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羊は草、魚は水――山元清多のつもンゴる話
詩三篇
野うさぎと死 ウィネバゴ説話
私たちだけ アリス・ウォーカー
リズの胸に輝くダイヤモンド アリス・ウォーカー
キリコのコリクツ 玖保キリコ
おたより ひらのさくら
うごく日本語 志沢小夜子
水牛かたより情報
料理がすべて 田川律
「カフカ」ノート 高橋悠治
走る・その八 デイヴィッド・グッドマン
編集後記
羊は草、魚は水――山元清多のつもンゴる話
九月三日の夜、新宿文化会館でブレヒトのソングをきく会があった。林光、斉藤晴彦、稲葉良子、萩京子さんの出演。今年はブレヒトが死んで三 十年目にあたるそうだ。ちなみにロルカが殺されてから五十年目――そこで加藤直作詞・林光作曲の「ロルカさんとブレヒトさん」という歌を、林さんと斉藤さ んが歌った。
コンサートのあと、つめたくなったおでんをつつきながら、三日まえモンゴルから戻ったばかりの「ゲンさん」こと山元清多さんの話をきく。聞き手は平野甲賀 と田川律。リツさんも昨日までタイにいっていた。途中から佐藤信と津野海太郎が話にくわわる。「で、ゲンさん、どのくらい向うに行ってたの?」ゲン――七月三十一日に行って、八月三十一日に帰ってきたから、ちょうどひと月。 モンゴル人民共和国ね。そこにテレビのドキュメンタリーをとりに行ったの。
一九二一年だったかな、あそこはソ連のつぎに社会主義国になったわけ。政治的にはソ連にちかいんだけど、いまも中ソのあいだにはさまれて、微妙な関係に あるのね。それで中国からモンゴルには飛行機でなく汽車で行くしかない。北京で汽車にのって、三十時間かかってウランバートルにつく。そこからさらに二十 時間ぐらいジープにのって、モンゴル中央部にあるアルハンガイ地方という山岳地帯――そこのパリヤットという小さな共同体に行って、そこでやっかいになっ てたの。
リツ――そこが本拠地?
ゲン――うん。それで、その周辺の自然をテレビでとってまわった。
ヒラノ――あたりに海は……
ゲン――ない。モンゴル自体に海がないから。いってみれば、草原が海みたいなものなんだ ね。ただ、ぼくらがイメージするような、ほそい草が密集してはえているような草原じゃなくて、根のふかい草が半乾燥地にしがみつくようにして、みじかくは えてる。地平線までまっ平な草原が、山岳地帯にちかづくにつれて、波みたいにうねりはじめて、峠をこえると草原、峠をこえるとまた草原というふうに、いつ までもつづいていくのね。樹木は一本もはえていない。
ヒラノ――でも、一年中、草がはえてるわけじゃないんだろ?
ゲン――冬になると、雪におおわれる。十月ぐらいから雪がふる。
ヒラノ――じゃ、魚がいるところは川とか湖とか?
ゲン――そうね。山岳部にいくとカラ松なんかの針葉木がはえてて、そこに降った雪や雨が 川や湖や湿地帯をつくって、わりと多彩な感じになる。山といっても、アルプスみたいに万年雪をいただいた高い山なんてのはなくて、丘陵地がだんだん高く なっていくという程度のなだらかな感じ――だから風景としては、あまり迫力はないんだよね。ただ、おなじような風景がえんえんと単調にくりかえされるとい う凄さはある。だから、沙漠とおなじなんですよ。事実、南部はゴビ砂漠につながっているしね。
ヒラノ――いま季節は……?
ゲン――夏の終わりですね。いちばんいい季節。ぼくらが行ったすぐのときはものすごい緑 だった草が、帰ってくるときには褐色に変わって、山に雪が降りはじめてた。だから、ぼくらの感覚でいうと、夏の終りから秋の終わりまでの時期が、たった一 か月で終わっちゃう。
ヒラノ――はあ。
ゲン――畑がまったくない、木がぜんぜんないというのが、最初のおどろきだったね。そう いうところで遊牧生活をしてる。
リツ――いわゆる「包」ね。
ゲン――そう。モンゴル語で「ゲル」っていうんだけど、白い天幕をはって、基本的には春 夏秋冬と場所を変えながら、家畜をつれて移動している。あそこはいま遊牧でなりたっている唯一の国なんだってね。
リツ――でも、都市部はそうじゃないんでしょ?
ゲン――いや、モンゴル全部がそうなの。都市もちょっと郊外にいけば、そこから草原がは じまってる。で、遊牧民は二か月も三か月もかかって、地方から家畜に草をはませて太らせながら、都市のウランバートルまではこんでくるわけですよ。カウ ボーイみたいに馬で追いながら。そして、そこの肉の供給公社かなんかで食肉にする。だから首都までずっと家畜に食わせる草がつづいていなくちゃならない。
リツ――ウランバートルって、どのくらい人口があるの?
ゲン――四〇万くらい。モンゴル全部の人口が一八〇万か九〇万だから、だいたい四分の一 が首都にあつまってる。第三世界の都市集中度とちょうどおなじくらい。
リツ――そして、そこからずーっと南にさがったら、わたしの行ってたタイになるんとちが うの?
ゲン――そうそう。モンゴルの草原からシルクロードのあるゴビ砂漠をはさんで、その向う に東南アジアの亜熱帯の国々がある。
リツ――そうすると、タイからまっすぐ北に行って、ゴビ砂漠をこえれば、そこにゲンさん がいたわけだ。
ゲン――田川さんは、どれだけタイに行ってたの?
リツ――ぼくはホンのちょびっとよ。八月二十三日に行って九月一日まで、バンコク東南の ラヨンというところから船で四十分くらいの、コサメとというリゾートの島にいたの。「コ」というのは「島」という意味。だからサメ島だね。カラワン楽団の モンコンさんにしっかり世話してもらって、ただ海辺でぼーっとしてた。
ゲン――よろしな。
リツ――へっへっへ。タイは年中暑い。いちばん寒いのが十月から一月までなんだけど、そ れでも二十六、七度はあるらしいよ。北と南、草原と海――全然ちがうね。
ゲン――モンゴルは年間の平均気温が二度くらい。ここで佐藤と津野が参加。
ゲン――そのドキュメンタリーは、モンゴルの湖や川で魚を釣る番組だったの。モン ゴルは七月二十日すぎると、いっさい雨は降らない。雲ひとつないモンゴリアン・ブルーの空がひろがって、毎日、あんまり青くて気がくるっちゃいそうな天気 がつづくはずなんだけど、それが今年は毎日雨だったのね。世界的な異常気象。それで川がにごって、水量もふえちゃったから、魚がなかなか釣れなくてさ。魚 をたずねて、いろんなとこに行ってるうちに二週間たっちゃった。
ヒラノ――魚はイトウ?
ゲン――うん、フーコとかタイメンとかいう魚なんだけど、和名をイトウっていうの。内陸 性のサケマス属で、北海道なんかでもたまに釣れるらしいよ。去年、釧路の湿原で一メートル六センチのが釣れたという記録がある。
ヒラノ――巨大魚なんだろ?
ゲン――そうなの。アマゾンの魚をのぞけば、世界でもっとも巨大になるといわれてる。大 きいのだと二メートルちかくなるんだってさ。
マコト――ふっふっふ、カイちゃんよりでかい。
ゲン――ところが、ダニューブ系っていう北ヨーロッパのものとか、ソ連や中国の北のほう とか、世界で四種類か五種類のイトウがいるんだけど、どこのも型が小さくなって、なかなか釣れなくなってるのね。つまり川が開発されるにつれて、どんどん 小さくなってしまう魚なの。
ヒラノ――保護はされてないの?
ゲン――ヨーロッパの一部では産卵させて飼育して放流してるらしいんだけど、放流する川 自体が汚染されてきてるからダメらしいですね。大きくならないらしい。ただ、モンゴルだけにはまだ巨大なイトウがいるらしいという噂があって……
マコト――噂だけでモンゴルまで行っちゃうんだから、テレビってのはおそろしいな。
ゲン――噂だけじゃなく、確実な調査もあったんだよ。
ツノ――あっはっは、テレビ局を代表して弁解してるな。
ゲン――それが異常気象でさ、平野さんも釣り好きだからよくわかるだろうと思うけど、水 温とか水量が変化すると魚っていうのは完全に変わっちゃうんだよね。餌を追わなくなるとか、それまで群れていたところから散っちゃうとか。それでなかなか 釣れなかった。
ヒラノ――ルアー・フィッシングでやるわけ?
ゲン――そう、もっとも巨大なルアー・フィッシングがイトウでしょ。もう片方の雄がキン グ・サーモン。
ヒラノ――で、釣れたの?
ゲン――やっと二匹釣れた。九十センチぐらいのと七十センチぐらいの。一メートル以上は 釣れなかった。
マコト――釣る人もつれてったわけ?
ゲン――そう。
ツノ――ここではその人の名はだしたくない。
ゲン――はっはっは。
マコト――だれ?
ツノ――アマゾンの偉大な釣り人よ。
リツ――「オーパ!」の人ね。
マコト――ああ、なるほど。
ヒラノ――テレビでやるときは、「謎の巨大魚をもとめて」とか、そういうふうになるわけ だ。
マコト――ゲンさんは画面にはでてこない人なわけだ。
ゲン――そう、いない人。ナレーションだけ書く人。
リツ――ヒッヒッヒ。
ゲン――で、結局、いちばん面白かったのは、この世界には本当に遊牧社会というのがある んだと知ったことだね。自然と人間とのいとなみが農耕社会とは本質的にちがう。草のあるところをもとめて、ヒツジ、ウマ、ウシ、ヤク、ヤギなどの家畜をつ れて、しょっちゅう移動している。で、テント生活でしょ? おれはテントで芝居なんかやってるからさ、そのテントが日常化してる世界なんだから、そのこと にいちばん興奮したみたい。
リツ――どんなテントなの?
ゲン――さっきの「ゲル」っていう、一時間ぐらいで折りたたみできるやつ。柱はないの。 てっぺんの木製の輪っかにいっぱい穴があいてて、そこに傘の骨みたいに棒をつっこむ。そのあいだをのびちぢみする木の枠でうめて、キャンバス地のシートを かぶせて、一センチぐらいの厚さのフェルトを内側にはるわけ。
マコト――大きさは?
ゲン――直径五メートルぐらい。そこにベッドやストーブや家財道具がおいてある。
マコト――薪ストーブ?
ゲン――森林にちかいとこはね。そうじゃないとこではウシやヤギのフンを燃やしてる。フ ンっていうのは、ひじょうに火力がつよいんだよ。
ひとつには、あそこはフンの世界なのよ。草原のいたるところに、家畜のフンがある。だから、「ああ、気持がいい!」って寝ころぶと、からだがフンだらけ になっちゃう。あとニガヨモギというアブサンをつくる有毒な草が一面にはえてて、そのハッカにちかいような、かろやかな、ほろにがい香りが草原をつつんで る。家畜のフンとニガヨモギの香り――それが草原の世界なんだよ。
マコト――一か所にどのくらいいるわけ?
ゲン――春夏秋冬の宿営地があて、そこを巡回していくのが基本的にはパターンなんだけ ど、七、八月は草が青くなって家畜が太る時期だから、いい草をもとめて、オトルっていう短期の遊牧をやる。折りたたんだテントと家財道具いっさいを、三頭 ぐらいのラクダに積んでね。
ヒラノ――子供もいるんだろ?
ゲン――うん。ただ学校は、親もとをはなれて寄宿舎に行くみたいね。
マコト――じゃあ水上生活者と……
ゲン――おなじ。
リツ――人間は野菜とかは、あんまり食えへんわけ?
ゲン――野菜は食わない。穀物もめったに食わない。栄養源はぜんぶヒツジの肉。内臓まで ぜんぶを食えば、そこに草もはいってるから。
ツノ――ほんとかよ。
ゲン――らしいよ。あとは乳製品――有名なのがウマの乳を醗酵させた馬乳酒ね。春から夏 にかけて肉を食わない時期は、ほとんど馬乳酒と乳製品だけでくらしてるみたい。調味料もいっさいないし。塩味だけ。
リツ――香料もないの?
ゲン――ない。コショウもめったにない。トンガラシもニンニクもない。テントっていうの は余分なものをもって歩けないから、衣食住すべて、生命を維持できる最小限度のもので暮らしてるのね。娯楽もあんまりない。
リツ――じゃあ、動物がもの食ってるあいだ、暇やん?
ゲン――暇じゃないよ。だって一人で五〇〇頭も管理しなくちゃならないんだもん。一つの 家でヒツジとヤギとウシとヤクとウマを飼ってるとすればさ、それぞれの放牧地がちがうわけ。そうすると、すくなくとも五人の人間が必要になるでしょ。とて も一つの家族では面倒がみきれないから、一つの共同体のヒツジならヒツジだけをあつめて、それを一人の人間が管理するというようになる。つまり血縁的なも のにはじまって、しだいに地縁的なものになっていった集団があって、それが一つの単位になってるのね。
ツノ――それは社会主義とはあんまり関係ないの?
ゲン――社会主義になってからは、それをもとにして、だんだん集団のあり方を変えていっ たみたいね。
ツノ――コルホーズ的なものに?
ゲン――そう、それを生産の最小単位にしていったわけ。いまは所有は個人なんだけど、管 理は共同でやるという過渡的な形態みたいだね。
マコト――ヒツジにはシルシがついてるの?
ゲン――それはないけど、二〇〇頭いても三〇〇頭いても、見分けるすべがあるんだって。 とくに女性や子供の識別能力というのは、ほとんど想像を絶するほどらしいよ。
ツノ――本とかは?
ゲン――すくないんじゃない? でも、動物説話とかの口承文化は無限にあるんだよ。なに しろ文字の歴史がみじかいから。やっとジンギスカンのころでしょ、モンゴルで文字が採用されたのは?
ヒラノ――相撲は?
ゲン――ぼくは見なかったけど有名なんでしょ。あと競馬ね。
ツノ――旗をなびかせてな。
ゲン――モンゴルの国旗っていいね。右と左が赤で、まんなかがモンゴリアン・ブルーで、 そこに魚とかいろんなかたちが描いてある。
マコト――音楽は?
ゲン――ある。馬頭琴という胡弓みたいな楽器があって、それを使ったオルティンドーって いう歌ね。追分の源流。それとホーミーという、ひとりの声帯でふたつの音を同時にだす歌い方があるらしいね。
マコト――演劇はないんだろ? アジアの遊牧民をたどっていって、回教圏になると演劇は パタッとなくなるのね。小泉文夫さんとも話したことがあるんだけど、仮面劇とか即興のかけあいとか、遊牧民にはシアトリカルなものの伝統がない。宗教儀式 みたいなものだけで、そこから演劇が分離してないんだね。
ヒラノ――農閑期みたいな暇なときがないんだ。
ゲン――でも忙しい時期を一つにまとめようとはしてるんだよ。たとえばオスのヒツジの腹 の下にフンドシみたいな垂れ幕をたらして、特定の時期以外は交尾ができないようにする。そうやって、おなじ時期に子が生まれるようにしてるらしいよ。
ヒラノ――そんなんで大丈夫なのかね。
ゲン――ぼくらはヒツジを動物と思ってるけど、モンゴルの人たちはちがうみたいなんだよ ね。
マコト――穀物とおなじ。
ゲン――おれたちがコメについてうんぬんするじゃないか?「これ古米じゃねえか」とか 「新米はやっぱりうまい」とかいうだろ?
マコト――「稲穂がみのった」とか?
ゲン――そうそう。だから草とヒツジっていうのは、ほとんどつながってるものなんだね。 人間だって、古代には草やヒツジとつながってたのかもしれない。ぼくらだと、ウシやブタを殺すと血をぬくじゃない? だけどかれらはまず胸を切りひらい て、そこから手を入れて心臓をにぎって殺して、そのまま皮をはぐ。つまり血がぜんぶ肉にまわっているよなかたちで食うようにしてる。
ツノ――モンゴルはゲンさんの体質にあってた?
ゲン――むだなものがないということでは、ひじょうに好意をもったね。
リツ――しかし、ヒツジばっかり食わされて、まいったのとちがうの?
ゲン――最初の一週間ぐらいは臭いとか油が鼻についたけど、そのうち、それしか食うもの がないとわかってくると、あんまり不便にも感じなくなるんだよ。大草原のなかでさからったってしようがないしさ。
ツノ――ふっふ、ゲンさんらしい。
ゲン――スキッとした感じっていうか、生活とか時間のなかに隙間がいっぱいあって、風が ビュービューとおってる感じというのは、そんなに不愉快なもんじゃない。とくにテントで芝居をやってきた人間としては、好感をもたざるをえないよね。
ツノ――黒いテントはあった?
ゲン――なかった。ただ、町のなかにはったテントを見なれてると、あっちのテントはひ じょうに牧歌的に見えるよね。ぼくたちのテントのほうが、はるかに過酷だと思った。
リツ――タイとはえらいちがいやな。タイはものがうまいとこやから。モンゴルとは対照的 に、あそこにはあらゆる種類の野菜があって、しかも日本みたいにバイオなんとかとか温室栽培じゃないから、香りがつよい。それがタイの食いもののうまい第 一の理由なんじゃないかな。
ゲン――でもタイの場合だと、フィリピンとおなじで、都市部と農村とでは生活のしかたに かなりのちがいがあるでしょ? 遊牧の場合は、それがないんだね。都市も都市としてだけ発展するんじゃなく、さっきも話したみたいに、都市と草原が地つづ きというか、草の海のなかに都市を浮かべておかなくてはならないからさ。
ツノ――都市プロレタリアートなんているの? 草原の革命っていうのは、どういう革命 だったんだろうね。
マコト――やっぱり疾風のように革命が駆けぬけてったという……
ツノ――なんの痕跡ものこさずに……
マコト――風の噂に「革命が起こった」ときこえるだけでさ。
ゲン――ジンギスカン帝国の痕跡だって、なんにも残ってないもんね。あんなとこから、ど うして全ユーラシア大陸を制覇したような人物がでたんだろう? 結局、制覇というものの質がちがうんだろうな。ただダーッと行っちゃう。そこにとどまって 宮殿や神社仏閣をつくるなんてことはしない。
マコト――やっぱり風の噂だよ。
ツノ――旗の記憶だよ。
ゲン――なんたって日本の四倍ぐらいの広さがあって、人口が二〇〇万――東京ぐらいの広 さのところに、わずか三〇〇〇頭のヒツジ……
マコト――芝居なんてあるわけない。
ゲン――ジープで走ってるとね、草原のまんなかに突然、トランクを地面において、お父さ んとお母さんと子供がポツンと立ってる。不定期のトラック・バスみたいなのがあって、それを待ってるらしいね。
マコト――道はあるわけ?
ゲン――草原の道というのはね、農耕地の人工的な道とちがって、とおりやすいとこを車が とおったあとにすぎないわけ。こっちがぬかっちゃったら、あっちにはみだして、あっちが岩だらけだと、そっちに迂回してというぐあいに道ができる。だから 峠から下を見ると、いろんな道が錯綜してるわけだよ。ただ全体として、それらの道はどうやら同じほうに向かっているらしいということがわかる……
マコト――ふっふ。ブレヒトの「正しい道」というのは通用しねえな。
ゲン――そうなんだよね。川だって、まっすぐがいいとはかぎらない。生態系を破壊したり して、ブレヒトの「理想的な治水」の詩とは正反対の結果をもたらしちゃう。
ひとりのじいさんがね、「夜暗くなったら、運転手はどうやって道をみわけるか?」っていうんだよ。山も星も見えない。そういうときは草を見るんだって。 ある季節にはおなじ方向の風が吹くからそれによって草がわずかにまがってる。そのなびき方を見て方向を知るっていうんだね。
ヒラノ――ゴルフのパターだ。
ゲン――「その草もわかんなかったらどうするか?」とじいさんがいうんで、ぼくら、いろ いろなことを答えたわけ。「どれもちがう。そこにテントをはって寝ればいい」だって。もう、まるで間尺にあわない。
ツノ――フィリピンあたりとはえらいちがいか?
ゲン――なんのかんのいっても、あっちとはいろいろ関係があった。
マコト――もとはおなじだもんな。
ツノ――さてと、だいたいこんなところかな?
ゲン――イトウはなかなかだったけど、パイクやなんか、日本とくらべたら、川や湖の魚影 の濃さは、ほとんど想像を絶する。
マコト――だれも釣らないんだろうな、二〇〇万人しかいないんじゃ。
ゲン――かれらはヒツジを食ってきた人たちだから、魚は基本的には食わないわけ。これは ラマ教の「地にもぐるものと水にもぐるものは聖なるもの」という教えのせいもあるみたい。清はラマ教をつかってモンゴルを統治したからね。それといっしょ にチベットの水葬の習慣がはいってきたからさ、川にながした死体を魚が食べるというんで、魚をたべたがらない。それから鳥も食わない。
ヒラノ――木がないんじゃ、鳥もとまりようがねえよな。
ゲン――でも、猛禽類はものすごく多いよ。巨大なワシがいる。ただ、ニワトリがいないの ね。だから、コケコッコで眼がさめるということもない。
ツノ――メエメエの声だけか。
ゲン――ぼくらが釣ってると、馬にのったヒツジ飼いの少年がバーッと見に駆けてくるんだ よ。「なにやってんだ、こいつら」っていうふうに。それで一時間も二時間も、じっと見てるから、手ぶり身ぶりで「おまえもやってみるか?」ときくと、「い や、いい」って。でも、おもしろいらしい。だから、だんだん釣るようになるだろうという感じはあるよ、スポーツ・フィッシングとして。
ツノ――あんまり信じられねえな。
ゲン――川筋にすんでたほんの一部の人は、むかしから魚を釣って食ってたらしいけど、全 体としては生活のなかにはいってない。
マコト――魚の説話なんかはないの?
ゲン――あることはある。イトウのことをトルというんだけど、むかしはでかいトルがいた んだって。そいつが川をさかのぼってきて、朝、湖に頭をつっこんだ。夕方、ようやく尾っぽがやってきたというような話とか、二匹のトルが頭と尾っぽをくっ つけて湖のなかの島をかこんだとか、そういう大きな魚の伝説がある。
ヒラノ――湖はかれないで、ちゃんといくつもあるわけ?
ゲン――ある。そのほかに雨が降るとできる水たまりとか湿地帯みたいな湖が無数にある の。ぼくらが行ったのはテルキン・ツァーガンという湖で、そこでパイクを釣った。パイクはほとんど入れ食いだったね。十メートルぐらいのとこにポチャンと やって、そのままひいてくると八十センチくらいのがかかってる。
マコト――おもしろくもなんともないんじゃない?
ヒラノ――いちども釣られた経験がないわけだな。
ゲン――すれてないんだよ。
ツノ――そりゃ平野のヘラブナとはちがうだろう。きみのは、すれた魚と知恵の争いをやる んだから。
ゲン――ヘラブナは何度も釣られたのがいっぱいいるから。
ヒラノ――口なんかはれあがってる。
ゲン――ヒツジが草というのとおなじで、見方によれば、魚ってのは水だからさ。
ツノ――ヒツジは植物、魚は鉱物か。
ゲン――そういう釣りは、水とたわむれ、水とコミュニケーションしてるみたいなものなん だよ。
ヒラノ――そりゃあそうだね。まず水色を見て、濁りがはいってるとかさ。
ゲン――魚のことはあんまりいわないもんね。ルアー・フィッシングとか渓流の釣りがアウ トドア・ライフや自然保護の問題とむすびついたりするのは、そういうことと関係があるんだね。このごろはアマゾンでさえ、かなり上流にまでいかなければ、 巨大な魚は釣れなくなってきてるらしい。そのくらい地球全体が開発されちゃった。
ヒラノ――そうするとやっぱりヘラブナだな。
ゲン――はっはっは。ヘラブナは釣っても殺さない。
ヒラノ――殺さないし、どんどん入れるしさ。
ゲン――もって帰って食べる人はすくないでしょ?
ヒラノ――うん。でも成田山の初詣に行くとフナの甘露煮を売ってるけど、むかしはマブナ だったのが、いまはヘラブナの稚魚をつかってるらしい。
ゲン――釣りもだんだんそうなってくるんだろうね。ルアーも、がんがん釣って持って帰ってきちゃうというんじゃなくて、キャッチ・アンド・リリースが原則 になってきてる。それからルアーなら、そんなに全滅させないですむということがあるね。どっかで逃れる魚がいるから。
マコト――うーん、そういう釣りぐらいしか、真剣なたたかいをする場所がなくなってきて るんだな。
ヒラノ――へっへ、そういうなよ。
ゲン――ぼくなんかは釣るしかたはどうでもいいけど、まだ釣れるうちは海で釣って、釣っ た魚はかならず食おうという感じがあるね。川の魚はリリースしたほうがいいと思うけど。
ヒラノ――環境問題とかリリースとかいうことには、おれなんか、あまりこだわってないけ どね。いうにいわれぬ釣りの醍醐味よ。それだけ。
ゲン――でも釣りをしてると水に関心をもつようになるでしょ? 水辺の食性とか動植物の 生態にたいする関心が必然的にでてくる。
ヒラノ――水際だね、いちばん問題なのは。それは海だっておなじだよ。釣る人間のエゴか らすれば、自然のままにしておいてほしい。
ゲン――そういう考え方とむすびつくと、釣りというものがもっとゆたかなものになるん じゃないの?
野うさぎと死 ウィネバゴ説話
野うさぎは死のことをきくと小屋にとんで帰って泣きわめいた
――おじさん、おばさん、死んじゃいやだあ
するとこんなおもいがおそいかかる
――結局みんな死んじゃうんだ死ぬんだよ
野うさぎはそのおもいを崖にむかってなげつける
崖はぼろぼろにくずれおちた
野うさぎはそのおもいを岩の上になげすてる
岩はこなごなにくだけちった
野うさぎはそのおもいを土にうずめる
土に住むいきものはぴたりととまって、かちかちになった
野うさぎはそのおもいを空たかくなげとばす
鳥がぱたりとおちて、もう死んでいた
野うさぎは小屋のなかで毛布にしっかりくるまって泣きながらねた
――みんな死んだら地球があふれちゃう
どこへいったって土地がたりないよ
野うさぎはすみっこで毛布をかぶってじっとうごかない
私たちだけ アリス・ウォーカー くぼたのぞみ訳
無視することで
金の値打ちを失なわせるのは私たちだけ
相場が上がろうと下がろうと
知ったことではない、と
金の在る所、必ず
ついてまわるのは鎖、だね
おまけにきみの鎖が
金でできているなら
きみには
さらにつごうが悪いだろう
羽根、貝殻
海が形造る石
すべて めずらしいものたち
この世にたくさんあるものも
ほんの僅かしかないものも
等しく愛すること
それが私たちの革命
リズの胸に輝くダイヤモンド アリス・ウォーカー くぼたのぞみ
リズの胸のダイヤモンドは
鉱山へかり出される
朝の
彼の瞳
ほどにも輝いてはいない
ナンシーの宝石箱
にしまい込まれたルビーは
(そう、彼は赤い色が大好き!)
子供たちの
ひそめた眉にうつる
絶望
ほどにも生々しくはない
おお、アフリカの人々よ!
いたるところに見えるのだ
血を流し
泣き叫ぶその姿が
あなたの街に住む
人間のまっ白い首筋で
泣き叫び血を流す姿が
初めてコーヒーを口にしたのは、確か、中学生のときだったと思う。
それ以前は、たとえコーヒーを飲みたがっても、
「子供には、コーヒーは毒」
と言われて、飲ませてもらえなかったのである。
ときどきは、コーヒー牛乳を買ってもらえることもあったが、買い食いの許されていなかった子供の立場としては、自分の好きなときに、勝手に飲むなどという ことは、到底、望めなかった。
当時の私にとって、コーヒー牛乳というのは、かなりおいしいものに思われた。そして、そのコーヒー牛乳よりも、さらに良い香りを放つ本物のコーヒー、豆を 挽いていれたコーヒー、両親がおいしそうに飲んでいるのを横目で見ていたコーヒーは、絶対、コーヒー牛乳よりおいしいはずであると思われた。コーヒー牛乳 は子供用で、本物のコーヒーは大人のものだという気がして早く大人になりたいものだと、その頃考えていた。
私があまりにもコーヒーを飲みたがるので、「家では絶対飲ませてくれない」と訴え、伯母が母に内緒でインスタントのコーヒーを飲ませてくれたことがあっ た。しかし、いくら牛乳を足しても、砂糖を入れても、それは、店で売られているコーヒー牛乳ほどおいしいとは思われず、私はがっかりしてしまった。そし て、それはきっと、伯母がいれてくれたコーヒーはインスタントだからしかたがないんだ、とますます本物のコーヒーに期待をかけるようになった。
あるとき、お中元かお歳暮か忘れたが、家にサイフォンのコーヒーセットがきた。サイフォンでコーヒーをいれることは、見た目がおもしろいので、それで両親 は家でよくコーヒーを入れるようになった。そのせいかどうかわからないが、私が自分もコーヒーを飲みたいと主張すると、両親は、
「もう中学生だからいいだろう」
と割合あっさり許可してくれた。
そうして、期待に胸をはずませて飲んだ本物のコーヒーは、中学生の私にはやはりコーヒー牛乳ほどおいしいとは思えなかった。
それでも、コーヒーをいれるときの良い香りと、サイフォンのもの珍しさに魅かれて、それから両親と一緒になってコーヒーを飲むようになった。そのうちに、 サイフォンよりもドリップでいれたコーヒーの方がおいしいと両親が言い出して、サイフォンがドリップに代わり、台所にコーヒー・ミルが加わった。そして、 私が両親のコーヒーをいれるようになって、コーヒーを飲むことが習慣になった。
今は、両親は家でほとんどコーヒーを飲まない。日曜日の朝、飲むぐらいだ。私はあい変らず、毎日毎日、コーヒーを飲んでいる。仕事の打ち合わせをするとき 頼むのは、ほとんどコーヒーだし、家で仕事をするときもコーヒーだ。
仕事をする前は、必ずコーヒーを3〜4杯作ってから、部屋に行く。コーヒーをいれてから仕事をしないと何だか落ち着かないのだ。コーヒーをいれないで仕事 に入ると途中で不安な気持になってきて、すぐ下へコーヒーを作りに行ってしまう。(私の部屋は2階である)
そんなにコーヒーが好きなのか、というと、そうでもない気がする。もちろん、コーヒーは好きだが、紅茶だって、緑茶だって好きだ。非常に暑いときとか、 熱っぽいときや乾燥したときは、ポカリスエットやアクエリアスなどのアイソトニック・ドリンクを飲んだりするが、それはあくまでもコーヒーとの併用であっ て、それらがコーヒーの位置にくることはない。コーヒーは常に手元にある。
気分を変えようと、紅茶をいれてから仕事に入るときもある。しかし、そのうち紅茶ではやはり物足りない気がして、コーヒーを作りに下に行ってしまう。そし て、初めからコーヒーにすべきだったと後悔するのだ。
それほどコーヒーが飲みたくなくても、コーヒーをいれないければならない。たとえ、そのときコーヒーが欲しくなくても、違うものをいれた後に必ず欲しくな るのだ。コーヒー中毒じゃないか、といわれるが、本当に飲みたくないときは、コーヒーをいれてもそのまま飲まずに置いておくので、そうでもない気もする。 飲まなくても、コーヒーが入ったカップが手元にあって、いつも飲める状態にあればいいのだ。もしくは、コーヒーをいれれば気が済むのだ。飲まなくても、い れれば気が済むというのは、決してコーヒー中毒とは言えないはずだ。旅行等に行ったりして、コーヒーが飲めない状態にあっても、結構平気で過ごせるし。た だ、家にいるとどうも飲まずにはいられない。仕事中でなくても、コーヒーをいれたくなる。
最近、もしかしたらこれは一種の逃避なのかもしれない、と思うようになってきた。仕事を始める前にいれるコーヒーは、少しでも仕事を始める時間を遅くしよ うという逃避であり、仕事中にいれるコーヒーは、当然、仕事そのものから離れたいという逃避であり、仕事をしているとき以外にいれるコーヒーは、暇をもて 余していることからの逃避なのだ。(私は貧乏症なので、ひまでいることに後ろめたさを感じる)そして、隠れ込もうとする場所が、きっとコーヒーなのだ。あ の強い香りと味でなければ安心できないのだ。紅茶や緑茶では、身を隠すには多少心細いのかもしれない。
今は、私は異国の空の下にいて、コーヒーが自由に飲めない状態にある。コーヒーを飲むには、レストランかカフェに行かねばならず、すでにそれらは閉まって いる。スキがあらば、コーヒーを飲もうと、そのチャンスをうかがっているのだがなかなかそれが難しい。(時計は夜の12時をまわっている)
だから、どんなにおなかがいっぱいでこれ以上何も入らないと思っても、レストランでの食事の後には必ずコーヒーを飲むことにしている。それでも今日は2度 しか飲めなかった。だから私は今、無性にコーヒーが飲みたい。逃避ではなく、本当に飲みたいのだ。(デュッセルドルフにて)
ネェ、中山先生ってね、いつまでたっても大きくなれないみたいよ。
――どうして?
だってね、このまえもさくら組さんの先生で、またさくら組さんなの。さくら組さんはみーんな卒園して一年生になっちゃったのに中山先生はまたさくら組に なっちゃったの。いつまでもいつまでもさくら組じゃ、ずっと、ずっと大きくなれないよねえー。
(5才・女)
*
ネェ、お母さんは、おばあちゃんの子どもだよね。
――そうよ、おばあちゃんから生まれたの。
じゃあ、子どもだったの?
――そうだよ。
そんとき、あたしはどこにいたの?
(5才・女)
*
なんだようー、人間だよぉー、人間てなんだよぉー
(とほえる6才・男)
*
〔はじめて大仏をみて〕
あっ、ボウシかぶってるうー。
(2才・女)
*
〔テレビに毛のない人が出た〕
ああいう人って赤ちゃんのとき、何才だったの?
(3才・男)
*
〔おなかのいたい同じ年の女の子に〕
赤ちゃんが生まれるんじゃないの?
(2才・女)
*
大きくなっても赤ちゃん生まない!あたしみたいにかわいくないもん。
(3才・女)
*
お空さんたら、がまんできないからって、こんなにいっぱいおしっこするみたいに雨をふらせちゃってさ、もうすこしがまんすればいいのに。
(5才・女)
*
〔昼間の月をみて〕
あれ、なあに?
――月よ。
だって、まだ夜じゃないでしょ。ばかだねえ、きっとまちがえたんだね。はずかしいから白い色をしてるんだよ。
(3才・男)
*
夜がこわれると朝になるの?
(4才・男)
*
〔テレビで「おれはヤクザだ」をみて〕
おまえ、人間じゃないよ。
あたりまえだ、おれはヤマサだ。
(4才・男)
*
〔愛と勇気の猫の物語のCFをみて〕
あいってね、つよいんだよ。だってさくまをひっかいちゃうんだからね。あいってね、ねこなんだよ。くまはゆうきっていうの。
(3才・女)
*
おかあさん、あたしはオカッパっていうことばの意味知らないときは、頭のまんなかがはげている人のことをオカッパっていうのかと思ってた。
(6才・女)
*
ねえ、おひめさまあそびしましょ!
ぼく、おとこだからしないよ。
じゃあ、おとこあそびしましょ。
(4才・女男)
*
――このあいだ、山菜ハイキングに行ったでしょ。
おもしろかったネ。こんど、よんさいハイキングにはいついくの?
(4才・女)
子どものことばが面白いと思ったのは、子育ての最中で、その時は面白いと記録していただけだった。その生きている日本語を活字で生き返らせるという困難な 仕事を始めようと思いたったのは、二番目の子が小学校に行き出したら、さっぱり面白くなくなってきたからだった。
2才から9才くらいまでの子どものはねて、とんでいることばを、いま一年がかりで、全国の母親や父親、保母さんたちに集めて記録してもらっている。
編集に入れば、ことばはもっと生きる工夫がされるけど、とりあえず、水牛の読者のみなさんに読んでもらいと思って……。
それから、これをみて、子どもたちは大きくなっちゃったけど、うちにも記録があるとか、自分の子どもの記録をとりたいとか、こちらにとって大歓迎の人がお りましたら、是非ご一報ください、待っております。
この子どものことばの本は、順調に進めば、来年の春、晶文社から出版の予定。
●三宅榛名 レクチャー&コンサート
10月から12月までに月に一回ずつ、計三回。テーマは次のとおり。
10月17日(金)6時半〜8時半、青山こどもの城スタジオ。〈楽器の解法(アリナーゼ)の実際〉――分析のヴァリエイション、構造の風景。実際の演奏を とおして。
11月14日(金)6時半〜8時半、青山こどもの城スタジオ。〈即興演奏〜内的メカニズムの解明〉――即興はどこからやってくるのか。ゲスト 佐藤允彦 (ピアノ/シンセ)
12月9日(火)6時半〜8時半、新宿モーツァルト・サロン。〈C・アイヴスの現在〉――ソング集、ヴァイオリン・ソナタ等。ゲスト 数住岸子、田月仙。
受講料三回通し 九千五百円。一回券 三千三百円。電話予約は池袋コミュニティー・カレッ。Tel 981・0111。
(三宅)
●ジョン・ゾーン デュオ+「ラグビー」。新宿ピットイン Tel 354・2024。9月23日(火)7時半。三千円。出演はゾーンと佐藤通弘(三味線)、山木秀夫(ドラムス)、三宅榛名(ピアノ)。
(三宅)
●「街角のバラード=田川律と仲間たち」。本誌では“料理人”としか思われてなかったり、そのせいで本誌が、「料理の本」だと誤解される元を生みだしてい る。たまに別のこと、というわけでもないが、生地大阪の、それもまさに生地の前の大阪城野外音楽堂で、60年代関西フォークの友だちを集めてコンサートを ひらく。黒テントの斉藤晴彦もかけつけてくれる。
9月28日(日)1時。二五〇〇円。問い合わせ・サンケイ新聞事業部 Tel 06・343・1221
(田川)
●『女刑事の死』早川書房。一四〇〇円。藤本和子さんの久しぶりの翻訳、それも初のミステリー、実力派ロス・トーマスの新作。原題BRIARPATCH は、その和子さんが訳したトニ・モリスンの『誘惑者たちの島』にも関係のある黒人の古い民話からとられている「ひとそれぞれの安全地帯」ともいうべき「茨 のやぶ」のこと。これを頭に入れて読むと、登場人物たちの虚々実々の駆け引きがおもしろい。随所に“藤本語”が楽しめ、藤本ファンにはこたえられない。
(田川)
夏休み――いつもは温度計が二十三度を超えると、思考能力がゼロになるので、夏休み、と勝手にきめて、うちでごろごろしているのだが、 今年はそうもいかなかった。ジョセフ・ハンセンのブランドステッター・シリーズ第6作「墓掘人」のほん訳をしていたためとうとうクーラーというものまで 買ってしまって、毎日勤勉に働いた。そうすると、いよいよ夏休みの感覚がなくなってしまって、あれよあれよという間に八月もすぎて行く。
ゴキブリの異常発生――「ゴキブリのいないうちなんか、あまりにも非人間的すぎる」なんていっているうちに、突如大量に発生した。さす がにたまりかねて、同居人の大谷くんと、「ゴキブリホイホイ」や「アースレッド」らしきものを買ってきて、退治しようとしたら、いるわいるわ。約二週間ほ どで、千匹(!)近くも捕獲したのだがまだいるようだ。不潔なのか。男ヤモメにウジが湧く、というヤツかな。それにしても、はじめのうちは面白がって追い かけてゴキブリを捕えていた猫たちが、今ではすっかり馴れたのか、共棲同盟を作ったのか、いっしょにキャッツ・フードを食べている。マイッタナア。
ウインド・サーフィンと白身魚の甘酢アンかけ――今年もこりずに、志摩半島の一角、五カ所湾へ出かけて行ってウインド・サーフィンに挑 戦した。今年は去年に比べて、水がきれいだった。ハマチ養殖のためのエサのくずがあまり浮かんでいなかった。そのかわり、今度はカキの殻が密集した地帯へ 流されて、見事に掌と脚を派手に切った。同行したのが、大学の同期の医者たちなので、と思って安心したら大間違い。そもそもウインド・サーフィンへ引きず り込んだ方の角辻君は、きわめて冷たい。「塩水で消毒した方が早く治る」からはじまり「男はケガをした方がいい。アドレナリンの分泌は活発になるし、白血 球はふえるし」と、引退しようとしたのを許してもらえず、血まみれのまま、は大ゲサだが、ウインド・サーフィンと、ヨット・レースをやらされてしまった。 おかげで、ともかく風下へはすこし走れるようになった。
そこへ行く前日、泊めてもらったもうひとりの医者、中村くんのところでひと晩料理を作った。タイの料理でおいしい魚の甘酢アンかけ。ただし、千里中央の ピーコックに、この日パクチイがなかったので、なんと、あまりイメージもなくつるむらさきを使った。魚は、甘鯛だった。これを素焼きにしておく。塩をしな いで焼くだけ、というのがいい。ウロコ落しからやったがこれがまあ派手に飛び交い、そういえばこの頃、自分のうちで魚のウロコをとることも少なくなった、 と改めて思った。「甘酢アン」の方は、ニンニクを刻んでいため、玉ネギを大らかに切って加え、酢、サトウ、塩、それに赤唐辛子(ただし、このうちにはひと りだけ辛いのに弱い人がいたので控え目にした)、酒をテキトウに加えて味付けし、ざっくり切ったつるむらさきをたして、片栗粉でトロ味をつける。これを先 の素焼きの魚の上にたっぷりかけて出来上り。魚はカラ揚げにする場合もあるが、こちら今回はさっぱりした味。そういえば、ジャマイカのメイン料理はこのス タイルで、サトウと片栗粉を使わないだけ。いや酢も入れないか。ほんならえらい違いやて。だが、素材と料理のでき上りが似ているのでふと思い出してしま う。
同時に作ったのは、いつものレパートリー、アサリのワイン蒸しと変り冷奴。変り冷奴の方は、今回は伝授してくれた藤本和子さんの忠告をうけて、ちゃんと ザーサイも細かく刻んで加えた。なるほど、こっちがずっといい。豆腐はピーコックの中でも一番固い木綿豆腐を使った。京都製だったみたい。
ソバと落語――野田阪神のガード下のソバ屋の二階で毎月一回、ソバを食わせる落語のライブ(?)があるというのに、今回はうまくスケ ジュールが合って出かけた。ソバ屋の二階へ四十人ほどの客が集まり、若手が四人ぐらい落語をやって、そのあと、下でオクラソバを食べた。いや、落語も、そ ういうとこで聞くのは、なかなか面白い。音楽ではいつもそれに近いところへ出かけたり、自分たちもそんなものを企画しているだけに親近感もひとしお。落語 をやる人がはじまる前には下足番をし、終わってからは、ソバ湯を配ってたり、これは要するに水牛楽団とオンナジやないか。四角い顔で色黒、目玉がくりくり した笑顔の笑福亭鶴三がやった「遊山船」がオモロカッタ。特にはじまって早々、客席のタバコの煙にむせて、咳しすぎて、また、はじめからやり直したりする あたり、いかにも「納涼気分」満喫だった。ふだん音楽と縁遠い人も、ぼくらのようなライブにきたらこんな風に楽しむのだろうと、推測してしまった。東京で も、こんなとこあんのかな。
そういえば、大阪生れ、大阪育ちで「ぬるぬるしたのもはキライ。いちに納豆、ににオクラ」といっている中村くんでさえ、ここのオクラソバはおいしそうに 食べていた。ま、納豆ソバと似てるけど、たしかにここのソバはうまかった。そば屋の名前は「やまがそば」だった。
ウナギの蒲焼き――子供の頃は、よくウナギを釣った。長い太い糸のあちこちに一メートルぐらいのテグスをつけ、そこに大きめの針をつ け、それに「畠ミミズ」と読んでいた玉虫色にひかる太いミミズをつけ、川の瀬あたりに一面に糸を張るようにしておくと、夜中にウナギがかかっているという 寸法。とってきたウナギは、いちおうちゃんと開いて焼いたが、蒲焼にしたかどうか覚えはない。関西と関東ではこの蒲焼きの仕方が違っていて、関西はそのま ま焼くのに対し、関東では一度ゆでてから焼く。その分身が柔かい。ウナギが好きな人は、たいてい好みがどちらかにわかれる。ウドンの汁の色みたいなもの だ。関西は薄く、関東は濃い。ウドンはぼくは今も関西風でないとつらいが、ウナギの方は関東風の方が好きである。たまたま、今月、東京で一回、伊勢で一 回、ウナギを食べる機会があったので、改めてこの違いをはっきり感じた。
ミキサーと電子レンジで作る大福餅――これは自分が作ったのではないので自信をもってオススメするわけにはいかないのだが。お馴染みの 川崎生活クラブ生協のメンバーのひとりに、結構大胆な人がいて、その人の話。モチ米一、水二、の割合でミキサーにかけ、充分撹拌。これを電子レンジに入れ て蒸す(?)。するとすぐにドロドロになるので、出してきて少しかき回し、さますと、大福餅のコロモ(?)のようなものができ上がるという。それでアンコ を包めば大福餅。ま、餅を作るのと原理的にはかわらんワケやし。もっとも本人の話だと、やっぱり「ついてない」から、少しヘンだという。うちにはミキサー も電子レンジもあれへんから実験してみるわけにはいかないのだが――。
やあこ――大阪弁では赤ん坊のことをこう呼ぶ。最近試写会で「赤ちゃんに乾杯」というのを見た。タイトルがダサイ、という気がしたが、 男三人の共同生活のところへ、赤ちゃんが預けられて、テンヤワンヤする、という映画だというし、フランス映画や、というので見に行った。なるほど、なかな か面白かった。こちらも男二人の共同生活だし、映画の中の三人のうちの二人が、イラストレイターと広告代理店勤務という設定が、どこか共通するところが あって、それも面白かった。もっとも「面白い」なんて書くと、待ってましたとばかり、友だちの誰かが、ある日突然「やあこ、あずかってくれへん」といって きそうなオソロシイ予感がするので、なるべく、そんなこといわんとこ、と思ったりして。
なによりも、ぼくらの共同生活と違うのは、ともかく三人が、口角泡を飛ばすようにギロンすることだ、というより、ギロン以前に、互いにズケズケいうこと だ。これはべつだん、この映画に限らず、要するにフランス人にしろアメリカ人にしろ、日本人にくらべたら、物の言い方がキツイみたい。それでも、いうだけ いうたら、根にもたないで、サッパリするのではないか。日本人同士だと、あれだけいうたら、たいてい、どっちかが出て行くことになるか、当分「チミタイ 風」が吹くのとちゃうかな。
その次。やあこが来た日に、広告代理店の男は、会社へ電話して「都合悪いから、いついつ迄休む」という。日本の会社勤めの男は、まずこういうことはせん やろな。もっとも、近頃は新聞記者でも、夏休みや、といってはたっぷり休みとって“私”の方を大切にするみたいから、案外こんな事態になったらそうするか な。友人のイラストレイター、沢田としきくんなどは、双生児が生まれたので、もっぱら育児に忙しい。事務所(といってもひとりでやってるも同然)へ電話す ると、同じ部屋にいる仲間が「今日は子供の面倒見てから出てくるいうてたから、遅いのと違いますか」とかいう。
そういえば、悠治さんは、ハヤが小さい頃、コンサート会場へ連れて行ってて、ハヤがステージへちょろちょろ登場してたりした。今はもう「野球少年」とい う感じになってしまったが、ハヤはその頃のこと覚えてんかな。
たいていのことを書くのに、ぼくはなんらかの体験があるが、こと、やあこ、に関する限りは、体験がない。だから、五カ所湾のツアーでも、中村くんや角辻 くんの子供たちが、六人もいて、みんなもちろんもはや、やあこではないけれど、かれらに対して「親」のようにではなく「友だち」のようにしか接することが できない。それはええことかもしれない。いや、だいたいええも悪いも、それしかしゃあないねんからな。でも、海ちゃんみたいに、家にいる時は「死体」とい う感じでもないな。どこにいててもいつもいっしょ、というのが一番近い。
(チェホフの「三人姉妹」を見たことも、読んだこともなく、佐藤信が演出した黒テントのしばいから物語を読みとってみる。これがあの「三人姉妹」なの か。)
黒い服着たおばあさん、黒い服着たおばあさん、黒い服着たおばあさん。たらいの前で何してるの?
白い服着た娘だった日もあるのさ。いつまでもつづくガーデン・パーティだったね、あの頃は。
姉娘は本の虫。でも、あの一行にひっかかってしまって、どうしてもページがめくれない。それは何だった? さあ、おぼえていない。「緑の午後に消えていく 白い雲」だったかな。ことばは何でもよかった。それを口にだしてくりかえしているうちに、ひっかかってしまったんだね。雲の向うにクレムリンの塔が、ち らっと見えた、としようか。それでもうだめさ。ガーデン・テーブルのまわりをまわって、さしだした片手から、例の一行をしたたらせる。それ以外に、するこ とがなくなってしまったんだ。
見てごらん。ウォトカ一瓶うやうやしくのせた乳母車を押して、木かげをつっぱしっていくよ。
上の妹は、いやに現実的で、さ。この家を切り回しているつもりになっていた。じっさい、夜もなく昼もなくつづくパーティをどうやってまかなっていられたの か、それはだれにもわからないよ。それでも上の妹は、自分だけがパーティのつづく秘密をにぎっている、と思いこんでいた。だが、それもこの家のほんとうの 家主があらわれるまでだった。それは赤ん坊をつれた役人のおかみさんでね。パーティに時々顔をだしていたけれど、だれかの親戚だろう、ということで、だれ も気にとめてなかった。それが、ある朝わかったんだが、この町に駐留していた軍隊が出発するといううわさが急にひろまってね、その時は、もう軍隊が出発し た後だった。軍楽隊のひびきと雲のような旗の波は、しばらく町はずれの丘の上にただよっていた。その時だよ、いままでだれにも相手にされなかったあの女 が、赤ん坊をつれてのりこんできてね、この家の一番いい部屋におさまった。三人姉妹は洗濯女の部屋をあてがわれてね、いまでもそこにいる。
上の妹の信じていた現実は、一日で夢物語に変わったわけだが、もとがいやに現実的だっただけに、しまつがわるかった。手にのこったのは、一冊の黒い帳簿だ け。何が書いてあるやら、それをもちあるいては、会う人ごとにさしだすんだけれど、ね。
でも、一番かわいそうだったのは、末娘さ。この子には、本当に恋人がいた。それも二人、双子のように似た男たちで、ギターをもって彼女のあとをついてある いていた。「ベサメ・ムーチョ」かなんか、ひきがたりしちゃって、さ。末娘には未来があった。ひろびろとした空のような未来で、それは彼女ひとりの空では なくて、この家のみんな、町のすみずみをつつみ、はるかにモスクワまでもひろがっている。結婚してこの家をでて、どこかの町で学校の先生になる。そして、 ひろびろとした空を子どもたちの上にもひろげるのだ。
だが、軍隊が出発した朝、この空もはじけてなくなった。双子の恋人たちは、ギターを銃にもちかえて決闘した。未来は、たたかいなしにはかちとれない、って ね。男たちの世界は、結局それなんだ。はてしのない空の下にも、二人がいっしょに立っていられるだけの土地はなかった。
末娘は、ほら、庭にいる。長い物干しロープをひきずって、庭のすみからすみまでひきまわして、土地の広さをはかっているのさ。今では、土地はある、だれの ものでもない土地が。それなのに、ならんで立つ人はだれもいない。
アメリカのどこかに老人だけが住む町がある、という話は、どこかで読んで知っていた。その話をはじめると、その場にいたうち二人が、その町に親が住んでい る、と言った。けっこうたのしくくらしている、ということだった。何しろ60歳以上でないと、住む資格がもらえないのだ。若者のたすけをかりずに、自分た ちでやっていくことで、みんな元気をとりもどした、ということだった。老人たちのディキシーランド・ジャズ・バンドもあるらしい。
若者がいないのも、いくらかものたりないが、ほんとうにさびしいのはペットが飼えないことだ。体力的に無理ということで、もちこみ禁止らしい。
老人の町は、文明のいきつく果てにおもえる。人間はほかの生き物を殺しつくして、地球の上にひとりで立っている。それだけではなく、こどもらしいことをけ いべつし、成熟をもとめて経験をかかえこむ。
昔いた西ベルリンは60%以上が60歳以上という町だった。今に日本全体がそれに近くなるらしい。3人にひとりが60歳以上で、2人がはたらいて、3人目 の年金をまかなう計算になる。そうなる前に、集団的狂気が作用するだろうか、レミングのように。
八月のすがすがしい朝六時。イリノイ州シャンペーン市。一九八二年、ぼくが日本語および日本文学の教師としてイリノイ大学に雇われて以来、われわれは人口 六万五千人のこの田舎町を本拠地としてきた。
真っ赤な猖猖紅冠鳥がさえずりながら、木から木へへ飛ぶ。電線を伝わって走る栗鼠が、キャッキャッとぼくを叱るように啼いてゆく。地面をせわしくいったり きたりの蟻たちも、ゆっくり脚の筋肉を伸ばしているぼくをせかせる。
ストップウォッチを押して、ぼくは家の前のウイリス通りに出て、駆け出す。青々と茂った木々はトンネルのように道を覆っている。楢、楓、白樺、銀杏、ねむ の木などは、昇る朝日をさえぎって、すずしい影を歩道に落とす。ぼくはウイリス通りをカントリークラブのゴルフ場まで行って、それからゴルフ場の周りを 走って、高級住宅街を通って帰ってくる。約八キロのコースだ。車の少ない、人影もまばらな道程である。
しかし、なんでぼくはここを走っているのだろう。それを考えるだけで、腰が抜けそうになることがある。
*
ぼくたちを日本から運んだ航空機はシカゴのオヘアー空港に着陸した。税関を通った時、検査官に聞かれた。
「どこにいってましたか?」
「日本です」
「旅行の目的は?」
「研究です」
「ケンキュウ?」
「日本の文学の研究です。わたしはイリノイ大学で日本語と日本文学を教えています。一年間大学を休んで、日本で研究生活をしていました」とぼくは几帳面に 答えた。
「日本語を? あんたが?」日系人の検査官は、青白いぼくの疲れた顔を見て首をかしげた。「わしも一年ぐらい日本語を習ってみたが、わけわからなかった な。あんた、ほんとに教えてんのかね」
「同感です」とぼくはいいたかった。このごろ日本語を教えるという仕事に対して、疑問と焦燥を感じているからだ。去年の十二月二日、「日本語を世界に広げ るために」という『朝日新聞』の社説を読んで以来、かなり不機嫌になっている。曰く「言語は国力の象徴である……言葉は品物ではない。民族の心、文化の結 晶なのだ。だから日本語教師は、単語や文法を仕込む職人であると同時に日本を知らせる伝道者、教育家という役割を担っている」
日本の国力の象徴として、日本語を世界に広げているのか、ぼくは? 日本文化の「伝道者」なのか? おい、待てよ。日本人が、大日本帝国の国力の象徴とし て日本語を朝鮮や台湾に伝道したのはそれほど久しいことではない。が、『朝日新聞』の論説員にしてみれば、あれは日本語教育の模範であった、ということに なるらしい。
最近、中曽根総理と梅原猛をはじめとする学者グループが「日本文化のアイデンティティーの確立」を目的とする「国際日本文化センター」の設立を企てている という。政府または学者の集団が一国の文化のアイデンティティーを確立しようというのは、はなはだ傲慢な話だとぼくは思うが、少なくともそれは「国力の象 徴としての日本語」「伝道者としての教師」という発想とは一貫している。伝道者は、伝えるべき、はっきりと確立された道、つまりドグマがなければ困るから だ。悪夢のような話だが、国際日本文化センターという中央機関によって確立された日本のアイデンティティーをぼくが「伝道」する、ということが期待される 日はそう遠くないのかもしれない。
私観だが、文化ないしはアイデンティティーというものは政治権力や学者によって指定されるのではなく、人間自身の行動と思想から派生するものであり、変遷 するものだ。アイデンティティーは真空状態で確立されるのではなく、人々の関係、歴史の移り行きの中で成立する。日本語とはこういうものだ、日本人のアイ デンティティーはいにしえより変らざるものなり、と断言する者は、自らの世界を自らの手で形成する人間の可能性を矮小化するのだ、とぼくは思う。
*
「あたし、ウェストヴュー小学校に行きたくない」泣きながらヤエルは日本語でそういった。
「どうして?」
「だって星野先生の学校のほうがいいもん。神宮前小学校がいいもん!」
困ったな、とぼくは思った。ヤエルもカイも、根こそぎにされたという気持になっているにちがいない。日本で過ごした一年間、日本の社会に溶けこもうとした 努力が全部無駄だったと、幼心でそう恐れているにちがいない。アメリカに帰っても、日本で暮らした経験は、お前たちの人生の有機的な一部だよ、お父さんは けっしてそれをお前たちから奪いはしないからね、となんらかの方法で子供たちに伝えなければならない。
だが、どうすればいい? ほっておけば、日本語を完全に忘れてしまうだろうし……
編集後記
「おたより」を送ってくれたひらのさくらさんは、平野さんの家の末っ子でことし四歳です。桜の花の咲くころにこの世に登場したので、さくら、というすてき な名前なのです。グッドマンさんちのヤエルちゃんが、さくらちゃんを「さくらんぼ」と呼んでいるのもなかなかすてきでした。
さくらちゃんのお母さんのきみこさんは、自宅で「ひらの」というお店(?)をひらいています。自宅内店舗ですね。この「ひらの」の歴史と、さくらちゃんの 歴史はほぼ重なっていて、生まれながらにお客の相手をしていた感があります。ちいさなころはきみこさんの背中にくくられて。最近では試着していると、似合 うよ、なんて言ってくれます。お母さんといっしょにお店をしているという自覚があることがわかります。「ひらの」では、きみこさんが自分で染めた糸や手編 みのセーター、木綿の服、それにくるみの石けんなんかを売っていて、この秋から週に三日、木・金・土と開店しています。さくらちゃんは保育園に通っている ので、家にいる確率が高いのは土曜日だと思います。場所は世田谷区成城。さくらちゃん、きみこさん、それに彼女たちのつくったものに、ぜひ会いに行ってみ てください。
この夏、山元清多さんはモンゴルへ、鎌田さんは中国へ、コリクツのキリコはヨーロッパへ、田川さんはタイへ、とそれぞれ出かけました。アメリカへ帰った一 家もありました。東京でじっとしていても、世界はもはやきのうの世界ではないという感じ。(八巻)