うところからはじまった。あれがわれわれの動きの出発点だったわけだけど、とてもよく似た手ざわりなんだよな、プロセスの全体が。にもか かわらず、二つの芝居をくらべると、『醜いジャセアン』のほうはことばに重点がおかれていて、ゆっくりしたリズムでたくさんの場面をつな げていってそのことでタイ社会の構造を全体としてうかびあがらせるという仕組みだったし、それにたいして『アリラン峠』の方は、歌や踊 り、とくに踊りが印象的で、ゆっくりとしたリズムというよりは爆発的な感じがつよいでしょう。たまたま俺たちがやった二つの芝居だけで、 タイと韓国の民衆演劇を比較するわけにはいかないと思うけど、それでもアジアの民衆演劇がもつ幅の大きさということはよくわかったな。単 一じゃない。単純なプロットとか、さまざまな上演上の工夫をつめこむとか、共通点はおおいんだが、『醜いジャセアン』は叙事的だし、それ にくらべると『アリラン峠』はお祭り的だよ。社会構造をひとつの筋でゆっくりときほぐしていくというより、そこに活気のある空間をみんな でつくりあげるということの方に重点がかかっている。

――そうだね。ひとつには、民衆的な仮面劇のルネッサンス運動が一九六〇年代からあって、それがマダン劇運動の背景というか母胎になった という事情がある。ルネッサンス運動によって掘りおこしてきた伝統的な民衆演劇の方法を、政治的・社会的な主題をもった芝居のなかで、実 際につかいこなしていくという運動でもあるんだ。どんなに苦しくても、ともかくもそこではみんなでたのしもうという気持ちがあるから、お 祭り的になる。ただ、そのお祭り的ということのうちには、だれもが自分を解放して、自由に発言し討論できる場をつくろうということもふく まれているんだろう。だからマダン劇のあとでは、かならずいまやられた芝居や、その芝居についての討論をやることになっている。その討論 をふくめた全体がマダン劇なんだね。こんどの上演では、時間がなくて討論ができなかった。それが唯一、残念だった点なんだ。

――日本でお祭り的に解放するっていうと、酒をのんで、ドンチャン騒ぎの無礼講になっちゃう。そこで討論をやるのか。そういえば、フィリ ピンの民衆演劇ワークショップでも、即興演劇のあとはかならず討論をやることになってるね。お祭りと討論ねえ。韓国のお祭りにはもともと そういう要素があるの?

――うん。その要素を八〇年代のマダン劇が意識的につかってる。やってる人間と見る人間がいっしょになって、演劇と現実とをむすびつける ための工夫だと思う。マダン劇の理論家たちは、マダン劇には「意識化」と「組織化」という二つの目標があるといってるけど、そういうこと なんだな。「組織化」というのは要するに集団の形成ということで、そこに韓国の民衆演劇運動の特徴がつよくでてるんじゃないかな。だから マダン劇は労働運動の現場なんかでも有効につかわれているというしね。

――じゃ最後に、夏のさかりに、どうやって稽古をすすめたのかをしゃべってください。

――まず韓国からもちかえった台本を翻訳することからはじまった。時間がなくて、ひと晩でやっちまったんだ。この号にのせるのはそのひと 晩でやったあらい翻訳なんで、上演ではかなり変っている。それから歌と踊りの練習をやったんだけど、それがきつかったということももう しゃべった。ともかく、みんなよくおぼえたと思うよ。あとは、韓国でのやり方をできるだけ忠実にコピーして、それから次第にみんなで智恵 をだしあって集団で独特のものにつくりかえていった。俳優座での上演はすんだけど、十月ごろ、また別のしかたで上演したいと思ってるん だ。ぼくたちとは別のグループも上演したいといってるしね。関心のあるひとは連絡をとってください。





編集後記

今月は、この夏、さまざまなかたちでくわだてられ、ようやく、いままでよりも一歩すすみでることができた感のある「民衆演劇」運動の実際 を特集した。ここに記したもののほかにも、おおくの場所で小さな「ワークショップ」がくりかえされ、八月末の五日市の合宿には八十人をこ える参加者があつまった。関心のある人は、はじめの「呼びかけ」に記された連絡先に電話をしてみてほしい。
本号の広告のとおり、カラワンのモンコン・ウトックと水牛楽団のカセット・テープを発売中。いままでのものとはまたひと味ちがうタイのソ ング集です。よろしく。




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