『アルベルティーヌ・コンプレックス』 小沼純一詩集


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この見知らぬものこそがわたしの愛の底の部分をつくっていたのだった。

ひとは己が所有しているものによってしかありえないし、そのひとにとって現実にそこにあるものしか所有できはしない、そしてなんと多くの想い出、気分、考えがわたしたちじしんからとおくはなれ、旅にでてしまって、わたしたちの視界から消えてしまっていることか!

――マルセル・プルースト「消え去ったアルベルティーヌ」




声がきみにむいている
二人称が
唐突にやってきて
ねえ

呼びかけ
二人称
で/は はじまっている






ねえ

なぜ
すきなの

どう すきなの
どんなふうに






深夜
声にふれたくて
音楽をながし
グラスをかたむけながら
つい
受話器に手をのばし
相手をつぎつぎにかえ
それなりの会話で酔いを濁らせ
(いくら足していっても
 ぬけられない
 それなり地獄)
きみにかけるのをとおざける
電話はひとつなのに
部屋が部屋を生んで
ぼくは自分の家で迷っている






てがみ
には
あてながなくちゃ
いけない






ピアノの鍵盤にふれていた
ゆび

はじめてひとに
おんなに
ふれようとする
ためらい
ふれてみる
ぶきよう
練習をなおざりのまま
ひさしぶりにひいてみる

音がよじれて
どこかにいってしまいたくなる

また とおざかり
へたになる

(そうやって
 ひと からも
 とおざかる)




わたし
いま ひとをすきになることが
できないのです
すかれているだけで
そばにいる
ふじつはとれないから
うれしい
うれしくはおもうのだけれど
あなたには
こたえられない
あなたのそばには
いられないのです






あいする
って
こわい

しんじる
なんてそんな、
ひとりのひとを
しんじ きる
なんてこわいこと
わたしには とても




ふと
おかれる
(息/生き とめる)
きみのことばのすきま
こだましてゆく
ぼくの
そばを(わきを)
とおりすぎていった
(ひとたちの)声

きみをとなりに
この あいだが
声(たち)をよびこんでくる
ひらがなたちはやさしいのに
耳にはいってくる
はいってくると
かんじにかたちをかえて
いみでいじめるんだ

いつか
声もとぎれ
ひとりをおもって
すべてのおんなをにくんでしまうことだってある





わかる って
わたしのこと
わたしをわかるって
どういうこと




どこにいても
きみで/をいってしまう
好きになるというたびをはじめて
ゆびさきの凍える
きみの無言をよみとくすべが欠けている




善のかみさまと悪のかみさま
どちらの祭壇にも供え物を欠かさない
どちらにも敬意をはらい
どちらにも加担しないため

どちらにもくみせずにいたばっかりに
あいだをたえまなく
いきかえりさせられる
あるひのきみは善の
あるひのきみは悪の






きみのあいは
名詞のまま硬直している
否定形でも疑問形でも
動詞の体温を
どこか
おきわすれている






オフィスにコーヒーのかおりがただよう
ハイヒールの硬質な靴音
OAのたちあがる音
プラスティックの容器にいれたコーヒーをかきまわす
そのゆびのたちかた




なぜわたしなの
だれか
まえにすきだったひとに
にているの




見知らぬ土地で
発熱がつづく不安
知っていたはずの土地が
熱とともにとおくなる
そのままで何日も
何日もかかって
ふらんしてゆく
知られずに
ふらんしてゆく
だれにも つまりきみに
そばにいてもらえない
ただひとつのくい
「まあ、一週間そのままだったんですか
「一週間ならはやいほうですよ
 十日以上なんてざらなんです




わたし
あなたのきもちをうけることができません
うけられない
かたくなさをにくんでしまう
あい
されているのをよろこんで
こうていして いたい
のに
そうできないじぶんがにくい
かわれるものならかわりたい
かわりたいのにかわれないの




ひとをあいするように
ものやことをあいすることはできない
でも
ひとのかわりにあいするものはたくさんあるから
ひとのようにめんどうなものはいらない(か?)

あいをうける?
   あげる?
もののように?
一方的に つづける、と?

ものじゃないから
うけとらなくってもつづく
つづいてしまう

ひとつのあいを
足しあうのでもわけあうのでもない
それはかさねあうふたつのてのひら






だめ
もっとちゃんと誘惑して
あなたがわたしをどうのなんて
どうだっていい
そんなのはみえるものじゃなし
もっとつよいものがいるの
感情を飜訳したことばなんていいから
わたしをどこかに
ここから
怠惰にここにいたいのから
うごかして






ぼくがきみをえらんだ
いいや
それだけじゃない
きみがぼくを呼んだんだ
きみのいだいているものが
そのひとつひとつが
そして
ひとつひとつがむすびあわさって
つよく
つよく呼ぶのだ
きみとぼく
ぼくたち(は/の)とおい
とおいということをつながりにして
とおくシーツにべつべつのまま
たがいの不眠のなかで育てている
ふし あわせ






すきだって
あいしてるって
あなたはいう
そのとき
わたし どこにいるの
あなたにとりこまれて
しまう の
あい のなかに
しずんでしまう の かしら




はじめてしまった
いやはじまってしまった負い目
あいされないいらだち

にくんでる
かもしれないのに
このどうしようもなさを
うすくかるく
発語してしまう病理
つかいふるされたいいまわしのなかを
くちづたえに
ときとともに
すりへってゆく
まめつしてゆくのなら
まだ
いい(か)






(あなたはあいてをつよくしてしまう
 じぶんで、ひとりでやっていけそうな
 ひとにあこがれて
 しずかにそばにいる
(でもどこか
 あなたがそのひとにひかれるのは
 ひとりでいられるとこだから
 ひとはあまえたいところもあるのに
 あなたをひきとめておきたいなら
 あまえることがこばまれてる
 しょうがなく
 かえってじぶんをつよくしてゆくのよ、
 あなたなしでもやっていけるように
 そして ね
 さいごにはあなたがいらなくなってしまう)






きょうはすてきだと
はじめてのよう
でも
いつものようにおもう
すべてのひかくがいろあせている
こくはく(な/の)
うった え






いつもいつも
おきづかいくださって
ありがとう
わたしには
なにも おかえしできません






(きがつくと
 あなたがい なくなっていた
     いらなくなっていた
 あなたにむけていたことば たちが
 あてさきのないまま
 でもそれがしぜんに
 わたしのなか
 みがるにとびまわってた)






わかっているでしょう
(わかっています)
せいこうとしあわせはちがう






どうでもいい相手には無償のあいそう笑いをむけ
あいをむけてくるものには
みえていないふりをしながら
かわしてゆく
(じ・ぶんをまもる/たもつ)
(ほとんど空気の密度だけ、雰囲気だけで いる
 透明人間のような
 ざっくりとじぶんのぶんだけ空気をえぐられたような
 きずの)
せめて花瓶の水を丹念にかえ
花の位置をととのえて
路地裏に逃げこむねこになごんでやる
あなたとなら
わたし
あなたいがいなら
わたしいがい

その
にくむようなめつきは
威嚇するねこのようだったよ
(そう、それはあなただから
       あなたがいたからよ)
くるな、って
くるとこわいぞ、って




だいじょうぶ……こわくない……




どうして
わたしと
ほかのひとがちがう
っていえるの
あなたがいう
わたしをひつようだって
いう
それは
なんなの
どうしてなの




つかれが
日常の些細な
まちがいをひきおこす
誤字を叩き、検算を忘れ、ふと気がそれている

(恋愛休暇が、失恋休暇が、どうしてないんだろ)

ずっときみのことを、きみをおもっていたいのに
それとも
ずっとおもっていられない
(日常だ)から
世のなか(は/が)とりあえずうまくいく
とびちった錠剤のならびに
うつろな目をむけ
磁石と絵葉書で運勢をたどる




(だれがそばにいたって
 あなたはひとりよ)






じょうねつはしょうせつのなかにだけ
あとはげんじつがなぞりなおす
マニュアルがてつだってくれる
みんなでわかってることをくりかえせばとてもらく
きまりきったことばをころころところがして
生きていくのはらくだよ
いろんなことをかくにんしあって
こいにきずついてもしょうがない
じぶんのことなんかかんがえたくない






やめよう
ねえ やめよう
こんなの
つらい
つらい よ
わたしとあなたにはなにもないよ




あなた あなたたちに
ふさわしくない
の だろうか

ねむっているかおをのぞきこまれるような不安

あわなかったもの(たち)の記憶を
どうやって
はこぼう
あった かい
が そこに






(あなたがすきになるひとは
 ひとりがすきなひと
 そしてもちろん
 あなたも
 ひとりがすきなの)






もう ひとり
もうひとり
どうかしていく
ひとりをつづけながら
なんとか
もっています




惹かれてしまうことをゆるしてほしい
習慣に惰すこともなく
こうして
つづい/けてきた歴史
あいすることのナルシスムからぬけ
珊瑚礁のようにゆっくりとつくってきた

きみがしかいにあらわれる一瞬に
すべてが、いみが
うまれ かわる
そのたびごとにこいをしなおす
わかるとは
くる ことだ






いけません か




はなにうた
おそわりながら
おん が
くの ように
いい よるばかり
つづきはしない
うた
うた いたいけど
つづく
つづけるのは
きみ
だから

えい えんを
つまびきながら
こい

こい
ふみ よ





七月堂 1992年4月20日発行  





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