2012年9月 目次
しもた屋之噺(128) 杉山洋一
翠の韻文95――終わりは来るか(2) 藤井貞和
バーチャル・ナース 佐藤真紀
奥原先生 大野晋
オトメンと指を差されて(休) 大久保ゆう
かん 三橋圭介
製本かい摘みましては(81) 四釜裕子
ETが来て、台風が来た 仲宗根浩
夢のつづきのPreludio 笹久保伸
八月 璃葉
奇妙な殻のなかで くぼたのぞみ
犬の名を呼ぶ(4) 植松眞人
オチャノミズ(その4) スラチャイ・ジャンティマトン
犬狼詩集 管啓次郎
掠れ書き22 高橋悠治
しもた屋之噺(128) 杉山洋一
翠の韻文95――終わりは来るか(2) 藤井貞和
まさか! 三月を、怒りの子、飢餓によ、満ちて、しずかな叫び。火の斧、火の粉、見し中の、皆か、否! 震源は、しばし半減し、地震(=ない)か、波の哀 しみ。この日、NO(ノオ!)の日々、けさ鳴かずして、魑魅(=ちみ)よ、苦(=にが)き、この理解を継がん、逆さま(回文)
(〈家の除染が終わると、30日から庭の除染がはじまる。庭の薔薇20本を嫁入りさせる。秋の虫が鳴き出して、なぜか、だみ声に聞こえる。声 の聴こえる日は余震がないようだ。1500軒の除染で、今年いっぱいは騒音のなか。朝から地下水が西から東へ、すこし動いた。二軒となりで数 軒ずつ、除染の穴を掘っているせいかしら〉と、福島からのけさのメール。回文は宋詞を創るのに似るかもしれない。韻を重ねて意味を求める。無 理もあり、詩語、古語も利用される自由詩。韻文なのでは。)
バーチャル・ナース 佐藤真紀
奥原先生 大野晋
私が勝手に師匠と呼ばせていただいている奥原先生はもうすでに故人です。もう遠い昔、学生のころ、すでに90歳近かった先生は非常 にお元気で、野山を現役で歩かれていました。
その当時、県の植物誌の編纂の仕事で、先生は県内から集まる標本をひとつひとつ同定(押し花になっている標本を鑑定してそれがどう いう植物であるのかを決めること)されていましたが、アルバイトを兼ねて標本を台紙に貼り付ける作業をしていた私に、「大野君、名前 を鉛筆で書いておいてね」と同定前の標本のプレ同定の作業を通して、指導をしていただきました。
大学へは大抵、午後やってくるのですが、ご自宅のあるところからは必ず市内の女鳥羽川を橋を使わずに、川の中を直接渡って来られる ので、いつも長靴姿がトレードマークでした。それでいて、時々、「どこそこで節分草が咲いたよ」とか、「どこそこにこういう珍しい植 物を見つけたよ」という話をされるところを見ると、午前中は県内の野山を駆け巡っているのが常のようでした。
そういう先生ですから、若い誰よりも山道を歩くスピードは早く、慣れない学生だと置いていかれるくらいでした。
この話は、もう何回も何かの機会に書いたかもしれませんね。そんなことを思い出したのも、私もそろそろ、やりたかったことについ て、何か残しておくべきかなと最近常に思っているからかもしれません。ゆえあって、生活のために生きていますが、自然の成り立ちにつ いてじっくりと探求したかったなあとしみじみと思い返すことが多くなりました。もう大学院に入り直しても結果が見えない年齢になって きたせいかもしれません。
などといっても、学校を卒業して以来、プログラミングという抽象化とモデリングを繰り返して数年。その後、品質管理という人間の行 動や問題の構造を紐解く仕事を10年以上、そして20年ほど経って、システムというものを一から勉強しなおした結果ですから、30年 前の私には無理な仕事だったのかもしれません。今後、数年で少し考えていることをどこかに発表しようと思うここ数日です。
オトメンと指を差さ れて(休) 大久保ゆう
今回は、ただいま筆者が全オトメン力を用いて〈ふしぎの国〉に迷い込んでいるため、お休みさせていただきます、あしからず。なお、かの地より 筆者のお手紙が届いておりますので、ここにエッセイの代わりとしてご紹介致します。
拝啓 ふしぎの国はすっかりからっぽめいて参りましたが、みなさまはいかがお悩みでしょうか。わたくしはさっぱりで す。そうなんです、こちらのお風呂はたいへん湯上がりがよいのですが、うっかりのぼせてしまう人も多いらしく、浴槽さんは結婚の申し込み を断るのがたいへんだとか。そのためハートブレイク用のお菓子も流行っているのですよ。なかでもいちばん人気はヤブレカブレで、塩味がき いているみたいです。幸いなことにわたくしは賞味する機会にありつけておりません。わたくしはしらばっくれるあいだ、ふしぎの国でトドの ように丸くなりますので、どうにかしてください。ご自愛するより誰かを愛しておあげなさいませ。敬具
かん 三橋圭介
一ヶ月くらいまえ、一匹の猫がやってきた。名前はかんたろう。アメリカン・ショート・ヘアーの雄。松下佳代子さんというまだ一度も会ったこと はないが、Facebookでやり取りとしていた方のにゃんこ。「たすけてください」とFacebookで叫ばれており、ならばお引き受けし ましょうと、かんたろうをあずかった。松下さんは日本とドイツで暮らしているピアニスト。ドイツではデュッセルドルフのシューマンが暮らした 家が住処という。そんな彼女がローマ法王の御前演奏会のため、一ヶ月くらい家をあけなければならず、あるお宅に預けられたものの、そこにいる 子猫が怖がっているということで、わが家にやってきた。到着してそわそわと家のなかを点検し、もちろんわたしたちも詳細に点検され、合格をい ただいたのは2日くらいしてからでしょうか。テーブルの上という自分の居場所を発見し、ゆうゆうとわれわれを見下ろし、「ごはんがないぞ」 「あそべ」などと命令しはじめました。そうこうするうちにわたしも「かんたろう」「かんちゃん」から、ただの「かん」と呼び方を変えて馴染ん だわけで、その馴染み具合は、私の手から腕、足などの傷がその証となります。電車に乗るとリストカットと間違えられるほどにかんの愛のムチが 神々しく輝き、危険な人として目を背けられること度々。道端のねこじゃらしから専用の遊び道具などつぎつぎ投入するも、「手や腕を噛むのは絶 対にやめられにゃ〜だ」とくるくる絡んでキックします。わたしも負けてはいられないので、真剣に血を流しながらも遊びます。最近では私の腕枕 も気に入り、フミフミもしますが、寝る前の行事として欠かせないのがナメナメ攻撃です。よく親猫が子猫を舐めてあげる姿をみますが、そんな感 じなのでしょうか…。かんは髪の毛をとても丁寧にぺとぺと舐めてくれます。中位の紙やすりですりすりされると思ってください。顔はかなり痛い です。髪の毛ならハゲそうです。寝ていると舐めて起こしてくれるのですが、必ず起きます。そんなかんですが、とうとうお別れです。9月2日に 松下さんが引き取りにきます。かんの夏休みも終わりです。もはや98%「みつかん」なので、松下さんを見てどういう反応をするかちょっと楽し みでもあります。まあ、すぐに「まつかん」に戻るのでしょうね。この原稿を書いている今、かんは机の前にある出窓でころっと横になってぼんや り窓の外を眺めています。
製 本かい摘みましては(81) 四釜裕子
スマホで撮った記念写真を即メールで送る。DPEで焼いて選んで焼き増しして封筒に入れて送ったりしていたのがずいぶん昔みたい。さくさくさ くさく送られてみんなどうしているのだろう。わたしは見るだけ。整理するためのアルバムはずいぶん前から持っていない。自分で撮ったものでも 焼いた写真は適当に仕分けして靴の箱に入れてあるしフィルムはほとんど処分、デジタルデータは撮影年月別のフォルダーに入れてあり、必要が あって探す以外は懐かしく振り返るために見ることはない。懐かしむことと写真が離れていく。
「アルバム」と言われて頭に浮かぶのは厚い台紙にグレーのヘリンボーン柄みたいな布表紙のものだ。ずいぶん大きい印象があるけれど、小さい手 でめくっていたからそう感じるのだろう。表紙には黒と緑のラインと金と銀の小さい四角が数個あって、あのデザインというか柄が好きだった。同 じような大きさの厚手のものが数冊あったが、どれも父が文房具店か百貨店かでひとり選んだものだろう。ソファの上に作られた棚からとっても らって、姉と2人、床に置いてめくる感覚が今も残る。
写真の1枚づつに短いコメントがあって、おとうさんが書いたのよ〜とは母に聞いた。ひとりで読めるようになるまでは姉が読んでくれたので、ア ルバムを見ているあいだは誰かほかのひとに話しかけられているように感じていたと思う。そこに写っているのが自分自身だとまだわからない時分 のこと。絵本みたいなものだったのかもしれない。小学生くらいになるとわたしよりも姉の「絵本」のほうがだんぜん多いことにココロをいためる が、20年たちそれは愛情量の比ではないことだけはわかった。
東日本大震災の被災地で瓦礫の中からみつかった写真を入れるアルバムを作って贈ろうというプロジェクトが昨年9月に東京製本倶楽部で立ち上げ られた。呼びかけに応えて14カ国200人以上の製本家から483冊のアルバムが事務局に届いたそうである。今年3月には岩手県立美術館と大 船渡市民文化会館で展示会があり、最終日にはアルバムを希望する大船渡市民の長い列ができたと聞いた。
集まったアルバムを写したビデオを見た。アルバムであること以外しばりはないのでさまざまだ。革や木の皮に切れ目を入れて表紙の開きを良くし たり留めたホッチキス針で手を傷めないよう保護したり、表紙のおさまりがよくなるように小口に細工したり凹凸に折った紙に細い紙を通して綴じ たり、タマネギのように紙を交互に組み合わせて綴じたり。思いもよらない刺激を受けて、普段得意としている材料や技やデザインが一人ずつの体 からチューブのはみがきみたいに気軽に出てかたちになっている。作品展でもコンクールでもなく、時間もなかったからだろう。483人がどこか でそれをめくっている。
ETが来て、台風が来た 仲宗根浩
七月半ばから左の足、腕に若干のしびれ。頭の中の血管に詰まりでもあるとまずいとおもい、病院に行き、頭の中を輪切りし て見てもらうが異常なし。いつもなら七月に行く人間ドックもごちゃごちゃ忙しかったので行けず、予約を取ったら十月。その時に相談しよ。胃カ メラは苦にならないが、検便は面倒だ。
うちのお嬢さんの小学校、始業式の日に旧盆に入る。小学校は二学期制、ガキの高校は三学期制。夏休みに入る時期も違うし、終わる時期も違う。 同じ二学期制をしている小学校でもさまざま。それぞれの学校の裁量に任されているみたい。面倒くさいな〜、と毎年思う。
旧盆前、去年はメガネの半分が吹き飛ばされた八月の台風。来る前は記録的な台風とかで騒がれたが、うちは停電することもなく、台風の夜、窓か ら外を見ると四つ角で雨が渦巻いていたのを見たくらいで何事もなかった。そんな中でも歩いて普通に仕事に行く。Tシャツに短パン、ビニール袋 に着替えを詰め込みメガネを外し、前かがみで向かい風を歩く。おもったほど風の抵抗もなかった。台風が過ぎると少しだけ夜が涼しくなるだろ う。
八月は半ば、ETこと竹澤悦子が沖縄に来た。五月の連休に来る予定をたてていたけど混雑している時期なのでだめになり、たまたまお三弦ひとつ かかえての演奏会で来るから会うことになった。演奏会は仕事で行けないのでこちらが空いている日が向こうが帰る日。飛行機の時間まで初対面の ご主人と三人で観光する。暑さの中、グラスボートに乗ったり、御嶽に行ったり、漁港の食堂でご飯を食べたりと一年ぶりのだらだら観光をする。 車の走行距離百三十キロ。小さいなこの島は。えっちゃんは格安で三線を手に入れ帰った。食堂で食べたイカ墨汁、そのあとどんな便が出たか報告 は無い。
八月最後の日、子供のピアノのレッスン代が上がる、というよくない知らせを奥さんから聞かされる。これで九月もますます働くお父さんに徹して なければいけなくなった。こっそり買ったつもりがばれてしまった、マディ・ウォーターズとストーンズの公式発売された共演DVD、いつ見るこ とができるだろうか。夜の空、月はうろこ状の雲に囲まれていて、秋らしい素振り。でもまだまだ夏。引き続き早く夏終われ、とつぶやく。
あっという間に2012年の8月も終った
8月はいつも何かある季節
今年もそうで
出会いもあれば 別れもある不思議な8月だった
8月5日は自分の新しいCDが発売になる予定の日だったが
その日は秩父で別のイベントがあり演奏していた
数日前にCDの発売は延期なる と知らされていたが
祖父の死がその日におとずれるとは誰からも知らされていなかった
CDのタイトルが「翼の種子」だけに 祖父は翼を持って旅にでたのか
種子へ回帰したのか とか独りで考えてしまったが それは偶然だ
「翼の種子」はポール・エリュアールの童話
私のCDのコンセプトとは直接関係がない
しかし CDのコンセプトやタイトルを考える時に
種子へ還るべきか 種子から育つのか どちらだ
と考えた時に 今は まだ種子へ還れない と漠然と思った
外へ向かいながらルーツへも還れ とペルーのManuelcha Pradoに言われた事がある
結局CDは8月12日に発売になった
ジョン・ケージと中上健次の命日だったらしい と後で知ったが
CDに入れた「空飛ぶ法王」という曲を作るアイデアとなった句集を書かれた
俳人の夏石番矢さんは 晩年の中上健次の友人だった
自分の意図しない事や直接自分には関係のない事が
遠いところで繋がったりもするのかな
とも思ったが 偶然だ
自分は自分が作曲や演奏を続ける上で何かのエモーションがないと
何も生み出せないのではないか と心配している
しかし仮にエモーションがあって何かを書いたりしても
それで自分が何かを生み出した もしくは 生み出しているのだ
とも思えないが
とにかく今は エモーションや動機がないと 作る意欲がなくなってくる
でも それがないと作れない という事ではないし
理由があって何かを作るという事はほとんどない
何かのためになるわけでもないし 自分のためにもならないし
わけがわからなくなってくる
書ける事しか 書けないが そういう意味でも
8月はエモーションだらけの月で自分の気も狂いそうだった
いや ある意味 いつでもオカシイかもしれない
今年の8月は生まれて初めて 熱中症にもなった
お酒に弱くて 全然飲めないのだが
ある夜 ラム酒を6杯飲んで 水を飲むのを忘れたまま
なぜかエアコンのない部屋で寝てしまい
朝起きたら 暑くて暑くて めまいがして 立ち上がれなくて
喉や口がカラカラなのに 水を飲めない 飲むと気持ち悪い
そのまま病院へ行き 点滴4時間 病院で1日過ごし
地獄を見た
その後も不調で 夏バテのよう
他人や友人や見知らぬ人々が会話をしているのを聞く
ある瞬間に大勢の人々が それぞれ別々の会話をしているのを聞くと面白くて
話の内容にではなく その音響効果に感動する事がある
8月はそういう方法で小説も書いた
そんな2012年の8月は 夢のつづきのPreludioだった
八月 璃葉
真昼の通り雨は子供の足音を真似て
愉快に家々を走り回りながら
蒸し鍋の中に座り込む少女に晩夏を知らせる
老いた月と黄金色の灯りを空から吊るすと
色褪せたはずの秋が微かに橙を吐き出した
あの日生まれた死に部屋には
朝焼けを映す雨雫を垂らそう
きっと暗緑の夢から抜け出せられるはずだから
奇妙な殻のなかで くぼたのぞみ
つんつんと萩の小葉が
8月の風に指をひろげて
黄色い粒が風に飛んで
するどく こまかく 切れる刃物は
ひとつの世界の
あざやかな開口部を見せはするが
切断された欠片が行きどころなく
散らばる地表に
無常の熊手がのびる季節が近づく
ほら そこに見出されるのは
群島フェミの忘れもの
きみはなにを創り
なにを育て
なにを枯らしたか
19世紀小説がなつかしいと地球儀のおもて撫でる
(特権+無意識+マスキュリン+永遠の僕)的作家の時代は去り
ここ東アジアで(も)
全=世界へ向かって じわりじわり
アンドロギュノスのしなやかな蔓がのびる
のびる のばすために紡がれることばたち
産む
育む
見る
守る
関係はあとからやってくる
偶然の呪縛 踏みしめて
全=世界つらぬく命の糸の
きみはなにを創り
なにを育て
なにを枯らしたか
糸たちが通り抜けていった
奇妙な殻のなかで
ひたひたと考えている
近頃、ブリオッシュは真っすぐに走るようになった。高原はふいにそう思う。リードを引いて一緒に散歩しながらブリオッシュの背中を見ていて、 唐突にそう思ったのだった。
犬の名を呼ぶ(4) 植松眞人
しかし、だからと言って、それまでのブリオッシュが真っすぐに走らなかったのかと言われると判然とはしない。思い返してみても、右へ左へヨタ ヨタ走っていたわけではない。ただ、真っすぐに走っていたというイメージが持てないのだった。歩きながら速度をあげることはあっても、迷いな く目的地に向かって走っている、というイメージではなかった。もちろん、いまも明確な目的地があって走っているわけではないのだが、確かに一 足一足を落とす場所に迷いがない、という気がする。
歩くこと、走ることに迷いがなくなった、ということなのだろうか。いや、もしかすると、ブリオッシュは走るということを意識したことがなかっ たのかもしれないと思う。歩く速度があがっただけで走れるわけではない。高原はそう思った。歩くことと、走ることの間には確かな線引きがある はずだ。ブリオッシュはここしばらくの間に走ることを覚えたのではないか。だとしたら、それはいつだったのか。高原は考え始める。そして、考 え始めてすぐに「あの時だ」と思い至る。
二週間ほど前、ブリオッシュと散歩に出かけようとした時に、リードを付ける前に脱走してしまったことがあった。
きっとのあの時だと高原は確信した。ブリオッシュはあの瞬間に走ることを覚えたはずだ。走ることと歩くことの違いを知り、意識して走れるよう になったのだと高原はなんとはなく確信したのだった。
いつもの公園のいつものベンチに座ったまま、足元に寝そべっているブリオッシュの背中を高原はなでる。ブリオッシュは少しうるさそうに高原に 視線を送る。そして、すぐに元の姿勢に戻ると、再びあごを地面につけて寝そべってしまった。
あの日からブリオッシュの動きにはメリハリのようなものが出てきたような気がする。少なくとも我が家にきたばかりの時のように、部屋の中を走 り回るということはしなくなった。前は家の中も家の外も同じように走り回っては、いろんな物を壊したりしていた。それが最近、ぱたりとやんだ のだった。
以前は、ブリオッシュを唐突にうちに放り込んでいった娘によく文句を言っていたものだ。
「じっとしているかと思うと、突然火がついたみたいに走り回ったりするんだよ。おかげで家の中が落ち着かないよ」
それがどうだろう。こちらが「散歩に出かけるか?」という目配せをするまでは、ぼんやり寝そべっていたりする時間が増えた。
高原がそう言うと、娘は笑った。
「大人になったんじゃないの? 犬は生まれて一年で成人するっていうからさ。ブリオッシュだってもう子供じゃないんだよ」
そんな母親の話を聞いて、今度は孫娘の聡子が言う。
「ねえ、お母さん。ブリオッシュって何年くらい生きるの」
「そうね。大型犬だからねえ。犬は大型犬の方が寿命が短いのよ」
そういうと、聡子は「え?っ」と露骨に嫌そうな声を出す。
「かわいそうだよ!」
「仕方ないじゃない。でも、十年から十五年は生きるんじゃないのかなあ」
そう言われた聡子は、ブリオッシュの顔をじっと覗き込む。
十年が経つと俺はもう七十五歳だ。そう思った途端に、高原は目の前の風景に蜃気楼がかかったような揺らぎを感じた。うっすらとした透明の膜の ようなものがかかって見えた。高原は深いため息をついた。そのため息を聞きつけたのか、聡子が高原を心配そうに覗き込みながら「大丈夫だよ」 とにっこり笑う。
「心配しなくても大丈夫だよ。おじいちゃん」
ちょっと複雑な表情で、高原は聡子に微笑み返す。聡子はもっと高原を慰めようと、言葉をつなぐ。
「おじいちゃんとブリオッシュで、どっちが長生きするか競争だね」
そう言われて、高原は一緒に笑う。笑うのだが、自分の笑いだけが少し引きつっているのではないかと、そればかりが気になって仕方がない。
あれから数日たっても、「どっちが長生きするか競争だね」という言葉が棘のようにつかえたままになっている。そして、その棘は日を追うにつれ て小さくはならず、大きくもならずに、ずっと同じ大きさで同じ場所に刺さっていた。だが、その場所がよくわからない。
あと十年たてば俺は七十五だ。そして、十五年たてば八十歳。八十になって俺が死んでも、誰も「お若いのに」とは言わないだろう。高原は改めて 自分の歳を明確に意識することで、目の前のブリオッシュの背中から視線を離せなくなるのだった。
ブリオッシュのゆっくりと息づく背中を、その動きに合わせて、同じようにゆっくりとなでる。
「どっちが長く生きるんだ」
高原はブリオッシュに聞いてみる。そして、自分が確実に年老いていく十年の間に、ブリオッシュはどんな一生を駆け抜けるのだろう。そう思う と、高原は自分が過ごしてきた時間がいかに長い時間であったのかを考えて呆然としてしまう。そして、その長い時間を振り返ろうとしてやめる。 どうせ、そんなことをしても悔やまれることばかりが思い出されそうだ。
「でもな、お前よりも覚えることも、やらなきゃいけないことも多かったんだよ」
高原はブリオッシュに言い訳するように言う。
「まあしかし、俺の散歩とお前の散歩では、その重みが違うのかもしれないな」
そして、高原は笑いながら立ち上がる。いつもよりも少し長くベンチに座っていたからか、それとも真っすぐに走ることを覚えたからか、ブリオッ シュも待ち兼ねていたように立ち上がる。
尻尾を振り、今にも駆け出そうとするブリオッシュをリードの微妙な引き具合で制しながら、伝わってくる鼓動に高原は呼応する。そして、ため息 ではない短く勢いのある息をブリオッシュにも聞こえるように音を立てて吐く。「十年は長いよな」
高原はブリオッシュに話しかけてみる。
すると、ブリオッシュは「うん」と言ったのか「いいや」と言いたかったのか、少し振り返ると妙な音を立ててくしゃみをした。
ときおり自分がギターのことについてあまりにも熱中しすぎて、ギターの香りがわたしの感性の中にたち込めているかのように感じる。ギターに塗 られたオイルのいい香りはわたしの鼻にしみこんでしまった。ときには鋭い弦が指に食い込んで鮮血がぽとぽと垂れてくることもある。
オチャノミズ(その4) スラチャイ・ジャンティマトン 荘司和子訳
わたしの指は弦と触れた跡がくぼみになってしまっている。爪の長さのちがいに細心の注意をはらわないといけない。指を使えば使うほどに、どの 指も皮膚が厚くなってしまった。その上いやなことに乾燥してまるで木の皮がはげるようにむけてくる。
二本の弦に指をおいたときのあの想像力の深み、それは名指しがたい深い静けさと歓喜なのだ。
わたしは50段余りのコンクリートの階段を下りてきたときのことを忘れたことがない。70度くらいで一直線になっている。上がるときと降りる ときでは別の苦しみといっていい。上がるときはめちゃ重いので一歩ずつ這うように動き、北部の高い山にでも登っているかのような思いになる。 降りるときは年齢と身体の状態次第で、膝と足首が痛むことになる。
この恐ろしい階段は下りていくと中学校の門前に出る。わたしが下りて学校の前まできたときこどもたちが校庭で遊んでいる声がしていた。ときに は何か行事があったり、バスケットかフットボールなどのスポーツ競技をしていたりする。フットボールはこの国ではサッカーと呼んでいる。意味 不明だが。
ここは若い男や女が絶えず行きかっている。日本人は生命力に溢れて仕事しているように見える。服装は自分の好みでさまざまだ。どんなかっこう をしているかでどんなタイプの人間かがはっきりわかる。大きい人も小さい人も誰もが漫画本の中のキャラクターみたいに見える、容貌といい、態 度といい。色がとても白い。日に当たったことがないのではというほど青白いのもいる。
ただ皆同じなのはお互いに黙って関知せずというところだ。誰一人として他人に関心を持たない。それぞれが歩いてきて、それぞれが過ぎていく。 たまに友達グループもいるが、電車に乗るとみな黙ってしまう。本を読んでいる人、目を閉じている人。ただし降りたい駅に着くや彼らはすばやく 立ち上がって出ていくのだ。
わたしは日本人の顔を読むのが本を読むのと同様好きだ。彼らの顔には一つ一つ物語がある。日本人の顔はこれはハンサムだとか美人だとかはっき り決められない。何か足りなかったり、多すぎたりする。けれども誰の動作にも可愛らしさがある。
犬狼詩集 管啓次郎
79
草原を更新するため毎年の火入れにより攪乱した
鹿の意見によると森と草地はいずれも好ましい
栗は樹木の中では明るい森を好んでいた
六色しかない色鉛筆で今日の天気を表現してみよう
境界性の人格であり、樹格であり、獣格だった
眼鏡のふちに「すべてはうまくいく」と小さく書きこんでいる
墓から目覚めて最初の食事は巣蜜と焼き魚だった
カジキをごく軽くいぶしてレモンをしぼって食べる
与那国語には母音が三つしかないと聞いて死ぬほど驚いた
No way! という表現を直訳すれば「道がない」
まだ緑色の栗の毬を蹴りながら歩いた
たどりつく場所がないすべての行程を全面的に肯定する
渦を巻いて水が流れ落ちる巨大な貯水池だった
突き出した突堤に立ちフェリーボートの知らない乗客に手を振る
動物園でもないのにcoatiの群れが森から出てきた
これから夕立が来ることを予感しわざと傘を忘れて出る
80
隔たったものがむすびつき見えるべきものが見えなくなった
亀に名前をつけても翌日にはもう見分けがつかなくなる
建築学校のキャンパスの木から蘭の花が咲いていた
線路の終わりは民家の裏庭でそこには物干竿もある
ある文体が定着するには大体千年がかかるといっていた
ひとつのレモンを電池として千時間の照明を確保する
島から島への横断を一都市内で経験した
写真によるアフリカとキューバの連結をすぐには信じない
その人の顔があまりに左右非対称なのでかえって魅力を感じた
その二人の少女は絵画のように愛らしくしずかにしている
別の少女たちは滝から群れをなして飛び込むらしかった
巨大な老いたゲリラ兵士が壁の穴をのぞきこんでいる
死はまったくの自然現象なので風が吹くようなものだった
人工物を生命のメタファーにするのは無理だ
川の水面を川が流れていくとき感情は止まらなかった
農業と狩猟採集のはざまで壊れてゆくプロトコルに別れよう
81
夏至近くの木漏れ陽が煉瓦色の壁にゆれていた
この町には中国人が少ないのでアフリカ人が驚いている
ビール会社の名前に打たれた星を改めて探してみた
千年紀を記念する橋をかもめが歩いている
そういえば犬をめっきり見かけなくなって心配だった
さまざまな色のドットが等間隔に並べられ迷路の気分だ
灰色一色で描かれた絵画にのみ心を奪われた
煙草の吸い殻を集めるとそこから蝶が飛ぶという手品だ
花を模倣する紋様を模倣する平面を作りたかった
川を見ると何度でも身投げしたくなるが一回だけはいやだ
仏陀の教えを懸命に写真に撮りそれで浄土と極楽を表現した
音楽的には無音よりはつねに鳥の歌を選びたい
黄昏が午後十時までつづくとき熱帯を遠く感じた
芝生にきれいな直線で既視的な歩行の線がついている
低い雲が海の風に飛ぶとき生き方をしきりに反省した
四つの橋が連続する筋の美しさをときどき思い出す
82
トンネルがゆっくりとカーヴして光が曲がって見えた
緑の葉を石で潰しその汁で指を黒く染める
故障の原因は操作のまちがいが大半で後は兎のせいだった
山火事から走って逃げるロバの群れがカタルーニャを再生する
年輪形成がある以上は成長の完全な停止もあるはずだった
生きているのだから心の平静など絶対に訪れるはずがない
斬新さと呼ばれるすべては主として無知の効果だった
趣味の良さとうなだれるオランウータンの幼児を比較する
ベレニスが長い髪を切ったので海上の空に星が流れた
身をやわらかくして波に浮かんで太陽に目を細めている
ナキウサギが岩場に立ちGreat Snow Mountainにむかって吠えていた
経営的手腕を問う以前に誤字脱字がじつに独創的だ
その野良猫がどんなにみすぼらしくても心をよぎらない日はなかった
友人は身体をしだいに透明化させこれから霞ばかり食うと宣言する
歩く習慣を失うと山の輪郭の見えが変わってしまった
これから国立図書館にゆき古い科学映画を見てくるつもりだ
83
湯が存在のある位相ならそれを喩とすることが求められていた
つぶつぶと白い歯を撒いてヒトの発芽および収穫を待っている
終点があるかぎり必ずそこにゆき番地のない家をたずねた
川が川だけが土地の全面的な主人だということを疑えない
理性は発話の手前で立ち止まり声は朗唱をあきらめた
サゴヤシのサゴ澱粉で麺を加工してもいいですか
「南海の消滅」というフレーズを完全に勘違いしていた
リズムに乗って話してはいけないしビートに心を委ねてはいけない
地名の喚起力といえば聞こえはいいがそもそも音的に聴き取れなかった
きみの耳は舗装され線路が敷かれ蜜鑞でふさがれている
緑色の目をして彼女が肌に梨の実を塗っていた
これから木を伐って谷川に橋をかけようと思う
その二千字が歴史を語るといってもビーズ細工のような伝説だった
石をもって夢を掘り出し当面の生存に役立てる
思い出は痛みであれ愛であれモノローグにすぎないと分析家にいわれた
その黄色は硫黄ですかひまわりの影なのでしょうか
84
カワセミの青が水面を低く掠めてきらめいた
「自分もいつか死ぬ」というのはどうやら信仰にすぎないようだ
焼けたグラウンドでボールの反撥係数が試された
夏草とつるぶどうの生長に合わせて息と嘘をつく
久しく手紙を書いていないので切手を貼る位置がわからなくなった
新しいという麦藁帽だがどこか漁村の色をしている
距離を歩測する道具として自転車の前輪に印をつけた
夕焼けの雲が血に染まったスナメリの群れに見えてくる
動物としての交感の基本は体温の交換だった
殺すことで一度死に投獄されて二度死にそれから処刑される
どんぐりというのは一種類ではないんだよという若い父の声が聞こえた
水よ、陽炎よ、揺れよ、燃えよ、雲よ
午前七時に集合して鉄道をいくつも乗り継ぐのだった
蛙たちにコーンフレークスは完全食品だと教える
見る見る暗くなる空で教会の廃墟が急成長した
時間とは感情の偏光が生む色の影にすぎない
掠れ書き22 高橋悠治
ご意見などは info@suigyu.com へお寄せください
いただいたメールは著者に転送します このページのはじめにもどる 「水牛のよ う に」 バックナンバー へ
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