2004年5月 目次
高遠さんとファルージャで 佐藤真紀
平和 スラチャイ・ジャンティマトン
しもた屋之噺(29) 杉山洋一
青空のazur LUNA CAT
ヒップホップにアヴァンギャルド 三橋圭介
踊り手の人数 冨岡三智
うたはどこへ 御喜美江
つえとりおとしてことば 高橋悠治
なんだか、「自己責任」という言葉がはやってしまい日本も大変になってしまった。
たった今、今井君と郡山さんの記者会見に行ってきたところ。高遠さんは、まだ具合が悪くて、代わりに写真家の森住卓さんが彼女の状況を説明した。
「彼女に北海道で会いました。彼女は責任を感じているんです。自分だけ助かったということに」
森住さんがとつとつとしゃべる姿に説得力があった。
「ファルージャでは多くの子どもたちが虫けらのように殺されている。彼女はその子らを救えなかったことに責任を感じているのです」
いかにも彼女らしいと思った。ボランティアっていう人はたくさんいるけど、彼女は、「本物」。ボランティアを追及していた人だ。
昨年の5月だった。バグダッドが陥落した直後の救援活動もひと段落したころ当時泊まっていたアルハムラホテルには、ジャーナリストが訪ねてきたりしていたが、緊急状態が終わるとぴたりとそういった来客も途絶えた。かわりに何かボランティアで手伝えないかという若者たちがちらほら尋ねてくるようになった。そんな中に高遠さんがいた。
みんなで話しているうちに、停電になった。夜は銃声が聞こえて危ないので朝方まで仮眠を取ることになった
高遠さんは、いつも何かを訴えていたし怒っていた。「30になったらボランティアをしようと思った」そしてカンボジアのエイズホスピスやインドのマザーテレサのところでボランティアをしてきた。「インドやカンボジアで子どもたちが待っている。戻らなくてはいけない。でもイラクは気になる」といっていた。
彼女はいろいろな話を持ってきた。7月には、「ラマディ、ファルージャは大変なことになっていますよ。モスクは破壊されるし、戦争はまだ終わっていない。米軍が封鎖してしまい、外からの物資が入ってこない。病院には何もなかった。NGOも怖がって入らない」バグダッドでは復興に浮かれて多くのNGOが活動を開始していたし、なんとなく人道支援を掲げた、いかがわしいイラク人によるNGOなども出来ていた。彼女は、いつも一番困っている人に目が行った。
そこでぼくたちは相談して医薬品を若干買い込んで、病院に届けることにした。ファルージャは緊迫していた。町に着くなり住民が群がってくる。アメリカ人の蛮行を訴える人たち。「米軍はモスクを攻撃したんだ」家に案内してもらうとサダムフセインの肖像画を大切に持っていた。ここの人たちは、未だにサダムを崇拝していた。バグダッドではそういった類のものはすべて破り捨てられていたのに。
病院でも米兵の横柄な態度に、苦情が寄せられていた。ヘリコプターは低空飛行し時折ジープが行き交う。薬を届けると早々にバグダッドに向かうことにした。
途中、米軍のジープがわれわれの車を追い抜いたと思うと、銃を向け、止まれと合図をする。車が止まると短銃を構えた兵士が、何人か降りてきて、私たちを調べだした。何でも、どこからか通報がはいったという。大声で叫びながら銃を向ける米兵。私がイラクにいて一番恐怖を感じたのはこのときかもしれない。このような状況だから、誰も怖くて近寄れない。だからこそ、高遠さんは援助が必要なんだと言っていた。
もうひとつ彼女が力を入れていたのがストリートチルドレンの保護だ。「アンパンパトロール!」といって。
ホテルの前でシンナーを吸っている子どもたちからシンナーを取り上げる。体を張っている。「シンナーを取り上げたら噛みつかれました。」彼女の腕には歯型がついている。それでもうれしそうに子どもの描いた絵を見せてくれる。「蛇を書く子が多い。何か深い意味があるのかしら」「蛇は蛇でしょう」
ちょうどフランスのNGOが子どもの施設をつくっていたので彼女を連れて行ったことがある。「ここでボランティアしてみたら?」そして私は日本に帰国した。その後、8月19日に国連の本部が爆破された。高遠さんも国連の事務所にはインターネットがあるので良く通っていたので安否がきずかわれたが無事だった。その後私たちはすれ違い、会うことがなかった。
今、ファルージャは昨年7月よりももっとひどい状況だろう。米軍に封鎖された町は600人以上が殺されているという。人々は病院にいくことも出来ず、治療も受けられない。
緊急救援活動が必要だ。川口外務大臣が、アル・ジャジーラでイラク国民に呼びかけた。「(日本は)今も、多額の資金と人員をもってイラクの復興に取り組んでいます。我が国の自衛隊もこのために派遣されているのです」しかし、ファルージャの人々には全く意味がない。人口1%のサマワの人だけが自衛隊の恩恵を受けているだけだ。
高遠さんは、ファルージャの人々にも目を向けていた。一番困っている人は誰か、直ちに情報を集める能力に長けている。そんな高遠さんの力が必要なのに彼女は皮肉なことにファルージャで人質になっていた。(4月30日 つづく)
平和(サンティパープ) スラチャイ・ジャンティマトン 荘司和子訳
くにぐにには歴史がある
人びとがたゆみなく育んできた
慈雨、爽風
山河、田園に
生命を吹きこむ
戦争は破壊し尽くす
大地を、大空を
滅亡の果てまで
ニュークリア、ニュートロン
放射能の脅威
おぉ サンティパープ
サンティパープ
サンティパープ
平和を夢見る
地球が平和で包まれる夢
現実はどうだ
現実は
人と人が殺しあう
くにぐにには歴史がある
社会には差別がある
貧民に金持ち
上流階級に下層民
白人、黒人、黄色人種
人の血の色はひとつ
誰もがひとしく赤い色
さぁ 平和の歌声に応えて
こころの絆を繋ごう
いつまでも愛しあっていけるように
おぉ サンティパープ
サンティパープ
サンティパープ
* * *
今月の詩は佐藤真紀さんの先月号の文に触発されて選びました。メソポタミアは4大文明発祥地のなかでもいちばん古くから優れた文明をはぐくんで周囲の文明の祖となったところ。そんな歴史のあるくにが15年前のカンボジアのように破壊の坩堝の中にあることにこころが痛みます。
この詩は1990年の湾岸戦争の際、スラチャイが作ってタイの大勢の歌手たちといっしょに反戦をうたったものです。
佐藤さんの文の最後に「人と水牛」という詩がありました。これは1973年学生革命のあと人びとがはじめて表現の自由をからだいっぱい感じていたときに出来た農民の詩でした。スラチャイの友人となった、東北の小さな村の村長ソムキットの詩で、スラチャイがうたってカラワン楽団の名前を一躍有名にしたものです。
ただし現在のタイは水牛もほとんどいないほどトラクターが優勢。冷戦の終結とともに平和と民主化がすすんでこの詩のような過酷な状況にある農家は少ないでしょう。カンボジアが平和になっても、イラクや中東の悲劇は終わらず。人類は永遠に「サンティパープ」を求めつづけるのでしょうか。。。(荘司和子)
しもた屋之噺(29) 杉山洋一
実は、今回ずいぶん早くに一度入稿していたのですが、その後あまりにも色々なことがあって、それについて自分が何か書くべきかどうか迷っているうちに、月末になってしまいました。色々なことがあって、というのは、もちろん世界の情勢に関してで、思うところはたくさんあります。
各人がさまざまな意見をもつのは当然だし、人間として生まれて、まず最初に与えられるべき、基本的な権利だと思います。日本人の人質事件に関して、第三国に住んで客観的に眺めた感想ですが、ひとつは、やはり日本のマスメディアは、ワイドショー仕立てだということ。大騒ぎをして集団心理を駆り立てて、長いものには巻かれつつ、もしくは長いものを巻きつつ、結局のところ、自らの明確な信念や視点は皆無ということです。
各メディアが自らの視点を欠いているために、根無し草が風になびいてフラフラしているような、そうして旬を過ぎたらすっかり興味も褪せてしまって、自分が納得するまでとことん追求したい、そんなジャーナリズムへの真摯な情熱もあまり感じられませんでした。
周りに、イタリアのジャーナリストの友人や、新聞の編集長などが何人かいますが、イラク侵攻が始まったころ、仕事が許すのなら、できればわたしもイラクで取材をしたい、自分の目と耳とすべてを使って、真実を伝えたい。これは別に論理でもなんでもなくて、ジャーナリストとしての理屈抜きの情熱のようなものだ、と言っていました。へえ、命をかけてまでなのかと尋ねると、もうこれは理屈抜きなのよ、と答えてくれました。
ちなみに、イタリアにはワイドショーは存在しません。他の外国はどうなのかわからないが、イラクのイタリア人人質殺害のニュースソースが、まかり間違っても、そのあたりのゴシップと一緒に報道されることは、まず考えられないのです。日本人の人質問題に関する「自己責任」問題にしても、この猥雑なワイドショー・レヴェルの視点で、流れにのまれて端を発しているようにしか見えません。
尤も、これだけ低能な政府に税金を払っている市民が、血税を人質問題解決に使うなんて、と息巻く気持ちもわかりますが、逆に言えば、世間のこのゴシップ・レヴェルの視点と一緒になって、政府もものを考えているわけで、これが自らの恥部を露呈していることが、どうしてわからないのでしょうか。
自分達が行っている政治に対する不満が、市民にふつふつとしているからこそ、こんなワイドショー的事件を契機に、市民の欲求不満が爆発するわけで、普通に考えれば、どんなに市民が爆発していても、総理大臣たるもの、涼しい顔をして、「そうですか、でも、助かってよかったではないですか」とにこにこしていれば、なかなか大物だと感心したところですが。
こうして遠くの外国からこの事件の成り行きを見守っていて、何を思い出したか。簡単に言えば、日本人の高名なる「いじめ」の体質です。日本人に顕著な集団心理で、クラスの一人が、あいつ、何だかうざったいから、やっちまおうぜ、と一人が言い、それに誰かが同調すると、そこにいるほかの人間は、何となくその勢いに呑まれていき、最後は、先生が、そうよ、××君がいけないのよ、と一言、上から、偉そうにのたまわれ、黒枠で囲まれた××君の写真を黒板に飾ったりして、クラス一同が盛り上がる。なんて話を、ちょくちょく新聞で目にしたりしますが、外から眺めていれば、今回の人質事件もそう大差はありません。
自分自身、典型的ないじめられっ子だったし、いじめられる意味もわかるし、それがいじめる側だけの問題でもなくて、寧ろいじめられても笑い飛ばして、明るく対処できない自分の側にも責任があったと思っています。まあ、子供同士のいじめなんて、どちらに責任があるわけではないでしょう。こうした他人との付き合いを通して、人間は少しづつ成長するのですから、逆に言えば、とても大切な過程だとも言えるはずです。結局どちらにも責が無いからこそ、上からの物言いで、一方的に善悪を下したりすべきではないし、出来るはずもないと思うのですが、どうでしょう。
自分も含め、日本人は本当に幼稚で貧弱な人種だと思います。情けないが、これは否定の仕様がない。島国だから、これでもやって来られたかも知れないけれど、余りにも人間としての形成過程が貧弱であって、本来の人間がもっているべき、基本的な感情の表現や、他人に対する接し方が、特に他人に対する尊敬の念が、あまりにも粗末なのでしょう。他人を粗末に扱うのは、自分を強く見せたいが上のことであって、強く見せなければならないのは、自らに自信がない証拠ではないでしょうか。
他人は、まず違う意見を持っているのが当り前であって、だからこそ対話が必要で、その対話を繰り返すことにより文化が豊かになってきた、という原則のもとに生きている、ヨーロッパ人などからすると、今回の日本人人質事件の顛末は、実に不可思議に見えるようですが、それに対して、まったく恥ずかしいという意識のないところは、やはり日本が島国だからなのかとも思います。こう鑑みると、いくら「いじめ」の体質を改善しよう、などと文部省が高邁な理想を掲げたところで、永遠に解決されることはないのかも知れません。
自分が音楽をやっていて痛感するのは、由につけ悪しきにつけ、西洋音楽は、こうした、我々日本人とは全く違う土壌の上で培われてきた文化だ、という事実です。本当に彼らの音楽を学びたいと思うのなら、いくらうわべだけ真似しても仕方がないと思うのは、間違いでしょうか。
誰が正しい、という問題ではないでしょう。誰だって自分が正しいと信じることをしている筈ですから、まずその意見に誠実に耳を傾け、相手に対するリスペクトを欠かさずに、丹念に対話を重ねる努力が、今こそ必要とされているのではないかと思うのです。そこから、新しい文化の芽が生まれ育まれることを、願ってやみません。(2004年4月30日モンツァにて)
青空のazur LUNA CAT
東京国際ブックフェア初日の4月22日、azurという新しいソフトがデビューした。
青空文庫トップページのバナーで、「青空文庫的生活ツール」というazurのキャッチコピーを見るたびに、ああ、ついに読書ソフトも生活ツールになったのだな、と、今昔の感にひたってしまう。
azurは、電子本を読むためのソフトではない。何といっても、専用のファイル形式を持たないのだから。これまで、多くのメーカーが、独自の電子本ファイル形式を開発し、オーサリングツールを販売して、自社のファイル形式を普及させるべく、宣伝費代わりにビューアを無料で配布してきた。典型的な例は、PDFとAcrobat Readerだろう。ボイジャー社のソフトで言えば、エキスパンドブックは、完全にこのパターンだった。エキスパンドブックの数年後に出現したT-Timeは、「HTMLファイルやテキストファイルを、その場で製本する」というはなれわざを見せ、「電子本」に対する先入観を完全に覆した。とはいえ、T-TimeはTTZやドットブックという独自形式を持っていて、次第に「Hi-Fiテキストリーダ」から「電子本閲覧ソフト」にシフトしていった。今では、T-Timeの製品版でHTMLファイルやテキストファイルを読める、という事実を知らない人も多いかもしれない。
エキスパンドブック、T-Timeに続いてボイジャー社が世に出した「読書ソフト」第三弾は、オーサリング機能を潔く切り捨て、ストイックなまでに「読む」という機能に特化したツールである。独自フォーマットの電子本と違って、派手な動きをするわけではない。見かけは、拍子抜けするくらい地味だ。しかし、ある意味で、これは衝撃的なまでに画期的なソフトと言っても過言ではないだろう。
azurの専用ファイル形式は、あえて言うなら、青空文庫のXHTMLファイル形式である。青空文庫独自の注記を解釈し、ルビをルビとして、傍点を傍点として表示する。テキストファイルで読むとうっとうしいだけの「字下げ」「地付き」「改ページ」などの注記も、ちゃんと解釈して、それに従ってレイアウトする。当然ながら、ウィンドウサイズやフォントサイズも変更できるし、縦組み横組みも切り替えられる。
とはいえ、縦組みで読んだり、ページめくりができたり、ルビを表示できたり、というパソコンソフトも、近頃はいろいろある。青空文庫が注記の文法を一般公開している以上、それを解釈するソフトを作るのは誰にでも可能だし、作って公開している人たちも多い。見た目の読みやすさだけなら、どのソフトも大きな差はないだろう。究極の読みやすさを目指すなら、ワープロソフトで縦組みにして紙に出力する、という最終手段もある。
azurが青空文庫のファイルに最適化されているのは、もちろん事実なのだが、azurの最大の特徴は、実は、そういった「ひと目でわかる」機能ではない。
エキスパンドブックには「栞」、T-Timeには「付箋」という機能がある。
前者は「前回閉じたページを開く」というもので、1冊の本につき、1つだけ栞をはさむことができる。後者は、文字どおりの付箋で、特定のページや特定の文字列に対して貼り付ける。付箋だから、1冊の本に複数貼り付けることが可能である。長い文章を何回かに分けて読んだり、後で読み返したりすることは多いから、読書のためのソフトであれば、栞や付箋は、あってしかるべき機能だろう。
ウェブブラウザにも、ブックマークという機能があって、再訪したいサイトのアドレスを登録しておくことができる。本棚が人となりを語るとすれば、ブラウザのブックマークも人となりを語るのではないだろうか。ウェブブラウザの持つ、あらゆる機能の中で、最も人間的な機能とも言えそうだ。もしウェブブラウザにブックマークがなかったとしたら、インターネットは、ここまで普及しなかったかもしれない。
さて、ここで考えてみて欲しい。
ウェブブラウザのブックマークは、ネット上のいろいろなサイトのアドレス帳である。言い換えれば、どのサイトを開くかの覚え書きだ。T-Timeの付箋は、あるサイトなりローカルファイルなりの中で、どこの部分を開くかの覚え書きである。
では、azurの「栞」は?
azurの「栞」は、ブラウザのブックマークとT-Timeの付箋とを合体させたようなものだ。「どのサイトのどこを開くか」を、azurの中だけで特定することが可能である。栞メニューには、サイト名ではなく、栞が付いている文字列が、見出しとして表示される。azurは、インターネット上のファイルもハードディスク上のファイルも同じように開けるので、栞の表示も、ネットとローカルとが混在している。
ここまで読んでこられた方は、きっと、もう気づいておられることだろう。そう、azurの画期的なところは、本、つまりファイルという単位に閉じていないことだ。そして、インターネット上のファイルと、ハードディスク上のファイルとの間に境界線がないことも、大きな特徴と言える。
エキスパンドブックやT-Timeは、1冊の本をいかに快適に読むかという、ひとつの提案だった。azurは、快適な読書を楽しむための提案であると同時に、本というものの定義を「azurで読めるもの全て」に拡げようという提案でもある。個々のファイル単位ではなく、自分のパソコンとインターネット全体がシームレスにつながり、付箋をつけた1冊の本になる。それは、これまでの「読書ツール」が踏み込むことのなかった領域だ。
ブックフェア会場では、新しい読書端末が、華々しくお目見えしていた。機能の中に「スクラップブック」というのもあって、範囲を選択して「スクラップブックに追加」すると、該当箇所を抜き出して貼り付けられるということだった。(現時点では、スクラップ一覧には書名しか表示されず、1冊の本の中から複数の箇所を貼り付けると、同じ書名がたくさん並ぶという間抜けな仕様だったのだが。)おそらく、こういった読書端末の世界では、複数の本から抜き出してまとめることができるというのは、画期的な機能だろうと思う。しかし、あくまでも、範囲は端末の中にある本に限られる。自分のパソコンの中も、インターネット上の無数のファイルも、そこでは利用できない。その意味では、これまでの「1冊の本に閉じた世界」と、基本的な発想は変わらないのではないか。
azurのウィンドウは、文字どおり、世界に開かれた「窓」である。そして、ことさらに「本を読む」などと身構えなくても、普通のウェブブラウザと同じように、簡単に使うことができる。ソフトもハードも機能過剰に走りつつある時代に、こんなにシンプルなのは珍しいというほどシンプルだ。あまりにもさりげないので、「すごい!」と感じられないかもしれない。しかし、真のファインプレーとは、華々しくスライディングキャッチすることではなく、確実にボールの落下地点に到達して、しっかりと両手で捕球することなのである。
「青空文庫的生活ツール」というコピーには、このシンプルで奥深いツールを、日々、ウェブブラウザと同じような感覚で、読書ツールと意識することなく使って欲しいという願いが込められているのだと思う。
まだazurに出会っていない人は、ぜひともダウンロードして、新しい生活ツールを楽しんでみて欲しい。もちろん、「水牛」も、azurでの読書にオススメのサイトであることは言うまでもない。
ヒップホップにアヴァンギャルド 三橋圭介
クララ・シューマンと弟子たちのピアノの伝統について原稿を書こうと思ったが、シューマンばかりきいて頭が変になってきた。仕事の絡みでヒップポップやDJのアルバムをきいて、ちょっと興味をもったことについて書こう。
きっかけはP・アンリのDJたちによるリミックスにはじまり、ケージの「ヴァリエーションズ4」、コーネリアスの音楽の現在の位置づけのようなものだが、ここで取りあげたたいのは「Keepintime:live Recording」というリミックスCD付きのDVD(http://www.mochilla.com/keepintime/)だ。伝説のジャズやロック、ファンクの名ドラマー、Paul Humphrey、Earl Palmer、James Gadsonとウェスト・コーストのDJ、Babu、Cut Chemist、J Rocc、Nu-Mark、Madlib、Shortkutなどが集結したライヴで、プロデュースは数々のジャケット写真などを手掛けているB+。音楽は異なるがヴィム・ヴェンダースが監督したライ・クーダーとキューバの忘れられたミュージシャンとの「ブエナビスタ」を彷彿とさせるが、内容はまったくちがう。
このDVDは、まずBabuが背広をきた3人ドラマーたちに、自分たちの音楽がどういうものかをきいてもらうところからはじまる。3人は驚きの表情でターンテーブルのスクラッチと強烈なビートを見、ききいっている。J Roccに変わり、自分の関わったファンクのレコードが流れはじめるとドラマーたちは表情が輝き、装い新たにリミックスされた音楽に時々リズムを手で取ったりして、感想をいいあったりする。
この後、B+がドラム・プレーをききたいということばに「いやいや」なんて恥じらいながら、「そちらが先にやってくれ」といってBabu、J RoccとJames Gadson、Earl PalmerとCut ChemistとPaul Humphreyのそれぞれが即興的なセッションをしていく。ここからがすごい。特にCut ChemistとPaul Humphreyの高速スクラッチやバックスピンと激しいドラム・ソロの掛け合いがKeepintimeだ。互いに時間を保ちつづけながら、毛色の違う新旧の音楽家が共振し、新しいリズムを打ちだしていく。
本編のライヴはレコードという過去を知り尽くしたレコード・マスターのDJたちが、過去を生きたドラマーと一発勝負の出会いを収めている。DJたちが横並びにタンテーブルを操る姿はカッコイイが、なにより何でも取り込んでいこうとする姿勢と、それに柔軟に合わせ、しかもKeepintimeだけでなく、音楽を揺り動かしていくドラマーたちの力みのないしなやかなドラミングは見事だ(このあたりはブエナビスタに通じている)。
この約1時間ほどのライヴには、膨大な音楽の記憶が詰まっていながら、いろいろな音楽の歴史の線的な流れは作者不明にバラバラに壊され、カットアップされて、「いま、ここ」のためだけにミックス、リミックスをくり返して音を解き放っている。かつてベンヤミンは書いた。「人類は解放されてはじめて、その過去を完全なかたちで手に握ることができる。いいかえれば、解放されてはじめて、その過去のあらゆる時点を引用できるようになる」。ベンヤミンはそれが可能になるのは「最終審判に日」と書いているが、過去の引用に関して、これほど自在で自由な音楽はいまだかつてない。「音楽は記憶の集積だ」と、このなかで誰かがいっていたが、かれらはそのことを誰よりも熟知しながら、ヒップポップにアヴァンギャルドしている。
踊り手の人数 冨岡三智
今回は踊り手の人数に着目してジャワ舞踊を眺めてみよう。数字に何らかの意味を込めることは、多くの文化で見られる。ジャワ舞踊と他の舞踊を比較して、共通点や相違点を探すのもおもしろいのではなかろうか。
●1人
ジャワの宮廷舞踊にはもともと単独舞踊はなく、複数の踊り手の構成・振付によって抽象的な理念を表現する。したがって踊り手の自己表現を見ることが第一義ではない。しかし単独舞踊を見る場合は、振付が表現している理念よりも踊り手自身の魅力を見ていることが多い。そのため踊り手はしばしばスターとなる。その種の舞踊がガンビョンであり、キャラクターのある男性舞踊であると私は思っている。
ガンビョンは昔はワヤン・オラン(伝統舞踊劇)やクトプラ(大衆演劇)の女優が前座で踊ったり、レデッやタレデッと呼ばれる流しの女性芸人が踊ったりするものだった。女性性を売り物にしていると見られていたので、かつては一般子女は踊らなかった。ガンビョンという舞踊が語られるとき、しばしばプリマドンナ性という言葉が使われる。女性が1人で踊るということは、それだけで人目をひきつけるのであろう。
キャラクターのある男性舞踊は、舞踊劇でヒーローの踊るシーンが独立したものと言える。クロノ王(荒型)やグヌンサリ王子(優形)の舞踊は、ソロの郊外にあるクラテン村で盛んだったワヤン・トペン(仮面舞踊劇、パンジ物語を題材とする)に由来する。ワヤン・トペンではこれらの役を踊る人は決まっていた。その他にマハーバーラタ物語に由来するガンビルアノム王子(優形)やガトコチョ(荒型)の舞踊もある。ガトコチョの踊り手と言えば、スリウェダリ公園にあるワヤン・オラン劇場の故ルスマンが有名である。
このように、女性の踊り手は女性であるだけでプリマドンナとなり得るのだが、男性の踊り手はキャラクターを演じそれと一体化することでスターとなる。この違いはなぜ生じるのだろう?あるいは違いはないかも知れない。ガンビョンの踊り手もまた「男性好みの女性」というキャラクターを演じているのかも知れないからだ。
単独舞踊にも上記のような舞踊とは違う性格のものがある。たとえば「ルトノ・パムディヨ」(女性舞踊)や「パムンカス」(男性優形)である。「ルトノ・パムディヨ」はスリカンディが宿敵ビスモを倒すという物語を描いているが、踊り手とキャラクターの間には一定の距離が感じられる。それはこの舞踊が宮廷舞踊と同様の理念や美を表現しようとしているからだろう。このことは「パムンカス」にも当てはまる。
●2人
ウィレンやプティランがある。どちらも戦いを描いているが、プティランは舞踊劇の中から戦いのシーンが独立したもの。ウィレンは男性宮廷舞踊で戦い(内面の葛藤)を描いており、4人で踊られるものもある。ウィレンであれプティランであれ、戦いのシーンまでは2人とも全く同じ振付で、シンメトリーな構成である。
●3人
「スカルタジ」がある。この作品は1970年代にPKJT(中部ジャワ芸術プロジェクト)活動の中で作られた。パンジ物語からパンジ王子(男性優形)、王子の許嫁・スカルタジ姫(女性)、スカルタジ姫に横恋慕するクロノ王(男性荒型)の3人を抜き出して描いており、ちょうどスラカルタ様式の3つの型を代表している。だが3人が同時に舞台で踊ることはない。スカルタジ1人、パンジとスカルタジのドゥエット、あるいはクロノとパンジとの戦いのシーンから成る。
スリンピは4人の舞踊であるが、「スリンピ・アングリルムンドゥン」は元は3人のブドヨ作品だったという伝承がある。この3人のブドヨはマンクヌガランで作られたが何らかの理由で上演されず、踊り手3人とともにクラトン(王宮)に献上された。クラトンではその後踊り手を1人足して4人のスリンピとし、後半の曲をつけて現在のような形にしたのだという。
●4人
スリンピの他、ウィレンにも4人で踊られるものがある。
先月書いたように、スリンピは空間を4次元に分割するように踊られ、曼荼羅を思わせる。4人は4方位を表し、踊り手はポジションによって頭、首、胸、尻と呼ばれる。
●5人
確か東ジャワの民間舞踊で「スリンピ・リマ」(リマは5の意)というものがある。舞踊の来歴については忘れたが、全く素朴な振りの舞踊である。4人が正方形を成し、その中央に1人が位置する。5人は廻りながら各位置で同一の振りを繰り返し、元の自分の位置に戻る。ここでは5という数字は明らかに四方+中央を意味している。
1992年に芸大スラカルタ校により作られた「スリンピ・ジャヤニンセ」はこの「スリンピ・リマ」のようなフロア・パターンをとり、四方が女性、中央がアルジュノという男性を象徴している。
●6人
ジャワで見たことがない。
●7人
ブドヨは9人による舞踊であると言われるが、実は9人による上演はクラトンだけの特権である。それ以下のマンクヌガラン家やブパティ(県知事)が9人のブドヨを上演することは許されず、普通は7人(奇数)で上演された。
●8人
ジャワで見たことがない。
ただ私が留学中に出演した作品(水牛2003年3月号、4月号に執筆)では、男女4人ずつの踊り手を起用し、スリンピとウィレン(4人)を組み合わせたような構成になっていた。
●9人
ブドヨがある。9は人間の9つの穴(両目、両耳、両鼻孔、口、肛門、性器)を表していると言われる。
うたはどこへ 御喜美江
4月7日、チューリップと水仙が庭に咲き乱れるオランダの自宅に帰宅した。ちょうど冬から春に変わるこの季節に数週間留守をしていると、裸だった枝には若葉がつき、何もなかった固い土には色とりどりの花が咲いている。それでずいぶん長い時間が経ったような錯覚を覚える。
早速オス猫カーターが階段を上がって玄関から入ってきた。しばらくするとメス猫コッツェが水仙の間をくねくねと器用にとおって庭から入ってきた。彼等はどうしてわかるのだろう、私たちが帰ってきたってことが。もしかすると、今日こそは! と期待しながら毎日見にきているのかもしれない。かわいいな。
今回のアコーディオン・ワークス「ロシアへ」は、まさにノンストップ全力投球のプログラムだったので体力的には疲れたけど、スポーツで汗を流した後の清涼感みたいなものが残った。今までとは少し違う後味で、それは主に体を使っていたからかもしれない。特に不思議だったは、翌朝起きたときに疲れが全く残っていないのだ。毎年アコーディオン・ワークスが終わると2、3日間は体が動かないほどぐったりと疲れ、思考力もどんよりするのだが、それが全然なかった。ぐっすりと眠れて、翌日は実に爽やかな朝だった。それで逆にちょっと心配になった。「あれでよかったのかな〜」と。
さて、自分の職業を聞かれて、音楽家と答えると、自動的に声楽家と誤解されることがよくある。それは日本でもヨーロッパでもほぼ同じ。しかし楽器は弾けても歌は全然うたえないというケースは多く、私もその一人。でも声だって一つの楽器なのだからピアノが弾ければ自動的にバイオリンも弾ける、という論理が成り立たないのと同じと思うのだが、例えば宴会場の係員、タクシーの運転手、お掃除のおばさん、子供たち、など様々の人々にとっては、理解に苦しむ論理らしい。そんなことが4月3日、東京のあるホテルでもあった。
その日私は“御喜正一周忌・謝恩の会”の音楽担当だったので、バックミュージックに自分のCDを流していたら、音響担当の係員がきて「なかなかいい音楽ですね。うちもご会食のときにはクラシックを流しますけど、こっちのほうがいいですね」なんて嬉しいことを言ってくれる。そこで黙っていればいいのに「そうですか? これ私が弾いているんです」なんてよけいなことを言うと、「はー、さようでございますか!」と突然、表情も声音も変わった。会の一担当者から少し格上げされた感じ。よく思うのだが彼等にはいくつかの表情が訓練されていて、バッチを付け替えるかのごとく、表情もスパッと変わる。結婚式用、故人を偲ぶ会用、同窓会用、会社合併記念式用、いろいろある。頭を柔らかく下げながらスパッ、スパッと変わる表情。相手次第でスパッと変わる声と言葉。少々不気味だが、考えてみれば、たとえそれがどんな悲惨な事件でも、ニュースとなれば、決して感情こめないで喋るのと似ているかもしれない。もしNHKニュースのアナウンサーが、ニコニコしながら嬉しそうに軍隊撤退ニュースを報じたり、声を詰まらせ涙ながらに北朝鮮の事故を報道したら、そんなニュースなんて誰も信じないだろう。感情がないからこそ信憑性があるというものだ。でもこの業務用フェース、ときに一瞬だけ本物に変わるときもある。
この謝恩の会の締めくくりとして、「今日の日はさようなら」を皆で合唱するという場面になった。それは1999年12月に両親が開いた金婚式パーティーで最後にこの曲を全員で歌い、とても良かったので、当時のヴィデオ録画を見ながらもう一度、というアイデアのものだった。すると、頼みもしないのに例の音響担当が私のところへマイクを持ってきて「どうぞ」と言う。「えっ?」と不可解な顔をすると「うたわれるんじゃございませんか?」と聞く。「あ〜、いいえ、わたし歌はうたえないんです」と答えると、音響担当の表情が瞬間、スパッと変わった。それは2〜3秒で元のフェースに、何事もなかったように、スパッと戻ったのだが、そのほんの一瞬は軽蔑と侮蔑に満ち満ちていて、まるで「あのCD、あんたが演奏してるなんて嘘でしょ!」と言っているようだった。会終了後は再び“ご丁寧フェース”でCDの後片付けを手伝ってくれたが、もうCDとか音楽の話は一切してくれなかった。もしあの時、差し出されたマイクをニッコリと受け取り、美しいソプラノで「今日の日はさようなら」を歌っていたら、どうだっただろう。今思うと、あの一瞬の凍りつくような冷たい表情だけが彼の本心だったようで、業務用フェースにも本物があることを知らされたひとこまだった。
しかしこれは感じ入るテーマでもあった。
2000年のアコーディオン・ワークスでは、高橋悠治作曲「Mi」の初演のあと、アンコールとして「この道」をお客様と作曲者&演奏者全員で合唱した。そのとき演奏者側に「この道」を知らない若い女性が2人いた。この曲は誰でも知っている、と思い込んでいたので本当にびっくりした。私が知らないうちに「この道」はすでに過去の歌となっていたのだ。
今年2004年はロシアがテーマだったので、アンコールでは「ともしび」を全員で合唱した。よく知っている歌でも歌詞は部分的に忘れることが多いので、2番までの歌詞をアンケート用紙に記載しそれで充分と思った。「ともしび」こそは誰でもが知っている歌と、絶対の確信があった。が、ここにも誤算があった。なんと今月から所属となった音楽事務所の女性スタッフが同社の専務に、「最後に皆が合唱していた歌、あれなんていうんですか? 聞いたことないけど」と言ったそうである。音楽関係の人ですら知らない歌、となってしまったのだ。
ここで思う。今の時代で、誰もが知っていて、いつまでも忘れることなく残る歌ってあるのだろうか。コーラス部にでも入らない限り、他の人たちと声を合わせて一緒にうたうことが日常生活であるだろうか。小さな個室の中でカラオケを伴奏に独唱することはあっても、「一緒にうたおう」とか「一緒にうたいたい」という気持ちはすっかり薄くなったと思う。私だって「今日の日はさようなら」すらうたえないではないか。人前でなくても。
作曲家や演奏家の頭の中には常になんらかの音楽が響いているので、あえて声に出してうたわなくても音楽は常に身近にある。むしろそれをうたったりしたら、自分の音痴に幻滅して不機嫌になってしまう。それに比べて、音楽と全く無関係な人たちは自然な気持ちで独唱したり合唱したり出来る。そういうものだ、と今まで思ってきたし、現在もそう思っている。でも……
例えば「散歩する」「読書する」「昼寝する」のような感覚で「歌をうたう」も日常生活のプログラムに追加したらどうだろうか。「歯を磨く」「洗濯物を干す」「宅急便を出す」といった処理モードでも面白い。「ちょっと鏡をのぞく」「窓から外を眺める」「違う口紅をつけてみる」なんて束の間感覚も負担がない。
難しい曲を完璧に演奏することも、新しい技術を楽器に見つけることも、アコーディオンのための新曲を増やしていくことも、どれも重要な道ではあるけれど、ふと気がついたら周りには誰もいない、耳を澄ましても何もきこえてこない、どの曲もどの歌も過去となってしまったでは、やはり寂しいだろうな。「この道」も「ともしび」も忘れられてゆく時の流れのなかで思う。(2004年4月29日ラントグラーフにて)
つえとりおとしてことば 高橋悠治
10年ぶりに香港に行った 中国への返還後はじめてだったが 返還前の紙幣も女王の肖像のあるコインもそのまま使える 世界のどこの都市でもおなじような それでも東京とはちがう雑踏 キャスター付のスーツケースをひきずった異人たち ムスリムの白い帽子と長い衣 オレンジ色の僧衣 きこえてくる異国のことば 時計のにせものあるよ と街角で日本人をよびとめる声 以前は見なかったスパゲッティとピザの店 日本レストラン 日本居酒屋 回転寿司 スーパーマーケットでは中国菓子なのに中村屋という商標 ブランド品のショーウィンドウがどこまでもつづくトンネルのような建物
繁華街の向こうに見えるアパートの 無数の小窓を付けた星形の塔 大小の船が行き交う湾 海辺なのに風もなく 湿気とスモッグに滲む対岸の島
岸壁に近い劇場 西洋音楽とカンフー映画とモダンダンス 西洋人と植民地風エリートたち 手をつないだ若い男女 習い事をさせられているこどもとその母 これは新宿と変わらない
ジョン・ケージが1950年代に書いたピアノ音楽4-19番を弾いたのははじめてだった 透かしてみると見える5線紙の紙質のむらに印を付けて音符とし 臨時記号を付け 普通に鍵盤を弾くか 弦をはじくか 弦を押さえて響をとめるか という3通りの奏法をえらび 高低の音部記号で読む それらすべて易の卦を立てて決める これが作曲法 白丸だけの音符が密に あるいはまばらに並んだ1ページ1曲で16ページの曲集になっている ペダルを踏んだまま余韻を止めないで各曲あるいは全曲を弾く
楽譜を見た時には 作曲だけが偶然にまかされていると思っていた 演奏してみると 演奏も二度とおなじには行かない そもそも一度も思ったようにできない 一段を30秒で弾こうと決めても 気がつくと1分以上ずれている
すべての音と演奏位置を記憶して計画通りにできるまで練習したとすれば この音楽は死んでしまうだろう 予想できない時間のゆらぎ あるいは 身体運動によってむしろ時間の規則性や周期性からのがれる さらには各音にそれぞれの時間があることを聴きだす行為が演奏となる 一つの音から次の音へと連続するメロディーではなく 1音ずつ別な空間から響くように弾く 単純な見かけの楽譜から多次元の時間と多層空間をつくりだすのが演奏だ
次の音があるということは 過ぎ去った音との関係がつくられようとする傾向があらわれると言ってもいいが それは人間の身体的 したがってその結果心的でもある 介入による 作曲であれ演奏であれ 聴くことによってさえ音は影響される もっと言えば 記憶はこうしてたえず作り直されている
この発見の過程は即興とはちがう 即興は身体によって音を統合する傾向がある うまくいった場合は達成感があり 演奏者の個性が音にあらわれる ケージの場合には達成感どころか たえず音に裏切られるのだから 意図さえもたずに あらわれる音につきあうだけの 聴く身体は 音を聴くだけでなく 聴いているその身体とまわりの空間も聴いている
そうではなく すべてがある起源をもち そこで決められた軌道の上を走っていくとするならば それぞれのあらわれは必然であると同時に独自のものであり それにかかわる人間がそれを自分のものとして一体化し その起源から迸る勢いによって強制することもできる それが音楽の場合はメロディーの情念の力となってひとを支配するように見えるが じっさいには 軌道から逸れないように管理する技術的な統制が見えないところではたらいている 即興の名人芸よりはオーケストラの指揮者と楽器の演奏者との関係を思い浮かべるほうが わかりやすいだろう コンサートホールで見られる範囲を越えて すべての情報を含んだスコア それをすでに作っていた作曲者 その音楽教育 近代音楽の伝統 というようにさかのぼっていけば 現実に作用している音楽の制度 位階制の図式が見えてくるが 起源自体 その根拠や必然性 独自性のほうはだんだんあいまいになっていくだろう
ケージのこころみをひきつぐ音楽はその後あらわれなかったのはなぜだろう 時間と空間を分岐させながら発見し 問いかける姿勢はどこへ行ったのだろう
音楽は言葉からのがれていられるが 音楽を問題にするのは 言葉による 言葉は杖ではなくて 言葉によって杖を取り落とさせること 音の多層空間の断面をきりひらくための言葉 むかし ことばによって音を断ち切ると書いたとき もっと考えてもよかったことだ
アフォリズムという文体は あるものはつねにこうする という表現をとりがちだ 主張や断定 個性的な観察は その対象よりは それを書くもののほうに注意を向けさせる アフォリズムを引用することはできない エレアのゼノンの飛ぶ矢は 標的の通り過ぎてしまった時間に一瞬遅れでたどりつく
楽譜によって規制から逸脱させるように 言葉によってもできるだろうか それは文体の問題なのか
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