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特集・軽印刷のすすめ
1 軽印刷のすすめ「流言蜚語」生産の技術
2 どの方式をえらぶか
3 ガリ版のコツ、大公開! 鎌田慧さんにきく
4 シルク印刷でTシャツを刷る 河野一平さんにきく
5 だれでもできるプリントゴッコ 平野甲賀
6 ビラをつくる 久保田達郎さんにきく
7 フィリピンのマイクロ・メディア運動について
8 オフセット印刷とはなにか
9 軽オフ実習記
10 製版装置をつくってみた 橋本誠也
11 文字と紙の大きさ
12 「水牛通信」のワリツケかた
13 写真植字入門 新井弘泰
14 発注のためのチェック・リスト
15 民衆メディアづくりのために 吉田泰三
編集後記
1 軽印刷のすすめ「流言蜚語」生産の技術 流言蜚語を必要とするのは、韓国の民衆だけではない。それなしでは、わたしたちだって真実を手に入れることはできないのだ。今年の春から夏にか けて、光州でおこったできごとについても、沖縄東海岸の廃油汚染についても、その事実をひろめたのは、テレビや新聞などのマスコミではなく、街頭や集会で まかれるビラやパンフレットだった。つまり、運動的にながされた噂話だった。
井伏鱒二が中央公論社の雑誌『海』に連載中の小説が、この四月以降、右翼の脅迫によって中断されたままになっているという噂を耳にした。マスコミはそのこ とを報道せず、したがって、いまもまだ、それは流言蜚語のままになっている。知るべきことで、知らされないままになっていることが、ますますふえていく。 マスコミの「自己規制」は、とどまるところを知らず、このさき、いっそう強化されるだろう。それにつれて、流言蜚語が必要とされる領域も、いっそうひろ がっていくにちがいない。流言蜚語の発語訓練にとりかかること。
一九七〇年代をつうじて、印刷のコンピューター化が、ものすごいいきおいで進行してきた。文字をうつのも、それをページにまとめるのも、印刷や製本も、す べての工程がコンピューターによって操作され、ライン化される。ブラウン管にむかって、ライト・ペンで校正する時代が、すぐそこまでせまっている。
コンピューター化された工場を高速度で突っ走り、走りぬけ、そのいきおいにのって、新聞や週刊誌などの、大量の印刷物がばらまかれる。この速度は、真実が わたしたちの手もとにとどく速度に比例するか。かえって反比例する。
機械のスピードをあげるためには、それにふさわしい体制を用意しなくてはならない。規格どおりの文章を提供できる執筆者や、秩序になじみやすい体質の編集 者がもとめられる。いまでもすでにまぼろしみたいな自由の余地は、いっそうせばめられ、工程のどこかに逸脱や反抗の気配があれば、中央のコンピューターに よって、たちどころに制禦してしまう。中央をにぎった者の権力だけが、とほうもなく増大していく。
マスコミの「自己規制」や右翼化と、印刷のコンピューター化とが、たがいにたがいをつよめあう。それがこんにちの状況である。わたしたちの側にも、流言蜚 語生産のための技術がいる。
小型のオフセット印刷機がでまわり、手がきの文字やマンガ、新聞のきりぬき、タイプや写植文字をくみあわせたビラやパンフレットが、めだってふえてきた。 集会にいけば、かならず、おびただしい量の刷りものにとりかこまれる。「水牛通信」もそのひとつである。このことだけから判断すれば、わたしたちはもう、 流言蜚語生産のための十分な技術的基盤をもっているかに見える。
ところが、そうではない。事態はそれとは正反対の方向にむかっているというのが、本誌6号の座談会における、橋本誠也さんの意見だった。「ガリ版の時代と ちがって、印刷の工程が一種のブラックボックスになってる。コピーの機械や電卓とおなじように、印刷屋というものがあって、そこに原稿をいれると、自動的 に完成した印刷物がでてくる。印刷屋にかぎらず、なんでもそうです。自動車工場や原発もそうだし、知らないうちに、運動体もその風潮にそまっちゃうわけで しょうね」
いわれてみれば、たしかにそのとおりである。だいいち、もしもこれがガリ版の時代であれば、「水牛通信」にしても、印刷や製本の全工程を、わたしたちが自 力でこなしていたにちがいないのだから。そのちがいのぶんだけ、わたしたちは印刷の技術を手ばなし、それを他人の労働にゆだねることになれてしまった。印 刷コンピューター化に反対する根拠が、いつのまにか、わたしたちの運動から失われていく。
橋本さんは「メディアプレス市民工房」という、ちいさな印刷所をもっている。印刷物が必要なら自分で刷れというのが、この工房の主張である。そのための技 術をおしえ、おそわった人たちは工房にある機械をつかって、すぐその日から、自分が必要とするものを印刷することができる。
注文におうじて仕事をするかわりに、かれはおしえることにした。かれの運動は教育運動である。なぜ、そんなに熱心におしえるのか。それは、かんたんな印刷 物ぐらい、すべての人民の運動が自力でこなすことができるという状態があって、その基礎のうえに、もういちど、自分の技術をすえなおしたいとかんがえるか らだろう。そうでないと、もはや専門家としてのよろこびすら感じられない。という意味で、巷のひとりの印刷人として、かれは相当に欲がふかいのだと思う。 かれがひとりでがんばったところで、そんな状態がやすやすと実現するはずがない。それでも、そうした想像力をはたらかせることなしには、もう一歩もすすめ ないというような仕事のくみたてかたも、またあるのだ。
わたしたちの運動は、歩いてどこへいくのかということと同時に、それ以前に、まず、わたしたちが歩くという現実からなりたっている。「正しい道という概念 は、正しい歩行という概念よりも劣っている」(ブレヒト)。印刷もふくめての文化の運動は、この「正しい歩行」の技術に直接にかかわる。
印刷の工程にかぎらず、わたしたちの運動の内部に、そうとはっきり意識しないままに、自分たちの眼に見えないプロセス、あなたまかせの領域をかかえこんで しまう。つまりブラックボックスである。このブラックボックスの領域がひろがればひろがるほど、運動の体質はもろくなる。
ビラやパンフレット程度の、かんたんな印刷物は、いつどこででも、自分たちの手でつくれるのだということを、この印刷マニュアルの出発点にしたい。活版印 刷やグラビア印刷は、ここではあつかわない。これまでのさまざまな運動のなかで、実地に、自力でこなせることがたしかめられているものに、対象をかぎる。 やる気さえあれば、それにつかう道具や機械のおおくを、自分でつくることも可能である。
著名のあるもの以外の項目は、「メディアプレス」と「水牛通信」が相談をしながら書いた。この通信も、遠からず、自分たちの手で印刷できるようにしたいと 思う。
印刷には、版の形式、文字組みの方法、製版のしかた等に、それぞれ多くの方式があり、その組合せは実に多様である。それらのうちから、どの方式を選ぶかに よって、作業工程も、費用も大きく変わってくる。そこで、印刷にはどんな方式があるのか、分類・整理してみることから始めよう。
印刷を、版の形式――言いかえれば、いかにして印刷するかの原理――によって分類する方法がある。これを「版式」と呼んでいるが、現在までに実用化されて いる版式は、凸版、凹版、平版、孔版の四種類で、まとめて「四版式」と呼ぶ。
凸版とは、呼んで字のごとしで、版の出っ張った部分にインクをつけ、紙を押し当てて写しとる。凹版は逆に、インクのつく部分がへこんでいる。版全面にイン クをつけた後で表面のインクをかき取り、凹部に残ったインクを、紙に写しとる。
平版は、これにくらべて直感的に理解しにくいが、インクの付く画線部が親油性に、付かない非画線部が親水性になっており、「水と油」の仲の悪さを利用して 印刷する。
孔版は、薄いフィルム状の版にあいた穴を通してインクを押し出す方式。いわずとしれた「謄写版」がこれで、他に「シルクスクリーン印刷」というのもある。
凸版はこれも古くからある印刷法で、グーテンベルク以来、文字印刷の主流である。現在でも、新聞、雑誌の本文、書籍の多くが、鉛活字を使った凸版=活版印 刷によって行なわれている。ただし最近では、この分野への平版印刷の進出がいちじるしい。凸版は原理はわかりやすいが実施はめんどうで、私たちがビラやパ ンフレットをじぶんの手で作る方法としては、好適とはいえない。しかし、身近に活版業者があれば、利用することはできよう。
凹版には「エッチング」「ドライポイント」等の技法があり、精密なさしえ用として使われていた。現在は、雑誌の写真ページに使われる「グラビア印刷」がそ の代表である。製版代が特に高く、少量印刷向きではない。私たちには、当分の間(権力をにぎるまで?)利用する機会がなさそうである。
また、やや大ざっぱな分類だが、美術印刷、高速大量印刷、軽印刷、特殊印刷、といった、分野による分け方もある。四版式のうち、平版はどの分野でも使われ ているが、他の版式は分野が限定される傾向で、グラビアが高速大量の美術印刷専用なら、謄写版は軽印刷専用といった具合である。
文字を主体とする印刷では、字がよくそろっていて読みやすいことと、できるだけ早く文面を組めることが要求される。それに適する手段として、活字組版(活 版)、タイプ、写真植字(写植)、手描き等が考えられる。そして、文字を組んだものが、そのまま版として使える場合と、写真撮影・焼付けの原理による「写 真製版」に頼らなければならない場合とがある。活版、ガリ版、タイプ孔版は前者であり、後者では写植の他、カーボンを使ったタイプ清打ちや手描き文字も使 われる。写真製版の場合は、これらの清打ちや写植等を台紙に貼り込んで「版下」を作成し、版と同サイズのフィルムに撮影できる「製版カメラ」を用いて製版 を行なう。
写真製版には、版下を「リスフィルム」に撮影し、そこから版材に密着焼付する方法と、版下から直接、版材に撮影する「ダイレクト製版」とがある。平版は、 ほとんど全部が写真製版によって行なわれており、軽印刷では、ダイレクト製版が多用されている。ダイレクト製版には、普通の写真と同じ銀化合物を使う方式 と、コピー機と同じ電子写真方式とがあり、電子式では、安価な紙の版が使える。
謄写印刷でも写真製版は原理的に可能だが、あまり簡易とはいえないため、市販品はない。そのかわりに、電気火花でビニールの薄膜に穴をあけて製版する装置 が「○○ファックス」の名で各社から出ている。画線があまり鮮明ではなく、B4版一枚の製版に十分〜二十分もかかり、おまけに製版中に有毒ガスが出るとい う、欠点だらけの製品だが、取扱いが簡単なせいか、学校などで広く使われている。
こういった種々の組合せの中から印刷方式を選ぶわけだが、私たちが自分で機材を持ち、自分で印刷する場合は、費用の点からみて、選択の幅は限定されてく る。安さで選ぶならもちろん謄写印刷が一番だ。ガリ版の手刷りなら一万円前後でそろえられるし、謄写輪転の機械でも十数万円からある。また、和文タイプ も、簡易型では十万円台のものがある。もし、数十万円の資金を集めることができるなら、平版の小型機(軽オフセット)も射程距離に入る。ただ、これらの機 械はおおむねB4版以下で、それより大きい印刷機は、値段のケタがちがう。
孔版では版に穴をあけるため、印刷するパターンによって版の強度が変化する。ケイ線を多用したり、文字の間隔をつめたりすると版が切れやすくなるし、ベタ もあまり使えない。一方、平板には強度の問題はないのだが、ザラ紙のような紙ボコリの出る紙には、印刷するのがむずかしいという欠点がある。だから「軽オ フを買ったから、謄写版はもういらない」などと言ってはいけない。
街頭ビラなど、多量の印刷の場合、一枚の版でどれだけ刷れるか(耐刷力)が大問題である。謄写版の手刷りの場合、普通のやり方では数百枚だが、工夫と熟練 で大幅に増やせることは次項にくわしい。タイプ原紙・輪転で千〜三千、先の電気火花式「○○ファックス」は、丈夫なだけがとりえで、五千から一万という。 軽オフの場合、紙の版で千〜二千、金属の版で二万以上とされる。いずれの場合でも、機械の手入れや版の装着に注意することで、二倍以上に増やせる可能性が ある。
業者に依頼する場合の価格は、かなりマチマチで、直接聞いてみる必要があるが、一般的には活字と写植の値段が大体同じ程度で、タイプがそれよりやや安い。 文字だけの印刷の場合、タイプ孔版が最も安いのは当然だが、活版と写植・オフセットとの比較では、少部数の時は活版が、多部数の時はオフセットが安くなる 傾向である。活版では、組んだ物から直接刷れるのに対し、写植の場合は別に製版代がかかる。一方、オフセットは印刷スピードが速く、多部数では印刷代が割 安になるためだ。タイプ→オフセット方式は、名刺やハガキのような小サイズの場合以外は、多分少部数でも活版より安くなるだろう。逆に、写植→凸版の方式 は、最も高くつく。
B4のビラを一万枚作る場合、B4の機械で一万回刷るのと、B2の機械で一度に四面づつ二千五百回刷るのとでは、どちらが安いかは決めにくい。一方、B5 版十六頁のパンフレットを二千部以上作る場合は、B2の機械で一度に八頁を刷る方が、製本代まで考えると安くつく可能性が大きい。
謄写版の手刷りをふつうの方法でやれば、数百枚刷ったところで原紙はダメになってしまう。流言蜚語生産のためのビラにはおそらくもっと大量の枚 数が必要とされるだろう。そこで、一枚の原紙からこれまでの約三倍は刷れるというやり方を、ガリ版印刷の速刷り熟練工だった鎌田慧さんにきいてみた。
まず原紙。鉄筆で切る前に「補強」する。ガリ版用の修正液を脱脂綿につけて、原紙にうすくぬる。ぬるのは表側、つまり鉄筆で切るほうの面だけ。補強はこれ でおしまいだ。よくかわくのをまって、あとはふつうに原紙を切る。
つぎにインク。すでに練りあわせてある謄写版用インクはつかわない。丸いカンに入った固型のインクを、スピンドル油でとかし、インク盤でよく練ってつか う。固型インクは、謄写版用機材を置いている店で手に入るし、スピンドル油は灯油だから、ガソリンスタンドで売っている。
油が多くてインクがゆるいと、印刷したあとでにじんで読めなくなることもあるから、市販のものよりこころもちかためにしたほうがよい。これは印刷するとき の気温とも関係する。油がとけやすい暑いときにはかため。逆に寒いときにはゆるめにする。インクを練るとき、白インクをほんの少しまぜると仕上がりがやわ らかくきれいになる。
それからローラー。ふつうつかっているのはゴム製だが、そのゴムの部分がもっとやわらかい速刷り用のものをつかう。ローラーをインク盤のはじにねかせてお いたりすると、盤に接している部分がつぶれて、デコボコになってしまう。速刷り用のものはやわらかいので変形しやすい。だから平らなところには置かない で、いつも吊るしておくべきだ。
そして紙。使用前の紙についている紙ボコリをはらう。かさなっている紙の一枚一枚のあいだに空気をいれ、机の上でトントンとそろえる要領でホコリをおと す。これはすこし練習が必要だ。千枚もやれば、机の上がまっ白になるほどこまかいホコリがおちたのがわかるだろう。こうしておかないと、このホコリは全部 原紙にくっついてしまう。とくに字のまわりについたホコリはインクを吸い字といっしょに印刷されて、読みにくくなる。ホコリをはらった紙は、あらかじめ印 刷する枚数だけかぞえておかなければならない。紙をよくそろえ、一方を固定して片方をもちあげると、紙のはじがすこしずつずれて、かぞえやすくなる。これ を親ユビで五枚ずつかぞえる。はじめの五枚が1,つぎの5枚が2,そのつぎが3……というように。20までいけば、実際の枚数は百ということだ。なにしろ 千枚単位の印刷だから、一枚ずつかぞえていては時間がかかりすぎる。
スクリーンに原紙をはりつけ、印刷機の上に紙をおく。このときあまりに大量に厚くおくと、原紙がいたみやすい。少なめに積んで(四十枚位)どんどん補充す るようにしたほうがいい。また、紙は固定しておかないと、ずれたり、原紙にはりついたりしてやっかいだ。そのための工夫。ピースのあき箱と、うすいセルロ イド板のようなもの(下敷でよい)を用意して、図のように紙の周囲に画びょうでとめる。ピースの箱のマチの部分と、セルロイド版のツメとで、紙が増減して もピッタリおさえることができるのだ。
スクリーンはスプリングで壁などに連結し自動的にあがるようにしておく。
これで準備完了。印刷にかかる。
最初、原紙にインクをまんべんなくつけ、ヤレ紙をつかって何枚かためし刷りをし、調子をととのえる。刷るときは力をいれないこと。かるく、すべるように、 なめらかにローラーをうごかす。これが仕上がりをきれいにかつ原紙をいためない(つまりたくさん刷ることのできる)刷りかたのコツだ。ローラーを手前から むこうに動かし終ると、自動的にスクリーンがあがる。左手の親ユビにはユビサックをつけ、刷った紙を一枚ずつ横にとってかさねていく。これをリズミカルに 手ばやくくりかえす。ザラ紙のような中質紙はすぐインクを吸うので、そのままどんどんかさねてよいが「水牛」の紙のような上質紙だと、インクがかさねた紙 の裏についてしまう。そこで印刷しそこなった紙などをとっておいてこれを刷りあがった紙の上に一枚ずつはさみこむようにする。これを合紙《あいし》とい う。インクがかわいたらはずす。新聞紙を適当な大きさに切ってつかってもよい。
さあ、これで千枚までは支障なく刷れるはずだ。それ以上刷りたいときは、千枚刷ったところで手をとめ、やらなければならないことがある。はじめに紙のホコ リをはらったがそのときおちなかったホコリが、千枚刷ってみると原紙の裏をまっ白にするほどくっついている。これをうまくとらなければならない。両刃のう すいカミソリを、親ユビ、人指しユビ、中ユビの三本ではさみ、指の先に力をいれてしなわせる。そうしておいてその刃先で原紙をきずつけないようしずかにホ コリだけをとる。これははじめはむずかしいかもしれない。しかし練習すればだれでもできるようになる。鎌田さんの特許だ。これであと千枚ぐらい刷ることが できるはずだ。
タイプ原紙も刷れる。原紙の端にある穴を画ビョウなどでスクリーンにとめる。原紙についている薄紙を、スクリーンと原紙のあいだにはさんで印刷する。この 薄紙がインクを吸収する。インクはタイプ用のものをつかう。
はがきのような小さなものは、印刷機の手前において刷るほうがやりやすい。原紙もそれを計算にいれて切る。はがきはかたいのでふちのあたるところは原紙が 破れやすい。その部分を紙テープで補強しておけば安心だ。
黒以外の色刷りをするときは、スクリーン、ローラー、ヘラ、インク盤など、インクのつく道具をスピンドル油できれいに洗ってから刷る。印刷位置をきめるし るし(トンボ)をつけておいて、ためし刷りのときに、それで正確に位置をあわせるようにする。
沖縄に紅型という染物がある。いわゆる型染めの一種。渋紙を型紙にして、絵柄の色が染まる部分だけ残して切り抜き、目の荒い絹布にくっつける。それを 「版」にして布に糊で「印刷」し、顔料で染めたあと、糊を落とすと絵がのこる。これと似ているが、逆に色がつくところを切り抜き、絹布を通してインクを直 接刷り込むのがシルクスクリーンだ。孔版印刷のひとつで、構造はガリ版とほとんど変わらない。
運動の印刷媒体としてシルクスクリーンが使われだしたのは、そう古いことではない。おそらくまだ十年くらいしか経っていないだろう。しかし新鮮な感覚で登 場したシルクも、その後のいろいろな表現手段の発達の中に埋もれてしまっているようだ。例えばポスターをつくるときなど、どちらかといえばカラー・オフ セットなどの代用として使われてきた面がある。そしてオフセットが身近になり、大量印刷が必要になり、手間のかからないほうを選ぶようになると、当然、シ ルクはつかわれなくなった。
表現を手離すと運動は狭まる。みずから管理できるものまで、よそに管理される必要はない。
六八年から四年間、ベトナム反戦運動のなかでシルク印刷をやっていたポポロ工房というところがある。革命的デザイナー同盟のひとたちがつくった工房で、美 大生、助手、デザイナーをメンバーとして、主にデモのプラカードやポスターをシルクスクリーンで印刷していた。そこで始めたシルクを現在も続けている、基 《もとし》工房の河野さんからうかがった話をまとめておこう。
大がかりな道具はいらない。絹布を張った枠、スキージー(へら)、刷り台(机)、インク、溶剤、乾燥剤、ニス原紙、そのほかナイフ、アイロン、練りべら、 皿など、あり合わせのものが利用できる。小さな版なら枠はガリ版が転用可能。自作してもよいが、普通は時間や費用の点でもあまりメリットはなさそうだ。こ れらは専門店でそろえると安いし、質もいい。
版づくりにはカッティングと写真製版がある。ここでは前者でやってみる。
まず印刷する絵や文字を厚手の紙に原寸でかく。鉛筆で下書きしてサインペンで仕上げる。これが版下になる。切り抜くのはニス原紙のほうだ。版下にワックス を塗り、原紙を重ねてボロキレでこする。版下と原紙はくっつき、絵や文字は透けて見えるから、ナイフでなぞったあと、インクを出す部分をとり去る。線も切 り抜くわけだから、あまり細い線をかくと作業がやっかいになってくる。ナイフは何でもよいが、まるい柄の先に刃のついたデザイン用のナイフが便利だ。こう して切り抜いた原紙を枠に張ったシルクにくっつけるのだが、これがおもしろい。アイロンがけするのである。
原紙の上に枠をのせ、シルクの上から手際よくアイロンをかける。熱でニスがとけだし、原紙はシルクにつき、同時にワックスもとけて、版下が原紙から離れ る。手ばやくやれば版下が動いたりする心配はない。アイロンは小型のものが使いよく、もちろんスチームをだしたりしてはいけない。これで版は一応完成す る。
手軽にやれる割には、印刷対象がひろいのもこの方法の特徴だろう。手軽だから応用がきくのかもしれない、紙や布、木、プラスチック等が一般的で、それぞれ インクの種類が異なる。洗濯がきく布用のインクは割高になるが、耐久性を問わなければ、紙用のものにニスを混ぜて代用できる。溶剤は灯油でもよい。乾きに 少し時間がかかるだけだ。乾燥剤は欠かせない。盛り上がるほどインクがのるから、これを入れないとなかなか乾ききらず、爪で掻いてもキズがついてしまう。 インクを溶剤でうすめて最後に乾燥剤を入れる。こうして一度乾いたインクはもう溶剤をかけても落ちることはない。シルクの長所だが、枠についたまま固まる とあとで困るから、刷る前に枠の周りや版のインクがでない部分をガムテープで目止めしておく。インクのかたさはマヨネーズくらいが一番いい。ゆるめ過ぎる とにじんでしまい、逆だと目づまりする。準備できたら、これを版の上にのせ、スキージーで一気に刷る。絵はちょうどこの場面。枠と印刷物との間に厚さ一ミ リ程度の定規を挟んでおくと、インク離れがよく鮮明に刷れる。一度に何色かのインクをのせると色流しができる。このへんは手仕事のよさだ。機械は限られた ものを画一的にしか製造しない。
版を重ねて多色刷りをやるなら、枠を蝶番で固定し、紙も位置を定められるようにするなどの工夫が必要だ。書き忘れたが、台がたいらであることは、スキー ジーがまっすぐなのだから、当然のことながら、かなりきびしい条件になる。シャツはしわがよらないようにピンで止めてから刷る。
横田ではシャツやステッカーのシルク印刷が大活躍した。アメリカ兵が集まるロックコンサートでは、着ているTシャツにすぐその場で印刷することもやった。 他の印刷方法などでは、ちょっと思いつかない面白い使い方だろう。当時、日本人の間でTシャツとジーンズはそれほど一般的でなかった。白シャツに黒ズボ ン、黒いクツに黒ぶちメガネの学生がふつうだったから、アメリカのベトナム反戦運動から影響されたこのスタイルは、かなり奇抜なものだったにちがいない。 プリントTシャツが当り前になった現在、シルク印刷を運動メディアのひとつとしてとらえなおすには、もっといろいろな様式や技法が必要になる。
誰れにでもできるプッシュ式カラー印刷機――プリントゴッコ。と、九八〇〇円也(B6版)のセットの箱に書いてある。なるほど。
二年ほど前から主に主婦や子どもたちのために貸本の文庫を始め、子どもザウルスという名前をつけた。ようするに子ども怪獣を、どうしたら、ママゴンになら ずに御することができるか、そんな願いをこめた文庫だ。新しい本が入ったり、ぜひ読んでほしい本が見つかったりしたときには、通信が出したい。そのとき思 いついたのがプリントゴッコである。ハガキに手書きするには、数が多すぎるし、印刷屋に出すほどのこともないし、町のコピー屋のでは紙が薄すぎるし、ガリ 版刷りでは色気がない。規模と要求とが、印刷形式を決定する。
プリントゴッコも、孔版印刷の一種だ。シルクスクリーンやガリ版印刷に、ひじょうによく似ている。孔のあいた原紙の上に直接インクを置いて、孔を透して、 下の紙に印刷する。その時、シルクスクリーンは、スキージというゴムのヘラのようなもので、しごき、ガリ版はローラーをころがす。プリントゴッコはプッ シュ式である。
版はどうなってるだろうか。プリントゴッコの場合は、プリントマスターという、原紙がセットになっていて、その原紙を原稿(原寸の版下)に密着させて、フ ラッシュランプ(反射鏡のついた箱にとりつける、これもセットになっている)の熟線で、原稿の墨の部分を、孔版にする。ここのところが一番肝心なところ で、説明書によると、フラッシュランプから出る赤外線が文字や絵の部分にあるカーボン(炭素)に作用して、熱にかわる、とある。だから原稿はカーボンでな くてはならないのだ。というと、たいへんむずかしく思えるかもしれないけど、たいていの黒く書けるものには、カーボンが入っているわけで、そんなにめんど うなことはない。鉛筆もしかり、墨汁も、製図用黒インクも、新聞のインクもそうだ。ただ注意しなければいけないのは、写真とか、写植のたぐいで、いくら黒 いからといって、そのままでは使えない。もしどうしてもというなら複写機でコピーをとる、乾式のコピーなら、黒い部分はカーボンの粉が、付着しているから だ。
さて、原寸の版下を作る。カーボンの入っているとおぼしき墨で、文章をかき、イラストを描き、線は太いのがあったり、細いのがあったり、そのほうが楽し い。ハガキ大の紙に、文字は楷書でハッキリと書き、新聞の切りぬきを貼るなどして、レイアウトはできた。
文庫・子どもザウルスは、当初は、週に二日、火曜日と金曜日にオープンしていたのが週一回になり、最近はぜんぜんなくなってしまった。活動が止んでしまっ たのではない。集まってきた大人や子どもたちの間を渡り歩いていった本が、どんな読まれ方をしたのか気になりだした。本だけが渡り歩くだけでいいだろうか と考えた。文章や詩を声を出して読んでみたらどうだろうか。童話を暗唱してまるごと語ってみる。画集をスライドにして、しゃべる。方言で書かれた話をその 地方出身の人が読み聞かせる。そういうふうに本を使ってみることで黙読では気が付かなかった言葉の不思議さに出会う。さて、これに動作を加えるとどうなる か……。
文庫・子どもザウルスを拠点にして、「あめの会」というのを考えた、名前にこだわるようだけど、集まった子どもたちに、あめ玉をひとつぶ配って、ひと月に 一度、ようするに「あめの会」。常時、四・五十人の子どもたちが集まって、次の会はいつだろうと楽しみにしはじめると、またもや通信だ。
版下もできて、製版もできたので、刷りに入る。その前に紙。紙はインクの吸込みのいいもの、質的には官製ハガキなどは最適なのだが、それだけではつまらな いから、画材屋へいって色紙(ミューズ・コットンとか)を買ってきてハガキの大きさに切りそろえて使うと面白い。たとえば黒とか、色の濃い紙でも、プリン トゴッコのインクは、白を混ぜるとオペーク性が高いから、けっこう刷れる。こうして紙の色に合せて、インクの色を決める。プリントマスター(原紙)にイン クを出す。プリントマスターには、上側に透明のシートが付いていて、このシートと原紙の間にインクをはさんで、上から圧力をかけると、インクがにじみ出 る。原紙の版をよく見ると文字のところや、絵の部分が、孔状になっているのが見える。特に強調したいところに、派手な色のインクを出したり、あるいは全体 に、いろんな色を出して、まるでマーブル模様のようにすることもできる。刷り上ったものの小さな文字の中に、いろんな色がちらちらして、多少判読しにくく はなるけど、実にカラフル印刷だ。
子どもザウルス通信も二十五回目になり、「あめの会」のお知らせは十五回になった、続けていくということは妙なもので、月に一度の「あめの会」が、いまや なくてはならぬものになりつつあるようだ。ある母親はいう、次の会には何を、どういうふうに、ひと月のうちの何日かがそれでつぶれるのはいいとしても、や がて、見るもの聞くものが、なにか使えるような気がして、考え込んでしまったりする、と。病膏肓といってしまえばそれまでだが、ある視点を獲得しつつある ことは確かなようだ。子どもたちを相手にしているうちに、自分のところにはね返ってきた。教えることは学ぶこと。
長崎の朝はくらい。日の出が東京より一時間遅いからだ。出勤する労働者にビラをまくために、長船労組ではまだまっくらなうちから集合して準備をする。組合 員百三十八人。くばるビラ一万五千枚。
週一回、7時ごろからくばりはじめて、始業の8時におわる。十二、三ある門前に、組合員ほとんど全員が分担して立つ。労働者のうち五千人は大波止という岸 壁から社船とよばれる双胴船にのって、香焼、水の浦、立神、向島の工場にむかう。ここは人数が多いので、くばるのも三、四人がかりだ。船は大波止のほかに 戸町と松枝からもでている。水路が三カ所、あとは陸路だ。バスと徒歩とマイカー、歩いてくる労働者には各門前でどんどん手わたす。マイカーのほとんどは水 の浦にのりいれるので、そこでビラを車の中にほうりこむ。
組合員百三十八人の小組合が、一万五千という大量のビラを刷ってくばる。自分の組合員にくばるのがせいいっぱいなところが大部分なのに、長船労組では組合 員以外の労働者にもくばっているほうが圧倒的に多いのだ。下請もかなりいる。門を入ってくるときには、ダレがダレなのかわからないから、とにかく全員にく ばる。
月一回、給料日のあとにはカンパをあつめる。多い人で千円。全部で三万円ぐらいはあつまる。
こうして朝くばるのが「全員ビラ」だ。そのほかに昼、食堂でまくこともある。千〜千五百人はいる食堂がいくつかあるので、そこにくる労働者にくばる。この 「食堂用」は枚数がかなり少なくなるが、それでも四、五千枚は刷る。
ビラは対象が無差別だが、それとは別に、機関紙や月刊誌も出している。機関紙は「連帯を求めて孤立を恐れず」という週刊。通算五百号出ている。タイトルは そのままこの労組のスローガンでもある。これは対外的に発送する分をのぞけば、職場内の支持者に手わたしてきた。しかし時にはビラのようにつかうこともあ る。そして月刊誌の「さん」。また時に応じてパンフをつくったりもする。
壁新聞もある。毎週月曜と木曜に出す。模造紙に書いたものをコピーする。一枚は組合事務所の掲示板にはる。あとは、ベニヤ板をおりたためるように作った掲 示板にはりつけておく。それを昼休みになると同時に、食堂の入口にひろげて置くのだ。ひとつの食堂に少ないところで二カ所、多いところで三カ所入口がある から、その入口のひとつひとつに置けるよう、二十枚はつくっている。なにか事件があったときはもちろんだが、週二回は出す、ということにきめている。
ビラの大量生産、大量配布は、十年前に組合をつくったときからずっと続いている。ビラはいちばん手っとりばやく主張を伝えることができるから。
原稿を書くのは、主に教宣部長の久保田達郎さん。もちろんほかの人が書くこともある。それをふつうの白い西洋紙に、シンの太さ0.3ミリのシャープペンシ ルで書いたものが版下となる。製版はファックス、印刷はタイプ印刷用の輪転機を使っている。印刷室があって、印刷機が二台おいてある。三菱ではなくリコー の機械だ。一台百五十万円前後の高いもので、三年に一度買いかえなくてはならないから、印刷機購入金として組合費で積み立て貯金をしている。
ひとつのビラは一台の印刷機で刷る。インクの加減があるので、枚数の多いものと少ないもので印刷機を使いわけている。一万五千枚刷るのに三時間かかる。原 紙で一万五千枚刷るためには、最低八枚同じものを切らなくてはならない。そういう意味ではファックスもここでは戦力の一つといえそうだ。
紙はいちばん安いザラ紙を使っている。一枚70銭か80銭だが、それでも週一回一万五千枚刷ることをかんがえると、一ヵ月のビラ代はかなりの金額にのぼる だろう。
実際に作業をするのは二人。二人一組の班が四班あって、交代で作業にあたる。みんな印刷で食べていけるぐらいの技術を身につけてしまった。だから最近はト ラブルもない。問題になるのは、夏と冬とではインクののりがちがうとか、シャープペンシルで書いた字の濃さで、製版しにくいことがあるとか、そんなこと だ。
方針がきまれば、原稿書きから印刷まで、一日で完了する。春闘のときなどは、会社がおわってから、原稿を書き、製版し、印刷して、翌朝くばる。それがふつ うのペースになっている。
長船はむかしからビラが多いという。今も、第一組合(共産党・社会党系)も週一回ずつまいているし、第二組合(同盟系)も活版印刷のものをまいている。 「あたりまえの」第三組合はごらんの通りで、ビラ合戦のようなところがある。第二組合は機関紙は職場におろしてそこでくばっているが、ビラは門前でくば る。第三組合が門算でくばっているので、その力にひきずられてしまうのかもしれない。評判がいいのも三組のビラだ。いちばん読まれるのは、やはり春闘のと き。つかんだ情報を、二組が組合員に発表する前の段階でパッとながしてしまう。これは当然うける。
久保田さんはいう。
「ぼくらは推測の記事は書かない。かならず事実に基づいて書く。批判するときも、全部公文書を批判する。それに徹しているから、ぼくらのビラはウソは書か ん、おもしろいという評判はありますね。ストライキにしても、ストライキをやったあとに、やった、と書く。やったこと、やることしか書きません。そういう 意味でははったりではないから、第一組合とはちがいます。
朝ビラを毎日いれる組合はけっこうあるけれど、ふつうは二、三百枚で、部数もちがうし、内容をみておもうのは、労働者に対しては、職場の要求とか身近な問 題を投げかえしてやれば、うけるだろうというような意識はやはりまちがいだということです。自分たちのかんがえをぶつけるべきで、ぼくらは、スターリン主 義とはなにか、そんなビラをまいたこともある。不況になれば、不況の本質を解く。
やさしく書くということと、本質をうったえるということとはちがうんじゃないか。
今だったら韓国問題。こういうのは意外とよく読まれていますよ。韓国問題やって、ハンストやろうといってるところです。ビラでなにかを変革することはでき ない。運動があるからビラがいきいきするんですよ」
教会のしごとにとって、ラジオや新聞がはたす役割は、たいへん大きい。戒厳令による抑圧のもとで、DXBBやDXCDなどの放送局、「コミュニケーター」 などの新聞社が閉鎖されたことが、それらのメディアの力を証明している。ラジオや新聞が沈黙をしいられたのは、その影響範囲が、巨大な、大衆的規模のもの になっていたからである。
閉鎖。高価な機械の押収。政府顛覆や反乱の疑い。告発。いや、すぐに閉鎖するぞと脅かされるだけのことでも、マス・メディアにたよる伝道のしごとは、かん たんに後退させられてしまう。機構が大きければ大きいほど、脅迫、政府の圧力、軍隊による監視、その他、戒厳令下で生きのびるためにぶつからなければなら ない困難にたいする、弱味がます。専門的な力をもった人たち、資金の不足にも、なやまされざるをえない。
巨大メディアの弱味、くわうるに、ほとんどの教区がマス・コミ用の機械や人員を確保できないという事情もあって、教会は、マイクロ・メディアの可能性を組 織的にさぐりはじめた。この動きが生じたのは、一九七六年以降のことだ。
われわれがいうマイクロ・メディアとは、黒板新聞、ガリ版のパンフレット、劇、スライド、ポスター、マンガ、写真、歌、詩などの、自発的な小メディアをさ す。調査とか記録も、これにふくまれる。小型で、費用もそんなにかからない。また、かんたんに増刷したり、複写したりできる。グループの意欲、まなび・は たらくことへの熱意、そして、いくばくかの創造力や想像力があれば、すぐにはじめることができる。
第一の問題は、どこで、どのようにしてはじめるかだ。ガリ版印刷がただちに必要とされた。だれがその技術を身につけるか。MSPC書記局のメンバーと、各 教区にちらばった何人かで、訓練チームをつくった。たくさんの教区が、この訓練をうけた。いまもつづいている。
演劇の訓練もおこなわれた。初歩的な手ほどきから、最近では、PETA(フィリピン教育演劇連盟)の助けをかりて、訓練員自体の訓練まで(これについては 「水牛通信」1〜3号に、堀田正彦の報告がのっている)。たちまち、たくさんの演劇グループが生まれた。いくつかのグループは、演劇によるコミュニティづ くりの実験をやった。歌や詩も、そこから生まれてきた。
写真やスライドやマンガは、もともとは特殊な性質のメディアなので、高度な技術をもった人間が必要になる。だが、民衆がそれにかかわっていくにつれて、結 果がどんなにシロウトっぽくても、そんなことは大した問題ではないようになる。これらはセミナーや討論の場で、いきいきとつかいこなされる。スライドもい までは、ひろく礼拝や演劇にもちいられている。
われわれはマイクロ・メディアの領域に足を踏みいれ、民衆の智恵をまし、積極性をたかめる可能性をさぐってきた。ラジオや新聞などのマス・メディアがいら なくたった、というのではない。体制に構造的にくみこまれてしまうという限界にもかかわらず、創造的な伝道にむけて、マス・メディアを元気づける必要は、 まだ失われていない。そのことはわかっている。だが、われわれの使命を民衆とわかちもち、民衆がメディアの面でも自力更正を達成するという目標を手ばなす まいとすれば、われわれは、なおいっそう、マイクロ・メディアに力をそそがなければならないだろう。
巨大メディアが戒厳令によって制限をこうむる。それと同様、マイクロ・メディアも、おしつけがましい監視の眼、疑惑、そのしごとにたずさわる人たちの生命 にたいする脅迫などから、のがれることはできない。いくつかの教区のパンフレットが、発禁の脅迫にあった。歌をうたっただけで、ひとりの農夫が逮捕され た。ある黒板新聞は、軍隊にたいする非難をひろめたというので、銃弾によってとりのぞかれてしまった。
戒厳令による制限だけが、当面の問題なのではない。マイクロ・メディアの技術を身につけているにもかかわらず、かれらの力を生かすしくみが教区にないため に、まだしごとをはじめられずにいる人たちがいる。支持のすくなさも、せっかくはじめたしごとをつづけていく気分を、くじいてしまう。
正義と平和のためにはたらく方法をつくりだすべく、旧来のメディアにカツを入れること。同時に、すべての教区でマイクロ・メディアのより広範な必要性を強 調し、民衆の自発性をひきだし、すでにこの領域ではたらいている人たちの力をつよめること。
*
教区新聞や地方のガリ版印刷にかかわる人びとがあつまって、一九七六年、ミンダナオでひとつの会議がひらかれた。この会議の中心は、マイクロ・メディア、 とりわけニューズレターづくりのための民衆の訓練、というところにおかれた。すべてがこの会議からはじまった。
問題の性質上、おおくの民衆がこのあつまりに招かれるようになった。メンバーも、巨大メディアにかかわる指導的な人たちから、解放演劇、調査と記録、スラ イド製作などのマイクロ・メディアにかかわる、いっそう多様なグループにまで、ひろがっていた。これが一九七七年のことである。このあつまりは、みずから の任務を、訓練、あらたな自発性、人間的・物質的資源をわかちあうこと、伝道のためのさらに創造的な手段の探究といった、より具体的なことばで規定した。 同時に、政府によるコントロール、おしえる能力をもった人間や経済的基盤の欠如などの問題が、討論された。
この二度目の会議は、オザミスでひらかれた。上記のメディアにかかわる人たちにくわえて、このとき、あらゆるマイクロ・メディアの関係者がはじめて一同に 会した。あらためて、われわれのマイクロ・メディアの領域を確認しておこう。
○黒板新聞
○ガリ版によるニューズレター
○解放演劇
○調査と記録
○スライド
○写真
○マンガ
○ポスター
○詩とソング(『コミュニケーション』1980・1)
孔版はもちろん、凸版や凹版の原理は、概説書に眼をとおすだけで、ほぼのみこめる。どれも判コの概念を、さして大きくははみださない。だが平版となると、 実感として、どうもわかりにくい。
今日では平版といえば、そのほとんどがオフセット印刷を指すが、おおもとは、十八世紀の末にドイツで発明されたリトグラフィー(石版術)にある。これは、 ドイツのある地方に産する石版石という岩石の特性を利用した印刷方法である。ひらたく磨いた石版石に、まず、油性の墨で絵や文字を描く。そして、その上を 弱酸性の水溶液で拭くと、絵や文字のところ(画線部という)は強い親油性になり、そうでないところ(非画線部という)は親水性になる。この版を水でしめ し、そのあと、油性のインクをつける。すると、非画線部はすでに水でぬられているわけだから、インクがつかず、非画線部にだけインクがついて、印刷が可能 になるのである。
つまり、平版とは水と油の反発力を利用した印刷方法であり、凸版や凹版とちがって、インクがつく部分、(画線部)とつかない部分(非画線部)の高さは、ほ とんど変らない。物理的というより化学的。それで、なんとなくわかりにくいのだろう。
平版では、版画をいちど水でしめさなくてはならない。その水がインクにまじって、インクの色をうすめてしまうという欠点があった。では、どうすればいい か。二〇世紀のはじめになって、版からすぐ紙に印刷するのではなく、いったんゴムの胴(ブランケットと呼ぶ)に転写し、そこから紙に印刷すると、この欠点 が、かなり改善されることがわかった。この、いったんブランケットに転写して印刷する方法が、オフセット印刷である。
まず版下をつくる。文字やカットや図を台紙に貼りこんだもの。これが版下である。
この版下から版をつくる。製版である。版はもう石版である必要はない。アルミなどの金属、紙やフィルムに写真製版する。2000枚以上、30000枚ま で、しかも写真などをきれいに印刷したいときは、PS版という感光材をぬったアルミをつかうが、2000枚ぐらいまでなら、紙版でいい。
紙版の場合は、ゼロックスなどの電子コピー機とおなじ原理の、電子写真製版機をつかう。版の材料(マスターと呼ぶ)は、防水処理をした紙に酸化亜鉛をぬっ たもので、この酸化亜鉛は、帯電させると光をよく感じるようになる。そういう性質をもっている。
マスター・ペーパー(つまり酸化亜鉛をぬった紙)を製版機にセットする。ここにマイナス数千ボルトのコロナ放電をかけると、マスターの表面に、五百ボルト ほどの電価がのこる。
製版機の上部、ガラスの原稿台の上に版下を裏返しにおく。これに反射した光が、レンズをとおしてマスターに投映される。すると、白い部分(版下の非画線 部)からは電価が逃げさり、黒い部分(版下の画線部)にのみ電価がのこる。ここにプラスに帯電させた黒い粉末(トナーと呼ぶ)をふりかけると、電価がの こった部分にトナーがついて、現像される。ただし、ここまでのところは、製版機が自動的にやってくれる。
マスターを製版機からとりだす。マスターには、貼りこみによってできたカゲや、その他さまざまなヨゴレがついている。それらをていねいに、磁気ブラシ(棒 磁石に鉄粉を付着させたもの)などをつかって、とりのぞく。こうして修正したマスターを、ヒューザーと呼ぶ電熱式の定着器にとおす。黒いトナーが熱を吸収 して溶ける。定着される。
つぎがエッチングである。エッチ液という、リン酸やアラビア・ゴムを水でといた液で、定着のすんだマスター・ペーパーをしめす。画線部が親油性になり、非 画線部が親水性になって、平版ができあがる。これを印刷機にセットする。
軽オフセット。簡易オフとも小型オフともいう。ふつうのオフセットの工程をへらし、操作をやさしくしたもので、事務机の上におけるくらいの印刷機をつか う。謄写輪転機とおなじ程度の大きさである。インク・ローラーの数がすくないため、ベタや写真の印刷では精度がおちるという欠点がある。
定着をおえ、エッチ液でぬらしたマスター・ペーパーを、茶筒を大きくしたみたいな円筒状の版胴にまきつけ、セットする。この版胴がまわって、そこに、水 ローラーとインク・ローラーから、水とインキが供給される。まず、親油性の画線部が水をはじき、非画線部に水がのる。水のついていない画線部にインクがつ き、非画線部がインクをはじく。
版胴の下で、ゴムのブランケット銅がまわっている。二つの胴を接触させると、文字や絵は、いったんブランケット胴に印刷され、それがさらに紙に転写され る。いったんオフして、そしてセットする。すなわちオフセットである。
ブランケット胴の下では、アルミの圧胴がまわっている。ブランケット胴と圧胴のあいだを、つぎつぎに紙がとおりぬけていく。紙がとおりぬけると、圧胴があ がり、ブランケット胴に接触するしくみになっている。
以上、三つの胴がオフセット印刷の本体である。いったんブランケット胴に反転印刷されるプロセスがあるので、版面と最終的な印刷面とがおなじ向きになるの で、まちがいがすくなくてすむ。
あとの十本ほどのローラーは、インクを呼びだし、ねり、均等にし、水をおくりこむためのもの。大型の機械だと、このローラーの数がおおいので、いつでも、 均等にインクが供給されるというわけだ。版をとりかえず、手ぎわよくしごとをすすめれば、一時間で5000枚ぐらいは刷れる。
四谷三丁目の路地裏、暗いビルの三階に、「メディアプレス市民工房」がある。四畳半ほどの部屋に、製版や印刷、写植用の卓上機がつめこまれている。
ここに一週間に一度ずつ、三度かよった。「水牛通信」の第一号が、手もとに一部もなくなってしまったので、工房主の橋本さんの手ほどきをうけて、自分で刷 りまししておこうと考えたのである。
先生は昼間は別のしごとがあるので、工房は夜七時にならないと開かない。おまけに近所とのとりきめがあるらしく、印刷は十一時まで。したがって四時間ずつ 三回、合計十二時間たらずで、かけねなしのシロウトが、A5版三十二ページの雑誌を百部、増刷することができたわけだ。
第一日(全体の説明)
「いそぐときは、説明ぬきで、すぐしごとにはいるんです」と、先生はいう。でも、それでは途中で事故がおこっても、原因がわからず、対処のしようがない。 やはり、だいたいの機械のしくみぐらいは、頭にいれておいたほうがいい。説明のおおよそは、前項にまとめてある。わかりにくいところも、機械に実地にあた れば、すぐ呑みこめる。PS版の製版や刷版機を、ベニヤやリノリウムやゴム・ホースやボール紙で、先生が自分でつくってしまっているのには、びっくりし た。印刷機だって、もとをたどれば石版印刷、「木でつくれないことはないはずです」と、平然と豪快な冗談をおとばしになる。
第二日(製版)
お手もとの「水牛通信」をバラしてみればすぐわかるように、この雑誌は、一ページと三十二ページ、二ページと三十一ページというように、二ページずつ、十 六対のくみあわせによって、できている。これをワラ半紙大の適当な台紙に中心をあわせて貼れば、版下ができる。部数もすくなく、めんどうな写真などもない ので、紙版で刷ることにした。
製版機は卓上コピー機そっくりで、スイッチやボタンを押していると、版下原稿をうつしとったマスターペーパーが、機械から、自動的にすべりでてくる。ただ し、この段階ではまだ、トナー(黒い微粉末)が紙の上にのっかっているだけの状態なので、つよく息を吹きつけると飛んでしまう。
デスクに紙をしき、マスターをのせる。あんがいヨゴレが多い。ホッチキスをはずしたあとやページの折れめも、くろぐろと現像されてしまっている。これらの ヨゴレを、磁気ブラシで軽くはくようにして、とりのぞく。当然、こまかいところがむずかしい。筆のさきを水でしめらせたのをつかうこともある。ブラシのほ かに、ゴム製の油さしのような道具があって、ポコポコ押すと、ちいさな風がおこって、トナーを吹きとばす。
修正がすんだら、つぎは定着である。先生は、オーブン・トースターをひとまわり大きくしたような器機をとりだしてきて、床においた。スイッチを入れると、 まっかな赤外線ヒーターがつく。器機の片側からマスターをゆっくりとさしこむと、反対側からでてくる。そのあいだにトナーがとけ、定着されるのである。
紙のこげる臭いがして、うすい煙がたちのぼる。ヒーターをつよくしすぎると、黒ベタの部分などが燃えだすことがある。また、熱のために版がデコボコになっ たりするので、中くらいの熱さで、三、四回とおすことにしたほうがいい。
製版(とくに紙版)は、さしてむずかしくない。「何枚かやれば、すぐおぼえますよ」と先生はいったが、そのとおりだった。
第三日(印刷)
ここの印刷機は「トーコー・オフ」という卓上用の製品。ちいさいが、それでもかなりの数のレバーやダイヤルがついており、機械音痴の生徒は、ともすれば、 おびえの表情が走るのを押えかねている様子だった。
ごく少量のインクをステンレスの板にとって、乾燥材を3%ほど加えて、よくねる。謄写版のインクとちがって、相当にかたい。インクの量があまりにも少ない (カンのふたについたのをこそぎおとした程度)ので、「これっぽっちで、ホントに大丈夫なんですか」と、つい口にでてしまう。なんと、10グラムで 1000枚は刷れるのだそうだ。4500円の一缶が一キロ入りで、この工房ではまだ三缶しかつかっていない。
インクツボにインクを入れ、というより、ヘラでなすりつけ、レバーを操作しながら、インクをインクローラーから水ローラーにまわす。その下の水入れに、十 倍にうすめたエッチ液を入れ、しめし水とする。この印刷機はシンフロー方式というやつで、インクと水がいっしょに、版胴におくりこまれていくのだ。
反対側の給紙台に紙をおき、すぐすべりだせる高さに、ダイヤルで調節する。いちどに600枚の紙をセットできる。工房にA4大(つまりA5二ページ分)の 白い紙がなかったので、かなり派手な、ダイダイ色の紙をつかうことにした。赤い水牛だ。
ここまで準備したところで、先週、製版をおえたマスターペーパーをとりだし、床の新聞紙の上において、エッチ液をふくませた脱脂綿で、むらなく表面をしめ してやる。すぐに乾いてしまうので、手ばやくやる。そして手ばやく版胴にまきつける。ゆっくりと版胴をまわし、もういちどエッチ液でしめす。これでセット 完了。
いちどブランケット胴に、反転した版面をうつしとり、カウンターの目盛りを100のとろこに合わせて、スタート。100枚ぐらいはまたたく間である。問題 は、インク消費量が大きい黒ベタや写真の部分から、ローラーのインクが早くなくなっていくことで、インクツボの上にズラリとならんだツマミをこまめに調節 して、いつも、インクが均等に供給されるようにしておかなければならない。
このインク調節のように、たった一晩では呑みこみようのない技術もある。だが、それでも、おおよそのところは理解できたと思っている。たのしい勉強をさせ てもらい、予定どおり、百頭の赤い水牛が生まれた。
この印刷機は、正価で買えば90万円かかるが、50万から60万円くらいで、中古のものが手に入れられるそうだ。ディーラーもいるが、事務機屋で印刷器機 をあつかっているところにきいてみるのがいい。
今回、かかった費用は5800円。これには機械の使用量や授業料(?)もふくまれている。30部売れば、もとがとれる!
独占資本に反対するビラを作るのに、独占資本が作った紙に独占資本が作ったインクを使い、独占資本が作った印刷機で印刷するのはひどくアホらしい。敵の武 器をうばって敵と闘うのがゲリラ戦の初歩とはいえ、敵にもうけさせずに、それができた方が良いにきまっている。謄写版などのように、作り方が知られている 物は一応別にして、自作することでうんと安くなり、しかも、今、ほしい機械を実際に作ってみた。
写真製版用真空プリンター
オフセット印刷用の感光性アルミ版(PS版)やシルクスクリーン用の感光性フィルムは、感光性が非常に低いので、焼付けには、紫外線の多い、強力な光源が 必要だ。そのような光源の一つは太陽で、タダで使えるのが魅力だが、夜や、曇りの日は使えない。
印刷・製版屋が使う焼付光源には、カーボンアーク灯、キセノンアーク灯、超高圧水銀灯、ガリウムランプ等があるが、いずれも装置が大がかりで高価だ。割合 に安いものとして「ケミカルランプ」と呼ばれる蛍光灯があるので、これを使って焼付光源を作った。
図1のように、20ワットのものを約5センチ間隔で6〜8本ならべると、B4〜A3版用の光源になる。反射を良くするため白く塗った板を裏側に張り、管の 表面から2〜3センチの距離で、オフセット用PS版に1〜2分で焼付けできる。点灯回路は普通の20ワット蛍光灯用のものでよい。光源を長く見つめると、 目をいためるので気をつける。
版材とネガフィルムを密着させるには、丈夫な板の上に座ブトン用スポンジと版、フィルムを重ね、厚手のガラスで圧着してもよい。ただこれだと、フィルムの つぎはぎやホコリのために、密着不良でボケることもある。市販のプリンターでは、ガラスとゴム吸着板の間の空気を真空ポンプで抜いて、密着させている。 A3判用の、ケミカルランプ光源付きの真空プリンターが、三十万円位する。
市販のものと逆に、硬い吸着板に軟いフィルムをかけ、その間の空気を抜くようにしたら、割に簡単に作れた。吸着板には、手近にあった塩ビの板の廃材を使っ たが、アクリルやベークでもよい。必要な道具は、ハンドドリルとプラスチック切断用カッター。
版のサイズより一まわり大きなプラスチック板(厚み2ミリ以上であればよい)を用意し、プラスチックカッターで図3のような形にミゾを切り、空気の通路に する。ミゾの適当な部分に、裏面に貫通する小穴を数個あけ、その裏側に位置を合わせて吸込口(図4)を両面テープで貼りつける。それと真空ポンプとを真空 ホース(口径が合えばガス管でもよい)で接続し、版とフィルムを重ねて吸着板の上におき、カバーフィルムでおおってからポンプを回すと、カバーフィルムと 吸着板の間の空気が抜かれ、密着する。さらに上からローラーをかけると、短時間でよく密着する。真空ポンプは、排気量・毎分5リッター位の小さなものでよ く、三万円ほどだった。カバーフィルムには、製図や、製版の貼り込みベースに使う、ポリエステル(商品名・マイラー、ルミラー等)が具合よく、すぐ吸着す るが、ビニールフィルムでも使える。ただ、シワや凸凹があると空気が抜けて吸着しないので、まわりを物差しなどでおさえるとよい。
B4判製版カメラ
焼付け用のネガフィルムを版下原稿から撮影する製版カメラは、撮影倍率1倍前後で縮小・拡大ができ、B4判のフィルムに撮れるものがほしい。倍率を変える には、原稿とレンズ、レンズとフィルム面の距離を調節でき、撮影中は固定される必要がある。
原稿からレンズの中心(主点)までの距離をa、レンズの主点からフィルム面までの距離をb、レンズの焦点距離をf、撮影倍率をm、とおくと、次の関係が成 立する。
a=(1+1/m)f,b=(1+m)f
原寸撮影の時は、a、bがともにfの2倍、したがって、原稿からフィルム面までの距離は、焦点距離の4倍必要ということになる。
写真に示したカメラは最上部に原稿台が固定してあり、原稿を下向きに置いて上からおさえる。箱の中の四スミに80ワットの普通電球があり、120ボルトに 電圧を上げて、原稿を五千ルックスに照明している。その下のレンズ架とフィルム吸着面を上下に移動して、倍率とピントを合わせ、固定できるよう、X断面の アルミ材をレールに使った。焦点距離210ミリのレンズで57%から175%、150ミリのレンズで27%から110%の倍率が得られ、原寸の時、レンズ の絞をF16にして、約10秒間のランプ点灯で、リスフィルムに撮影できる。原稿、レンズ取付面、フィルム面が平行でないと、片ボケや像のユガミが出る。 ボケの大きさを0.1ミリまで許すことにすると、原寸のピント誤差は、F16の絞で3.2ミリまで許せるから、曲尺で楽に計れる精度だ。固定倍率のカメラ なら、もっと簡単に作れる。
漢字入りの文字をくむ方法は、手書きのほかに、活版、写真植字(写植)、和文タイプの三つがある。
活版と和文タイプでは、活字の大きさをあらわすのに、「号」と「ポイント」という二つの単位が併用されている。「号」は日本独特のもので、いちばん大きい 初号(15ミリ角)から八号まで、九種類の大きさがある。初号の半分の大きさのものが二号、その半分が五号、さらにその半分が七号。ほかに一号→四号、三 号→六号→八号という倍数関係の系列があって、じつにわかりにくい。
「ポイント」はアメリカ式。1ポイントの0.3514ミリを単位に、ポイント数におうじて、活字が大きくなる。ふつうの小説本は9ポ、文庫本は8ポ活字で くまれている。和文タイプは9ポや五号がおおい。
文字と文字との間隔は、タイプでは歯車による機械的な送りによってきまるので、活字をくんだ場合のものとは、かならずしも一致しない。和文タイプの歯送り は、9ポ活字の大きさの四分の一か八分の一が最小単位になるが、メーカーによって、あるいはタテぐみかヨコぐみかによって、すこしちがう。
写植は別項にゆずるが、この単位は「級」。1級が0.25ミリ(四分の一ミリ)で、きわめて単純明快である。級数を4でわれば、文字の大きさがでる。歯送 りも1歯が1級だから、わかりやすい。本文専用の小型写植機では、50級ないし56級まで。
写植とちがって、活版や和文タイプでは、収納スペースにかぎりがあるために、書体の種類がすくない。タイプはもちろん、明朝体とゴシック体と、二種類の活 字しかもっていない印刷屋もおおい。ただし、おなじ明朝体といっても、小さい活字では、本文用として読みやすい細目の書体、大きい活字では、見だし用とし て力づよい太目の書体になっている。
とくに和文タイプの場合、四号以上の文字は打てないので、見だしには、写植か手描き文字をつかう。新聞などの文字を切り貼りしてもいいだろう。欧文なら、 画材屋で売っている「インスタント・レタリング」をつかう手もある。紙にあててつよくこすると、薄いフィルムに印刷された文字が、紙に転写される。アル ファベットや数字のほかに、かなもじ、飾りケイ、地紋などもあって、たいへん便利である。
余談ながら――
鉛の活字には毒性がある。だが、組みあげたあとの移動やさしかえが比較的らくなこともあって、なかなかすてがたい。毒性があるのは活字だけではない。写真 製版のさいの感光物質として、長いあいだ、六価クロム化合物がつかわれてきた。現在のPS版はジアゾ化合物をつかっていて、毒性は少ない。ただし、PS版 がつかわれるようになったのは、クロム公害を解消させるためではなく、たんに保存がよくきくからである。
凸版用の新しい感光剤であるポリケイ皮酸ビニルも、写真製版のリスフィルムに添加されているカドミウムも、さまざまな現像液も印刷インキも、すべて毒性が ある。製紙工場は大量の廃液をたれながしている。
このように、印刷のすべての工程が公害と無縁ではないのだから、すくない資材を効果的につかう工夫が、どうしても必要になる。「情報化社会」のかけ声にお どらされて、大量の資源がムダな情報に浪費されている現実を、追求しなくてはなるまい。
さて、古今東西、紙のサイズにはさまざまなサイズがあるが、今日、この国にでまわっている印刷物や印刷用紙は、「A列」と「B列」、二系列のJIS規格に よるものが、ほとんどである。この二系列からえらぶのが容易だし、やすくあがる。
この規格はメートル法にもとずく。A列もB列も、タテとヨコの比率が、1対ルート2(1.4142……)になっている。これは長辺を半分に切った紙のサイ ズが、もとの紙と、ぴったりおなじかたち(相似形)になる比率である。そしてその面積が、A0判が1平方メートル、B0判が、1・5平方メートルとなるよ うに設定されている。
モノサシをあててみれば、すぐわかるように、「水牛通信」の大きさはA列の5番、つまりA5判である。おなじ大きさの雑誌や単行本もおおく、もっとも標準 的なサイズのひとつである。一般の週刊誌はB5判。
印刷用紙には、しばしば、A1判、B1判より大きな菊判、四六判などがもちいられるが、これは製本での断ちおとし分を見こんであるためだ。四六判のタテ・ ヨコをそれぞれ三等分したもの(四六判九裁)が、B4判代用の印刷用紙として売られている。(大型の個人全集などがよく菊判をつかう。小説本では四六判を つかうのがふつうである)。
新聞のサイズはこのJIS規格とは別で、朝毎読などの日刊紙は「ブランケット判」とよばれ、その半分のものを「タブロイド判」とよぶ。日刊ゲンダイや夕刊 フジなど。これらの日刊紙は、高速輪転機で印刷・裁断がおこなわれるので、寸法は正確でないが、ブランケット判で16×21.5インチ(406×546ミ リ)、タブロイド判で273×406ミリとかんがえられる。
「水牛通信」の前身である「水牛」新聞はタブロイド判。本文にも、新聞専用のやや平たい一倍活字をつかった。新聞活字をそろえている印刷屋はすくない。毎 号、たいへんな手間暇がかかり、おまけに高くついた。こりすぎのむくいだ。その反省の結果が、現在の「水牛通信」である。
また、「メディアプレス市民工房」の母胎ともいうべき「週刊ピーナッツ」は、B4判(正確には四六判九裁)をつかっていた。第一次「ピーナッツ」は 260×390ミリで、四六判の紙をギリギリに大きくつかった。
もし新聞形式をえらぶとすれば、大きさはやはりB4判以上ということになるだろう。雑誌やパンフレットだと、A4判(「アサヒグラフ」など)以下というこ とになる。また印刷手段によっても、サイズが限定される。手刷りや軽オフでは、B4判以下、あるいはその半分のB5判以下となる。
「水牛」を今の雑誌のかたちにしたのは、財政と手間のことをかんがえたからでもあった。一部二百円で売る。収入はそれだけだ。なるべく安くつくって長続き させたい。写植は軽気球舎、印刷はトライプリントショップと、仲間のプロにたのむことにしたので、そのための時間は比較的たっぷりととった。割付けにこっ て時間をかけてはいられない。
編集会議では、だいたいの内容とページ数をきめ、原稿はそれにそって書かれるから、予定のページ数より大幅にふえたりへったりすることはまずない。
本文を読みやすくする工夫は、活字のサイズと行間・字詰めなどの構成にかかってくる。「水牛」には2段組のページと3段組のページがあり、2段組は30字 詰24行、12級平1明朝、行間19歯、段間3字、3段組は20字詰25行、11級正体明朝、行間18歯、段間2字ときまっている。3段組は一ページ 1500字、2段組は1440字入る。この二つの組版方式で字の部分に実際に□を印字した割付用紙を、まずはじめにつくってあるので、それに本文の行数や タイトルの行数、写真の位置などを赤鉛筆で指定する。
原稿には、改行の場所、句読点、促音、「」()などの記号を赤で指定し、また字詰めの区切りにも赤か青をいれておく。この行区切りにはいくつかのきまりが ある。
*句読点(、と。)や)」〉”など、とじるカッコ類は行のはじめにおかない。
*(「〈“などひらくカッコ類は行のおわりにはおかない。
これらを避けるためには、
*行のはじめにきてしまう、と。は、前の行の下につける。つまり本来の字詰めより1字はみだすことになる。
*句読点のうち、あってもなくても意味のかわらないものをとるか、つけ加える。
*同じ行に句読点やカッコ類が二つあれば、両方を半分ずつつめる。
*写植では、画数のすくない字の間をつめて1字分多くいれてしまうこともできる。
これらの指定は原稿の段階できちんとしておくべきだ。写植の訂正は、印画紙を切って貼るわけだから、小さな記号を半分ずつつめたりするのはとてもやっかい だし、はじめからきちんと打ってあるものより、きれいに訂正できるわけはない。
正確な割付けには正確な行数が必要で、そのためには、本文と同じ字詰めで原稿を書くのがてっとりばやい。「水牛」は20字詰めと30字詰めだから、20字 詰めと15字詰め(新聞用)の原稿用紙を使っている。書きこみ、書きなおし、入れかえなどの多い読みにくい原稿は、できるだけ書きなおしたほうがいい。
行数がすくないときには、調節しないで余白を残す。しかし多すぎるときには、そのままにできないから、タイトルのスペースをせまくしたり、改行の部分を追 いこんだりして調節しなければならない。タイトルの字のサイズは、長さとスペースによって、写植用スケールを実際に割付け用紙においてみてきめる。ほとん ど32級か38級太明朝体。著者名があるときは、タイトルより二回り小さくする。
写植は紙焼きしたものを、拡大したり縮小したり、余分な部分をトリミングする。原寸でそのまま使えることは、あまりない。写真をよごさないよう全体にト レーシングペーパーをかけ、天(上)の部分を折って写真のウラにとめる。このトレーシングペーパーの上に赤か青の鉛筆で指定する。写真はモノクロームを使 うから、黒い鉛筆では指定が見にくい。写真の使いたい部分を線でかこみ、それに対角線を引く。「水牛」の場合、ひとつの段いっぱいにいれるから、2段組の ときは天地(タテ)82ミリ、3段組のときは天地55ミリと指定する。対角線を使えばなりゆきで左右(ヨコ)の寸法がでるから、割付用紙にはそのスペース を書きこんでおけばよい。
カットも同じ要領だ。7号の「バナナ食民地」のように、あらかじめスペースのわかっているものは、それを拡大したサイズにかけば、体裁よくおさまることに なるわけだ。
カットと関連して、楽譜のことをすこし書いておこう。これは3段組を使った割付けで、一段目にタイトル、二段目に楽譜、三段目に歌詞という体裁をとってい る。タイトルと歌の説明をかんたんに横組にできるのは写植ならではのことだ。楽譜はもとの原稿を50パーセント縮小している。小さくして、読みづらくなる ことのないように、五線の間、つまり歌詞を書く部分のひろい五線紙を使う。音符が手がきのときには、歌詞も手がきのほうがバランスがとれて見やすい。この 程度のサイズだと、原寸でかくこともできるだろうが、大きくかいたものを縮小したもののほうが、見やすいだろう。
「水牛」の表紙は目次もかねている。目次の部分は、ゴシックをのぞいてはすべて20級の同じサイズにしている。これは掲載する記事に軽重をつけないという かんがえからしていることで、その意味では記事の順序も、特集としてまとまったものを巻頭にもってくることがあるくらいで、あまり重視していない。表紙は 本の顔であり、人に見せるためのものだが「水牛」の表紙はスッキリしすぎていて主張がみえてこないという批判があった。7号からは特集のタイトルをつけ、 「人はたがやす 水牛はたがやす 稲は音もなく育つ」と、スローガンもいれている。それでもまだわかりにくいという声はある。やれやれ。
集会へ持っていき、さまざまな出版物とおなじ机の上にならべて売ってみると「水牛」のもつ特質がよくみえる。最近は運動体の出す出版物も視覚にうったえる ものが多い。表紙の色もさまざまなら、多色刷りのものもめずらしくなくなった。本文用紙と同じ紙にセピア色の文字がならんでいるだけの、「水牛」の顔は、 置いておくだけでは人の目にさえはいらない。
台の上に置いて人がくるのを待っている売りかたではダメだ。表紙が語りかけていない分は、それをつくった人、売ろうとする人が、説明しながら手わたしてい くほかないだろう。毎月出るこの「水牛」を5部から30部売っている人たちが文字通り北海道から沖縄までまたがって五十人いる。この人たちこそ「水牛」の ほんとうの顔、生きた表紙なのだ。
文字は人の手によって書かれたものです。ところが、その文字にもヒエラルキーがあり、手書き、ガリ刷り、タイプ、写植と「高級」になってくる。この「高級 さ」は、たぶん、見た目にどれだけより一般的か、発行部数が多く見えるかということでしょう。(たしかに、印刷のための経費もこの順序で高くなってくるけ れど)。しかも、上にいけばいくほど、普通の人には縁遠く、詳しいことはわからなくなって、ますます「高級」になってくる。気がついたときには、ほとんど の印刷物は大資本家が握っていた、ということにならなければいいのだけれど。
そのヒエラルキーの、いまのところ、一番上にある写植。現在、私たちが目にする印刷物の大半はこの方式で活字が組まれています。新聞、テレビ画面の文字、 チラシ等、「水牛」も、写真植字によって活字を組み、オフセットで作られています。写真植字といってもなんのことか、わからない人が多いと思うけれど、原 理は簡単、要するにデザイナーの書いた文字を一つ一つ黒いガラス板に書き、それに下から光をあて、フィルムに文字の写真をとっていくものです。
この方法だと、タイプに比べ、書いた文字(もちろん既製品だけれど)がそのまま写されるので、文字の角もはっきりとでるし、いろいろな書体を使うこともで きます。以下よく使われる書体をあげておきますので、パンフレットやビラを作るときに参考にしてください。
特太明朝体 特太ゴシック体 Dナール 中ゴシック
写植では文字板の大きさは決っていて、これをレンズによって、拡大したり、縮小したりして、いろいろな大きさの文字を作ります。この場合、文字の大きさは 級数によって表わされます。1級とは0.25ミリのことで、4級が1ミリ、20級の文字とは天地左右が5ミリのことです。「水牛」の三段組の部分は11Q の中明朝体。パンフレットを作る場合、大きな文房具屋で、写真植字割付用フィルムというのを買ってくると、文字の大きさが四角のマス目で表わされているか ら、それによって、一頁にどのくらいの大きさの文字が、何字入るかを調べて、一頁の原稿の量、見出しの大きさ等を決めます。また、行間は歯数で表わされ、 1歯=0.25ミリ、20歯=20級=5ミリとなります。行の間は文字の半分から四分の一くらいあけるのが読みやすいでしょう。この頁の行間は18歯、原 稿を写植屋さんに持っていく場合、これらのことを、あらかじめやっておくと、喜ばれるし、なによりも安くなります。
写植により可能な文字の大きさは、7級から100級までで、それでどんな大きさでもというわけではなく、7・9・10・11・12・13・14・15・ 16・18・20・24・28・32・38・44・50・56・62・70・80・90・100級と決まっています。
ただし、写植には、レンズを変えることで、平体・長体・斜体という文字を作ることができます。平体は文字を上下に、長体は左右に縮小させるもので、平体一 番とは、上下に一割、文字をつぶすもので、四番まで可能。「水牛」の二段組みのところは12Q平体1番、行間19歯です。これは写植の方式の特徴であっ て、小さな誌面にたくさんの字を入れることができます。うまく活用して下さい。斜体とは、字をななめに変形させるものですが、本文にはあまり使いません。 これには右上りと左上りがあります。
前に説明したように、写植とは文字の写真を撮るものですから、現像してできてきたものは、印画紙の上に文章が表われたものです。その文字の部分だけを切り 取って、厚い紙(印刷する大きさの紙)に貼って、必要に応じて、線を引いたり、イラストを入れたりして、版下とし、それを印刷屋さんにわたします。版下と は、印刷してできてくるものと同じように、活字を貼りこんだ、まあ、印刷物の原版のようなものです。
写植の場合、活版印刷とは違って版下ができた後で文章を入れ変えたり、つけ加えたりするのが、やっかいですから、写植屋さんに原稿を渡す場合、後で文章や 割付の変更がないように、気をつけてください。特に写植の文字というのは、手書きの場合よりも大きい感じになります。原稿を作る時、見出しなど、手で書い た通りの大きさで、指定すると、全体に字がつまりすぎているように見えます。慣れないうちは、やや小さめに指定し、余白を十分にとったほうが、読みやすく なるでしょう。割付のことでわからないことがあれば、直接、写植屋さんに行って相談しながら、刷り上りの形を決めていくのがいいでしょう。ただし、この値 段というのは、きちんと定まっているわけではなく、業者間で慣例的に相場が決められていますので、突然、まったく知らないところに行くと、かなりの金額を 取られることがあります。誰かに紹介してもらって見つけるのがいいでしょう。値段は原稿の難かしさ、書体がどれだけ使われているか等によっても違います が、「水牛」のような文章を中心としたパンフレットの場合、一文字いくらで計算され、相場はだいたい一文字2円くらいのようです。
日本の企業は、韓国に写真植字機を輸出して、安い労働力によって、文庫本の活字を組んだりしています。みなさんが読んでいる文章のいくつかのものは、日本 人以外のアジア人が安く作らされたものです。印刷技術も資本家の手に握られ、単なる利潤追求の道具となったとき、植民地主義の構図の一部に組み込まれてし まいます。それを、われわれのものとして取り返し、われわれの文化を作るための武器とするには、それがどんなふうに使われているか、常に気を配っておく必 要があるでしょう。それを自らの武器として、有効に使うためには、基本的な知識を持っていることが必要です。
印刷の全工程を自分で行えるようにするのが理想ではあるが、現実には孔版以外では困難なため、工程の一部又は大部分を、業者に依頼せざるを得ないことが多 い。発注のための細かい知識については、そのための手引き書が多数刊行されているし、業者に直接聞かないとわからない部分もある。ここでは、運動の立場か らの業者とのつき合い方、業者活用法といった面からまとめてみたい。
どの業者にたのむか
普通、印刷を引き受ける業者というと、印刷屋=印刷機を持った業者=と考えがちだが、実態は必ずしもそうではない。印刷業務を工程順にならべると、企画・ デザイン業、植字業(活字、写植、タイプ等)、版下業、製版業、印刷業、製本業などになる。これらの業務の大半を自社内にそなえる、大日本や凸版印刷のよ うな、総合印刷業者もあるが、私たちがつき合う機会の多い中小業者の多くは、これらのうちの一つだけ、又は二〜三の部門のみを持った、専門業者である。
専門業者にも、自社でできる工程だけを引き受ける、下請専門業者と、全工程を受注し、自社でできない工程は、外注でやってくれる業者がある。また、どの工 程も自分では持たずに、全部を外注でこなす、いわゆる「ブローカー」業者もある。
活版印刷業者は、たいてい自社で活字を組むが、オフセット印刷業者に印刷物を発注した場合、写植、タイプ、版下などは、下請業者に回されるケースが多い。 この場合、原稿がきれいで、割付けや指定が完全ならば問題は少ないのだが、初心者にとって、それは困難なことが多く、連絡不充分によるミスやトラブルを起 こしやすい。
文章を主体とする印刷では、写植やタイプが表現上のカナメだから、印刷屋を通して原稿を渡すだけでなく、できれば、その下請業者に直接合って、打合せとそ の後の連絡を密にしておきたい。一方、写植やタイプの業者に、印刷の外注まで依頼した場合、下請けの印刷所が技術的に信頼のおける業者ならば、問題は少な いといえる。また、千部以下の少量印刷では、印刷代よりも植字代が高くなる場合が多いので、植字業者と仲良くすることが特に大切になる。
植字ができ上がったら校正をするが、校正は特に重視しなければならない。いかにウデの良い業者でも、校正だけは「信頼」して「任せ」たりしてはならない。 印刷屋は、印刷機械操作の専門家ではあっても、表現技術でも専門家だとは限らない。まして、運動の「専門家」などであろうはずもなく、「普通の人」にすぎ ない。最近も「全斗煥」と原稿にあるのを、写植屋が気をきかして「全闘煥」と印字してきた例がある。
発注前の確認事項
印刷を発注する前に、どの程度のものが製作可能なのかを確認しておく必要がある。印刷所には、まず用紙の寸法と印刷面の寸法を確かめる。B4判の卓上型オ フセット機の場合だと、用紙はB4より大きいものが使えるが、印刷できる部分はB4より小さいのが普通だ。最大サイズの他に、最小サイズも聞いておくと、 ハガキ等の印刷の時役に立つ。そして、ベタや写真がどの程度まで刷れるか、使用できる紙の種類と厚さ、版の耐刷力、刷り位置の精度(業者は「見当」と呼 ぶ)等も、必要に応じて確かめる。写植、タイプ屋には、手持ちの書体、大きさ(級数あるいは号数・ポイント数)を聞く。写植は書体の種類が多いので、書体 見本帳を分けてもらい、手持ちの書体に印を付けておく。
これらの制作能力を確認した上で、印刷物の企画、レイアウトをする。この、企画まで業者にまかせるなどという、はずかしいことだけは、やめよう。内容が充 分にかたまったら、業者に価格の見積りをしてもらう。
見積りは、作業の全工程を詳細に見当し、合算するので、依頼してから計算が出るまでには、若干時間がかかる。なお、正式の見積書を取ると、契約書の一種と みなされて税金(印紙税)がかかるので注意する。
自分でできることを見つけよう
軽印刷業者の中には、タイプ、謄写・軽オフを中心として、写植、製版、製本の設備をそなえ、簡単な印刷物なら、全工程を自社内で済ませられる所もある。こ のような業者は大変に「便利」であるが、便利すぎて、工程のしくみが外からわかりにくい。逆に、各工程をそれぞれの専門業者に依頼して回るのは、めんどう ではあるが、しくみが良くわかるし、値段も、中間マージン(搾取)がないため、かなり安く上る可能性がある。
全工程を社内でできる業者を利用する場合でも、できれば、写植やタイプが打ち上がったら、それを受取って、自分で版下を作ってみよう。その場合、あらかじ め「版下は自分で作りたい」というとともに、版下作成に必要な注意事項を、よく聞いておく。
自分で版下を作るのは、安上がりのためもあるが、むしろ表現技術獲得のために必要なことだ。版下づくりが雑だと、後の工程でかえって高くついてしまうこと もあるが、くじけてはいけない。またレイアウトでも、版下作業でも「自分でやる」ことにばかり、あまりこだわりすぎず、時にはプロにやらせてみるといい。 プロの仕事を見るのは大変勉強になるが、自分でやったことがないと、理解しにくいことが多いものだ。それは印刷そのものにおいても同じことが言える。プロ の仕事をよく見、よく質問し、技術を盗もう。
印刷を知らない印刷屋が増えている
一口に印刷と言っても、関連する業務の範囲は広く、各分野の専門化が一段と進んでいる。最近はさらに、印刷需要の増大にともなって、メーカーや商社が供給 するブラックボックス的な製版機や印刷機をそなえ、短期間の講習を受けて営業を始める、メーカー丸がかえ的、一夜漬け的な印刷業者が増えている。自分の専 門だけはくわしいが、それ以外はわからないという傾向は以前からもあったが、近ごろは、自分の仕事にさえも、あまり高度の理解を必要としなくなりつつあ る。
そのような業界の傾向が多くの問題をふくんでいるのは言うまでもないが、良い点が全くないわけではない。それは、そのような業者の多くは、版下を自分で 作ってくる客は大歓迎だ、ということである。技術的な自尊心の強い業者は、時にシロウトの版下にいやな顔をすることがある。それにくらべ、気楽に利用する ことができる。その代り版下の出来が悪いために印刷の出来が悪くなっても、大したアドバイスは期待できないから、発注者はますます勉強が必要だ。最後に、 業者をどうやってさがすか? それは自分で考えなさい。
最近のテレビのクイズ番組で出場者が一番ほしがる賞品は何だか知っていますか。海外旅行なのです。二番目は、ビデオ・カセット。高度経済成長の“おかげ” で、低成長時代に入ったといわれる現在でも、いたるところに物があふれている。なんと物質的に豊かなことか。
この「豊かさ」の異常さに疑問を抱く人は決して少なくない。しかし、一度手に入れたものを失うことにでもなったらと、不安を持つ人の方がより多い。こうし た人びとは保身的になり、「豊かさ」に疑問を持つことを停止し、「豊かさ」の中に安住する。中流意識を持つ人が国民の大半をしめるという現象は、このこと を端的に示している。
物があふれるようになって、人びとの意識も大きく変わった。いつも使っていて、スイッチの入れ方だけは知っているが、その仕組みがわからず、故障すれば、 ポイッと捨ててしまわれる物が実に多くなっている。さまざまに技術が“進歩”し、仕組みそのものがわかりにくくなっているのも確かだが、むしろ、仕組みを わかろうと興味をもったり、努力したりする人が、きわめて少なくなったということだろう。現状に対し、疑問を抱いたり、ものごとの仕組みを知ろうとする人 びとが少なくなることは、権力にとっては、人びとの分断と管理がやりやすくなることだ。
集会やデモの会場では、おびただしい量のビラが配られ、さまざまな運動のパンフレット、機関紙誌が売られる。それらのほとんどが、今ではオフセット印刷の 物だ。ガリ版刷りやファックス印刷、孔版印刷のものは、ほとんど見かけなくなった。どれもがきれいで、読みやすくなった。しかし、それによって、ガリ版な どのときより、ビラなどの訴える力がまし、読み手に感動をより強く与えるようになったといえるだろうか。
運動の印刷物からガリ版刷りが消え、ほとんどのものがオフセット印刷になっていったのは、七三、七四年ごろではなかったかと思う。七三年といえば、石油 ショックの年で、高度経済成長の終わりともなった年だ。しかし、物の豊かさは変わらず、むしろますます豊かになっていったときでもある。運動には金はな かったが、世の中の豊かさのおこぼれは、いや応なく入ってきた。人びとの意識も変わり、ガリ版刷りのビラなどの受けとりが悪くなっていった。
作る方にとっても、できあがりが格段にきれいで、多量部数刷れるオフ印刷は手ばなせなくなった。しかし、軽オフ印刷機は現在でも、それほど安いものではな い。それまでのガリ版のように、どの運動体もが持てるものではなく、当然のこと、印刷の工程は印刷屋まかせになった。それまで全工程を自分たちの目で見、 行っていたものが、あるところからプツンと切れ、再び目にするのはできあがってきたものという状態になった。
これは、運動にとっては、大変に大きな問題のはずであった。だが、繁栄の中の運動で、それに気づく人は少なかった。きれいさと量の関係でオフ印刷が選択さ れ、量は、運動の波が引くにしたがい、問題ではなくなり、きれいさのみが残ったが、比較するものがほとんどなくなった現在では、ただ使いなれた手法として オフ印刷が使われているにすぎない。運動も「豊かさ」の中にのみこまれていってしまった。
はじめは、必要性から選択されたオフ印刷だったが、無自覚に採り入れたため、それからの人は、印刷の全工程を知らないことに何ら疑問を持たなくなった。そ ればかりか、それまで自分たちの持っていたものすら失なっても気がつかなくなってしまった。運動の中に人まかせの部分が多くなり、そのことに疑問を持たな い人がふえることは、それだけ運動が脆弱になっていくことだ。
現在の「豊かさ」をもたらした高度経済成長。この高度経済成長を可能にしたのは、「国家の論理」と技術革新だった。「国家の論理」のもとに矛盾はおしつぶ され、技術革新のもとに科学の発展は豊かさと幸福をもたらすという神話がつくられた。人びとは、技術優先、実務の重視、思想の軽視という風潮におしまくら れ、権力に分断されていった。その結果が今日の状況だ。ありあまる物資があっても、文化はますますまずしくなっていっている。
権力が人民におしつけ、矛盾をおしつぶす「国家の論理」。運動は、この「国家の論理」に異を唱え、「人民の論理」をつくり出そうとしているものだ。運動を すすめる上で、柱となるのは、思想と実務だ。権力は技術・実務重視、思想の軽視を人民におしつける。権力のやりかたに異を唱える運動では、逆に思想に重点 が置かれ、実務は軽視されがちになる。
運動における思想の担い手は、年長者あるいは、強い意見の述べられる人であることが多い。これらの人びとには、思想を行動に結びつけて考えはするが、実務 に従事するまでに及ぶ人は少ない。一方、実務の担い手は、若い人びと、人の意見の聞き役にまわる人であることが多い。これらの人びとには、まだよく分から ないとの理由で、思想、行動の方法を人まかせにし、実務に埋没する傾向が強い。その結果、逆の強者の論理である古くて新しい問題の官僚主義を生み、技術主 義への転落がおきる。
思想のない運動の行動と実務は、意味を持たない。同時に、行動と実務を伴なわない思想のみの運動は、悲劇を生む。思想と実務という運動の二つの柱が同等の ものになるには、まだ時間がかかる。しかし、この二つの柱が同等にならないかぎり、権力の「国家の論理」に対置する「人民の論理」は、本物のものにならな い。
思想の担い手、実務の担い手の区分けがなくなり、新しく運動に加わる人びとの間に広がっていくには、いくつもの実践で解決するしかない。
その実践の方法の一つとして編集・印刷がある。編集・印刷は運動の中で、思想と実務をつなぐ格好の位置にある。編集は、運動の思想と行動を伝えるビラ、パ ンフレット、機関紙の内容を考え、原稿を書く過程に加え、割り付けなどの実務を伴う。印刷は、刷る実務に加え、運動のほかの日常実務のあり方、運動内部と 外部の関係を考える契機を伴う。思想主の編集と実務主の印刷。この二つを切りはなすことなく、同等のものととらえ、可能なかぎり運動にかかわる人びとが実 践していく。そこから、「豊かさ」の中で、運動までもが失ないつつある現状への疑問の呈示力、批判の精神がとりもどせる。このとりもどしの過程で、ビラ、 パンフレット、機関紙といった運動のメディアは活性をおび、創意と工夫が生まれる。運動の広がりは、そこからはじまる。
権力が人民におしつけてくるさまざまなプラン。このプランへの「反」の運動から、「人民の論理」にもとずく独自のプランを考え、提出しなければ、どうしよ うもない日本の状況になってきている。しかし、それは、一歩からはじめるしかない。
編集や印刷についてよく知り、自分たちの印刷物は、可能なかぎり自分たちの手で印刷せよ、という主張。この主張のめざすところは、実に欲が深い。技術を自 らのものに取りかえす。もちろんこのことも目的の一つではある。しかし、それはほんの出発点にすぎない。技術主義に陥らず、官僚主義を排し、全体を見、考 え、実務を軽視しない。そして、人びとの同等性を重じ、人民の論理をつくり出し、実行にまで持っていく。
欲ばった望みだが、ここからはじめたい。
編集後記
この号をつくるための印刷技術実習をかねて「水牛通信」1号の復刻版をつくりました。オレンジ色の紙で、手づくりの実感あふれるもの。百部あります。申込 をどうぞ。
十月十一日(土)名古屋で「コンサートこの時この唄」と題して戸島美喜夫作曲のひとりうた語り「絵とき唄ときバナナ食民地」の公演があります。演奏は水牛 楽団。内容は、7号でおなじみの絵を歌でときあかすものです。名古屋市民会館中ホール、六時半開演。バナナはなぜ安いのか? 知りたい人はいってみよう。
「水牛」の企画が、運動の当面の課題と一致していないという批判があります。しかしこれは週刊誌ではない。金大中裁判があればそれだけを追いかけ、光州さ えもわすれがちになるような日本の運動の展望のみじかさにあわせるよりは、韓国の学生たちのように十年の展望をもってすすみたいと思います。
三里塚でも、青年行動隊が田の改良に自力でとりくもうとしています。土をそだてるのとおなじ、いきのながさなしには、人民の文化もつくれないでしょう。