釣り堀の端 その三

植松眞人

 釣り堀は車がやっと一台通れるくらいの道路に面していて、両隣は建て売りと思われる二階建ての家屋である。裏にも家があり、釣り堀は周囲を住宅に囲まれている。そして、釣り堀は建売住宅ばかりが建っている区画から家を三軒分くらい更地にして作られたくらいの大きさだ。
 景気の良い頃は、都心まで一時間半ほどかかるこのあたりも不動産が飛ぶように売れたらしい。しかし、長い不景気が訪れると都心の不動産が値崩れして、みんなごみごみとした都心部へとまた帰っていったのである。
 釣り堀の客も同様に減ったが、耕助にとってはちょうど良い数だった。客が来ない日は常連が一人か二人。多い日は十人程度。これでは食えないけれど、美幸のパート勤めと合わせると、なんとか二人で食べていける。なにしろ、もともと爺さんが残した釣り堀だし、自転車で通えるところに爺さんが残した小さなぼろ家がある。元手がかかっていないだけ、耕助は気楽に構えていた。
 美幸としては耕助がそれで良いというのならどこへでも付いていくつもりだった。パートの仕事なんてどうでもよかったし、なんとなく結婚してからも子どもを持つかどうかという話になったことは一度もなかった。家計がぎりぎりだったということもあるけれど、それ以上に子どもを好きだと思ったことがなかった、ということが大きい。もちろん、街中で小さな子と出会い頭にぶつかりそうになってその子が驚いて目を丸くしてから微笑んみながら「こんにちは」なんて言ってくれたら、なんて可愛いんだろうとは思う。けれど、子どもが欲しいなんて思ったことはなかった。子どもを見て可愛いと思うときはいつもペットショップで高級な血統書付きの仔猫でもみているような気分になる。可愛いけれど自分には関係ない。耕助はたぶん子どもが欲しいのだと思う。けれど、彼は自分から絶対に子どもが欲しいなんて言わない。言えば責任が生じてしまうとでも思っているんだろう。そんな考え方をすることが自分にもあるので、美幸は耕助のそういう態度が嫌いではない。もちろん、好きでもないけれど。
 だからといって、今の生活が最高だとは思わない。ぼんやりと耕助と自分という対になったひとつの形が、日々形をはっきりさせているような気がして、そして、それと同時に輝きを失い、表面に細かく小さな粉のようなものを振りかけられているような気がしている。だから、耕助に地方に引っ込んで釣り堀を継ぎたいと言われた時にも、最初に浮かんだ言葉は「お似合い」だった。耕助にも私にも寂れた地方都市のおそらく客がほとんど来ない釣り堀がお似合いだと思えた。
 もともと職を失っていた耕助も、パート勤めだった美幸も引き留めてくれる人もなく、美幸の実家の両親が僅かに眉を顰めたけれど、結局出てきた言葉は「いいんじゃない」だった。
 そんなことを考えながら、三浦くんが背中に触れていた手を美幸はそっとさげた。三浦くんはその手を艶めかしく握った。釣り堀の小屋の窓は横に広く縦に短く、耕助たちからは二人の上半身しか見えなかった。見えない位置で三浦くんは耕助たちに微笑みかけながら美幸の手を握り続けた。美幸も同じように手を握られながら耕助たちに微笑んだ。
 不思議だなあ、と美幸は思う。ここに越してきてまだ数ヵ月。三浦くんと顔を合わせてまだ二週間しか経っていないし、こうして外から見えると言いながら三浦くんと二人っきりの空間にいるのは初めてのことだった。それなのに、こうして三浦くんと手を握り合って、耕助を眺めていることがごく自然のことのように思えるのだった。これから先、三浦くんに抱かれるのかどうかはわからない。どちらかというと、邪魔くさいことにはなりたくないから、そういう関係にならなければいいな、とは思うけれど、こればっかりは成り行きのような気がした。三浦くんが美幸の人差し指と薬指の股のところを自分の人差し指の先で撫でた。最高に気持ちがよかったので、美幸は強く三浦くんの手を握り返しながら、たぶんこの一年でいちばん楽しそうな笑顔を耕助に送った。(続く)