2011年4月 目次
暁の調べ――翠ぬ宝78 和貞井藤
何かが変った日 佐藤真紀
製本かい摘みましては(68) 四釜裕子
DJせいこうの想像ラジオ 若松恵子
肩こり節電 植松眞人
さあ、どうしようか 仲宗根浩
Opera 書くNoticia Dialogal 笹久保伸
日常 大野晋
しもた屋之噺(112) 杉山洋一
犬狼詩集 管啓次郎
東北の震災、ジャワの震災 冨岡三智
ことばの種子を蒔く くぼたのぞみ
オトメンと指を差されて(34) 大久保ゆう
季節の声 璃葉
掠れ書き11(テクストと音楽・・・遅延装置) 高橋悠治
暁の調べ――翠ぬ宝78 和貞井藤
火口を、(暁だな、)
いつまでもひらく、
夢のなかで
数千の 白い人々、
夢のなかで (魔よ)
魔よ、醒めるな、
眠りとは氷の一粒で溶けるはずの
ちいさな技術です。 とわに、
溶けることのない
凍る 暁の夢です
(「暁の調べ」は『うつほ物語』〈楼の上〉下巻から。この数日、たてつづけに、火口の、火山の悪夢が痛々しいです。〈リビアの?〉空爆のもとにいるかと思 うと、火口です。「隣国に走り火さすな。鎮まれと、山ををろがむ山禰宜たちよ」〈晶子〉。句読点のついているのは迢空が引用するからです。)
何かが変った日 佐藤真紀
311、ぐらっとゆれて、何かが大きく変ってしまった気がする。僕は、その時事務所にいた。ゆれはしたが、大事には至らなかった。しかし、それから、一週 間は、とてもしんどい日が続く。何がしんどかったかというと、無力感だ。一週間、何もせずにただ、TVやネットで原発が放射能を出し続けるのを見て、悶々 としていた。東京でもガソリンがなくなり、灯油がない。米や、パンがなくなった。そして、オムツがなくなる。放射能のこともあり、1歳9ヶ月の息子は札幌 の妻の実家に帰した。
そして僕は、先週から、山形に来ている。毎日、石巻や、女川町へ支援物質を届けている。最初は怖かった。自分が一体どんな面を下げて、被災者に会いに行く のだろう。邪魔なだけじゃないか? かえって迷惑をかけるんじゃないか。そう思うと無力感にさいなまれた。
被災地に入る。すべて流された町の風景。今までいくつかの戦場を見てきたけど、比べ物にならないエネルギーである。原爆で破壊されたグラウンドゼロに似た 光景。自衛隊の車両があちこちを走り、まるで、軍事占領下に置かれたような街角。自衛隊員の仕事は、瓦礫の中から遺体を収容すること。いまだに一万人が行 方不明だという。
しかし、避難所で出合った人びとは、とても優しい。南三陸の丘の上に避難してきた人達は自炊していた。100人が狭い公民館で暮らしている。「ご飯を食べ ていきなさい」先に被災地に入っていた熊五郎は、避難民の炊き出しを食べるなんて、とんでもないと思っていた。しかし、ここはイラク流でいい。同じ釜の飯 を食うこと。外は寒く、温かい味噌汁がおいしくて涙が出そうだ。
ヒゲのおじさんは、「2歳になる孫が、保育園にあずけられていたので、娘が車で迎えに行った。それっきり戻ってこなかった。娘の遺体は確認できて、昨夜仮 通夜を行ったんだ。2歳の孫はまだみつからねぇ。見つかるまで、ヒゲはそらねぇ」と泣き出しそうだ。
医者を連れて、別の避難所で診察をした。おばあさんが多くやってきて、嬉しそうに苦労話をしてくれて、僕らも気が楽になった。しかし、マスクをつけた女性 が目を赤くはらしている。花粉症かなとおもったが、涙があふれ出ている。「3歳の息子が、流されて、戻ってこないんです。もう諦めています。20日近くた つんですから。でも遺体を見ない限り諦められないんです。」僕だったら、ぐしゃぐしゃになった、子どもの遺体をみるよりは、諦めながらも、かすかな希望を 持ち続けてるほうが楽じゃないかと思ったりする。
まだ、20歳くらいの漁師の若者は携帯電話の待ちうけの赤ちゃんの写真を見せてくれた。「ここから逃げて、かみさんの実家に世話になっています。この間、 久しぶりに会いに行ったら、僕のこと忘れていて、泣くんですよ」ちょっと悲しそうだった。「赤ちゃんにとっても津波は怖かったみたいで、いままで夜鳴きな んかしなかったのに。」
「大丈夫ですよ。子どもは元気に育ちますよ」僕は、自分の息子の写真を見せた。
「一年と9ヶ月でこんなにおおきくなるんですよ。あっという間ですよ」
僕も、息子と別れて20日になる。僕のこと忘れてしまったんじゃないかと思うと少しさびしい。しかし、子を亡くした親の気持ちを考えると、もっと悲しくな る。早く、この苦しみをみんなが乗り越えて欲しい。
製本かい摘みましては(68) 四釜裕子
東日本大震災で被災された方々への救援物資として、私の暮らす渋谷区では4月15日 まで学用品も募っている。使っていない鉛筆やペンやノートを集めながら、本を作るたびに印刷やさんに用意してもらう束見本を思い出した。これって、未使用 の無地のノートじゃないだろか。防災課災害対策係に電話した。
「出版にかかわっている者ですがノートとして束見本も受け付けてもらえますか?」
「なんですか、ツカミホンって」
もちろんこれではわかってもらえるはずがない。
「表紙が堅くて中身は無地、1センチから2センチくらい厚みがあって、しっかりしたきれいなものなんですけど」
「あ〜いいですねぇ。お願いします」
自宅や職場で、この"未使用の無地のノート"を集めたが、年末の大掃除でだいぶ処分していたことが悔やまれる。
自宅には、サイズも種類もばらばらの紙がいくつかある。適当に集めて厚めの紙を表紙にして中綴じすれば、無地のノートがいくつかできる。文房具メーカーか ら寄せられる大量のノートにまぎれて、ちょっとヘンだなとかおもしろいなとかきれいだなとか、誰かの心に留まって手にしてくれたらうれしい。
DJせいこうの想像ラジオ 若松恵子
3月11日に地震があって、被災地の状況をテレビで見続けているうちに、何もやる気がおきなくなって、被災しているわけでもないのにだめじゃないかと思い 直して仕事に行く日はなんとか起きて、落ち着かない街でうだつのあがらない仕事をして過ごしてきた。
スーパーの棚がガラガラになり、店が早く閉店し、エスカレーターが止まり、駅の電気が消え、行くはずだったライブがいくつも中止になってしまった。おまけ のようなことばかりなのだけれど、こういうひとつひとつが何か意気消沈させ、元気を無くさせる要因となった。
繰り返されるACのCMにうんざりしていた頃、いとうせいこうが、ツイッターで文字によるラジオ放送をやっているということを知った。DJせいこうが、リ クエストを受け付けてくれる。音はリスナーの想像のなかで鳴る。どこで放送しているのですかとまじめに聞いてきた人に、「心に直接届くラジオ」だぜと彼は 言う。かっこ良いではないか!
「被災地のみんな、心の被災をしているみんな、こんにちはDJせいこうです。」と言って放送は始まった。卒業式ができなかったリスナーのリクエストに応え て讃美歌が掛かり(クリスチャンの学校だったんですね)遠藤みちろうのパンクバージョンの「仰げば尊し」が掛かり、「深い黙祷をお届けしたぜ」という時も ある。いとうせいこう自身の曲をリクエストした被災地のリスナーに「ずっと歌っているから、つらい時は聞いてくれ」と答える。
「春が来てる。でも歩みが遅い。音楽で呼び込もうぜ。昔から人類はそうしてきたんだ。春がフラフラ寄ってくる曲、音、映画を今日はかけまくるぜ!」という 日に、「俺たちが呼ぶ春は気象庁が観測する春じゃねえぞ。一瞬のうちに圧倒的な温かさで雪を溶かし、花を咲かせる想像力の春だ。目をつぶらないと現実に負 けて消えてしまう春だ。だが、俺たちはそれを今、呼び込む。つまり祈りなんだよ。かの地への!」という言葉が続き、「リスナーのみんな、「想像力」っての は、美しくて優しいばかりじゃないぜ。こんな時に春を呼ぶ、音が聴こえると言ってるのは不謹慎だし、非常識だし、ある意味逃避だよ。お前らをだましてるん だ。でも俺はこの虚構を続けるぜ。うしろめたさで毎日ふとんかぶりながら。」というつぶやきに続いていく。
彼が、本気でみんなを思いやっているのはわかってるよ。と思っていると、「さて、ここで俺自身がリクエスト。聞いてくれ。RCサクセション「いいことばか りはありゃしない」。爆音でいくぜ」というコメント。“そうこなくっちゃ、大好きな曲だよ”とうれしくなる。
想像ラジオに、彼の気概を感じる。2011年3月の覚書として「DJせいこうの想像ラジオ」のことを記しておきたいと思う。
肩こり節電 植松眞人
東日本を襲った地震、津波、原発事故の三段重ねが、ちょっとやそっとじゃ収束しないとわかってきた3月の終わり。来月には中学生になる息子を連れて兵庫県 伊丹の実家に帰った。
帰った途端に「東京も大変でしょう」とみんなに言われて「大変だと言われても、なんとなくあきらめムードで」と答えるしかなく、被災地ほど痛め つけられてもないし、大阪ほどのんびりもしていられない、という微妙な立場に言葉数が少なくなる。
正直、計画停電や電車の間引き運転、買い占めや自粛ムードで落ち着かないのだが、日々の暮らしは地震前とほとんど変わらない。変わらないのに、 毎日の余震や放射能についての報道、これから先本当に仕事はあるのかという不安で、知らず知らず緊張が体の中に蓄積しているような気がする。
そのことにはっきり気がついたのは、今回の帰省中、仕事の関係で一泊だけホテルに泊まったときのこと。あまりの肩こりに観念して、マッサージを してもらった。背中を丹念に押されて、肩が凝っていることを思い知ったのだが、それ以上に気持ちの方がまいっていたらしく、「相当凝ってますね。いろいろ 大変だったんじゃないですか?」と声をかけられた瞬間に涙があふれてしまったのだ。不覚にも、という言葉がすっぽりと当てはまる瞬間だったが、うつぶせ寝 の枕に顔を押し付け悟られないようにして「いやあ、あっはっはっ」と意味もなく笑う。そして、笑いながら、「こうしてリフレッシュできたのだから、明日か らは、東京でこれまで以上に節電に励もう」などと思ってしまっていることが嫌で嫌でしかたがない。ああ、悔しい。なんで俺が。
さあ、どうしようか 仲宗根浩
ガキの入試が二日前に終わり、卒業式。風邪気味を理由に卒業式の出席をパスし、午後一時半ころ卒業式に出席した母親は帰ってきた。しばらくして卒業証書を 持って帰ってきたガキ。すぐに着替え、遊びに行った。こっちは微熱なのか平熱なのかわからないまま布団の中に入りながら眠ったり、テレビみたりしていた ら、地震速報。テレビはちょっと時間をおいて特番に変わる。北関東以北の知り合い、そっち方面に実家がある奴らに携帯のメールで状況確認をする。四時過ぎ から次々と返信が来る。その返信のあとは数日、連絡は取れなくなったが。こっちは出勤の時間となり仕事場に行くと、津波警報のため避難している人がいる。 市からの要請でカップラーメン二百個準備してほしい、との連絡が入り、いつでも避難場所に届けられるように準備をする。仕事終えて家に帰ると、東京の帰宅 難民になった者からもメールが入ってくる。こちらでメールアドレスが分らない者はサンフランシスコ在住の知人にに教えてもらい、安否確認のメールを発信 し、地震から三日後には安否確認は済む。
テレビではヘリを飛ばし被害の状況を伝える。タイマーズの「ヘリコプター」という曲を思い出した。阪神大震災のときからテレビ局はありったけのヘリを飛ば して惨状をヒステリックに伝えるだけ。そのヘリを最小限にして避難所の情報収集にあたれば孤立している場所が早く把握できるのに。「エリートだけが乗れる ヘリコプター」。ゼリーはまっとうなことを歌っていた。
原子力発電所について、テレビはいろいろな数字を出す。数字が風評へひとりあるきする。関東方面へ食品や乾電池を送る人。店頭には電池、水、レトルト食品 が品薄になる。
こちらができることは、今ある自分の仕事をまっとうにするしかない。そうしたうえで、身の丈に合ったことをする。
Opera 書くNoticia Dialogal 笹久保伸
• おい!ポケットからE♯の煙が出てる!
• おい!靴下から聴こえるongakuはバッハでもシューベルトでもない!
• おい!ティーカップは死へのDanzaを続ける
• おい!席を立つな、咳をする責任を問われる
• おい!状況はkikiteki keikaku停電に突入ともニュースで
• おい!奥様の胸元から瑞々しいほどの炎と煙が
• おい!君の机が震え ウランの入ったワイングラスが溢れderu
• おい!それは水蒸気となり 風に吹かれ君の食卓を越え皆の食道や臓器へ向かっている
• おい!おい、あ、おい・・・
• Oi….......a…..oi…..
• おい!おい、あ、おい・・・
• おい!おい、青い・・・
• aoi!空と
• aoi!雲と
• aoi!霧と
• aoi!海と
• aoi!樹々と
• aoi!aoi ! aoi !
• 青い!
• 痛み Dolor! Pain! 아프다! Douleur! Schmerz! 疼!
• Itai! 痛い!
• 痛い!遺体!Remains!cadáver!Leiche!Cadavre!사체! 遺體!
• 描く!書く!角!格!核! Noyau Nukleus Nucleo 핵 Nucleus
• ごほん ごほん と 咳ではない核とナイカク
• 書くが 消せない核
• ・・・核
Cuarteto(四重奏)
C 水は上からしたにしか・・・・・・・・・・・・・・決して流れない・・・・・・・のか?・・・・・・・・・・・・のか
D うす暗い夕暮れ時に・・・・・・お母さんの顔をした・・・・・風船の色を・・・・・確かめる すると
A その箱の中から一体何が入っているかという問いすら忘れ君たちは・・・・・水分を失っていた
Bその葉っぱは緑色だったが決して水分を失っていなかった・・・・・水分を失ってはいなかったのだ
C のか・・・・・・なのか・・・・・・のか 流れは変わらないのか・・・・・・決して望んではいけないのか
D 意外とその風船は空高く飛んでいったので・・・・・見守った・・・・・・・そうすでに・・・・・・・いたのだった
A水分がなくてとても寒いね・・・・・・・水分がなくてとても
B あるわけないよ!・・・・・・水が欲しい
C・・・・なんか 暑くない? おーい・・・・そこに・・・・・マッチはありますか・・・・はい・・マッチですが
D三角形の塩水はわりとそこで冷やされていた・・・・・・・・・品切れです・・・・・
A 過去に戻る事はできない・・・・・・・・・・・・・・水を! 水を!
B そんな遠くに・・・・・・遠い買い物に・・・・・・・・・行こう!
C 未来が オアシス・・・オアシス
D 熱を帯びた高温のライオンを冷やす雨の水たまりを買いに
A とっさに夢から覚めたライオンに噛み付いた黄金の蛙は虹に帰って行った
B ああその星空を3センチでいいから私に分けてくれない?と テイブルの置物がストーブに言った
C 月夜の灯りよりも・・・・・その一本のマッチが・・・・・・ほしい・・・・・と望んではいけないのか
D品物が入りました・・ええしばらくぶりです・・その夜に北園様のお宅にお届けしたらよろしいのですね?
Aはい・そうです! マッチが入荷致しました
B そうです! えっ・マッチですか 北園様はお留守ですか?
C そうです! 望んではいけないのでしょう
D そうです! 星空を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雪をかぶったうさぎの足音を
A録音に出かけてしまいました・・・・・・・・・・・・青山の先に・・・・・・帰宅は何時になりますか?
B 白い・・・・・・静寂のオブジェ・・・・・青い洗濯バサミに挟まれたカマキリのDanceを収録に
C 黒い・・・・・律動・・・・・・・・・まだ・・・まだまだ・・・・・・まだまだまだまだまだまだまだ
D・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰宅の日程は?・・・・・・・・
A ただいま・・・・・・・えっ、また雪?でも黒いわね・おかえり
B 黄金の蛙は虹に帰っていった・・・まあいいか・・・・・飲み過ぎだわ
C 風船はすでに水を飲み干してしまった・・・・・きっと・・・・
D熱を帯びた高温のライオンを冷やす雨の水たまりを買いに出かけた食塩と△が帰ってきました
Aあらまあ・・もう私の喉を潤す冷たいマッチの事をお忘れなのね・・・昨日サンダル!
B 熱が出ているのに 風船は水を欲しがっていた・・・・しかし・・その星空 それはあんまりだ
C 6月にはカバンから出て行こうかな・・・・・働くのだ・・・・・雑巾らが君らを働く
D北園さんのライオンを暖める為の白い煙突が三角形の上を逃げ出して歩いている
日常 大野晋
さて、原稿を書こうと水牛だよりを読んでいたら、シアターイワトが計画停電中も予定通りに公演するというのを読んだ。ふと、思ったのは、停電中の時間を選 んで、暗闇の中で、闇をたしなむような公演の方がむしろふさわしいような気がした。残念ながら神楽坂は停電しないけれども。実際には消防法などの問題はあ りそうだが、電気という当たり前のように使っていたモノと現代社会からは遠くなってしまった闇をテーマに何かを考えるのもこの機会には必要だと思う。
計画停電はわが地域にもやってきた。いつもよりかなりきつい満員の電車で帰ってきたら、駅から先は真っ暗になっていた。その真っ暗な中を歩きながら、むし ろ懐かしい暗闇に「こんばんは」を言ってみた。
ふとある春の日、まだ周囲の山々に雪が残る頃、都会育ちの私は山国の街の学校に通うために駅から降りた頃を思い出した。ひとりぐらしの希望と不安とを感じ ながら歩く夕方の街は家々の中から生活の音がして、当時も私には面白く感じた。今では、ほの暗い街の夜歩きは趣味のようになっているが、停電で消えた街を 歩いているとその感覚が戻ってきて、明るすぎる都会の明かりをかえって疎ましくも感じられるのだった。
当時、真っ暗な街の中で仰ぎ見た満天の星空。プラネタリウムの中だけの夢物語だと思っていた流れ星が実際に一晩に何回も走ることを知った驚き。または、高 山の頂上に暮らしたときに見た下界の遠い街のはためく明かりたち。寝転がってみた満点の天の川の中を人工衛星の明かりを見つけたときの感動。そういったも のを思い出しながら、この闇も忘れられないかもしれないとふと思う。
節電のためと、いろいろなところで照明を落としているが、私にはむしろ、今の明かりの方が生活にはふさわしいように感じてならない。昼のように明るい夜の 都会はかえって生活には不要なものばかりなのかもしれない。なにせ、実際に大都会を離れれば、そういった気持ちのいい闇が世の中にはあり、それと対照的な 暖かい生活がある。いや、むしろ、そうした生活が途絶した部分が大都会だから、満たされない魂のために、不必要な明かりが欲しいと思うのかもしれない。
今月は被災地へのお見舞いの言葉が多いのだろうけれども、本当にいくつの言葉を紡いでも、大災害の当事者への気持ちには足りないように思う。なので、一 言。一日も早く日常に戻られることを祈念しておりますとだけ書いておこう。
どんなに大変なことでも、どんなに悲しいことでも、やがて生活していれば日常に変る。もう、もとの日常に戻ることはないのだろうけれども、違う日常が待っ ていて、そこで暮らしていくことになる。できれば、その新しい日常で、また楽しいことやうれしいこと、悲しいことすらも、新しい生活として楽しみにしたい と思う。
ないということは白いキャンバスに新しい画が描けると言うことでもある。決して真っ暗闇なのではない。いや、真っ暗もまた新しい発見と暖かい人間の営みが あって楽しいのだ。
しもた屋之噺(112) 杉山洋一
昨晩二週間ぶりに家人が東京から戻ってきました。本来なら6歳になった子供をつれて東京へゆくはずでしたが、出発直前に震災に見舞われて、子供を日本につ れてゆくのは止めました。明日には家人と入替わりに単身日本へ発ちますが、数日でも家族が揃って過ごすのは何より嬉しいものです。
今年は息子と二人きりで過ごす機会が多く、家事や育児に追われ仕事の工面が辛い以外、思いがけない発見もあり、親子の会話が増えたのは貴重な収 穫でした。息子の誕生日には、小さな袋にさまざまな駄菓子を息子と詰めて、幼稚園のクラスメート全員に持ってゆき、誕生日会も友人宅で開いて頂いたし、授 業やレッスンの時には友人宅で預かってもらったりと、それなりに慌しく時間が過ぎました。6歳の息子なりに、日本の地震は治まったか気にかけてみたり、母 親はしっかりやっているかと案じてみたり、毎朝一人で起きてはそのまま机に向かって宿題をしたりと気丈に頑張る姿は、親ながらいじらしいと感心しました。
或る朝、子供を幼稚園に送って部屋に戻ると、食卓に鉛筆で書きなぐった息子の鳥の絵が無造作に放ってあって、思わず見入っていました。空を羽ば たく鳥の姿に心を打たれ、帰宅した息子に思わず本当にお前が書いたのかと尋ねると、怪訝そうな顔で頷きました。明日日本に発つ前、ファルスタッフの中表紙 にでも貼りつけてゆこうと思っています。
美しい夜明けの小鳥の囀りに和み、朝食を交えて庭の樹の芽の成長を愛で、指差されるまま真っ青な空に走る一直線の飛行機雲に歓声を上げ、道すが ら燃える夕焼けの色を熱心に説明する話に耳を傾け、引き算ドリルが難しいとマイナスに縦線を加えて全部足し算にした息子に雷を落とし、彼の希望に従って夕 食を支度し、大騒ぎして風呂に入れ、時には喧嘩しながらごく普通の日々をやり過ごしていました。そんな当たり前の時間がどれだけ掛け替えのない日常なの か、身につまされました。
何時までも記憶に留められる気の遠くなるほど長い瞬間が、びっしり隙間なく積み上げられてゆく姿をただ呆然と見つめながら、先月までの日常が音 を立て脳裏に食い込むのを薄く感じ、眼前に立ち籠める深鼠色の雲に目を凝らし必死に薄陽を探しています。
努めて今まで通り暮らそうとする自分と、それに疑問を投げかける自分がいて、無気力に襲われる自分と、それを諌める自分がいます。音楽の拠り所 を信じる自分もいて、後ろめたい気分になぎ倒される自分もいる。思い切ってラジオの電源を切って外から耳を閉ざし楽譜に没頭していて、ふと音楽に救われて いる自分を見出し、目の前の風景がくぐもって見えました。
学生だったころ初演を聴いた「進むべき道はない、だが進まなければならない」が頭を過ぎりながら、ノーノの圧倒的な表現力の強さを思いだしてい ました。パリで「プロメテオ」を演奏したとき、最初の一音から会場が震えたのをよく覚えています。演奏の善し悪しなどでは全くなくて、演奏者と聴衆と作曲 者が何かを一つのものを共有と切望し、互いが周波数が寸分なく合致したときに生まれた、圧倒的なエネルギーでした。信じることで初めて力が生まれます。信 じなければたとえ正しくとも力を発さないのは、指揮と同じでしょう。誰もが自らの選択を信じる勇気と、その力を併せる勇気を信じて、とにかく足を踏み出さ なければいけない。そう耳元でささやく自分を、とにかく信じてみたいとも思うのです。
(3月29日ミラノにて)
犬狼詩集 管啓次郎
27
立体視が幽霊を求めている
左目が見る事物の光と右目が見る事物の光のずれが
そこにいないものを呼び出すのだ
互いに干渉する光の縞、島に
奇妙に太った幽霊が住んでいる
青く濁ったファンファーレも聞こえず
隊列には行進のそぶりもない
うすむらさきの空へと子供たちが
動きもなく、音もなく、斜めに登ってゆく
その階段的な傾斜はパイプオルガンと
オルガンパイプ・カクタスの総合
器官を欠いた小さな体と
名も無い残酷な密輸人の化かし合いだ
子捕りよ、盗んだ子らを売るのはやめろ
かつて海だったこの果てしない砂漠の
太った幽霊のまわりで子供たちが遊んでいる
28
パイプオルガンが幽霊の声を
メタファーとして響かせる
光の舌、炎の舌が
歌いたくて歌えなくてやきもきしている
かれらを手なずけて隊列へとまとめたのが
キリスト教ヨーロッパの最高の独創だった
xとyからなるイグレシアで
声のない群衆が歌の始まりを待っている
「新大陸」の海岸では一連の山並みの
命名権をめぐって代理人たちが口論している
「のこぎりの歯」なのか
「神の指たち」なのか
「パイプオルガン」なのかを決めかねて
光の舌、炎の舌は何の意見もいえなくて
ひどく焦れている、焦れながら
山並みが海嘯のように鳴り出すのを待ちかまえているのだ
東北の震災、ジャワの震災 冨岡三智
先月号でムラピ山噴火とチョデ川の火山泥流のことを書きかけたけれど、まさかその半月後に日本が大震災に見舞われるなんて、想像もしていなかった。
今月は先月の続きを書くつもりでいたけれど、先に、この地震に関して感じたことを書き留めておきたい。
私は、いま一時帰国中で日本にいる(3/16-4/6)。関西にある私の実家は地震の被害を受けてはいないが、これで南海地震が誘発されたら…と両
親の不安は大きかったようだ。両親は小さい頃(1946年)に南海地震を経験していて、もう近い内に再発してもおかしくない。その頃は現在のように震災警
報もなければ避難誘導もなく、揺れる中を小学校にたどりついたら、地震で学校は休みにすると言われてそのまま帰宅させられたらしい。そんな話を聞いている
と、日本は戦後、地震災害に備えるノウハウをずいぶん積み重ねたものだと思う。現在と違って情報手段も交通手段もなかった大昔は、地方で大地震があった場
合には村ごと壊滅して終わり、そこから離れた村の人達は何も知らない、ということもあったのかも知れないと思う。
実家の近所で避難所に指定されている公民館は坂の途中にあるが、この坂は江戸時代の南海地震で生じた段差らしい。その坂の途中にある家のおばあさん
が、お姑さんからそう伝え聞いているという。地震がきた時にそんな所に逃げても大丈夫なんだろうかとかねがね思っているのだが、行政はそんなローカルな伝
承は把握していないのだろうなあ…。
ジャワ島地震がジョグジャで起きたとき(2006年)、ジャワの友人たちが、ジャワには今まで地震がなかったと言っていたことを思い出す。自らが震
災に遭うのは初めての経験だとしても、ジャワでも歴史上大きな地震――世界遺産のプランバナン寺院は16世紀の地震で崩壊している――も起こっているし、
活火山もあるから、いつ揺れたっておかしくないと思うのに、地震の記憶は伝承されてこなかったみたいなのだ。日本でなら、地震の災害は昔から歴史の記録に
残っているし、どこに逃げて助かったとか、そんな伝承が被災地には少しなりとも口伝えで残っている。それに毎年の防災訓練もある。やっぱり始終どこかで揺
れていないと、大昔からの記憶は伝承されてこないんだろうか。
ジョグジャ出身で今は日本に住んでいる友達は、ジャワでは不吉なことを口にすると、それが現実になると考えられているから、天災などが起きても、た
ぶんその事実は伝承されてこなかったのだと言う。その考え方は日本の言霊信仰と同じだ。ジャワ人も日本人と同様に、内実はともかくも「表面的には、つつが
なく滞りなく終了する」ことを尊ぶ民族だ。けれど、2006年の地震からは少し状況は変わってきたようである。私はこの2カ月、ガジャマダ大学の寮に住ん
でいたが、この寮の掲示板や各部屋の扉の内側には、「地震が起きたら…」と書いたポスターが貼ってあり、「揺れが起きたら机の下に隠れよう」とか、書いて
ある。町のショッピングモールなどにもそういう掲示が見られるから、あのジャワ震災はこの地に防災という意識を持ち込んだなあと思う。
今年1月半ばにジョグジャに来てから驚いたのが、ジョグジャ市内のコンビニで不織布のマスクをよく見かけること。ショッピングモールでは、マネキン
にジルバブ(イスラム教徒の女性が被る頭巾)とコーディネートして、柄模様のマスクを着せているのも見た。昨年11〜12月に噴火したムラピ山の火山灰か
ら気管支を守るためだ。ジャワでバイクに乗る人達には、埃除けにバンダナを三角に折って鼻と口元を覆うように巻く人が多いのだが、今ではマスクをきっちり
している人も見かける。この間は、汽車の中でマスクする人も見かけた。私は、これまでインドネシアで人々がマスクをしているのを一度も見たことがない。隣
のソロ市にも何度か出かけたが、ここではマスクをした人を見かけることはなかった。ソロに在住する友人に、「ジョグジャではコンビニでマスクを売っている
よ」と言ったら驚いていた。ジョグジャには町のあちこちに被災者救援用の詰め所(POSKO)もあり、一見平穏に戻ったように見えても被災地域なのだと感
じさせられる。
4月末に私はまたジョグジャに戻ることになっている。ジョグジャでも、また地震や噴火が起きないとも限らない。その時には、せめて落ち着いて行動し たい、と思う。
ことばの種子を蒔く くぼたのぞみ
謎と氷がとけたとき
避けられない天災と
避けられる人災が襲ってきて
溶けないはずのものまでとけてしまい
土が
海が
生き物が
震えおののく
粋をみがいて無意識に
おごり
やせる
都のこころをなぐさめるように
雪の舞う東北の
瓦礫のなかから
土くさいことばが聞こえてくる
なんという皮肉
この春
風に運ばれるのは
花粉だけではなかったね
列島をつらぬき
まるい空をおおって
世界をつなぐのは
放射能だけでもないんだよ
それでも/だから
憂いの染みた土にむかって
ぱらぱらと
ことばの種子を蒔く
悲しみをとかして耕した湿地のなかに
祈りをこめて種子を蒔く
長いながいときがたち
やがてふいに芽吹くのは
草木だけではないのだから
オトメンと指を差されて(34) 大久保 ゆう
みなさん、春です、春なのです。ぽかぽかしてきたのです。春は油断なりません。いつでもどこでも私を誘惑していて、うっかりするとときめかされてしまいま す。そんなことになった日にゃあ――
1.外を歩く
2.ぼーっとする(or本を読む)
3.空を見る
ことになっちまうのですよ! ああなんて恐ろしい! ああ仕事が手に着かない! 困りましたね!(ちらっと横目) 春のせいですから、だって春 のお方が誘うんですもん!(ちらっちらっとあたりをうかがう)
頭もいい感じにほかほか暖まっているので、色んなことがゆる〜くなってしまって。街を歩いていて、現れた魔法の五文字、そりゃもうお財布のひも もだるんだるんびろんびろん。ついでに花粉症で鼻はじゅるんじゅるん、目はちくちく、といってもまだまだ軽度なのでたいしたことはありませんが。
ふわふわ、っとなっちゃって、うろうろ。適当な場所をみつけて、座ったり。きっと私はあやしいひと。まあ周りにはいろいろとものがあるので、最 後にはやっぱり見上げるわけで。
空を見るって、いちばん贅沢な時間の使い方ですよね。いやもう、これ以下の暇つぶしはないってくらいに。たぶん、なんというか、自分と時間が一 対一で向き合ってるような、そんな感じなのかな、って思ったりもするんですけど。私にもっと風読み・空読みスキルがあるといいんですが、何にもないので、 ただ〈見る〉ことしかできないんですよ、正直のところ。
空の向こうにはたぶんたくさんのことがあるんでしょうが、ぼーっとするだけ。時の歩みは、びっくりするくらいに遅くて。自分がそのときの時間と 一緒にただ流れてるだけだからなんでしょうかねえ。
それこそ、空を見るってだいたい地球上ならどこでもできることなので、私にとっては旅の定番であります。観光地へ行ったり、美味しいもの食べた り、っていうのもいいですが、その場所の空を見るってのもいいですよね。何も用意しなくていいし。
やっぱり色んな場所の空を見てみたいなあ、と思っていて、実際にどう違うとか、見た目が変わるとか、そういうった部分にはあんまり興味がないの ですが、その場所その場所と、ただ時間を共有していたいと言いますか、まあそんな意味合いで考えておりまして。
世界じゅう、なんてできると面白いんですが、とりあえずは日本じゅう、全都道府県を回るくらいを目指してたりするんですけどね。まとまった休み があるごとにちょこちょこ出かけているのですが、まだ……30くらいしか行ってないので。今年も、春夏秋冬で、たぶん数県ずつ。
そのときには、元気な空が見られるといいな。
季節の声 璃 葉
掠れ書き 11(テクストと音楽・・・遅延装置) 高橋悠治